紫苑の花言葉を君に③ ~CODE:BIRD CAGEより~▼▼▼
軍部内で「ハンガー」と呼ばれる戦闘機格納庫には、整備コーナーがある。そこへ向かう少し手前、細い通路を入った先に、なぜか軍には似つかわしくない、ふわふわで愛らしい目をした大きなクマのぬいぐるみが置かれているのだが、それはここイレブンヤードに所属する軍人関係者であれば周知の事実であった。
そこは、マーブルの指定位置でもあった。生活力がないというよりも、「生活すること」を知らなかったらしいマーブルは、コリーンがイレブンヤードに所属する以前はもっとひどい状態だったのだと、ヨハンが笑って語ったことがある。
床で寝ていたり、通路を裸で歩いていたり、一日の終わりにシャワーを浴びる習慣もなく、着替えや毎日の食事すら無頓着で、それでも、指示された戦闘訓練だけは参加していたという。
それはすべて、マーブルの生まれ育った環境がそうさせていたのだが、当時はそんな特殊な「過去の事情」も知らず、周りはもちろん、コリーンも呆れ果てていた。
そして、そんなマーブルの上を行く「人には言えない過去の事情」を抱えていたのが、ヨハン・イザックである。
無論、当時のコリーンはそんなことを知る由もない。
こんなに優しくてまともなヨハンが、なぜ大問題児であるマーブルをしょっちゅう構っているのか、構いすぎなのではないのかとも思い、実際ヨハン本人に、少しくらい放っておけばいいと進言までしたくらいだ。
ヨハンは、仲間からは助言者の意を持つ“メンター”という愛称で呼ばれていたが、やがて、その面倒見の良さから“シッター”とも呼ばれるようになっていた。
面倒見が良いというレベルを通り越し、まるでなにかにすがるように、なにかを忘れるために仲間の面倒を見ているのだと知ったのは、確か、マーブルにそう教えられたからだと思い出す。
それまでのコリーンは、ヨハンは優しさと強すぎる責任感からマーブルの面倒を見ているのだろうと考えていた。
けれど、そうではなかった。
ヨハンは、手のかかるマーブルの面倒を見ることで「自分」を支えているのだと、手のかかるマーブルに振り回されることで「生きて」いられるのだと、知った。
それほどに、ヨハン・イザックの過去は壮絶だった。
軍による、ある極秘計画。
機械のように一糸乱れぬ、そして命を惜しまぬ戦い方をする《ルージア》に対抗するためという名目で、一部の上層部が考えた、非人道的な計画。
表向きは名誉ある任務を任せるという指令で各部署から特に優れた軍人を選び出し、脳内に特殊なチップを埋め込むことで完全に制御・管理し、恐怖心などを取り払い、どんな命令にも迷いなく確実に従う、まさに機械のような兵軍団を作り上げる計画。
ヨハンは、軍人として優秀だったがゆえにその計画に選ばれてしまった。
選ばれた結果、本人の知らぬうちに脳をいじられ、自我を失った。人為的に人間の思考や感情を遠隔支配しようなどと、所詮は無謀な計画に過ぎなかった。
それでもそのチップが発するただひとつの「コロセ」という命令に従い、ヨハンは、自らの手で家族を撃ち殺してしまったのだ。
その後、抜け殻のようになったヨハンを拾い上げ、匿い、軍の情報を操作して、「ヨハン・イザック」という偽名と「戦闘アドバイザー」という新たな役割を与え、今の優しいヨハンにしたのは、レイナード艦長と、マーブルであると言えるだろう。
ヨハンは、一生治ることのない心の傷を抱え、それでもレイナード艦長に拾われ、チップを除去してもらった恩義から、ただ黙々とマーブルの世話をした。
その年齢の子どもにしては大人びた思考力を持ち、言葉も意思も明瞭だったが、特殊な環境で育ち、戦闘訓練に加え、幼いころから周りの大人たちの性欲処理の相手までもさせられていたというマーブルは、ごく当たり前の生活を、ごく当たり前の倫理観を知らなかった。
目を放すと、それこそどこで誰となにをしでかすかわからないマーブルを追いかけ、世話をし、面倒を見ることによって、ヨハン自身、徐々に人間らしい感覚を取り戻すことになったらしい。
よそからは、マーブルはヨハンがいなければ生きていけないように見えていたが、本当は逆であった。
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