夜、歩く 僕は歩く。
知らなかった道、覚えた道、馴染んだ道。あの人へと通じる道。
就職が決まった。髪を切り、社会から求められる像と自分とのギャップに悩み、それでも決して妥協はしなかった。
内定が出た日は速攻で土方さんに連絡し、その夜は二人で祝い明かした。テーブルでもベッドでも、土方さんは優しかった。
髪を伸ばし直し、今は卒論の資料集めをしながらアルバイトを続けている。
バイト先のカフェでは、土方さんは『斎藤くんの彼氏』としてすっかり顔を覚えられている。土方さんの都合が合う時、僕を迎えに来るからだ。
「あんなイケメン彼氏、どうやって落としたの?」
時折、好奇心から聞かれる。
「真心込めて口説いたの」
と返すと、のろけか、と笑われる。
あの頃の僕、めちゃくちゃ必死だったな……と思い返すと、羞恥心にも襲われる。
とにかく早く大人になりたかった。完全無欠な大人の土方さんに追いつきたくて、背伸びを繰り返していた。背伸びをしてもすぐ疲れてしまう、なんてことに気づかないまま。
土方さんだって完全無欠とまではいかないことを知ったし、僕もほんの少しずつでも成長していることを実感した。
今はもう、無理して大人になろうとは思わない。約十歳の差は埋めようがない。いくら僕が焦っても、僕だけ歳を取るようにはならない。
だから、二人で歳を取るのを待つ。共白髪になれば、今よりも歳の差が気にならなくなるに違いない――だといいな。
そんなことを思いながらバイトを終える。
「斎藤くん、スーツなんて着て何かあるの?」
「いや、ちょっとね」
同僚バイトちゃんの疑問を受け流し、帰途に就く。
電車を乗り継ぎ、ここ二年ほどでずいぶんと親しくなった駅で降りる。軽やかにICカードを自動改札機にタッチし、駅ビル一階のケーキ屋を覗く。シュークリームが半額になっていたから、二つ買った。
中空の半月のほの明るい灯りの下、馴染み深い道を歩く。途中のコンビニで、ビールとサワーを買う。この程度なら、おごっても飲食してもらえるようになった。
暗証番号を入力してオートロックのドアを抜け、エレベーターで縦移動して目当てのドアチャイムを押す。
ドアを開けたお風呂上がりの土方さんは、前髪が額に降りて幼く見える。
「……まぁ、ずいぶんと」
「馬子にも衣装って言いたいんでしょ」
「いや、俺の彼氏はいい男になったな、と思ってな」
からかいがないとは言わないけれど、嘘もない。長年観察していなければわからない、比較的柔和な表情が、それを物語っている。
「まぁ、入れ。早く部屋着に着替えろ、しわになっちまったらいけねぇ」
僕はシュークリームの箱を土方さんに渡し、ジャケットを脱いでネクタイを緩める。
「でも、そこまで気合い入れるこたぁねぇぞ。ただの挨拶なんだしよ」
「お兄さんたちに会うんですよ、ちゃんと弟さんを僕にくださいって言うんですから」
「莫迦、それはまだ早いって言ったろ」
それはお前が社会人としてやってく目処がついたらだ、と土方さんは釘を刺す。
明日、土方さんのご実家へ行く。『世話になっている連れを紹介する』という名目で、お兄さんとお姉さん、お義兄さんの品定めを受ける。
長年土方さんを可愛がってきた人たちに、『こいつなら俺たちの弟を幸せにできる』と認められたい。
「焦んなよ」
デコピンされて、少しだけ冷静さを取り戻す。自分が逸っていると自覚できる分だけ、二年前より少しはましだ。
「あぁ、そうだ」
ダイニングへ抜ける廊下の途上で、土方さんは振り返る。
「おかえり、はじめ」
片手はシュークリームを持っているから、土方さんは片手だけ広げた。僕も片手にジャケットを提げているから、片手だけで抱きつく。
「ただいまですよ、歳三さん」
お風呂上がりの人にべたべたした身体ですり寄っては迷惑かな、と思いつつ、石鹸の匂いのする首筋につむじを押しつけ、鎖骨の辺りに顔を埋める。
土方さんは嫌がることなく僕の背中に腕を回してくれた。
「今日はスイーツ食べて早く寝ましょうね、明日に響くし」
「できるもんならな」
に、と唇をつり上げる人は、何度見てもエロい。そんなに挑発したら食べちゃうぞ。僕はあんたを食べるスペシャリストなんだからな。
「先に風呂入っちまえ、さっぱりしてぇだろ」
メッセンジャーバッグをダイニングの椅子に置き、ハンガーを受け取って脱衣場でスーツを脱ぐ。
好きな人の日常になれていること、好きな人が日常になっていること。
恋の炎に焼かれていた頃も、もちろん幸せだった。あの頃の土方さんは非日常の産物だった。
今、熟れて滴る愛を浴びている。
こういう幸せもあるのか。
セフレじみた関係から始まって、ご実家に呼んでいただけるようにまでなった。
けれども、ここまでの歩みに満足してはいけない。僕はいつか大人の男になって土方さんをも幸せにする。そう決めたのだ。