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    @mutsuki1718

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    @mutsuki1718

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    モチェ二人で、モクマさんが昔住んでたミカグラの実家に訪問したら、そこの土着信仰的なのに巻き込まれておチェズがエラいめに遭いかける話。続きます。
    ※SCP-536- jpが大好きで、そちらをベースにした作品となっています。http://scp-jp.wikidot.com/scp-536-jp

    #モクチェズ
    moctez

    供物 ミカグラ沿岸部は、つい数十年前までは民家と船ばかりが並ぶ静かな漁村だった。暮らしていたのは6歳ほどまでだったが、海岸に浮かんでいる小型船、漁師の賑やかな声に、年季の入った民家が立ち並ぶ光景を幼心に覚えている。
     だが今はどうだろう。モクマの小さかった頃とは、随分様変わりしていた。アッカルド社長による国際化で、活気のなかった漁村はすっかり観光地に生まれ変わっていた。海を臨める最高のロケーションのホテルに、そのそばには水族館など遊ぶに飽きない施設が点在している。

    「ほ〜、こりゃまた随分変わったなぁ……や、俺も昔の景色なんて、ほとんど覚えちゃいないが」

     ハンドルを握りながら、窓の外を流れる景色を横目で見やる。助手席に座るチェズレイも、いつになくリラックスした表情で言った。

    「数十年ぶりの里帰りになりますか。お兄様はどうお過ごしでしょうねぇ」
    「元気にしとると思うけどねぇ。まぁでも最後に会ったの子どもの頃だから、急におじさんになって帰ってきて戸惑わせるかも」
    「まぁまぁ。それは向こうも同じでは?ご生家を見るだけですから、軽くご挨拶する程度でいいでしょうし」

     そんな会話を交わしながら車を走らせる。幅の広いよく整備された通りから、段々と山間に近づくにつれて、緑に覆われ細く蛇行した、舗装も満足にされていないような道に出る。観光地として整備されたのは海沿いの一角だけで、少し山間の方へ向かえばまだ昔のままの景色が広がっている。モクマの生家まではもうすぐだ。



     ヴィンウェイでの一件の後、二人は南国でモクマの母親に会った。両親と一緒に南国に移り住んだ兄たちも、今では結婚し子どもをこさえ、母親は孫に囲まれて忙しい毎日を送っているようだった。幼い時会ったきり20年近くご無沙汰だったのだ、そりゃあ普通の親子のように接するにはまだまだ時間がかかるが、それなりに楽しい時間が過ごせたように思う。それも、相棒が隣にいてくれてこそだが。長い車移動でやや疲労が滲んだのか、チェズレイの眠たそうな横顔を眺めつつモクマは薄く笑った。何よりも今、幸せだった。
     そう、そして母との別れ際、モクマはあることを思い出して尋ねた。兄さんは、長男はどうしているのかと。姿を見ない上、誰も長男の話をしないのを妙に思った。モクマには兄が四人いるが、末っ子だったモクマの面倒をよく見てくれたのはやはり長男だった。兄が縁側で三味線を弾いているのを見て、自分もやるとせがんで教えてもらったのを今でも思い出す。兄弟の中でも彼との時間が印象に残っているので、顔を見たいと思っていた。
     だが、長男の名前を出した途端、平素おおらかで細かいことを気にしない母の表情が曇った。たまたま横にいた次男も、複雑そうな顔で押し黙っている。まずいことを聞いたかと思った矢先、母が珍しく、慎重に言葉を選んで言った。

    「あぁ、あの子はね、ミカグラに残っちょうよ。どうしても残りたいって言うから。あの子、おじいちゃん子じゃったからねぇ、じいちゃんもばあちゃんも、あの場所にはこだわってたから。二人の影響を受けたんでねぇかしら」
    「へぇ、じいさんばあさんもミカグラに残ったんか」
    「だいぶ昔に亡くなったんだけどね……。ここを離れたらフケジョロに祟られる、とか何とか言うて、残っちょうよ」

     耳慣れない単語に首を傾げたが、母に聞くもあまり知らないらしく、細かいことは分からなかった。しばらくの間滞在したものの、長男の話はこの一度きりで終わった。母を含め家族の誰も、長男の話を避けているような気さえした。それを不思議に思いつつも、敬遠しているものをしつこく突き回すのもはばかられ、結局はそれ以上何も聞かなかった。




