膝枕 作戦の遂行にあたっては、度々困難が立ちはだかるものである。イデアは頭の中では、まるでプロジェクトV──ツイステッドワンダーランドでコアな人気を誇るドキュメンタリー番組のことである──のごとく荘厳なナレーションが繰り広げられている。それもそのはずで、彼は今まさに、重大なプロジェクトが頓挫して頭を抱えているのだ。
「プランA『コロッと一発!古典的トラップで誘導作戦』、プランB『必死のパッチ!某アニマルフォレスト的虫取り網で捕獲作戦』、ともに失敗です。……兄さん、どうするの? プランはBまでしか想定していなかったよね」
「いやー、ここまで徹底的に嫌がられるなんて思わなんだ……」
ナンデ? そんな拙者のことキライ? ツナ缶を手にする喜びより拙者への嫌悪が勝つってわけ? オタクに厳しい魔獣なん?
虚無に向かって呪詛を吐き続けるイデアの顔はいつもに増して青白く、目の下はむしろ青黒いと言える。
「やっぱり兄さんに今一番必要なものは、睡眠だよ! ねえ、部屋に戻って寝よう?」
「イヤでござる~! 拙者に今一番必要なのはネチコヤンをモフり倒すことなんだ、分かってくれオルト~!!」
生体スキャンなどするまでもなく、イデアに今一番必要なものは睡眠である。ちょっとした“事情”で何か没頭できる作業が必要になったため、久しぶりにオルトの外装の方に手を加えてみるか、なんて着手した1週間前がすべての始まりだ。最近はプログラムの方ばかりいじっていたのもあり、久々にハードをいじり始めると、これがあまりにも楽しい。まともに寝食を取らない兄を心配したオルトが無理矢理ベッドに引きずり込む算段を立てているところで、一心不乱に作業していたはずのイデアが突如立ち上がったと思えば、こう口にしたのだ──「ネチコヤン、モフモフしたい」と。
そして今に至る。イデアは魔窟と呼ぶにふさわしい彼のクローゼットからゴソゴソと道具を取り出したと思えば、弟の腕を引いて休日の真っ昼間の中庭に向かった。そして、右手を天につき上げ高らかに宣言したのだ──「これよりッ! グリム氏モフり作戦を開始するッ!」と。なぜグリムに限定されているのかというと、イデアの今日の気分は「真っ白いお腹」らいしいからだ。しかし、彼が事前に立ててきたらしい2つのプランは惨敗を喫した。今日に限ってグリムが、ツナ缶よりもイデアとの接触を回避することを選んだのだ。
それもそうだろう、なにせ今のイデアは睡眠不足のせいで、俗に言う「キマッている」状態なのだ。あまりにもダサい作戦名に頭脳派のイデアらしからぬ粗雑な作戦、なによりあの引きこもりの常習犯が真昼に堂々と姿を現し、空に向かって大声で叫んでいるのだから物珍しいことこの上ない。イデアの普段とは違う様子に嫌な予感を抱いたグリムは、イデアの虫取り網攻撃から逃げ回る。
「グリム氏、後生だから1モフ……たった1モフでいいから拙者にくだされ~」
「ふなっ!? いい加減、しつこいんだゾ!! 助けろユウ……あっ」
睡眠不足が引き起こした禁断症状──と呼ぶことにする──によって、イデアはついに耐えきれずグリムに向かって体ごとダイブしてしまった。そして、グリムは後ろ足のキックによってそれを迎え入れ──
* * *
額から頬にかけて、温かく柔らかいものに包まれているのを感じる。これはきっと念願のモフではないか!?──確信したイデアは、数々の苦難を乗り越えようやく手にしたモフモフを堪能するべく、全身全霊で顔を擦りつけた。すると、愛しのモフモフはくすぐったそうに身じろぎをする。もじもじしたってカワイイだけですぞ~と、唇で吸い付いてみれば、びくびくと震えるのを感じた。待て、これはあまりにも動物的ではない、というかむしろ──イデアは現状の違和感と同時に、首元に当たる固い物体にも気付いた。これはもしかしなくても、ベルトの感触では。
「ハッ!?」
勢いよく半身を起こしたイデアの目の前に、見知った顔が迫る。この顔は、どう見ても。「監督生氏……?」
「……お久しぶりですね? イデア先輩」
「……お、お久しぶり、デス」
どうみても、オンボロ寮の監督生である。いつの間にかほんの少し仲良くなって、ちょうど1週間前、何がどうなったやら不意にキスしてしまった監督生。それからずっと会わないように細心の注意を払ってきた相手である、監督生だ。そうだ、そもそもモフり不足だって、監督生を避けるようになったことでグリムとの接触機会が減り、禁断症状として発症してしまったのだろう。
イデアの優秀な頭は現状をみるみるうちに解明していき、そして重大な真実にたどり着いた。
【悲報】拙者、監督生氏の下腹にスリスリしてた模様【変態】
「ごめっ、グリム氏だと思って! だから決して、やましい気持ちがあったわけでは!!」
「ふーん……じゃあ、やましい気持ち無しで僕にキスしたってことですか?」
「ブフォッ!! 急に盛り返すッ……!! そ、それは、ないとは言えな…いやほんとごめんどうかしてたよね拙者」
イデアはここでようやく、自分が6つの目に見つめられていることに気付く。目の前でタールを潤ませる監督生の瞳、訝しげを見事に表現したまんまるいグリムの瞳、そして琥珀のように深く揺らめく弟の瞳──もしかして、今日一番の困難って今なんじゃないの、と理解した。
「あの時はどうかしてたから、キスしたってことですか」
監督生の追撃は、イデアにかなり大きなダメージを与える。もうやめて! とっくにイデアのHPはゼロよ!
「い、いや、今だってどうかしてるよ、常にやましい気持ちだらけなんだよ僕は! 今だって、君にキスしていいんならした──」
とっくにライフを切らしていたイデアは、監督生の膝へぱたりと華麗に着地した。残りHP1でハチマキを巻いて動いたり喋ったりしていたのが、ついにエネルギー切れしたらしい。
「ほんっとに、大事なことをことごとく言ってくれない人だよなあ」
余計な一言は言えるのにね。悪態をつく監督生の口元は、膝の上の青い顔を見つめながらいかにも幸せそうに弧を描く。夢の中でモフり作戦を遂行できたのか、再び監督生の腹に擦り寄ってくる。スケベじゃん、と今度は心の中で悪態をついて、グリムの蹴りが入って赤くなった鼻筋を撫でる。心配そうに、そして不思議そうにイデアを見つめるオルトとグリムに、それは楽しそうに笑いかける。
「でもやっぱり、すっごく可愛いって思っちゃうんだよ。まだ先輩には内緒ね」