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    お箸で摘む程度

    @opw084

    キャプション頭に登場人物/CPを表記しています。
    恋愛解釈は一切していません。

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    POIPOI 32

    お箸で摘む程度

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    グレイとジェット
    グレイとジェットが右腕を交換する話。川端康成「片腕」に着想を得ています。
    お誕生日おめでとう。

    交感する螺旋「片腕を一日貸してやる」とジェットは言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って僕の膝においた。
    「ありがとう」と僕は膝を見た。ジェットの右腕のあたたかさが膝に伝わった。

     僕とジェットは向かい合って、それぞれの柔らかい椅子に座っていた。ジェットの片腕を両腕に抱える。あたたかいが、脈打って、緊張しているようにも感じられる。
     僕は自分の右腕をはずして、それを傍の小机においた。そこには紅茶がふたつと、ナイフと、ウイスキーの瓶があった。僕の腕は丸い天板の端をつかんで、ソーサーとソーサーの間にじっとした。

    「付け替えてもいい?」と僕は尋ねる。
    「勝手にしろ」とジェットは答える。

     ジェットの右腕を左手でつかんで、僕はそれを目の前に掲げた。肘よりもすこし上を握れば、肩の円みが光をたたえて淡く発光するようだ。その光をあてがうようにして、僕は僕の肩にジェットの腕をつけかえた。僕の肩には痙攣が伝わって、じわりとあたたかい交感がおきて、ジェットはほんのすこし眉間にしわを寄せる。右腕が不随意にふるえて空を掴んだ。
     隻腕のジェットがこちらをじっと見ている。僕は右腕を持ち上げると、それで自分の顔に触れた。頬に乾いた指の感触が伝わったが、指のほうには何も感じられない。掻くように指先を曲げて、ジェットを見ても、彼は警戒する猫のようにまんじりともせずにいるから、僕はその指を滑らせてはついに唇までたどりついた。
     爪と歯が触る。口を開いてくわえようとすると、ジェットはようやく小さな声を出した。

    「やめろ」
    「感じる? 感覚はそっちにあるの?」
    「知らねえ。早く行け」

     ジェットは自分の右手にある机のために、その上半身をひねらせて、左手でウイスキーの瓶をつかんだ。けれどそこから、片腕ではアルミニウムの蓋を開ける手段を持ち合わせずに、しばらくじっと止まっていた。僕は自分の左手をそっと近づけて、ジェットが浮かせた瓶のままに、アルミニウムを指先でくるくると回した。左側に二回半も回せば、それはかんたんに瓶から離れて、円い口から黄金色の水面が覗く。ジェットはそれを乱暴に傾けると、冷めた紅茶が残ったままの僕のカップに中身を注いだ。びちゃ、と水が水を打つ音がして、僕の右手はいっそう強く机のへりを握り締めた。

    「ほら……」

     僕は左手で僕の右腕を持ち上げると、それをジェットの膝においた。ジェットは黙ってそれを見下ろした。

    「行っておいで」

     言葉とはうらはらに、立ち上がったのは僕の方だった。カップの中に黄金色と赤銅色が永久機関のようにうつくしい螺旋を描いている。
     ジェットの膝の上に僕が安らかに横たわっているのを見て、僕は左腕で右腕を撫でた。そうして、彼らに背を向けると、僕はそこから出ていった。





     ジェットの右腕で歩くグリーンイーストの町は、いつもと同じはずなのにどこか知らない国のように見えた。
     夏を前に濃い色の葉の芽吹く道端の草木や、疲れたひとを待つベンチの背もたれや、話しかけてくれる子どもたちの小さな手に、僕は意識して右手を触れた。両手で包み込んだ。そうすると、僕の左腕から身体へ、それから右腕へ、そして右腕から身体へと、血が通うのが感じられた。

    「ベタベタ触んな。汚ねえ」右腕は不満そうにしている。
    「そんなこと言わないの」

     僕は鳩尾の前で、左手を右手に絡ませた。右手は、左手よりもすこし冷たい。人差し指から小指までの四本を、まとめて握りこんで熱を移すようにすると、右腕は黙って為されるがままになっていた。

     以前の僕はジェットの考えていることがちっとも分からずに、別に今でも手に取るようにわかるというわけではない。ただ、分離していた感情がすこしだけ歩み寄りを見せて、溶け出した接合部が混ざりあうような、混ざりあわないような、微妙な状態にとどまっている。
     それが、いま、肉体も同じようだった。ジェットの右腕と僕の身体。感覚はないけれど、自分の意思のなかにある。ジェイさんの義手は果たしてこんなふうだろうか。おそらく、すこし、かなり、違うだろう。いま僕の四肢はカップの中のウイスキーと紅茶のように、混ざりあうような混ざりあわないような境界にゆらめき、それでいてひとつの水面を持つ。永久機関の螺旋のような肉体で、僕はジェットと不随意に交感している。

     と、前方にとつぜん波紋のようなものがあらわれて、細かく振動しては動き回る物体が地面をすべった。あれは以前にも見たサブスタンス。レベルは二。そっとしておけば悪さはしない種だけれど、すばやく動き回って誰の邪魔をするとも限らない。よってここは、霧で通行人の目隠しをした上、なるべく早く回収してしまうに限る。
     そんな僕の判断を、当然右腕もわかりきっていて、押し込まれたインカムでヒーロースーツ姿に変化すると、それが早いか、もうすでに右手と左手には一対のナイフが握られている。