     それから数ヶ月経った頃だった、かつての恩人であるナデシコから連絡が入ったのは。再び集まり、親睦を深めようという話に、二人は連れ立ってミカグラへ向かう。そしてクリスマスを迎えた後、チェズレイがある提案をしたのだった。
     貴方の生家に行きたい、と。それは純粋にモクマの生まれ育った場所が見たかったからなのか、モクマが長男に会いたがっていたから気を利かせてなのか、どちらもなのか。分からないが、せっかくミカグラに来たのだ、次にここへ来られるのはいつか分からないのもあり、チェズレイにせがまれるまま故郷の海沿いへと車を走らせたのだった。



     遠目には連なる山々が見え、霧のせいか靄がかかったように、その輪郭をぼんやりと曖昧にしている。そんな山々をバックに集落がぽつんと在り、民家が集まっていた。勾配のゆるやかな山を背にして、反対側には海。のどかな漁村である。狭い道路は、時折軽トラックが通るくらいだ。
     何となく見慣れた景色になった気がして、モクマは車を停めると降りた。

    「この辺ですか?」
    「うん、多分……ハッキリしんのだが、なーんか既視感があるっちゅーか……ここの道に入ってった気がする。」

     おぼろげな記憶を頼りに歩みを進める。海風にさらされたからか、錆びてやや劣化したトタン板でできた小屋の脇を通り、年季の入った店構えの、こじんまりした水産加工会社の看板を見つけて左に曲がる。そう、ここだ。視線の先には、幼い頃に過ごした生家が記憶と違わずにそこに在った。

     平家の、まさに日本家屋といったいでたちの家だ。趣のある藍鼠の屋根瓦に、薄鼠の漆喰壁、かなり年数は経っているというのに、外から見ただけでもよく手入れされているのが分かる。敷地はえらく広く、庭もかなりの広さがあるようだった。

    「留守でしょうか?」

     和風建築はマイカの里で見たことがあるものの、こういった民家の家屋を見るのは初めてだったらしい。何が興味を引いたのか、チェズレイは木でできた門構えやら漆喰壁にある丸窓やらをじぃっと眺めていた。チェズレイの疑問ももっともである、これだけ美しく手入れがしてあるのだ、人が住んでいることは間違いないのだが、真っ暗で中から光が漏れ出ていないのだった。そして妙に静かだったので、留守なのかと思う。インターホンらしきものが見つからず、ぐるりと塀の周りを一周しようとした時だった、たまたま隣の家の住人が家から出てきたところにでくわす。挨拶がてら声をかけようとしたが、その隣人はモクマたちを見て、ギョッとしたような顔をすると避けるように立ち去ってしまった。

    「ありゃ、びっくりさせちゃったかな。まぁ閉鎖的な村だから、よそものには冷たいわな……」
    「まぁまぁ、そう気を落とさずとも」

     釈然としない状況に首をかしげつつそう言うと、チェズレイは優しくそう声をかけた。留守ならまた後で出直すか、夕方まで水族館かどこかで時間を潰して、それでも会えなければ諦めよう。そんな話をしていた時だった。

    「あのぅ……何か、御用で」

     振り返ると、一人の女性が遠慮がちに声をかけてきたところだった。箒を握りしめた彼女は警戒の解けない硬い表情で、睨みつけるようにモクマとチェズレイを見つめていた。歳は四十を過ぎた頃だろうか、整った顔立ちだが、クマが酷く顔色も優れない。その目には敵意すら見えると言うのに、視線がしきりに動き、怯えに近いものすら感じる。モクマは訝しげに思いながらも、これ以上警戒させないよう、人好きのする得意の笑顔を浮かべ、距離を詰めずに軽い調子で話しかけた。

    「あのー、実は俺、ここのご主人の弟でして……エンドウさんにお会いしたいなぁと。と言ってもね、もう二十年くらいご無沙汰なんですけどねぇ」
    「……主人の……ご兄弟?」
    「おや、奥様でしたか。不躾にも突然やって来てしまい、申し訳ありません。」

