帝乱冒頭 「ん」
手を伸ばした先にあるはずのものが、気づけば乱数の手の中に収まっていた。
そんな魔法を使ったのは見知ったチームメイトのようだ。シェルフの前で背伸びしかけていた乱数は、裁縫セットとして使っているそのポーチを両手に、すとんとソファへ着席した。
「ありがと〜。なんでわかったの?」
少しの動揺を悟られないよう言葉を繋げる。顔を上げると、帝統はなんてこともなかったように元の位置に戻り、コーラを注いだグラスへ口をつけていた。
「んあ?見てたからわかったんだよ。そんでさ、その時ドル箱がガシャーン!って全部ひっくり返って……」
ぎゅっと胸が熱くなる心地がした。そのざわつきの正体を言語化する前に、作業に気持ちを戻す。帝統のアウターを膝の上に乗せて、破れた裏地を再び検分する。
「で、拾う時に椅子に引っかかってこうなっちゃったんだ?」
その場面を思い浮かべる。乱数の上背を上回る男が、パチスロ店の狭い通路に丸まって必死にメダルを拾い集める光景。実に情けなく、阿呆らしく、そばを通りかかっても他人の振りをしたい。それが帝統でなければ。そして、自分が乱数でなければ。
でも、彼が帝統で、自分が乱数ならばこうだ。一頻り揶揄って笑ってから、破れたアウターの裏地を元通りにしてあげたい。乱数が信じてきた、楽しいことや可愛いものへたくさん導いてくれるこの針と糸で。
「二十分もあれば、なおしたげるよん〜」
「あざっす!!」
帝統は笑顔で元気よく返事して、出前のハンバーガーを頬張る。見上げたまま蛍光灯のスイッチを入れてしまったときみたいに、眩しさで目を細めるところだった。
「このくらいの季節ならいいけどさ、もっと冷え込んだら首元とか超寒くな〜い? 今までどうしてたの?」
「ああ、確かに寒みいな……どうしてたっけ?」
「あはは!ボクに聞かないでよ〜」
手際よく糸を選び、縫い針に通して準備してから、まち針を刺す。元通りになったら、これを着て、また賭場へ繰り出すだろうか。夜は十分冷え込むから、できれば上着は担保にしないでほしい。