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    カシキ

    @kashikiasa

    手癖で書いた落書き多め。なんでも許せる方向け。

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    カシキ

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    おうみず/手癖全開

    ##おうみず

    窮鼠 最悪だった。なにが最悪かって、全てが最悪だった。濡れそぼったシーツも、裸でうずくまるぼくも、ぼくの横でスマートフォンを眺める彼も、最悪極まりなくて、ぼくは生まれて初めて「死にたい」という感情を知った。文字通りの希死というよりは逃避願望にも似た「死にたい」は強烈で、頭蓋に鉛弾を撃ち込まれたようでもあった。我ながら明晰だと自負している頭脳は、当然鉛弾でズタズタにされて使い物にならない。それでぼくは何もできず、ただうずくまっているというわけなのだった。
    「……おもろ」
     彼が呟く。裸であぐらをかいているきみのほうが面白いと思うよ、なんて皮肉さえも口から出てこなかった。後悔と逃避で重たくなった頭を持ち上げると、琥珀色がうすらと光っている。スマートフォンの光を取り込んで冴える瞳は、とても失礼な話だけど普段よりも理知的に見えた。なにせ、彼のまなざしは常日頃気だるげに曇っているので。
     持ち上げた頭がバランスを崩してシーツに墜落する。赤ん坊よりおぼつかない動きも、頬を滑るサテン生地も、よりいっそうぼくを惨めにさせた。だってここは30分前まで彼の肩甲骨を押しつけていた場所だ。さすがに肩にまで液体は飛び散らないし、塗りたくってもいなかったから、汚れていないのは当然だった。ああ、それを考えただけで最悪。
     ぼくが何度目かの「最悪」を呟くと同時に、彼が口角を上げた。
    「死にたなったやろ」
    「……どういう意味かな」
    「それ聞くん? まあ、説明してやってもええで」
     今、俺めっちゃ気分ええから。浮かれきった言葉にぼくは舌打ちをこぼす。たまらなくイライラして、腹の底が煮えるようだった。
     全てが最悪だ。なにが一番最悪って、この男に負けたことだ。
     あんなに逃げたそうにしていたくせに――あんなに億劫そうだったくせに――あんなに追い詰められていたくせに――彼は窮鼠となって、ぼくの首に噛みついてきた。不意の一撃はおそろしいほどによく効いて、今この有様だ。
    「別に、そんな弱るようなことやないやろ」
     弾んだ音もそのままに彼がわざとらしく慰めを吐き出す。それがぼくの怒りを増幅させると知ってやっているのかな。……承知の上だろうね。だって、ぼくをどれだけ怒らせても、ぼくにどんなことをされても、全てが彼の勝ちを彩る結果にしかならない。そして、彼の勝利が燦然と輝けば輝くほど、ぼくの敗北はより色濃くなるという寸法だ。
    「お前は悪くないやん」
     台詞とは裏腹に、ぼくの何が悪かったかを分かりきっている声だった。
     分かっている。ぼくが悪かったんだ。ぼく自身が敗北を呼び寄せたことなんて、言われなくても知っている。
    「なあ? 俺から言い出したんやで」
     ぼくが負けたのは。
    「――『何でもしてええ』って」
     そんな、ありふれた誘いで知性も理性も崩れ落ちるほど、恋に溺れきった愚かさゆえなのだ。
     ズタズタになった脳がめちゃくちゃな指令を体に与えた。腕が勝手に伸びて、彼の肩を引きずり倒す。視界の端にかすめたスマートフォンを払いのけると、床を転がる無残な音が響いた。
     数十分前と同じ場所に肩甲骨をあてがって、痩せた腹の上に馬乗りになってやる。彼は低くうめいたが、すぐに笑みを浮かべた。
    「笑えないよ」
     ぼくが吐き捨てる。
    「俺は笑える」
     彼が笑う。
    「受け入れてよかったの」
     ぼくが問いただす。
    「ええけど。お前おもろいし」
     彼が笑う。
    「好きじゃないくせに」
     なじる。
    「好きになったわ」
     笑う。
     彼が両腕をベッドのうえに投げ出して小首を傾げた。あからさまな挑発にさらに怒りが燃える。その炎に、別種の熱が宿っていることは、とうに理解していた。
    「何してもいいんでしょ」
    「ええで。やってみ」
     今夜二度目の宣戦布告もあっさりと許されて、ぼくの口が思わずゆがんだ。そこまで言うならもういいよ。最悪なら最悪で、負けたなら負けたで、好き勝手やってやるだけだ。
    「ねえ、みずかみんぐ」
     ぼくはとびきりきれいに、かわいく笑ってみせた。
     勝利に染まっていた笑みが引きつる。瞳の愉悦に不審が混じる。形勢が変わりつつある盤面を見つめるように、彼がわずかに首を伸ばした。それを逃さず、浮き出た喉仏に噛みついてやると、彼の肩が大仰に跳ねるとともに呼吸が一瞬止まる。口のなかで上下する喉仏にひそむ恐れを見抜けないほど鈍感ではなかった。
    「きみが好きだ」
     楕円にできた痕を舌でなぞり、上目で観察しながら愛の言葉を紡ぐ。彼は目をすがめながらもぼくを見下ろしていた。そこで、いつのまにか死にたいとは思わなくなっていたことに気がつく。いつからだろう。――そうだ、彼が「好きになった」と言ったときだ。
    「……俺も好きやで」
     苦々しげな呟きを聞きながら、ぼくは喉を震わせた。明晰さを取り戻した頭脳が、逆転への道を整えつつあった。
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