     自然な調子でチェズレイが間に入ってくる。意図していつもよりも柔らかく中性的な声色で、和やかな雰囲気を漂わせているようだった。さすが詐欺師、むさいおじさんよりやっぱ美人さん相手のが安心するもんな。と思う間もなく、チェズレイの柔らかな声色に少し安堵したのか、女性はやや顔をほころばせた。

    「いえ、こちらこそ、外で長らくお待たせしてしまって、大変失礼をいたしました。主人を呼んで参りますのでその……少しお待ちくださいませ」

     女性は深々と頭を下げて、真っ暗な家の中へと入っていった。それに二人は面食らう。これだけの暗さで、中に人がいたというのか。玄関の引き戸には擦りガラスがはめ込まれているが、その向こうはただずっしりとした暗闇が渦巻いているだけで、全く見えやしない。だが、なんだかその家からは重たく澱んだ空気が漂っているような気がした。チェズレイを見やれば、彼もまた同じことを思ったらしく、意味ありげに視線を絡めてくる。
     自分の全く預かり知らぬところで、この家には一体何が起きていたのだろうか。母、兄たちの、妙な反応を思い出しつつ、モクマは神妙な面持ちで扉が開くのを待った。



     家の中は想像していたよりもずっと暗かった。そして、冬だというのに何故かジメッとした、まとわりつくような湿った空気が重たく充満している。靴を脱いで玄関から板張りの廊下に上がると、ぎし、と湿気を含んだ木の軋む、嫌な音がした。廊下の奥、突き当たりには木製の扉があり、おそらく厠だということが分かった。そこからむわりと、何とも不快な異臭がたちこめていた。チェズレイの眉間に、まったく無意識かもしれないが、皺が寄っている。まぁ確かに、彼の衛生観念を考えると無理もないだろう、借りて来た猫よろしく大人しくしているのが信じられないくらいだ。それにしても妙だった。こうも陰気臭い家だったろうか。記憶の中のこの家は、よく光が差し込んで明るく、乾いたいぐさの匂いが包むような、風通しの良い家だったはずだ。

     チェズレイは家に上がるのを少し躊躇した様子だったが、結局は靴を脱ぎ、モクマの分も一緒に綺麗に揃えてくれていた。奥方の背中に続いて廊下を歩く。促されるまま部屋の中へと案内され、居間に続く襖の取っ手に手がかけられた。モクマはぎょっとする。先程まで手元がよく見えなかったが、彼女の手には異常なほどの生傷が刻まれていた。切り傷らしき裂傷はあちらこちらに、火傷らしきものは水膨れのようになって腫れ、痛々しい様相を呈している。何より妙なのは、包帯を巻いたり絆創膏を貼ったりなど、何の手当てもされていないことだった。長い間放置されているのか、どの傷もじくじくと膿んで薄黄色い汁が垂れている。背後からもわずかに息を呑むような、ひゅ、と喉の奥が締まる音がした。チェズレイも同じ思いのようだった。

    「あなた、弟さんとそのお友達がいらっしゃいました」

     モクマが何か言おうとするより先に、彼女は襖を開けてしまう。か細い声は陰鬱で暗く、襖の向こうの主人へ負の感情を抱いていることがありありと見てとれた。全くこの家で何が起きているのか分からないが、モクマは無意識に身構える。この家から感じるあまりの違和感に、かつて兄と呼んだ長男への疑念は膨れ上がるばかりだった。

    「よく来てくれた、モクマ。数十年ぶりになるか」

     居間の中央に置かれたちゃぶ台の前に、一人の男性が腰を下ろしていた。傾きかけた陽の差し込む薄暗い居間に、彼の背中から長い影が伸びている。座布団に腰を落ち着け、穏やかな口調で言った兄を見て、モクマの脳裏に父親の顔が浮かぶ。意志の強そうな濃いめの眉に、やや彫りの深い顔立ち。落ち窪んだ眼窩には灰色がかった黒い瞳がおさまっている。比較的鷲鼻なのも記憶の中の父とよく似ていた。モクマは目元なんかが母親に似たからか、垂れ目気味の優しげな風貌に見えるが、父の血を濃く受け継いだ長兄は目鼻立ちのはっきりした、男性的な風貌だった。

