冬の朝、残されて想う 前夜のセックスは、奇跡的にあまり時間をかけず、一回で終わらせられた。土方さんは少しだけもの足りなさそうな表情をしていたけれど、そこはめちゃくちゃ頑張って性欲を抑えた。
水曜夜のセックスは、他ならぬ土方さんの負担になるのだ。
僕は気楽な身分の学生だから、翌日の木曜日は三限のある午後一時に間に合うよう学校へ行けばいい。けれど、土方さんには仕事がある。僕がいようがいまいが、遅くとも午前九時には職場へ着いていなければならない。
そもそも、土方さんは水曜日を自主的なノー残業デーにしている。そこまで尊重されていること自体は嬉しいが、水曜日の早上がりは当然他の曜日へしわ寄せが行く。こんなところからも、自分の未熟さと無力さが刺さる。
土方さんの負担にならないよう、せめて夜はおとなしくしたい。しかし、僕は幼い。土方さんに挑発されると、すぐに自我が吹っ飛んでしまう。
「言ったろ、俺がやりたかっただけだ。お前のせいじゃない。俺も同罪だ」
すべてが終わった後、土方さんはいつもそう慰めてくれる。好きな人にそんなことを言わせる自分が許せない。
だからせめて、回数は少なく、あっさりとした愛撫を心がけている。溜まった分は週末に発散させればいい。
その試みに、昨夜は成功した。
事後の僕は同じクイーンサイズのベッドの中で距離を取るけれど、土方さんは僕に抱きつき、肩口に噛みついて甘えてくる。
土方さんがそんな末っ子しぐさを見せるのは、疲れている時だ。ここ最近は休日がないから、続けて週五日仕事をしている。
やはり僕の欲望を優先して身体に負担をかけているのではないか、という気にもなる。
けれど、好きな人にくっつかれて落ち着かなくなるのも事実で。
(生殺しだ……)
睡眠も自然と浅くなる。かくして僕は午前六時半にアラームの音で目覚めて、くぁ、とあくびをした。
「でけぇあくびだな」
スマホのアラームを止めて僕を見る土方さんの赤い目も、まだ少しぼんやりとしている。
「おはようございます。身体、大丈夫ですか」
「大丈夫だ、そこまで俺はヤワじゃねぇ。お前も昨日は二回戦やりたいのを我慢したからな、えらいぞ」
前髪に指を差し入れられ、くしゃくしゃと天然パーマの髪をかき混ぜられる。
「また子供扱い」
「お前がガキなのは事実だろ」
そう言われたら、返す言葉はないのだけれど。
「疲れてんなら二度寝してけ」
土方さんはまた僕の髪をかき混ぜ、ベッドから出て床に落ちている下着を身につけ、棚から防寒肌着を取り出した。ちなみにエアコンは、昨夜ベッドへ入る前にタイマー予約をしておいた。
「飯はあるか」
「ごはん炊いて沢庵切ってあります、味噌汁はインスタントで。あとサラダもあるんで食べてくださいね、残さないで」
「わかったよ」
交際を始めてから、ごはんの支度は僕の役目だ。小姑めいた僕の小言に苦笑し、土方さんは寝室から出た。
独りになると、クイーンサイズのベッドは広すぎる。僕は寝ぼけたまま、土方さんのいた空間に手を伸べる。まだ暖かいし、石鹸と土方さん自身の匂いの混じった香りがする。
これでまた、週末まで逢えない。
世の中そんなことは珍しくないし、もっと逢う頻度の少ないカップルはいくらでもいる。
ただ、こういうことは他人と比べるものではない。僕の心の問題だ。
僕は毎日でも土方さんに逢いたい。可能な限りくっついて土方さんを吸って、目が合ったら身体を求めたい。今の生活でも、なかば土方さん欠乏症になっている。
もちろんそれは僕の甘えで、わがままでしかない。こんなことを言っても、ガキが歳上の想い人を困らせるだけだ。だから、本人に言うのは我慢している。
それでも、聡い人に僕の大きな感情を察知されているのは間違いない。水曜日を自主的ノー残業デーにしているのは、決して自分自身のためだけではないだろう。
どうして僕はもっと早く生まれなかったのか。どうして土方さんと釣り合いの取れる立場になれなかったのか。
そんなどうしようもないことを考えているうちに、寝落ちしてしまったようだ。ドアの開く音で、意識が現実へと戻る。
朝食を終え、もうひとつの部屋で着替えを済ませた土方さんは、既に仕事モードのスーツ姿だ。寝ぼけまなこを向ける僕の顔にかかった前髪をどけて、かがむ。唇から慈愛の伝わるキスは、数秒で終わった。
「拗ねんなよ……行ってくる、鍵かけて出ろよ」
「はい」
預かっている鍵で施錠して、学校へ行ってこいという意味だ。土方さんはさっと長身をひるがえして、僕を残して寝室を後にした。
できるならここでずっと、土方さんの帰りを待っていたい。
けれど、そんな甘えを土方さんは許さない。両親が僕を信じて学校へ通わせているのだから、その信頼を裏切ってはいけない、と言い含められた。
土方さんから認められるためには、きちんと就職する必要がある。そのためには、学校をサボるなどもってのほかだ。
土方さんを得るには、土方さんから離れなければならない。
悩ましいジレンマだ。
今日の僕は、九時頃に起きてブランチを摂り、三限に間に合うよう学校へ行く。ミッションの難度はゆるく、おそらくただひとつのことしか障害にはなりえない。
それは――。
僕は土方さんの使っていた羽根枕を上体で抱きしめ、柔らかな枕カバーに顔を埋める。
とたんに湧き上がる、土方さんの質感。まるで目の前にその美しい肢体があるように、僕は錯覚する。
離れたくない。
何よりもかぐわしい、土方さんの香り。
僕は弱くて頼りない、ただのガキだ、とこういう時に強く思う。しなければならないことが、好きな人の香りに負けてしまう。
――あぁ。
もう少しだけ、甘えたい。きちんと学校へは行くから。
なんだかんだ言いつつ僕を甘えさせてくれる人から、さらなる許しを引き出したくはない。それを繰り返していたら、いつか見限られる。
でも――だからこそ。
本人のいないところでは、もう少しだけ甘えさせて欲しい。
絶対に、元は取らせるから。いつか、あんたが甘えられる男になるから。
未来を見る夢と、無意識が見せる夢は、案外近しい。
土方さんの香りを抱きながら、僕はすっかり寝入ってしまい、午前九時のアラームで叩き起されるはめになった。