ねやねが紅茶を飲む話 ――午後三時。黒柳家のおやつ時はいつも決まってこの時間である。今日の黒柳は午前中、年末に向け使用人たちの年末手当や年始の契約更新手続きなどの書類作成や事務手続きに追われていた。昼食後も暫く作業に追われながら、どうにか半日掛かりですべての事務処理を片付けたところで軽食のご準備が整いました、とメイドに声を掛けられたのだが。
「――おやおや、随分と立派な角じゃないか」
ごろりと寝そべるのは虎も紛うような大型の三毛猫だ。子供二人に伸し掛かられ、体を好き勝手にされながらも、爪を立てることも抵抗するそぶりも見せない従順っぷりである。頭に巻かれたリボンには、段ボールと色画用紙で作ったのだろう角らしき装飾が施されており、まるで絵画やおとぎ話に登場する架空の生き物そのものの様に、黒柳は思わず口角を緩めた。すごかろう、と自慢げに三毛縞を見せる二人の子供は、先日の動物園でみたトナカイの大きな角にさぞ感動したようで、その遊びに付き合ってやっているのだろう三毛縞の、無抵抗なさまが黒柳にはあまりに新鮮で愉快だった。角の生えた大きな猫は、子供二人もぶら下げたままのっしのっしと部屋を闊歩し、おやつの時間なんだからさっさと席に着きな、と言わんばかりである。子連れ虎さながらに二人をあやす三毛縞に、黒柳は助けを出すでもなく自らも用意された席に着いた。
「なあなあ、カルマっちの角って、大きなったらなくなるん?」
そうしてふと、着席した照也は業と黒柳誠を見比べ不思議そうにそう問いかけた。黒柳は勿論、自分の持つ角が大人になると無くなるのではという予感に業はたちまち真っ青になって、あわてて自分のまだ小さな角を隠すように握りしめた。
「何故なくなると?」
「だってまことは角がないやん」
不思議そうな照也の素朴な疑問に、黒柳は思わず頬の内側をかみしめた。純粋な、知らないことに対する疑問を笑うようなことを黒柳はしたくなかったが、動物園で虎を見て三毛縞も〝そう〟なのだと思い込んでいた照也らしい問いかけは、ここ数日の日課になった紅茶を運ぶ三毛縞を大いに笑わせる。なぜ三毛縞が笑ったのかもわかっていないようで、照也はずっと不思議そうにきょろきょろと大人二人を眺めることしかできないようだった。
「私にも角はある」
そうして、僅かに髪をかき上げる黒柳は、めったに解くことのない擬態を照也の前で初めて解いた。髪の生え際、額の辺りから木のしなる様な音とともに、徐々に太く、渦巻くように伸びる角はまさに山羊の王と称されるにふさわしい禍々しくも、畏ろしく美しいまさに芸術である。照也のまんまるに見開かれた目が、ぱっと好奇心に輝きだす。うっとりとその角を見つめる業の、尊敬と憧憬の視線はほほえましくもあった。
「普段はこの男と同じで隠しているだけだ。お前たちもいずれ擬態を習うだろう。しかし、我々に与えられた本来の姿が消えるわけではない」
まあ、あれはなんというか随分愉快な格好だがな、と瞳孔の細まった瞳が見つめる先に、振り返った子供たちが一斉に笑い出した。
「お前らがやったんだろうがよお」
ばつが悪そうに頭を掻く三毛縞は、相変わらず猫の頃のまま、まだ頭に巻かれたタオルから手作りの角をにょきりと生やしたままである。もう取っていいか、とむず痒そうに払おうとする三毛縞に向けられる残念そうな瞳に、この男が勝てるはずもない。
「めっちゃかっこええやん! ええなぁ、おれもそんな角ほしい」
少年心をくすぐるだろう、黒柳の角は知る限り、在学中でさえ学校一だと称されるほど美しいものだったから当然だと三毛縞は久々に見た黒い曲線に目を奪われた。照也の子供らしい素直で無邪気な称賛は、シャイな黒柳もさすがに嬉しそうに微笑ませる。
「ぼ、ぼくもかっこいい角になるからね!」
それにほんの少し、必死になって食いつく業に楽しみやなあ、と笑ってみせた照也の優しさに、こりゃ人誑しの才があるなと三毛縞は思わず目を丸くする。目の前の渦巻く角の曲線に、思い出すのは初めて触れた時の事だった。もう忘れたと思っていたはずなのに、自分は存外思い出を大事にしまっておくタイプらしい。懐かしい感触をまだはっきりと思い出せる未練たらしい自分の性格を、三毛縞はごまかす様に紅茶を飲み干した。