     白髪の混ざった髪も、深く刻まれた皺も、流れた年月を思い起こさせるが、やはり記憶の中の兄の面影も確かにあった。うっすらと記憶に焼き付いているのは、三味線を片手に穏やかに笑う兄の表情で。モクマは、何か話そうとして、いざ言葉を発そうとすると、喉の奥でつっかえたように何も出てこないという、妙な感覚を得た。おかしいとは思いながらも、納得している自分もいて。そうだ、物心ついた頃に里に出された自分が、兄の何を知るというのか、今さら何を話せばいいのか。反対に、兄の方も話題に困っているかもしれない。
     そんなことばかりを考えていた時だった。長兄はしばらくモクマを黙って見ていたが、じきに口を開く。薄く差し込む陽光が、兄の暗い色をした瞳をぎらつかせた。

    「やはりお前は帰ってくれたのか。弟たちの中でも、お前は俺をよく慕ってくれていたからな」
    「……え?」
    「エンドウ家のお役目を放り出して、国外へ逃げ出した奴らとは、やはり違うな」
    「お役目、って」

     長兄はモクマの目を見据えたまま言った。その顔には満足げな色がある。全く話が読めないまま、モクマは何かとんでもない誤解が深まっているのではないかと思い始める。まず、エンドウ家のお役目というのは何のことなのか。母や他の兄たちからは一切聞かされたことはなく、見当もつかなかった。何から切り出そうかと逡巡していた時、兄の視線がチェズレイへ移った。

    「そちらは?」
    「え?あぁ、俺の連れだよ。」

     ややこしい部分は話さずに、仕事上のパートナーだとかいつまんで説明する。その流れに乗り、チェズレイも言葉を付け足し挨拶をしたのだが、長兄はにこやかな笑みを浮かべたまま時折相槌を打つだけだった。暗いのもあって、話を聞いているのかいないのか、いまいち表情で判断がしづらい。
     ふとモクマは違和感を感じた。兄は瞬き一つせず、ただチェズレイの顔をじっと見つめたまま、人形のように首を振っている。それが何だか不気味だった。チェズレイに向ける視線に何か普通でない、粘ついた執着じみたものを感じて、嫌な予感に身を竦ませる。何かが変だった。チェズレイが平素男たちから向けられる、下劣な欲を孕んだ視線ではないのだ。冷め切っているのにじっとりまとわりつくような、そう、例えるならまるで、生物の標本をじっくりと隅から隅まで観察しているかのような、そんな気味の悪い目だった。

     チェズレイの様子が気にかかって、ふと目を隣へやった時だった。いつもと変わらず、背筋をぴんと伸ばし微笑を浮かべていたものの、モクマには分かる。非常に気分が悪く、おそらく今にも吐きそうだと思っている。この家の空気のせいか、先程の悪臭が原因か、それとも目の前の兄のせいなのか。分からないが、とりあえずチェズレイだけでもこの場から引き離すべきだとモクマは判断した。

    「チェズレイ、お手洗い大丈夫?」

     気分が悪いことは口に出さず、あくまで自然に手洗いへと誘導する。そう言った瞬間、先程まで黙りこくっていた兄が突然口を挟んだ。

    「お手洗いはそちらです、玄関からまっすぐ行った突き当たりの扉の。おい、案内して差し上げろ」

     やけにたたみかけるような、強い口調に違和感を覚える暇もなく、慌てて奥方が出てくる。そしてこちらです、と便所へ案内しようとするのを、咄嗟にモクマが遮った。

    「待って、ここってまだ汲み取り式だよね?ちょっと外で水洗トイレ借りよっか」

     汲み取り式という言葉を咀嚼しきれていないのか、ゆるくモクマの方に顔を向けて怪訝な顔をしたチェズレイに簡単に説明した。自分が幼かった頃はこのあたりは全て汲み取り式だったのだ。行きがけに寄った売店は水洗トイレだったことを確認したから、そこならチェズレイも大丈夫だろう。
     チェズレイの腰に手を添え、一度家から出ようとした時だった。兄が酷くそれを渋ったことで足止めを食らう。家から売店まではしばらく歩かなくちゃならないやら、店で手洗いだけを借りるのは気が引けるだろうとか、やたらと理由をつけて引き止めたがったのだった。どうしても二人を外に出したくはないようだった。全くその理由が分からないまま頑固に食い下がられるものの、チェズレイの体調がこれ以上悪化するのもまずい。最後は無理やり押し切って家の外へ出たのだった。