    「サブスタンスが現れました! すぐに対処しますから、この付近には近づかないでください……!」

     ドーナツ型の円柱状に霧を発生させてしまえば、そこには青く発光するサブスタンスと、僕と、それから右腕しか存在しない。地面すれすれに走る光を蹴り上げると、それは空中を俊敏に舞った。左腕を振り抜く。右腕を突き出す。左腕の逆手を順手に持ち替える。右腕と呼吸を合わせて斬り裂く。
     感覚がなくても動かすのは自分のはずなのに、なぜだかいま右腕は、僕の意思よりも勝手に動いているかのようだった。右腕をジェットが動かしている、というより、思えば左腕をはじめとするこの身体もすべて、ひとりでに動いているかのように思える。

     無意識に身体が戦う。不随意に肉体が収縮する。
     身体を司る僕でもない、右腕を持つジェットでもない、何かが、このちぐはぐな四肢をひとつの肉体としてぞんぶんに動かしている。
     きっとそれは、僕でもあり、ジェットでもある、あたらしく懐かしいひとつの意思。
     交感する螺旋が共有する水面。



     サブスタンスを回収し、研究部まで届け終えてなお、僕の身体はなんだかふわふわとして、僕のような、ジェットのような、どちらでもないような、不思議な感覚を保っていた。
     エレベーターに乗って、のしかかる重力がよけいに夢見心地を誘う。居住区のフロアに出ると、不意に角を曲がってきた人物とはち合わせた。
     アッシュだ。それを認識した瞬間、僕の神経はすうと冷えわたって、気がつけば僕は僕の内側にいた。ジェットが反射的に引き出されたらしかった。

    「なんだ……? テメェ、急に出てきやがって」
    「ウルセェ。こっちの台詞だ、俺の前に出てくんじゃねぇよ」
    「ア? 相変わらず調子に乗ってやがるな。一発シメておいた方がいいか?」

     強い言葉の応酬のなかで、ジェットのいらだちが痛いほどに伝わってくる。アッシュが一歩足を引いて、重心を低く下げたのが分かった。総毛立つような興奮が、背筋を駆け抜けていくのがわかる。
     これじゃダメだ。アッシュに食ってかかりたい気持ちが僕の全身をも支配するけれど、それでも、これだけは、いけない。ジェット。

     不意に僕は、僕に右腕がついていないことに気がついた。隻腕の右肩から黒い袖が力なく垂れ下がっている。
     それなら、この右腕の感覚は。


    「……ジェット」

     僕は僕の右腕で、ジェットの左腕を強く掴んだ。ジェットの意思が一瞬、揺らぐ。その隙を見逃さず入り込む。ジェットのなかに、混ざっていく。
     僕は右腕を持ち上げると、それでジェットの顔に触れた。指に乾いた頬の感触が伝わったが、頬のほうには何も感じられない。掻くように指先を曲げて、ジェットを見ても、彼は警戒する猫のようにまんじりともせずにいるから、僕はその指を滑らせてはついに唇までたどりついた。

    「グレイ」

     声を出したのはアッシュだった。この一瞬、もはや存在を忘れていた相手をはっとして見れば、怒気を削がれた呆れ顔で、僕たちの方を見下している。

    「紛らわしいことすんじゃねぇ。引っ込めとけ」
    「……うん」

     アッシュはそのまま僕たちの横を通り過ぎ、行ってしまったエレベーターを呼び戻しているらしかった。僕たちはもう歩き出すほかなくて、そのまま、アッシュの曲がってきた角を進んで行った。





     ティーカップの中に冷めた紅茶。そこに注がれたウイスキーの黄金色が、赤銅色と混ざりあい、混ざりあわずに、永久機関のような螺旋を描いている。
     僕はそれを左腕で持ち上げると、ジェットの膝の上にある、僕のてのひらに溢れさせた。ダージリンとモルトの芳香がむせぶほどに立ちのぼる。

    「おい、グレイ、」
    「ジェット」

     何も言わなくていい。僕たちの間に、言葉はもはや意味を為さない。
     僕は右腕を持ち上げて、浅い椀のかたちをしたてのひらを、ジェットの唇にあてがった。
     ジェットは黙って、それからゆっくりと口をつける。唇の端から零れた雫を、僕の身体につづいている、彼の右腕でそっと拭う。

     僕は左手でその手を取って、指さきの雫を口に運んだ。
     舌の上に螺旋がひろがり、やがてひとつに混ざりあっていくのを、ジェットもきっと感じているんだろう。



    交感する螺旋 完
    2023.6.6
     
     
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    お箸で摘む程度

    TRAINING研究部
    感覚からヴィクターを想起してみるノヴァのお話。
    move movement poetry 自動じゃないドアを開ける力すら、もうおれには残っていないかもなぁ、なんて思ったけれど、身体ごと押すドアの冷たさが白衣を伝わってくるころ、ガコン、と鉄製の板は動いた。密閉式のそれも空気が通り抜けてしまいさえすれば、空間をつなげて、屋上は午後の陽のなかに明るい。ちょっと気後れするような風景の中に、おれは入ってゆく。出てゆく、の方が正しいのかもしれない。太陽を一体、いつぶりに見ただろう。外の空気を、風を、いつぶりに感じただろう。
     屋上は地平よりもはるか高く、どんなに鋭い音も秒速三四〇メートルを駆ける間に広がり散っていってしまう。地上の喧噪がうそみたいに、のどかだった。夏の盛りをすぎて、きっとそのときよりも生きやすくなっただろう花が、やさしい風に揺れている。いろんな色だなぁ。そんな感想しか持てない自分に苦笑いが漏れた。まあ、分かるよ、維管束で根から吸い上げた水を葉に運んでは光合成をおこなう様子だとか、クロロフィルやカロテノイド、ベタレインが可視光を反射する様子だとか、そういうのをレントゲン写真みたく目の前の現実に重ね合わせて。でも、そういうことじゃなくて、こんなにも忙しいときに、おれがこんなところに来たのは、今はいないいつかのヴィクの姿を、不意に思い出したからだった。
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