キスする星昴22カ所 #3【耳】【耳:誘惑】
ベッドは二人でひとつ。寝室いっぱいに大きく広い、大のおとな二人で使っても、余裕の幅のそれを使っている。選んだのは星史郎さん。昼夜逆転して働くことの多い二人なので、せめて家の中での接点は多くしたい。そのお願いに、僕が二度、三度と頷いたのは、もう何年も前の話しになる。僕の快い返事に、星史郎さんは喜び勇んでいまのベッドを注文した。
「昴流くん、そろそろおいでなさいな。明日は久しぶりのデートなんですから。早く寝るに越したことありませんでしょう」
歯磨きをしたあとだというのに彼は、自身の眠る側の小机へ、琥珀色したウイスキーをお供させ。芳醇、と称される香りと味とをじっくり楽しんでいた。さすが、大人の男はやることが違う。そうした憧れは少々、せっかくの歯磨きが台無しだ、と心配が先んじてしまうのは、僕が子供だからなのか。
「あぁ……寒い。きみが傍に居ないと、寒くて凍えそうだ」
ことり。コップを脇に置いた彼が、自身の広い肩をかき抱き、ぶるり震えて見せた。鈍い僕のために、わざとらしい仕草で誘いをかけてくれるのが嬉しくて。意気揚々と、太陽の香りたっぷりふかふかの寝具へ、一歩近づく勇気に変わる。
明日は午前中に動物園へ、お昼を一緒に食べたあとは水族館にも行く予定だ。前者は僕が、後者は星史郎さんが行きたいと申し出た場所である。どうせならどちらも。欲に直球である星史郎さんらしい予定は、僕が疲れた様子をちらとでも見せれば即変更されるだろう気遣いを感じている。
「あぁ……やっと来てくださった」
のそのそ、彼の足先に手をつき、膝をつき。四つん這いの姿勢でにこやかな表情へ近づく僕を、星史郎さんはウイスキーを一口ふくんで迎えてくれる。こちらを歓迎する視線は、動物園のふれあいコーナーにいる兎や、子ヤギを見るのと、雰囲気が似ている気がした。
もう少しでいいから、どきどき、してほしいんだけどな。
例えば、翌日はデートを予定した夜、星史郎さんが僕の身体にこうして四つん這いで迫るとする。そうすると僕の身体は、彼の澄ました顔が近寄って来るのに併せて熱くなり。鼓動はばくばくと大きく打ち鳴らされるのだ。その昂りを見透かした男は勢い、僕を食べ尽くしてしまう。翌日に体力を残すことなど一縷もわきまえず貪られ、息つく暇もない時間に、僕はへとへとになりながらも充足の溜息を吐くのだ。
今夜はお預けなのかな。一緒に添い寝だけかな。
お伺いするのに、星史郎さんの顔をそうっと覗き込んでみた。酔いのせいで、ほんわり桜色の耳たぶが美味しそうだ。
できたら、でいい。本当に、星史郎さんの気が向いたらで良いのだけれど。お酒が回って体温の増した大きな手で、ゆるゆると肌身を撫でてほしい。とろんと眠気を露にする目で、僕の身体をあまねく見つめてほしい。ウイスキーより渋く、ほろ苦い味わいの声で、何度も名前を呼びかけてほしい。
お誘いの下手さは自分でも重々わかっていて、なんとか勇気を振り絞り、四つん這い状態から首を伸ばした。
「星史郎さん、あの……僕、今日は、まだ、眠くないんです」
桜の花弁、満開色した耳に、音をたててキスを仕掛ける。どうか伝われと願いを込めて言葉を続けて離れると。暖かく柔らかな眼差しがこちらをじいっと観察しているのに、僕の胸はぎゅうっと締め付けられる。堪らず、布団の上をころりと転がった。
「おやおや、ここまで頑張っておいて、逃げてしまうなんて」
もったいない。
常と違う僕の様子の、真意に気が付いた星史郎さんは。喉の奥から酔いを囁く甘ったるい声を奏で。今度は彼が、どっしり四つん這いになる番だった。
のっそ、のっそ。右手に右足が、順に僕の身体を跨いで覆い被さると、橙色して照っていた天井からの明りが遮られ。
「僕と、イイこと、したいなら。もっとその気にさせて」
言葉尻はまるで、ミルクの匂いたっぷりの子猫ちゃん。とでも僕を呼び出しかねないもの。素直に少しムッとしてしまうのは、やっぱり僕がまだまだ子供だから。
成長するのなら、きっといま、ここ。
「楽しくて気持ちいいこと、今からさせてください」
明日のデートは、二人で一緒に居られることがそもそも楽しいことと決まっている。気持ちが良い、というのは。彼と一緒に吸う空気の美味しさ、繋いだ手の感触からでも充分に得られる。
けれど、それ以外の楽しくて気持ちいいことが、ベッドの上では待っている。お願い、と叫び出したい心地を唇にのせ、鼻先から星史郎さんの耳に近づく。もう一度、今度は耳たぶを口唇のやわらかさで食み、僕の気持ちを慎重に告げる。
「昴流くんの純真無垢な体と心が、僕のために熱くなるなんて、癖になってしまいます」
僕よりも厚い唇から、はぁ…と漏れ出た息が酩酊を誘う。お酒を飲んだのは星史郎さんだけなのに、魅力的なほろ苦さを僕も得られるのは、唇が重なり、舌同士が抱き合うおかげだ。
「明日が終るまで、ずうっと、楽しく過ごしましょうね」