リリィ 一人前のスパゲッティの適量は、人差し指の先を親指の第一関節に当てて作った輪で掴める程度。確かにそう聞いたのだけれど、あれはもしかして女の人の手での基準だったのだろうか。
また、普段沢庵ばかりの人に野菜を摂って欲しいからと、キャベツを少し多めに投入したせいもあるだろうか。『加熱すれば野菜は縮む』という格言を信頼しすぎたのかもしれない。
結論から言えば、パーティーに使うような大皿にたっぷりの、鮭とアスパラと季節野菜のスパゲッティができてしまった。
「あふれ返ってんな」
「すみません……」
後ろでくくった髪を解く精神的余裕もなく、僕はただ土方さんに頭を下げた。
ちなみにこの大皿は、実際にホームパーティーをする時にも困らないようにと、お姉さんと兄嫁さんが持たせてくれたという。実家が太い人は、いろいろな行動パターンを考えるものらしい。
「謝るな。お前が頭下げたって、これは減んねぇだろ」
その通りなのだが、今の僕は恐縮の塊だ。土方さんに食費を出させておいて、こんな無様を働いてしまった。申し訳ないなんてものではない。涙さえ出てきた。
「どうしましょう……」
震える声で問う僕に、
「どうって、食うしかねぇだろ。捨てたらバチが当たる」
優に三人前以上の量がある。しかも分量を間違えたのだから、味も保証できない。だからこそ僕は自責の念を抱いていたのだが、土方さんはこともなげに言う。
「男二人なら、どうにかなんだろ。最悪、冷凍でもすりゃぁいい」
それに、とつけ加える。
「お前がそんなべそかいてるのは、腹が減ってるせいもあるんじゃねぇのか。食うぞ」
そう命じられれば、僕に否定の道は残されていなかった。
昔見たアニメ映画のように、山盛りのスパゲッティをスプーンとフォークで取り分ける。絶望的な気分でいた僕だが、ソースの絡んだ麺を口に含んで、
「おいしい」
「うめぇよ」
土方さんは、とっくの昔から知っていた、という口調だ。
分量が増えたことでソースが薄まって、食べられたものではなくなっているという危惧があった。しかし、隠し味として投入したひとかけのにんにくと白ワインのおかげだろうか、味はぼやけず、しっかりとスパゲッティや野菜に絡んでいる。
こぼれる涙はそのままに、麺をフォークで巻いては口に運ぶ。土方さんは無言で食べる僕を見て、
「な?」
とだけ言った。
その相槌ひとつに含まれた、強い信頼。
先ほどは絶望感しかなかった涙だが、今は歓喜でいっぱいだ。
心に余裕が出てくると、考えにも幅が生まれる。
「こんなに食べて、太ったらどうしますか」
「俺の燃費の悪さを信じろ」
土方さんは決して少食ではないのに、身長と比べて肉づきがよくない。僕はいつもそのことを心配してごはんを作っているのだけれど、今回ばかりはそれがプラスに働きそうだ。
「最悪、それでも消化できなかったら、食後に運動でもするか?」
半透明のソースがついた口の端を、土方さんは絶妙につり上げる。自分の魅力をわかっている人の笑みだ。
この顔で『運動』と言われて、筋トレを思い浮かべるほど、僕も鈍くはない。
「食事中に誘わないでください……」
「泣いたり照れたり、せわしねぇな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
撃沈しそうな僕の正面で、土方さんは悠々とスパゲッティを食べている。口からはみ出した麺を赤い舌が追いかけて捉える様すら、僕にはいやらしいものに感じられてしまう。
魅力的な人から翻弄されるのが嬉しいし、後で見ていろという気持ちにもなる。
この人を抱くためには、早くスパゲッティの山を片づけなければならない。
食事のギアを上げる僕を見て、土方さんは愉しげな表情になった。
あぁ、好きだ。