     家から出た瞬間、これまで呼吸などしていなかったのでは、と思えるくらいに息が楽になった気がした。モクマはチェズレイを抱き寄せつつ、とりあえず売店へと歩みを進めた。



     西陽で橙に染まった坂道をしばらく歩き、こじんまりとした売店へ入る。一応コンビニエンスストアのようだが、棚はがらんとしていてまだまだ余裕がある。並んでいるものといえば売れ残ったであろう少し前の週刊誌、新聞、飲み物に惣菜。タバコと酒の種類だけがやたらと多いことから何となくの客層がわかる。
     店の中も寂しいもので、モクマとチェズレイ以外は窓際のブックラックの前で競馬新聞を読んでいる中年の男一人くらいしかいなかった。チェズレイがトイレを借りて10分弱。とりあえず買ったミネラルウォーターを手にモクマはそわそわと視線をトイレの入り口へとやる。彼が普段飲んでいるものと違うので、口をつけるかも分からないが。レジに立っている店長らしき男も、ちらちらと落ち着かなさげにトイレの方を気にしていた。それもそうだろう、突然異国の人間が、しかもチェズレイほど目を引く美貌の持ち主が突然トイレを借りに来るのだから何事かと思うのが普通だ。
     貧乏ゆすりが止まらない。相棒によく諌められるものの、落ち着かない時の癖だった。あと一分待って戻ってこないようなら声を掛けよう、中で倒れていたらかなわない。と思った時だった、ちょうどチェズレイが戻ってくる。まだ顔色はよくないが、あの家にいた時よりは血色が良くなっている。よほど生理的に受け付けなかったらしい。

    「水、飲む?」

     キャップをひねり、あえて手のひらで揉んで少しぬるくした水を渡す。きんきんに冷えたものよりは喉を通りやすいだろう。いつものメーカーと違うため嫌がるかと思ったが、意外なことにすんなり手に取った。青白い喉がこくり、と上下する。無言のままうつむいているチェズレイは借りて来た猫のように大人しかった。顔色が優れない様子を見て、モクマは気遣わしげに声をかける。

    「チェズレイ、帰ろうか」

     疲労感と吐き気から表情がすとん、と抜け落ちていた白い顔は、つくりが怖いくらい整っているのもあって、場違いながら不気味なほど美しかった。だがモクマの言葉は不本意だったらしい、人形のようだったチェズレイの顔に少し不満げな色が宿る。

    「今あの家で何が起きてるかは俺にはさっぱり分からんが……兄貴が普通じゃないのは分かる。これ以上関わらん方がいい」
    「……貴方の言う通りです。あの家には何かがある。そこに完全なる部外者である自分が介入する権利などない。……ですがね」

     チェズレイは苦々しい口調で言う。色素の薄いまつ毛が伏せられ、白い頬に影が落ちた。

    「……あの奥方……放っておくつもりですか?」

     沈んでいたアメジストの瞳が鋭くモクマを捉える。一瞬で焦げつくような熱を取り戻した瞳を見て、モクマは苦笑する。薄々わかってはいたが、チェズレイが、濃い情念を生まれつき抱く彼が、傷だらけで苦しむ女性を放っておけるわけがないのだ。それがもしも、家庭内で権力をふるう亭主の仕業であれば、なおさら。
     ただの事故や単なる怪我として考えるのは不自然だろう、手当もせずにあれだけ化膿した傷を果たして放置するだろうか。あの、傷の上に傷を重ねたような見るにも痛々しい生傷。亭主へ向ける怯えた視線、嫌悪感。あれを見る限り、世間一般の普通の夫婦とは到底思えなかった。
     正直、あの家の中でどんなことが起きているか分からない。状況も彼女が立たされている立場も何一つ知らないのだから、迂闊に首を突っ込むのは危険だし、そもそもそんな権利はない。だが、見て見ぬふりをして帰ることはモクマもできそうもなかった。ふう、と息を深く吐き、モクマも重い口を開く。

    「いや、さすがに放っとけんよ。彼女が助けを求めてるなら手を貸したいと思ってたところだ。……だがね、お前は行かない方がいい。兄貴のお前を見る視線……何だか気になってね」

