過労の代償 歳下の彼氏がガチ説教してくる休憩所でエナジードリンクを呷って机に戻り、アルバイトが入力した計算表を確認しているうちに眩暈がしてきた。よくない、と思って立ち上がりかけて、その後の記憶がない。
気がつけば病衣に着替えさせられ、清潔なリネンにくるまれて白い天井を見ていた。こんな図体のでかい男を着替えさせるのは大変だっただろう。
右側を見上げると、点滴のパックをぶら下げたスタンドもある。もちろん点滴は俺の手の甲に繋がっている。
過労らしい。肝臓と腎臓の値がよくないが、目立った病気はないと医師から説明を受けた。
確かに、最近あまりまともに眠っていなかった気がする。エナジードリンクで疲れや眠気をごまかすのも一度ではなかった。
若い頃は平気で二徹、三徹していても元気に働けて遊べていたのに…これが加齢か。
食生活のことを話したら、沢庵以外も積極的に摂れと叱られた。はじめのような口ぶりに、医師の前で笑いそうになった。
そういえば、はじめはどうしているか。連絡が取れなくなったら心配するはずだが。
と思っていたら、病院の廊下にけたたましい駆け足の音が響いた。病室に飛び込んできたはじめのものすごい形相に驚いていると、はじめはその場に座り込んで嗚咽を漏らした。
「ひじかたさぁん…!」
「どうした、こっち来い」
「こっち来いじゃねぇですよ!」
隈のある目を吊り上げて、はじめはベッドから上体を起こした俺の胸ぐらを掴まんばかりに迫ってきた。
「泣いたり怒ったり、忙しいやつだな」
「ふざけんなバカ!」
みずみずしい頬を涙が滑る。あぁ、そんなに泣くな。
「昨日一晩連絡取れなくて、俺がどんな気分でいたかわかってます」
「山南辺りから聞いたか」
うなずくはじめの顎から、滴になった涙が俺の病衣に落ちた。鼻水も出ている。
「あんた、働きすぎなんですよ…聞きましたから、この一週間毎日日付変わるまで会社にいたって」
「しょうがねぇだろ、代わりがいねぇ」
「代わり! 育てて! そんなの社会経験ない俺でもわかる!」
「まだるっこしい」
「まだるっこしいで俺を殺す気ですか! 恋人が知らないとこで一晩苦しんで…自分の無力さがどんだけ悔しかったか!」
確かに、最近忙しくてはじめを構えていなかった。メッセージアプリや通話でしか接触できなかった恋人が倒れて、連絡も取れなかったはじめの苦しみは察せる。
「すまねぇ」
「謝れば済むと思ってるでしょ!」
そんなことはないのだが、言い返す体力がない。
「横になっていいか」
「あっ…ごめんなさい」
はじめは俺から身を引いて、ベッドサイドの丸椅子に座った。
「俺、やっぱガキだ…好きな人に何もできなくて、苦しんでる人にただわめき立てるしかできなくて」
後から後から流れる涙に、胸を締めつけられる。泣くな、泣くな。
――もしかして泣かせているのは俺か?
これまで、家族以外で俺をここまで案じる者はいなかった。友人とも恋人とも、そこまで深いつき合いをしていなかった。
はじめとはちょっとしたきっかけで出逢い、交際を始めた。俺の言動に一喜一憂する姿を愛でていただけのつもりだったのだが。
はじめの涙を見るのが苦しい。
俺はいつの間にか俺一人のものではなくなっていたようだ。
「すまねぇ…」
「許しませんからね、身体治すまで」
「治ったら許してくれんのか」
「余計なこと考えないで治してください」
赤い目尻が痛々しい。俺のせいだと思うと更に。
もちろん生活習慣は改めなければと思うのだが。
「そうだ、はじめ。うちのノーパソ持ってこい。やりかけの仕事片づける」
「ふざけんなよ ここが何するとこかわかってなねぇですよね!」
「どうせヒマだろうし、することねぇと落ち着かねぇだろ」
「沖田ちゃんや山南さんにも絶! 対! 持ってこさせないようにしますからね! 余計なこと考えないで休んで!」
普段は柳のようなたたずまいでへらへらしているはじめだが、俺に対しては情熱的で激しやすい。そんなところも可愛いのだが――今は圧倒的に分が悪い。普段ならふにゃふにゃ笑って受け容れる言葉も、逆効果になるだろう。
医師からは、三日から一週間程度の入院になると聞いている。
「毎日来ますよ」
「無理すんな、たかが過労で大げさだな」
「だって…」
はじめの頬を、新たな涙が流れる。
「やっと、あんたの顔が見られるんだ。こんな時に何言ってんだって、自分でも思うけど…だから俺はガキなんだって思うけど」
「いや、ありがてぇよ」
自分を省みるきっかけをもらえた。これからも無理はするだろうが、自分の閾値の認識を更新できた。
自分を心から案じる恋人の存在も確認できた。
薬のせいか、眠くなってきた。無意識のうちに、はじめに手を伸ばす。俺の意図をしっかり読んで、はじめは俺が差し出した手を両手で握った。
体温が心地いい。久しぶりに、深く眠れそうだ。