抱える温もり賢者の書にペンを走らせていると、コンコンとノックがした。月が煌々と輝く夜、今日もまたひとりの青年が晶の部屋を訪れる。
「賢者様、寝かせて下さい。」
「こんばんは、ミスラ。ノックをしてくれて嬉しいです。」
「はぁ、そうですか。」
振り返るといかにも眠そうに、どさりと晶のベッドへ身を投げるミスラがいた。シングルベッドに堂々と寝転がる彼は、それだけで広告のモデルのようだ。我が物顔で占領している姿を見て、晶は苦笑いを浮かべる。
「まだですか?俺はもう眠いんですけど。」
「…もうちょっとだけお願いします。」
「はぁ。あなたじゃなかったら、殺してました。」
最初の頃であれば、この物騒な発言に肝を冷やしただろう。だがそう短くもない月日を共に過ごした今となっては、彼なりの譲歩であり、優しさなのだと分かる。
無言の威圧感を背に、急いで報告書も仕上げていく。ようやく終わりの兆しが見えて、晶は一息ついた。
「よし、今日の分は終わ」
「終わりました?じゃあ来てください。」
晶が言い終わらぬうちに、グイッと腕を掴まれる。そのままベッドに引き込まれそうになり、慌てて靴を脱いだ。掛け布団の中は、ミスラが入っていたお陰で温かい。待ち侘びたかのように伸ばされた腕で、抱え込まれる。
「あ、灯りを」
『アルシム』
パッと灯りが消され、部屋が暗闇に包まれた。魔法って便利だなぁと感慨深く思いながら、晶は自身の胸元に顔を寄せるミスラを撫でる。
初めは横に並んで手を繋ぐだけだったが、次第にその距離感は縮まっていき、今では抱き合って眠るのが常になっていた。晶の心音がどうやら心地よいらしく、たとえ眠れなくても朝までそうして過ごしているらしい。お陰で寝返りが打てなくて、寝苦しい事もあるのだが。
「晶、ボタンを外してください。」
「…ん、待ってください。」
いつの日からか、ミスラは直に聞きたがるようになった。彼に強請られるまま、前開きボタンを胸元まで外す。布団の中は暖かいとは言え、やはり肌が外気に晒されると寒い。だがそれも一瞬で、晶の開け広げた胸元にミスラが顔を寄せる。頬の温もりが伝わり、ミスラが目を閉じて晶の心音を聞き入っているのが分かった。
そのまま何を語ると言う事もなく、ただ寝入るための時間が過ぎていく。
賢者の力の発動条件は未だに不明であり、こうしたところで必ず眠れるわけでもない。それでも毎日ミスラは強請るため、晶も応える。だからこれは、もはや日課のひとつなのかもしれない。
柔らかな髪を撫でながら、どうか眠れますようにと願いを込めて、晶は目を閉じた。
♢
「賢者様、ゆっくり身体を休めてくださいね。」
「不安だったら、寝ずの番をしてやってもいいぞ。」
「あははは、シノ、大丈夫ですよ。ヒースの屋敷には何回か来てますし、俺も何だか実家に帰ってきたような安心感があります。あ、さすがにそれは失礼ですかね…。」
「い、いえ!父と母が聞いたら喜びます。お、俺もそう言ってもらえて、嬉しいです。」
「ふふん、当然だろ。もっと褒めてもいいぞ、賢者。」
東の国で依頼を受けていた晶含む東の魔法使い達は今、ヒースの実家であるブランシェット城に来ていた。日帰りの予定だったのだが予想以上にも時間が掛かり、それならばとヒースの招待を受けたのだ。
久しぶりの討伐任務だった事もあり、疲れはあるものの、得意そうに胸を張るシノを見ると微笑ましくなる。
「各自しっかり身体を休めて、明日は寝過ごす事のないようにしなさい。僕はもう寝る。」
「俺もそうするわ。明日の朝食、楽しみにしてるぜ。」
ファウストとネロは充てがわれた自身の部屋へと向かい、それに続くように、シノとヒースも晶に就寝の挨拶をする。パタンと扉を閉めると、いつもより広くて品のある部屋が晶を出迎えた。ランタンに火を灯すと、まるでホテルのような一室だと実感する。さすがは貴族の屋敷と改めて思う一方で、度重なる訪問のおかげか、変に気圧される事もなく晶はすんなりと受け入れていた。