     先ほどの、チェズレイを頭のてっぺんから足先まで舐めるように眺める、あの粘ついた視線を思い出す。真意が見えないからこそ不気味で、これ以上相棒を関わらせるのには抵抗があった。チェズレイもそれも感じていたらしく、珍しく悪寒がしたのか無意識に組んだ腕をしきりにさすっていた。

    「えぇ、あれは怖気がしましたねェ……けれどね、私も気になっていまして。貴方のお兄様がどのようなつもりなのか、あの家には何が隠されているのか。この目で確かめたいんですよ。」
    「……お前さんにとっちゃ気分の悪くなるような秘密だとしても?」
    「ええ。相棒のルーツについては、全て知っておきたいので。それに、私が目当てであれば気を引いておくことも可能ですし」
    「チェズレイ?俺お前を囮にする気もエサにする気もさらさらないんだけど。そういうことはしないって言ったよね?」

     モクマの声色が変わり、怒りを滲ませた剣呑なものになる。チェズレイは気圧されることもなく、ふふ、と嬉しそうに笑った。

    「これはこれは、禁止事項でしたねェ。しませんよ、私も貴方を怒らせたい訳ではありませんので」
    「……信じるからね?」

     チェズレイが呆れたように笑って頷いた。ようやく顔色が戻ってきた彼の目には、大仕事の前の爛々とした光が戻っていた。





    「なぁ、あんたら」

     売店を出た時だった、背後からの声に振り返ると、タバコを片手にした作業着の男が立っていた。よく見れば売店で新聞を読んでいた中年の男である。何用かとモクマが口を開く。

    「ん?用事かい?」
    「や、あんたらさっきあの家から出て来たよね、エンドウさん家」
    「あぁ、見てたのね」
    「いやぁ、珍しねぇ、ずっと誰も訪ねて来んかったから……よりにもよって、あの家じゃでねぇ……。」

     その言葉にやや歯切れの悪いような、気まずげな色を感じ、モクマは人好きのする笑みを浮かべつつ言った。

    「よりにもよって、ってのは?……あ〜っ、気を悪くしたわけじゃなくてね、俺も聞きたいのよ、ここ何十年も帰ってなくてさ、久々に里帰りしたもんで。おじさん、何か知ってる?」

     少し面食らったような顔を見せたが、モクマが先を促すと、男は知っていることを一通り教えてくれた。

    「あんたら、知らんかったんか。うん、あの家はねえ、代々続いとるお役目があるもんでねぇ……」
    「お役目?」
    「フケジョロを鎮めとるんよ」

     以前一度耳にしたことのある言葉に、モクマは目を細めた。母が一度漏らしたが、お役目のことも含めて、詳しくは教えてくれなかった。何気ない口調を装って核心に迫っていく。

    「フケジョロってのは?」
    「あ〜、こっちのは方言だからあの……あれや、無縁仏のことやな。代々、それを供養するのがエンドウさん家でなぁ。……頭が上がらんねぇ、あげん難儀な役回りをねぇ……本当に、頭が上がらん」

     神妙な顔で、噛み締めるようにそう繰り返す男に違和感を感じつつも、モクマはふと頭をよぎった言葉を漏らす。

    「施餓鬼ってことかい?」
    「あぁ、そうそう。よう知っとるね。……この辺りではフケジョロは暗うて湿気のあるとこのが好きじゃって言われとってね、お役目をもろた家は一日中暗えんじゃ」
    「そういうことかい……」

     男はそれ以上のことは知らないらしく、その後は二言三言挨拶を交わし、礼を言って別れたのだった。男の背中が見えなくなった頃合で、じっと黙り込んで二人の会話に耳を傾けていたチェズレイがぽつりと切り出す。

    「施餓鬼、とは?」
    「あぁ、無縁仏とかね、食べ物に飢えている餓鬼ってのを供養することだよ。それ自体は聞いたことがあるし、東洋ではまぁ珍しくはないんだけども」
    「……けれども?」

     釈然としない顔で顎ひげを撫でたモクマに、チェズレイはその言葉の続きを待った。

    「施餓鬼って普通は御馳走とかを用意して、大人数で供養したりするんだけど。お坊さんとかも呼んだりしてさ。あの家、まったく人の出入りがないのはおかしいよね。年中真っ暗なのも変だと思うよ」
    「世間一般で言う"施餓鬼"ではない、と……?」
    「……どうだろうね。ちょっと、その"お役目"ってのについておふくろに聞いてみるよ」

