雨天決行海沿いドライブデート ひとつひとつは細くも高密度の雨粒とエンジン音、タイヤが水溜りをまきあげる音、途切れ途切れの雑談。
ワイパーが休みなく動いても、フロントガラスはすぐさま濡れてしまう。窓に映るぼやけた景色と同じ方向に流れていく雨粒を目で追っていると、ハンドルを握っていた片手が束の間離れ、車内を流れる環境音にラジオが追加される。
「こんな雨じゃあせっかくのドライブデートも味気ないだろ?」
ハンドルを緩く握る色男は同乗者に目線だけを寄越して、ひとつの答えしか想定していない問を投げかけた。
現在、小松を助手席に座らせた黒い流線型は、観光本にも掲載される名勝の海沿い道路を走行中。常であれば観光客やバイク乗りが行き交う二車線だが、前後に車はなく、対向車もいない。右向けばくすんだ海原がどこまでも続くかに思われるほど広がっている。晴れていたらさぞかし眺めが良かっただろう。
「仕方ないですよ。休みが被って約束してた日にたまたま雨が降るなんて、その日になるまで分かりませんから」
片や名門ホテルの料理長、片や予約数ヶ月待ちの人気絶頂占い師。業種が違えど忙しい者どうし、休日が合致するのは奇跡的ともいえる。励ましの含みをもたせた小松の返事に、ココは助手席へ流し目をやり苦笑いを返す。
「雨が降るのに本当に行くの?──ってその日の一週間前に97%当たる占い師から言われていたのにも関わらず雨天強行を決めたのは小松くん、キミじゃないか」
「うぐっ……だってココさんとドライブ行きたかったんですもん。3%は外れるかもしれないんだし、それに思い立ったが吉日、その日以降は全て凶日って誰かが言ってました」
「そういうこと言うやつはたいてい、髪が青くて左目の下に3本傷があって、洗車というものを知らないバカでかいオフロード車を乗り回しているんだろう。さて」
節くれ立った指が音量調整のつまみを捻り、ほんの一瞬だったが、小松の耳にラジオDJの拍手つき笑い声(爆音)が襲いかかった。にぎゃあと叫んで飛び跳ねた後、運転席に抗議の目を向けるが、ココの視線はフロントガラスから動かない。
「ボクとデートしているのに占い師を否定しているような、なにより他の男が座右の銘みたいに使う言葉を出されたんだ。良い気はしないものさ」
普段は理知的なココにしては、珍しく拗ねた子供じみた言いっぷりだ。例えて言うなら、楽しみに最後まで残しておいた好物を食べないのならと片付けられてしまった子供のような。
予約無しでも食べられるランチを目当てに来る女性客の口から占い師ココの名前が出るたび、内心気が気でなくなる。しかし、小松の心を乱す張本人たる彼もまた、己と似通ったものを胸に秘しているのだ。気持ちむくれているような横顔をこっそり盗み見て、小松は声を抑えて笑った。
スピーカーの喋り声は雨でも元気だ、というより、雨の陰気を吹き飛ばそうと普段以上張り切っているようにも聴こえる。ラジオDJのお便り朗読が終わって、音楽が流れ始めた。どこかノスタルジー漂う前奏に運転席から「あ」と声が漏れる。
「知ってる曲なんですか?」
「名前は知らないんだけど、どこかで一度聴いて耳に残ってね」
歌い出しから心を掴む透き通った歌声に聴き惚れんとした直後、唐突に降ってきた死にたいのフレーズに、小松は弾かれたようにココを見た。
綺麗な横顔はラジオを聴き流しているのか、それとも聴いていないのかもしれない。
柔らかいコーラスが優しく温かな印象をもたせるのに、内容はどこか物悲しさを歌う。小松はラジオを聴きながら、生き物のいない湖に一隻だけ浮かんだ小舟でひとり横たわる人の姿を想像した。
足を伸ばすと舟からはみ出てしまいそうな背の高い男で、胸の上で組まれた手も小松が両手使って握っても余りそうだ。鼻筋の通ったかんばせに霧雨が注いで目頭の窪みに水溜りを作っていく。その中にはしょっぱい水が混ざっているのかもしれない。
何を思って湖のさざ波に揺られているのだろう。誰かに思いを馳せているのか、ただ眠って夢を見ているだけか。いずれにしても彼の瞼はいつしか開かれることだろう。そしておもむろに体を起こし、桟橋に着けることなく湖の真ん中で舟を降り──
「こ、小松くん!?」
急ブレーキがかかった。きっちり着用したシートベルトで殺しきれなかった勢いにより前方へ傾く体を逞しい腕が押し留めたおかげもあって、小松は顔をぶつけずに済んだ。
「危ないじゃないか、運転中に抱きついてきたりしたら。小松くんだって調理中にちょっかいかけたら怒るだろうに、あまりにも危機感が無さ過ぎる。こんな天気じゃなければキミを死なせてしまうところだったよ」
後続車がいないことを確認して停車するが早いか、ココは声を荒げこそしないが厳しい口調で小松を咎める。小松の腕と額に伝わる鼓動がココの動揺具合をありありと表していた。
「すみません……怖い想像をしてしまって」
「ボクにしてみたら、これから先の人生にキミがいなくなること以上に怖いことはないよ」
「……次はしません」
謝っておきながら離れようとはせず、むしろしがみつく力を強めた小松に、あまり強く言えなくなったらしい。逡巡の後に抱き返すココの顔が険しいものから、たじろいで眉を下げたものに変わったが、どうしようもなく泣きそうなのを俯いて堪えていた小松は知る由もない。
「ココさんのこと、嫌いになったりしませんから」
どうかいなくならないで。
言外の願いは届いただろうか。
「ボクもだよ小松くん」
想像の中では胸の上で組まれていた手が小松の顎をそっと上げさせる。
暗い瞳がこちらを覗いていた。本日は雨天なり、反射するべき光が差さないためにそう見えるのだ、と小松は納得した。
「ボクも小松くんのこと嫌いになんかならないよ」
ココは繰り返し囁やきかけ、小松に優しく口付けた。