大事な荷物は手放したくない居酒屋の四人席で、僕らは飲みながら土方さんの愚痴を聞いていた。正面には土方さん、隣には僕の愛妻のお竜さんが座っている。
「三十にもなって婚活のひとつもしねぇ男に結婚願望なんてねぇなんて、火を見るより明らかだろ」
ビールですっかりできあがってしまった土方さんは、僕を据わった目で見た。
そうだね、と相槌を返せば、
「なのにあいつはそれがわかんねぇんだよな」
あいつ、というのは、最近土方さんと交際を始めた斎藤さんという青年のことだ。どうやら土方さんとは十歳近く離れているらしい。
「あいつは本当にお花畑なことしか言いやがらねぇ。新居は多少郊外でも大根を植えられる庭のある家がいいとか、家事は当番制にしようとか。放っときゃ子供は二人とか言い出しかねねぇ」
今のマンションどうしろってんだ、買っちまったんだぞ、二十五年ローンで、と愚痴る土方さんには、普段の男らしい雰囲気がない。人前でいつも装うのは大変だろうから、たまに本音を出すことはいいことだと思うのだが。
「斎藤さんは少々重たい、と」
僕の言葉に、土方さんはうなずく。お竜さんは不思議そうな顔をしている。ここだけの話、彼女は人間ではない。
「お竜さんには人間の都合はわからんが、ヒジカタはサイトーが重たいんだろう。なら、おんぶしてやるのをやめればいい」
「それができりゃお前たちに愚痴ったりしねぇんだよ…」
あ、これはおノロケだ。僕は口をつぐんだが、人間の情緒を理解していないお竜さんはなおも食いつく。
「はっきりしないやつだな。サイトーも、お前が嫌がることはしたくないと思ってるはずだぞ。お竜さんも、リョーマが嫌がることはしたくない」
「だから、嫌じゃねぇんだよ…」
土方さんは、両手で頭を抱えた。
「あいつに逢ってから、俺の人生設計はぐちゃぐちゃだ。一人で生きること前提で家も家電も家具も買った。セミダブルベッドが手狭になるなんて、普通思わねぇだろ…でも、それでも離れたくねぇなんて考えちまうんだ…」
よれよれの声で愚痴を吐き続ける土方さんに、さすがのお竜さんも何かを察したようだ。
「リョーマ、こいつ、ドМか?」
「それとはちょっと違うけどね」
「斎藤…」
土方さんは、無意識にか恋人の名前を呼ぶ。
僕が知る限りでも派手な交遊関係を持っていて、酷い修羅場に遭ったことも一度ではない土方さんが、たった一人の若者に翻弄されるとは。僕にはそれを面白がる感性はないけれど、初々しくていい意味でらしくないな、とは思う。
「土方さん!」
噂をすれば影。斎藤さんは、息を弾ませて僕らのテーブルへやって来た。
斎藤さんは僕に警戒の度を強めたが、お竜さんの姿を見て、少し緊張が和らいだらしい。
「この人は僕の奥さんのお竜さん。お竜さん、斎藤さんだよ」
「お前がサイトーか。ヒジカタの重たい荷物だな」
お竜さんの言葉に、斎藤さんは硬直した。
「僕が、荷物…?」
「でもヒジカタは、お前を背負ってるのが嫌じゃないらしい。変なやつだ」
「どういうことですか、坂本さん」
「僕らよりも、本人に聞いた方がいいと思うよ。連れて帰る?」
斎藤さんはメッセンジャーバッグから財布を取り出し、四千円をテーブルに置いた。
「足りなかったら言ってください、後で払います」
「大丈夫だよ」
本当は少々足が出るのだが、僕も無粋ではないつもりだ。
斎藤さんは土方さんの腕を自分の肩に回し、細い腰を抱えた。
「土方さん、帰りますよ。歩けます?」
「斎藤…なんでここに」
「あんたが店名教えてくれたんでしょ」
土方さんは千鳥足ながらも歩けるようだ。危なっかしく出口に向かう土方さんたちを、僕らは目で追った。
「なんだ、ヒジカタがサイトーの荷物なのか」
「荷物というか、お互い支え合ってるんだよ」
ふぅん、とお竜さんはわかったようなわからないような相槌を打つ。
ここで「お竜さんも僕の大事な荷物だよ」なんて言ったらキザがすぎるだろうか。
でも実際、愛し合う二人を見ると、自分も大事な人に想いを伝えたくなる。
土方さんの人生設計はどうなるのだろう。僕が案じる筋ではないが、個人的には幸せな落着を見たい。
「リョーマ、お竜さんはカエルの串焼きが食べたい」
「じゃ、河岸を変えますか」
人間から見たら『ゲテモノ』を出す珍味の専門店が、最近のお竜さんのお気に入りだ。
僕はテーブルの四千円と伝票を手に取った。