     この辺の住民に聞き込みをするにも先程の男以上のことは知らない者が大半であろうし、母や兄たちに聞くのが確かだろう。モクマは探りを入れるべく母に電話をかける。一応、と先日番号を聞いておいてよかったと心底思った。
     だが、その願いも虚しく。期待を込めて通話ボタンを押したものの、コール音が何度も鳴り響くだけだった。どうやら今すぐは出られないらしい。留守電に今の状況をかいつまんで話し、折り返しが欲しいとだけ入れると、モクマは電話を切った。

    「うーん、まぁそうタイミングよくはいかんか」
    「まぁ、お兄様本人を問いただすのが一番早いのでは?」
    「うーん、ま、それもそうさねぇ。けどまずは状況の把握からだ。あの家で何が起こってるのか、俺にはさっぱり分からん」
    「同感です」

     そんなことを話すうちに、兄夫婦の暮らす家へと戻ってきた。軽く戸を数回叩くと、おそるおそるといった風情の奥方が顔を覗かせる。はじめ彼女は、チェズレイの姿を見て顔を引き攣らせ、ちらりとあたりに視線を散らすと、カタカタと震える手を握りしめていた。まさか戻ってくるとは思っていなかったかのような、いや、戻ってきて欲しくはなかったとでも言うような、途方に暮れた顔だった。何か言いたげな顔に口を開こうとした時だった。暗闇の奥から低く冷たい声がにじり寄る。

    「ようやく戻ったか。入りなさい」

     夫の声を聞いたきり、彼女は人形のような顔をさらに青白くさせてモクマとチェズレイを中へと促した。玄関先に佇む兄は、相も変わらず表情の無いままじっと冷めた視線を二人に注いでいる。
     玄関に足を踏み入れた瞬間から淀んだ空気に足を取られたようだ。身体が重い、気分が塞ぐ。とぐろを巻くような湿気に眉を顰めた時、場違いなくらい明るい着信音が鳴った。モクマのスマートフォンだった。母が折り返しをくれたらしい。
     長くなるだろうか。そんな考えが頭をよぎり、液晶に指をかけたままのモクマに兄が低い声で言う。

    「出ればいいだろう、気にすることはない」

     逡巡し、チェズレイの方に視線をやった時だった。彼はにこりと微笑み、電話に出るように促した。この家の空気があまりにも不快だと顔に出てはいるが、憔悴していた先程とは違う。相棒の目には、爛々としたいつものぎらつきがあった。

    「じゃ、ちょっとだけ失礼するね」

     迷ったものの、チェズレイはこうなると譲らない。顔つきを見るといつもの調子が戻ってきたように見えた。あの泣く子も黙る仮面の詐欺師である。少し電話で席を外すくらいは大丈夫だろう。彼が対処しきれない事態に陥るとは考えにくい。
     モクマはそう判断し、スマートフォンを片手に外へ出た。

    「もしもし、おふくろかい?」
    『あんた、何やっちょうの!あの子のおる、ミカグラの家に行ったって!?正気なの!?』

     出た瞬間、スピーカーから耳をつんざくような母の怒声が響き、ややモクマは面食らった。平素穏やかな母は肝が据わっていて、多少のことには動じない。ここまで声を荒げるということは、ただ事でないことは確かだった。

    『あの子はおかしくなっちょうよ、もう元には戻らん!私が散々説得しても駄目じゃったから、もう関わらんと……』

     そこまで一息でたたみかけた後、不自然な具合にぴたりと母は言葉を止めた。そして、何か重大なことを思い出したかのように、わなわなと震える声でこう切り出す。

    『あの、前あんたと挨拶に来た……えっらい綺麗な人……髪の長い男の人……あの人どうしとるの』
    「えっ?チェズレイかい?いるよ、一緒に、来てるけど」
    『馬っ鹿じゃねの!!……あんたは、あんたって子は何てことしとうの!今すぐ連れっ帰りぃね!あれは、いかん……!あの容姿は、魅入られる!』
    「それ、どういう……」

     ものすごい剣幕でそう捲し立てた母は、"お役目"について話し始めた。一部始終を聞いたモクマは弾かれたように身体を翻すと、闇の渦巻く家の中へと消えていった。
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