[虎兎]暗渠の恋 本日最後の仕事は二人別々の場所で、となっていた。僕がゴールドで虎徹さんはシルバー。だが層は違うものの、先日訪れて気に入ったブロンズのバーの近くだったことに気付いて、今晩は夕食を摂りがてら飲もうということになった。
まだ雪もちらつく季節だし、店の中で待ち合わせても良かったのだが、場所がうろ覚えだなどと言い出した彼を待ち、連れ立って行くことにした。
ブロンズへ降りて賑やかな通りから一本入り、待ち合わせに指定したショウウィンドウの隣に立って中を覗いたりしながらしばし待つ。ゴールドに比べると明かりも何となく少なくて、僕がほとんど普段のままの姿で立っていても目立たないみたいで嬉しい。
ふと顔をあげると、隣のビルとの間に橋が見えた。薄暗い街灯に照らされたそれは、大きくもないが明らかに欄干で、こんなところに川があったろうかと脳内の地図をひっくり返していると、その橋の向こうに「おおい」と手を挙げながら待ち人がやって来るのが見えた。
「虎徹さん」
小走りに『橋』を渡り、彼の元へ駆け寄った。
「わり、遅くなった。反対からぐるっと回っちゃったぜ」
少しの遅れさえ指摘せずにはいられなかった頃なら、こんな時は大騒ぎになって飲みに行くどころではなかっただろうな、と小さく笑う。
「ほとんど待ってないから大丈夫ですよ。それより、そこの橋って何だかわかります? ただのデザイン? 川がないです」
通りがかりに横目で眺めた橋の下に、川は流れていなかった。ただ、車も通れぬような狭い歩道があるだけ。
ひょい、と橋のあたりを振り返った虎徹さんは、あぁと思い当たる節があるようだ。
「川、あるんじゃねぇかな。地面の下に……暗渠だろう」
「暗渠」
店への道を逆に曲がろうとした虎徹さんを誘導しながら、話を促す。
「シュテルンビルトは水辺の街だ。シュテルンメダイユも多層構造じゃなかった頃、いくつかの川が街中を流れていたらしい」
しかし、まず工業が発展し、近隣からの汚水が流れ込み、悪臭漂う川となってしまったという。
多くの川は流れを変え、多層になるときには基礎をしっかりさせるために大規模な埋め立てがあった。ただ、いくつかは、必要に迫られ暗渠になって残された。
「残った川があったのは知りませんでした」
「ブロンズにしかないからな~。時々不自然な遊歩道は見かけるよ。下は空間があるから、車は通せないだろ?橋まで残ってるのは珍しいかも」
へぇ、と感心する僕に、虎徹さんは少し嬉しそうに笑った。
「何です」
「いや、ビルの名前と違って、ちゃんとバニーの質問に答えてやったぞーっと思って」
懐かしい、懐かしい話だ。
僕たちにはあれから、色んなことがあった。何より、僕はこの人を好きになった。恋をしてしまった。
優しくしてくれたから、怒ってくれたから、引っ張ってくれたから、抱きしめてくれたから、信じてくれたから、命をかけてくれたから……好きになった理由ならいくらでも思いつくが、叶える理由は一つも思いつかない。
僕はこの人に、好きだと伝えることはないだろう。気付かれたくすらないのだ。
僕の恋は、あの暗渠のようだ。
汚れた水が押し寄せて悪臭を放ち、蓋をするしかなくなった川。絶対に知られたくないならば、蓋の上には相棒という名の装いをして、隠しつづけるしかない。
だけど暗闇の中、今も滔々と水は流れつづけているとわかる。
「あ、けど最近は工場排水も綺麗にしてから流してるだろうし、昔より綺麗になったんじゃねぇのかな?俺は川があってもいいと思うけど……」
「それは蓋を開けてみないと、わからないですね」
ようやく店にたどり着いた。次はちゃんと一人で来られます?と聞くと、ダメだったら連れて来てと返された。
僕の川は今も汚れたまま、時には濁流となり周りを削りながら流れているだろう。
この人の笑顔や優しい接触に、水嵩は増すけれど、僕は決して蓋を越えたりはしない。
いつか、川の流れが涸れ果てるか別の流れができる日が来るのだろうか。
それまでは、僕はこの暗渠の恋を抱きしめている。