美しき獣の不吉なお誘い なぎこさん――僕の担当教官の清原なぎこ准教授――の研究室へ行ったら、巨大な男がいた。
大学からなぎこさんにあてがわれた研究室は、あまり広くない。執務机と、天井まである作りつけの本棚が三架分、六人がけのテーブルで、だいたい空間が埋まってしまう。そんな中でも可愛いネモフィギュア(ネモは売れっ子のアイドルで、フィギュアはいつか食玩で見たことがある)や季節の花などを飾っているのがなぎこさんらしいのだけど。
そんな中、窓際の椅子に座っていても巨大なことがわかる男の存在感は異様だった。
座高から見て、土方さんよりも身長が高いことは間違いない。体格もむっちりしていて、痩せ型の土方さんよりも二十キロ以上は重いだろう。
服装も奇抜だ。緑をイメージカラーにしているようだが、紅白の菱形を多く用いたジャケットや、太いストライプのブラウスは、どこかピエロを想起させる。
「なぎこ殿、この御仁は」
謎の男は僕の視線に気づいてか、なぎこさんに話しかけた。
「ちゃんハジ、マンボちゃんに紹介してもいい?」
なぎこさんは、常識を知っていて無視するタイプの破天荒さを持っている。僕がうなずくと、なぎこさんはマンボちゃんさんを見た。
「この子は、あたしちゃんのゼミの学生のちゃんハジ。こっちはマンボちゃん。流しの陰陽師なんだ」
「ンンン、ほとんど情報が伝わっておりませぬぞ。ちゃんハジ殿、拙僧は蘆屋道満と申す者。今なぎこ殿からご紹介に与(あずか)った通り、陰陽道にて生計を立てておりまする」
道満のマンでマンボちゃんか。相変わらず、なぎこさんは常人には思いつかないネーミングをする。ところでボはどこから来たんだろうか。
道満さんから案外きっちりと自己紹介されたので、僕も返さなければいけない雰囲気だ。
「清原ゼミの斎藤一です。まだまだ下っ端ですけど」
「斎藤殿と仰(おお)せか」
「はい、ところで『陰陽道で生計を立ててる』って、どんなことしてるんですか?」
僕の二十年ばかりの人生で、陰陽師と会うのは初めてだ。映画やアニメなどでは、平安時代の陰陽師が式神を使ったり魔方陣を書いたりと大活躍していたのだけれど、まさか令和の世の中でそういうことをしているとは思いがたい。
「なに、そう珍しいことでもござりませぬ。祈祷、葬祭、呪詛など、人の生活に根ざしたことを」
何か不吉なことを聞いた気がするけれど、ここはスルーするのが大人の姿勢だろう。
「安倍晴明みたいなものですか」
僕の言葉に、道満さんは肩を震わせた。
「晴明? ンンンン――晴明――ンンン……」
「ごめんちゃんハジ、マンボちゃんは晴明殿が地雷なんだ」
なぎこさんが小声で言い添える。
きっと流派が違うとか、晴明の子孫と争いをしているとか、何らかの原因があるのだろう。大人なら、ここもスルーだ。
「ところでちゃんハジ、あたしちゃんに用かい?」
「あっはい、こないだの課題のレポートが早めにできたんで、先に渡しちゃおうと思って」
「えらいなちゃんハジ! だいたいの学生は遅れてもたいして気にしないってのに」
「恋人から、『レポートは締切の前日に出せ』って教育されてるもので……」
僕の彼氏の土方さんは、勉強については厳しい。もちろん、僕を早く就職させて一人前の男にしたいという目標があるからこそだ。そんなに期待されている――愛されていると思えば、やる気も出る。
「ンンン――斎藤殿、恋人殿との絆を永遠に保つ呪法に興味はござりませぬかな? ここで会(お)うたのも何かの縁(えにし)、拙僧大サービスするのもやぶさかでない由(よし)」
「いいです、そういうの間に合ってるんで」
予想しなかった誘いだけれど、僕は即答する。道満さんは肩を落とした。
そういう方法で土方さんの心を手に入れるのは違う。
あくまで僕自身の魅力で土方さんを惹きつけなければ意味はない。土方さんのありようを曲げるのは、僕のやり方ではない。
僕はなぎこさんへレポートを渡し、研究室を出た。校舎の外のベンチに座り、メッセージアプリで土方さんに話しかける。
『リアルの陰陽師って見たことあります? 僕、今遭遇しちゃって』
『あるわけねぇだろ』
『土方さんにおまじないかけるとか言われたけど断りました』
『お前、変な詐欺なんかに引っかかっちゃいねぇだろうな』
『大丈夫ですよ』
僕の断言に、土方さんは心配げな顔のうさぎのスタンプを送ってきた。
そう思うのもわかる。普通に生活していて、陰陽師と顔を合わせる機会なんてまずない。
けれども僕には、あの道満さんは本物だという確信があった。言葉遣いが変なのを除いても、どこか浮世離れしたたたずまいや、自分の能力への自信は、なかなか出せるものではない。
おまじないを断ったことをもう少し褒めてもらいたいな、と思ったものの、道満さんの『本物』感は、実際に会わなければわかってもらえないだろう。
もっとも、たとえ道満さんが本物でも、土方さんの心を操るのは至難の業だろうけれど。
僕は土方さんからの理解を諦めた。愛し合っていても、わかり合えないこともある。
『メシ、どうするんだ。ファストフードに頼るなよ』
そういえば、もう正午を過ぎた。
『ごはんとキャベツおかわり無料の定食屋行きます。土方さんも、沢庵以外食べてくださいね』
『説教するな、お前は姉ちゃんか』
きつい言い方のようだけれど、お姉さんを引き合いに出す辺り、土方さんは怒っていない。
『じゃ、僕歩くんでまた後で』
メッセージに既読がついたのを確認して、僕はスマホをスリープさせた。
斎藤一が辞去した後の清原研究室にて。
「ンンンン――あの斎藤一という御仁、隠形した拙僧が見えるなど……かような者は何年ぶりですかな、清少納言殿?」
「あたしはなぎこだ、そっちで呼ぶなっての」
「しかも、拙僧の誘惑を断つなど……面白い御仁であられる」
「あたしの学生に手ぇ出したら、みかんぶつけんぞ」
「あな怖や怖や――ンンンンン――」
「まぁあたしはマンボちゃんを信じてるよ、だからこそ目を離さないからな」
「ンン……負の信頼でござりまするな――ンンンン」
「さてマンボちゃん、あたしちゃんはこれからごはんだけど、おみやげは何がいい?」
「拙僧えり好みはいたしませぬ」
「おっけまる! マンボちゃんの好み探ってやんよ!」
「ンン――嫌がらせの間違いでは……?」
清原研究室のあるフロアでは、時折何とも知れぬ獣の美しくもおどろおどろしい鳴き声が聞こえるとか――。