Dress 女装の指示に抗議をしたが一瞬で却下された。渡された薄い生地と煌びやかな靴にため息をつく。
女装をしなければならないから出たため息ではなかった。ここにいると思っていた男がいないことに関しての、不満のため息。
『君は……』
懐かしい記憶が脳裏をよぎって、振り払うように袖を通した。
やるからには完璧に。それが僕の心情だ。足りていない準備もあったが、最大限振る舞うことができたと思う。
差し出された腕に指先を絡め、高いヒールに上手く重心を乗せて歩き出す。
「へぇ。器用なものだな」
カツカツと音を立てながら歩く姿に、リオセスリが感心の言葉をかけた。
「昔、母の服と靴を借りたことがあってね」
「あんたならさぞかし似合ったんだろうな」
「……どうだろう。褒めてくれたのは一人だけだった。というより、見たのは一人だけだったが正しいかな」
「そりゃあいい」
リオセスリの言葉に視線を向ける。なんのことかという表情は伝わっていただろう。
「そいつ、あんたのその姿を他の奴に見せたくなかったんだろうな」
「そ……」
そんなはずないだろう。
言うよりも早く、メイン通路に出てしまった。口を閉じてカードを取り出し、仕事の笑みを浮かべる。シャンデリアの明かりが降り注ぎ、胸元の羽を模した金属がキラリと光らせた。リオセスリがその装飾を見て、「なるほどね」と小さくつぶやいた。
作戦が終わってトイレで着替え、スラックスの姿で扉をくぐる。
さっきよりも格段に動きやすい。アルハイゼンに渡されていたネックレスが素肌の胸元で揺れて、その冷たさが集中しろと言っているように思えた。同色の羽の装飾品は、女装していた時と同じ場所につけられている。
右耳につけたイヤホンで連絡を取り合い、連携して会場に入る。合図と同時にリオセスリが壇上に躍り出て、周囲は一瞬で大騒ぎになった。自分に課された仕事に集中する。無事に目的のものを手に入れて、あっけなく解散になった。
『まだ周囲には残党がいる可能性があるわ。気をつけて』
無線から聞こえた夜蘭の声に承諾を返して、暗い廊下に向かう。合流場所は裏口の方だ。裏方として動いていたアルハイゼンはそこにいるはず。
暗い廊下を進んで角を曲がったところで目の前の扉が突然開いた。
「はっ?」
飛び出てきた腕に肩を掴まれる。もう片方の手に腕を引かれて、扉の中に連れ込まれた。パタンと背後で閉まった扉を背にした男に、叫ぼうとした口が塞がれる。暴れようとして手を止めた。
「カーヴェ」
鼓膜を揺らす声は聞きなれた同居人のものだった。弱点を突かれた獣のように力が抜ける。
「少し待て」
アルハイゼンの言葉通り数秒待つと、廊下を数人が走っていく音が聞こえた。外が静かになった頃にようやくアルハイゼンの手が離される。顔を後ろに傾ければ、思っていたよりもずっと近くにアルハイゼンの顔があった。
「どうして君がここに?」
まだ外に残党がいるかもしれないと声を潜めながら言えば、アルハイゼンは後ろから抱えていた腕の力を抜いた。
「ずっと見ていたからな」
「え?」
驚いて、すぐに監視カメラで見ていた事を言っているのだと理解する。情報担当だったアルハイゼンは、作戦の話し合いの後一度も顔を見せなかった。どこかで仕事しているのだろうと思っていたが、まさかここに居たなんて。
「ここは、衣装部屋か?」
「ああ」
アルハイゼンの足の間に座っていた身体を起こして周囲を見渡す。ハンガーにかけられた様々な衣装がビニールに覆われて所狭しと並べられていた。暗い部屋の奥に光が見えて、あそこで作業をしていたのだろうと見当をつける。
囲いの一部が開けられてモニターの光が漏れていた。アルハイゼンが、廊下を歩いていた僕を部屋に隠すために急いで出てきたことが伺えた。
「着替えたのか」
そう言われ、女装を解いた話だと気づく。
「当たり前だろう? 僕のあの格好での仕事は終わったんだ。まあ、君は僕のあんな姿を見ずに済んで良かっただろうね。見苦しいだろうから」
自分で言いながら、リオセスリに言われた言葉を思い出す。あの時女性の服を着た僕に似合っていると言ったのは、仏頂面で後ろに座っている後輩だ。
いや、女性の服が似合っているじゃなくて『君は綺麗だからなんでも似合う』だったか。若干の違いを思い出そうとして、些細な話じゃないかと唇を尖らせる。
「別に見苦しくはない」
先ほどの言葉に返されたアルハイゼンの声がいつもよりも固く、低く、冷たさを含んでいることに疑問が浮かんだ。
「何を拗ねてるんだ?」
「拗ねていない」
被せるように言われ、呆気に取られる。その瞬間に、耳につけていた無線が繋げられた。
『残党も排除した。館内のセキュリティもオールクリアだ。みなの者、気をつけて帰ってくれ』
マーヴィカの声に短く了解を返す。アルハイゼンは何も言わずに立ち上がり、奥の機材を片付けに行った。後ろをついて行くと、機材を回収するダストが準備されているのが見えた。その中に荷物を放り込めば撤収準備完了のようだ。
「燃えやすいものが多い。警戒して外に出る」
アルハイゼンの言葉に頷いて、無線に状況を報告する。
「アルハイゼンと合流している」
「俺たちはこのまま帰らせてもらう」
『了解』
二人で衣装部屋を歩きながら、周囲に並べられたドレスを見る。どれも美しくこだわりのあるシルエットと装飾で、見ているだけでも芸術を愛する心が刺激された。
「火災とかが起きなくて良かった。こんなにもいい服がたくさんあるのに、燃えたりしたら大変だからな」
まあ男の僕が着ることはもうないだろうけど。
そう思いながら歩いていると、足元にあったドレスの裾を踏んでしまった。
「うわっ」
ヒールのせいで疲労が重なった足では踏ん張れなかった。前を歩くアルハイゼンの方へ身体が傾き、衝撃に目を閉じるよりも早く抱き止められる。
「ヒールで足が痺れて」
言い訳をすれば、アルハイゼンが「ヒール?」と疑問を投げ掛けてくる。
「ヒールで歩く練習はしていたはずだろう」
皮肉として落とされた昔の記憶に目を張る。僕の家で母さんの服を着てエスコートの練習だと言いながら遊んだことを覚えているのか。
「し、仕方ないだろう。ヒールなんて久しぶりだったんだから」
「あの時以外にもこんな経験を?」
「いや、今回で二回目だけど……」
「三度目の時のエスコートは俺を呼ぶといい。君のような体格の男でも、転びそうになったら支えられるだろう」
「ふ、ふはっ」
あの時転びそうになったカーヴェを支えたアルハイゼンが膝をついて、その上に重なるように転んだのを思い出す。
足を捻ることはなかったが、胸の下敷きになったアルハイゼンの鼻が赤くなっていた。それと、不服そうな表情。
怪訝そうな表情のアルハイゼンに、リオセスリなら大丈夫だろ、と今夜一緒に歩いた相手のことを言いそうになって、やめた。
「こんなことがないことを祈るだけだけど……その時は君にお願いするさ」
二人で扉から廊下に出て歩き出す。
「今夜のご飯は何にする? 酒場か? 家に仕込んであったのもあったな……」
「持ち帰りでもいいが、家で食事にしたい」
「わかった」
アルハイゼンの希望に頷いて、仕事終わりの食事に思いを馳せた。
End