人生を変えるものは そういえばお前、と土方さんはこたつに当たりながら問うてきた。
「お前の実家、西の方だよな」
斜め前の面に座って、僕は答える。
「はい、播州です」
「前から思ってたんだが、それにしちゃお前言葉がなまってないよな」
あぁ、そのこと。土方さん以外にも、結構な頻度で不思議がられる。
けれどそのことには、わかりやすい回答がある。
「うちの親父、転勤族なんですよ」
「転勤族」
土方さんはおうむ返しに言った。家族経営とはいえ、実家が会社を営んでいる人には遠い概念に違いない。
「そう、転勤。いろいろ行きましたよ、会津とか青森とか鹿児島とか。なんだかんだで、東京も長かったです」
「へぇ……」
土方さんは顎に手を当てて、考え込むようなそぶりを見せた。
「だから標準語なのか」
「そうですね、地元のお年寄りと話す機会もなかったし」
「いじめなんかには遭わなかったか」
「閉鎖的なとこじゃ、なくもなかったですけど。ほら、はじめちゃんってば無敵だから、腕力で誰が強いかわからせました」
本当はつらいこともあったけれど、今そんな話をしても土方さんを悲しませるだけだ。僕は笑顔を作って土方さんを見た。赤い瞳が、もの言いたげな色を帯びている。
「俺には想像できねぇんだが、誰もてめぇを知らねぇ教室に入るのって、勇気要るだろ」
「要りましたねぇ、どんな顔すればいいかとか、最初はわかんなかったですよね」
「俺の場合はほら、家が有名だし、兄姉が出てた学校だったから、俺のこと知ってる教師もたくさんいてな。そういう苦労とは無縁だった」
それはそれで大変さはあっただろう。僕も想像しかできないけれど、お兄さんお姉さんの印象でものを語られて、土方さん自身を見てもらえないとか。グレかけたのも少しわかる気がする。
ちなみに土方さんは、『実家が太くて頭のいい不良』という、大人たちからしたらやっかい極まりない存在だったらしい。内申点がよくなくて地元の公立には行けなかったけれど、二十三区内の私立の進学校へ通っていたという。通学、遠くて大変だっただろうな。
「まぁ俺のこたぁどうでもいい。お前、つらかったよな」
「いえ、まぁ、もう吹っ切ったことなんで」
実際、今聞かれるまで忘れていた。人生のある局面で同じ教室に押し込められただけのガキどもなんかに、やすやすと人生を変えられてたまるものか。
「いやな、話聞いてたら、お前のめんどくせぇところはそういう境遇からも来てるんじゃねぇか、って思ってな」
めんどくさいって言われた。もう少しクッション言葉を遣ってもいいんじゃないのか。
「初対面でいきなり告白してくるとかな」
「あんなこと、あんたにしかしませんよ」
「どうだかな――こっち来い」
土方さんは、僕の手を取って自分の方へ引き寄せた。僕は不意打ちに対応できず、土方さんの胸へ収まってしまう。僕を抱きしめた土方さんは、背中をぽんぽんと叩いてくる。
「えっ……なんです」
「甘やかしてやりたくなった」
「やだな、僕、可哀想なんかじゃないですよ」
「そう言うってこたぁ、前に誰かから『可哀想』って言われたんじゃねぇのか」
ぐ、と言葉に詰まる。どこでだったか、老女教師に言われた記憶がある。
そいつは僕に同情するふりをして、自分を『児童に気を配れる立派な教師』なんて思いたがるクズだった。
それでも、『自分は可哀想なんじゃないか』という棘は、僕の心に刺さったままだった。
「土方さんも、僕が可哀想だって思います?」
「いや」
即答だった。
「お前が可哀想だったかどうか決めんのはお前だろ。で、俺が見る限り、お前は自分を可哀想だなんて思っちゃいねぇ」
「本当ですか……?」
心に棘ぬきが当てられて、密かに苦しまされてきた棘が抜かれる。
僕は安堵のため息を吐いた。そして、そんな風に思っていた自分に驚いた。
「俺は自己憐憫するやつは嫌いだ」
そんな僕を胸に抱いて、土方さんはかっこよく言い切った。
「――あー……」
僕は土方さんの薄めの肩に顔を押しつける。土方さんは、「いい子だ」と言いながら僕の頭をかき混ぜている。
「好きです、あんたには敵わない」
「いつか俺にも『敵わねぇ』って思わせてくれよ」
最近の土方さんが語る未来像には、必ずそばに僕がいる。僕が隣にいることを前提とした人生計画を立てている。かつては、『一人で生きること前提でマンションを買ったのに』なんて愚痴っていた人が。
好きな人から想われる。たとえ明確に言葉にしなくても、それはこの上なく嬉しいことだ。
「ねぇ、抱いてもいいです?」
「お前はそればっかりだな……溜まるヒマなんてねぇはずだろ」
土方さんはあきれ声で言う。
最近、僕は焦らすことを覚えた。土方さんに快楽を与えて、寸止めする。『俺をどう思ってるか教えて』なんてささやけば、欲しがりの人は普段の余裕をなくして僕に愛の言葉をくれる。それを引き出せると、僕は心の中でガッツポーズをする。
僕の片想いではない、この人もきちんと僕を愛してくれている――そのことを確認したくて、僕はこの人をベッドへ誘う。
「……しょうがねぇな」
土方さんは、抱擁を強くした。
「晩メシはお前が用意しろよ」
「なんなりと」
この人は、ある程度の時間、僕に翻弄されることを悟っている。
僕はこたつから出て腕を広げ、痩身をベッドへといざなう。
長いまつ毛に縁取られた赤い瞳が期待に潤んでいることを、僕は見逃さなかった。