バースデイ・ファウンテンペン「あけましておめでとうございます」
こたつで暖を取りつつ、僕は頭を下げる。
「おう、あけましておめでとう」
土方さんも、僕の斜め前の面で会釈をした。
遠くで除夜の鐘が鳴っている――ように思えるのは気のせいだろうか。最近は、近所から苦情が出るから夕方に鳴らす、なんて話もあるらしい。僕のノスタルジーが胸の中で鳴らす音なのかもしれない。
「そういえば」
「なんだよ」
部屋着の上にフリースを羽織った土方さんは、梅酒のお湯割りをすすった。ビールを飲むには今日は寒い。
土方さんは一人では白米と沢庵しか食べないのに、この家には調味料だとか嗜好品がきちんと準備してある。最近料理を始めた者として、ご家族の愛情を感じる。
テレビの中では、僕も好きなヒップホップユニットの二人がカウントダウンを煽った後、新曲を披露している。
「土方さんはなんで年内に帰省しなかったんですか?」
大みそかの約束を取りつけた時から、疑問に思っていた。
僕は学生で、冬休みも長いから、帰省をずらすという選択肢が取れた。
けれど土方さんは、松が取れたらすぐ仕事だ。ご実家が近いとはいえ、明日帰っても一泊か、頑張っても二泊しかできない。それに、挨拶をする必要とかはないんだろうか。話を聞いている限りだと親戚も多そうだし、ご兄弟の取引先さんからも可愛がられているみたいだ。
「あ? 決まってんだろうが」
土方さんは、「ちょっと待て」と一度寝室へ行き、手のひらに少し余るほどの細長い箱を持って出てきた。
「誕生日おめでとう」
「え」
僕は硬直してしまう。
「え、なんです、これ」
「誕生日プレゼントだ」
「僕、ひと言も言わなかったですよね?」
そう。僕の誕生日は元日である。
家族からは祝ってもらえるが、同級生からの祝福は見込まれず、その上ケーキにもろくろくありつけない、とてもおめでたい日の生まれなのだ。
僕は、今日が誕生日であることを隠して、土方さんと一緒に過ごしたいとお願いした。断れれることを前提にしていたから、色よい返事を聞けてかえって驚いた。
まさか、感づかれていたとは。
「調べる手段はいくらでもある。最初はプレゼントでもせびるのかと思ったが、隠してぇようだったから今まで黙ってた。……これも余計だったか?」
「いやありがとうございます! いただきます! 大好きです!」
僕のテンションに軽く引いたかもしれないが、土方さんは手の中の箱を僕の手のひらに置いた。
「開けていいですか」
うなずきを得て、なるべく丁寧にラッピングをはがして箱を開ける。
「万年筆……」
僕は、そっとそれを手に取ってみる。
僕の髪色と似たネイビーの軸はちょうど握りやすい太さで、銀色のペン先には唐草模様が彫ってある。別添えとして、箱にはブルーブラックのインクカートリッジが一本はめ込まれている。
「初めてだろうから、カートリッジ式にした。安物(やすもん)だ、気にせず使え」
「いや! こんないいものが安物のはずないでしょ!」
「万年筆はな、上見りゃキリがねぇんだ。本当、これは安物だぜ」
にやり、と土方さんは魅惑的な笑顔を作る。
確かに、そういうものだとも言えるだろう。どんな道具でも、上を見ればすばらしいものはいくらでもある。
けれど今は、土方さんが僕のために使ってくれた労力のことを考えたい。お金のことだけでなく、僕に合わせてこの万年筆を選んでくれるまでのことを。
「大事に使います……」
「莫迦、普段使いしろっての」
「ええ……無理です……」
困惑しきった僕の言葉に、土方さんは苦笑する。
「お前、明日何時に帰るんだっけか」
「十時発の夜行バスに乗ります」
「午前中にクール便でケーキが届く。それまでいられるか?」
「もちろんです!」
実は、ぎりぎりまで土方さんと一緒にいられるよう、既に荷造りはしておいた。家に戻ったら、荷物を掴んですぐバスの発着場へ行ける。
「あー好き。本当好きです。僕の彼氏最高にかっこいいです。好き」
うわ言のように言う僕の頭を、土方さんはくしゃくしゃと撫でてくれる。男にしては長い髪が乱れるけれども、それさえも嬉しい。
日記を買おう。ふとそう思った。
万年筆といえば日記、という、知識の乏しい僕の安直な発想だ。けれど、土方さんがくれた万年筆で土方さんとの日々を綴るという行為は、僕の胸を甘やかな幸福で満たしてくれる。
後で読み返せば、今のこの気持ちをありありと思い出すことができるだろう。
それが一番の使いみちだ、と僕は直感的に判断した。僕の直感は割と当たる。
「大事に……普段使いしますね!」
「おぅ、それならいい」
どんな言葉で書き始めようか。書き出しは大事だって、論文の書き方の本にも書いてある。
土方さんの顔にヒントがないかと思ってじっと見つめると、整った顔がウインクを飛ばした。まつ毛が鳴る音が聞こえた気がして、僕はまだまだこの人には勝てないな、と思った。