美しき月夜に溶けゆく今日は陰暦9月13日。
後の月とも呼ばれる十三夜の月見をする、そんな日だ。
満月ではないが、風情のある月なのだろうと猗窩座は古典の授業で聞いたときにそう思ったことを覚えている。
今日はその十三夜だ。
学校のあとにバイトをした帰り、高校2年生である猗窩座は人気のない深夜の道を歩いて帰っていた。
月は猗窩座にとって馴染みのあるものだ。昔……鬼であった頃、つまりは前世の記憶となるのだが、猗窩座は太陽のない夜にこそ活動していた。陽光で溶けてしまう自分たちにとって月の光は温かいものだったのだと思う。今思えば、ではあるが。
月の満ち欠けで時の流れを感じる。
満月よりも、その少し前という十三夜。それは何処か欠けている自分には印象深く思えた。
(今もそうだ。俺は鬼、人ではないもの。
人間として生まれたとしても、俺は決して人にはなれない…、なれるわけがない)
美しい月明かりに照らされようとも、太陽に溶けぬようになったとしても、鬼は鬼でしかないのだから。
(……だったら、俺はどうして生まれてきてしまったのだろうな)
狛治から別れ、双子とはいえ別々の存在として。
(ま、答えは簡単だ。狛治に俺の罪を被せるわけにはいかないからな。あいつには恋雪と師範を幸せにする責務があるんだから)
思わず浮かんだ言葉に猗窩座はふっと自嘲した。
(責務…か。一番償わなければならないのはお前に対してだろうな、杏寿郎)
あの夜に出会った男。
鍛え上げられていた闘気。
纏う炎がとてつもなく美しかった炎柱、煉獄杏寿郎。
猗窩座が殺した相手。
そして―――
「杏寿郎……」
誰よりも、欲した人間だった。
(そうだな、この命。お前に殺されるためにあるのなら本望だ。だがきっと、お前は俺に見向きもしないだろう。お前は太陽の下を歩むものだ。俺とは違う)
自分はせいぜい月の、満月になれない月の下くらいしか歩けない。
否、暗闇でしか歩いてはならないような存在なのだから。
「杏寿郎……もし、今生でお前を一目見ることができたのならば……それだけで俺は生まれた意味を感じられるだろうよ」
なんてな、と猗窩座が思考を止めようとした瞬間だった。
猗窩座の心臓を止めるような声がしたのは。
「そうか、それはよかった。俺も君に会えてようやく感じられた。生きている喜びを」
猗窩座の背中からした声。
振り返ったそこにいたのは獅子のような男。
記憶の中と変わらぬ闘気を身に纏った青年。
「きょ、杏寿郎…なのか」
「久しぶりだな、猗窩座。再会したばかりだが君に伝えたいことがある」
「……なんだ。なんでもいえばいい。お前にはその権利がある」
猗窩座はそう言って下ろしたままの両手をキツく握りしめた。
「では遠慮なく。猗窩座、君を貰い受けたい」
「………は?」
「君が俺に対して負い目を持っているならそれを利用してでも、あの夜逃した君を手に入れさせてもらう」
「ちょ、ちょっと待て。
どういう意味だ?奴隷でもなれということか?」
杏寿郎はははっと笑うと猗窩座へと一歩、また一歩と近づいて
「その心も身体も俺のものにしたいという意味だよ、猗窩座」
よく見ればあの夜よりも歳が上に見える男は猗窩座では太刀打ちができないほどの色香を放ちながら
「ずっと欲しかった。俺だけの愛しき鬼」
耳元に低く囁いて猗窩座の薄く色付いた唇へ己のそれを重ね合わせた。
絶対に逃さないとばかりにキツく抱きしめながら。
美しいと呼ばれる十三夜。
その光に照らされていた二人は……そっと月からも隠れるように闇へと消えた。
猗窩座はそれ以来狛治達の前から消えた。
みんなは心配をし、懸命に探したが
ただ一人、双子の片割れである狛治だけは
「……きっと幸せだと思うから、俺は探さない」
そう、空高くにある白色の月を見ながら呟いていた。
end
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