ほnsトありがとう(萌目)「目金くん、僕らは何時になったらこの地獄から抜け出せると思う?」
「カンヅメ地獄からの脱出迄あと14ページです。頑張りましょう萌先生!」
「アハハ、目金くんは元気だなあ」
描いて消して、また描いて。不意に浮かんだ細かな表現を描き足して、気に入らない部分を直していく。
そんな途方もない作業を繰り返して早数日。またしても皆と予定が合わず秋葉名戸の仲間達にアシスタントを頼めなかった萌は、他校生でありながら幾度もこの地獄に付き合ってくれている目金と二人体制で原稿を描き進めていた。
厳しい練習の合間を縫って秋葉名戸サッカー部のアジトへ遊びに来る目金は、他校の生徒である事を皆に忘れさせる程にアジトのメンバーとして馴染んでおり、その中でも特に自分は目金と交流を育んでいると萌は自負していた。
そんな目金に初めて原稿の手伝いを頼んだのは凡そ四、五ヶ月前の事。その時は秋葉名戸の仲間達にアシを頼めた為、飽くまで買い出し等の雑用をメインで手伝って貰うために声を掛けたのだが、試しにベタ塗りや消しゴム掛けも頼んでみると意外にも目金はそれらを全て器用にこなしたのだ。ならこれはどうだ、これは出来るかと色んな仕事を振ってみたら、どれも過不足無く仕上げ見せ、それ以来萌は同人用原稿を手掛ける時は必ずと言っていいほど目金に声をかけるようになった。正直なところ、目金のアシスタントとしての技術は特別何かが秀でているわけではない。目金以上に仕事が速く、作業が丁寧な知り合いもいるにはいるのだが『漫画萌の仕事を手伝う事』そのものを、その都度喜んでくれるのは彼特有の反応であった。
ネームを見せるといつもキラキラと輝いた目でそれを読み進め、高揚しきった表情で感想を告げる目金の反応は見ていて心地よい。その反応が見たいが為に彼に手伝いを頼んでいるという自覚はある。一ファンとして、友として、真剣に執筆の手伝いをする目金との時間を萌は楽しんでいた。
「……あのー、先生?漫画萌先生?」
「えっ、何?どうしたんだい目金くん」
「いえ、先程から手が動いていないので。お疲れなのかなと」
心配そうに此方を見つめる目金の言葉に、作業の手が止まる程に自分がぼんやりしていたと気が付く。これは一度休憩を入れないと駄目だなと判断し「少し休憩しようか」と目金に声をかける。
「飲み物を入れてくるけど、紅茶で良いかな」
「ええ、お願いします」
手持ちの作業が一区切りしたのか、目金は凝り固まった背中や首をほぐして休憩スペースであるソファへと向かう。そんな彼を横目に萌は戸棚から茶葉の入った缶を取り出す。前回は目金も通いやすい立地であるという理由からアジトで作業をしていたのだが、今回は諸々の兼ね合いで自宅に目金を招いて作業をしてもらっている。アジトでの作業と違い自室に設けた作業部屋での作業は落ち着いて原稿を進められるのだが、直ぐ気が抜けてしまうのがネックであった。
「はい、どーぞ」
「有り難うございます」
目金に紅茶の入ったマグカップを手渡し、自身も隣に座って紅茶を啜る。
「ようやく作業も終わりが見えて来たね。唐突にネタが下りてきてその勢いのままイベントに申し込んだのが確か二か月位前だろう?それからネームを描き終えてすぐに目金くんに手伝いを頼んだけど、あれからどれくらい経ったかな」
「僕も正確な日時は把握出来ていませんが、僕が泊まり込みで作業をし始めてから一週間は過ぎたかと」
「え、もうそんなに経つかい?」
今回の作業は事前に手伝って貰える人材が目金しかいないと分かっていた為比較的早めに声をかけ、プライベートの全ての時間をこの作業に割いて貰っているのだが、それでもそんなに経っていたのかと想定外の答えに萌は驚きを隠せなかった。
「まだ締め切りまでいくらか余裕はありますが、当初の予定より進みは遅いですね。僕は萌先生の仕事場で作業させて貰えているというこの状況を楽しんでいますが、先生に取ったらただの仕事場ですし、執筆ペースが落ちるのも仕方がないかと」
「そう言われてみると自宅はアジトと違って静かな分作業に飽きやすいのかもしれないね。……あ、そうだ。次に原稿を仕上げる時は旅館の一室でも借りてみようかな」
「旅館、ですか?」
「ああ。薄暗い見慣れた部屋の中で閉じ篭るよりも、きれいな景色を見ながら作業をする方が筆も乗ると思わないかい?」
「成程、流石は萌先生!嘗ての文豪たちも旅館の一室にこもり作品を書き上げたと言いますし、現在では原稿執筆プランを旅館側が売り出しそれを求める利用者も多いと聞きます。つまりは旅館の一室を借りての作業は一定以上の効果をもたらしているという事!その時が来たら是非僕もご一緒させてください!」
何気なく口にした現実逃避の提案に、目金は提示した本人以上に目を輝かせ楽し気に笑ってみせる。
この目金が度々見せる全力で気力に満ち溢れた反応を、萌はとても好ましく思っていた。常に前を向き一所懸命に目の前の物事に取り組む姿勢は萌が持ち合わせていないもので、まぶしさすら覚える。そんな目金の笑顔が、今日は何故だかいつも以上に輝いて見えて、自然と目線が口元へと向かう。
小さい口だな、と思うと同時に手が動き、右手が目金の頰に添えられる。そして__
「 、……」
柔らかいな、というのが初めに感じた事。唇の柔らかさに男女差は無いのだろうか、とまで考え、はたとぼやけた思考が急停止する。
(……え、僕今何をした?!)
今自分は目金にキスをした、と理解すると萌はさあっと全身から血の気が引いていくのを感じた。なぜ自分は目金にキスをしたのか。その理由も分からぬまま、萌はどうにか弁明をしようと何の当てもなく口を開く。
「ぁ、目金くんっ。これ、は……」
違うんだこれは。キスなんてするつもりはなかった。
そう続けるはずの口は、目金の顔を見てぴたりと止まる。
見事なまでに真っ赤に染まった顔に、嫌悪のカケラもない羞恥のみで形作られた表情。状況が飲み込めず言葉にならない小さな音をこぼし続ける目金は、哀れなまでに混乱しきっており、隙だらけで可愛らしい。
その『可愛い』という感想を抱くと同時に、なぜ自分が目金にキスをしたのか、今まで目金に抱いていた好印象の数々が自分の中の何に結びついていたのか、それらの答えがストンと萌の中に降りてきた。
「__っな、なななな、何で、どうしたんですか萌先生!?どうして僕に、…っき、キスを……!?」
「……」
「どうして黙っているのですか!?……あ、そうです。きっとお疲れなんですよ!今日の作業は終わりにして、少しでも長く休息を!」
「目金くん」
「っ!……な、何ですか萌先生」
「僕、君の事が好きなのかもしれない」
そう告げると、目金はぴたりと動きを止め、恥ずかしさと困惑が入り混じった表情を萌に向ける。
ああ、やっぱり可愛いなと再び思い直し、自分の中にある思いが勘違いでないかを確かめるべく、もう一度、今度は己の意思で萌は目金に口付けた。