複数が泊まることを想定しているのか、中央に鎮座するベッドはダブルサイズだ。広々とした奥行きと幅に感動しつつ、そっと布団をめくって身体を滑り込ませる。
(さ、寒い…)
シーツの冷たさが、体に染みる。元の世界では暖房器具に頼っていたが、そんな便利なものはない。一応暖炉はあるが、わざわざそこまでするほどの体力も気力もなかった。時間が経てば温まるだろうと思っていたが、やけに長く感じる。
(いつもはミスラが先に入ってたから…)
彼の熱で、晶は寒さを感じることなく、寝入る事ができていたのだと気付いた。一度それに気付くと、体が物足りなさを訴え始める。
ベッドは広いのに、今ではその広さが心もとなさに拍車をかける。
何かを抱えようとして、晶の手は空を切った。
仕方なく寝返りを打って、偶々視界に入った小さな枕を胸元に寄せる。
疲労を感じているはずなのに、不思議と睡魔は訪れなかった。ミスラはいつも、こんな状態なのだろうか。これが続くのはさすがに辛いなぁと思ったところで、ガチャ、と扉の開く音がした。
「…?」
こんな時間に誰か来るなんて、いや聞き間違いだろうか。そう思って振り返ると、見覚えのある顔が不満そうに晶を見つめていた。
「あなた、何で帰ってこなかったんですか?泊まりなんて、言ってなかったでしょう。」
「え?ミスラ?なんで…。」
「はぁ?あなたがいないと寝られないんだから、困るんですよ。」
「それは、す、すみません…。」
起き上がった晶にのし掛かるようにして、ミスラはベッドに身を投げた。もそもそと掛け布団をまさぐり、当たり前のように、晶の体に手を伸ばす。彼がぽいっと無造作に投げ捨てた枕が、床に落ちた。ミスラが連れてきた冷たさにほんの少しだけ震えるも、瞬く間にそれは温もりに変わる。
そのままずるずると晶の胸元を探し当て、上目遣いで強請った。
「晶、ボタンを外して。」
「……はい。…あ。」
ミスラのお願いに応えようとして、今自分が着ているものを思い出す。ヒースの両親が用意してくれたパジャマは、前びらきのボタンは付いているものの、普通のシャツでいう第3ボタンまでだ。どちらかと言うとスウェットタイプに近い形状であり、晶もこれを着る時は被って着た。そのため全てのボタンを外したとしても、いつものように胸元を晒すことが出来ない。
限界まで引っ張るか、と逡巡した晶に、ミスラもまた晶の意図に気付いたようだった。
「あぁ、いつもと違う服なんですね。」
「はい、でも下向きに引っ張れば…。」
「じゃあ、こうしましょう。」
「えっ。」
脇腹にミスラの手が差し込まれたかと思えば、グイッと上衣を上げられた。晶の上半身が、惜しげもなくミスラに晒されている状態である。さすがにこれには恥ずかしさが勝り、途端に晶は顔を赤らめた。
「ミ、ミスラ…!あの、これはちょっと…!」
「あなたの肌に触れていた方が、眠れる気がするんです。」
ぺたりと頬をくっ付けてそう呟かれると、強く反論する事が出来ない。パジャマをたくし上げられて寒いはずなのに、隙間のないほど身体を密着させるものだから、素肌がシーツに触れても、あの冷たさはもう感じない。
けれど羞恥心と緊張は留まることを知らないようで、晶は視線を彷徨わせる。
「今日は、なんだか早いですね…ここ。」
おまけにそんな事も言われるものだから、いよいよ晶は諦めた。
「うぅ、ミスラ、早く寝ましょうね…。俺頑張りますから…。」
「あなた次第なんですから、力を尽くしてください。」
ぎゅうっと力強く抱き締められ、逃さぬように足も絡められる。広いベッドが全く意味を成していないが、晶は先程よりも落ち着いたような気がしていた。あるべき所に、あるべき温もりを抱えて、目を閉じる。
次第に穏やかな呼吸が、耳に届いた。
晶もまた、それに誘われるようにして、意識をゆっくりと手放していった。