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    天空の宴イベストを拡大解釈または捏造したネロ晶♂

    #ネロ晶♂

    I want early morning teaイベスト「天空の宴に春を招いて」読了推奨。

    精霊たちと夢のようなひと時を過ごし、ヘレナとヘレナの両親にお別れを言って、晶と魔法使いたちは魔法舎に帰ってきた。

    「さーて、と。誰かに荒らされてねえか心配だからキッチン見に行きたいんだけど、もう行っていいんだよな?」

    労働を終えたばかりだというのに、ネロはもう次の仕事に取り掛かるつもりらしい。ちょっとくらい休んでもいいのに。と晶は思うのだけれど、ネロが自ら望んでキッチンに立つというのであれば、反対はできない。

    「はい、大丈夫ですよ。今回は本当にありがとうございました」
    「無理はなさらないでくださいね」
    「何かお手伝いできることがあったら、言ってください!」

    晶にできるのはネロの意思を尊重して、彼の背中を見送ることだけだ。晶が礼を述べたあとに、ルチルとミチルがネロに温かな声をかける。

    「どうも。気持ちだけありがたく頂戴するよ」

    照れ臭いのか、二人の厚意をさらりと受け流してネロはキッチンへと去っていった。シャイロックがくすり、と吐息まじりの笑みをこぼす。

    「つれない人。けれど落としにくい城ほど、攻略してみたくなってしまうというものですから悩みは尽きませんねえ、賢者様」

    呼ばれて晶の心臓が飛び跳ねる。晶はバクバクと鳴る心臓をなだめながら、シャイロックを見た。

    「あの、どうして俺に振るんです、か……?」
    「そのほうが楽しめるかと思いまして」

    シャイロックがにこりと花のかんばせで微笑む。そのほうが、と、楽しめる、の間にはもちろん私が、もしくは私たちが、という主語が入るに違いない。
    これだから西の魔法使いは! 晶はなんと答えてよいかわからず貝のように沈黙した。耳がかっかと火照っている。

    「あ、耳が赤くなってる。賢者様はかわいいなあ」
    「クロエ、賢者様をからかうのもほどほどに」
    「わかってるよ、ラスティカ。ラスティカはこのあと何をするの?」
    「部屋で楽譜を起こすもりだよ。宴の最中にとても素敵な曲ができたから、忘れないように書き残そうと思ってね」
    「じゃあ俺は賢者様たちに作った服をアレンジしようかな。急ごしらえで作ったから、手を入れたいところがたくさんあるんだ」
    「では我らもここで解散しようかのう。みな疲れたじゃろう。ゆっくりと休むがよい」
    「皆さん、今日は私たち家族のために宴に参加してくださって、ありがとうございました」

    ルチルが改まって感謝の言葉を紡ぐ。いえいえ、どういたしまして。こちらこそありがとう。そんな和やかな会話のやり取りを終えて、魔法使いたちは魔法舎のどこかに散っていった。
    彼らが玄関ホールからいなくなるのを見届けて、晶もまた動き出す。

    「このまま部屋に戻ってもいいんだけど……」

    昨日から晶はずっともやもやしている。ネロが取ったある行動がどうしても受け入れられなくて、気持ちの踏ん切りがつかない。ネロ本人に言ったところでまともに取り合ってもらえないのはわかりきっている。
    ならば――。

    「俺じゃなくて他の誰かから言ってもらおっと」

    ネロが強く出られない相手。ネロを諭すのが上手い相手。ネロを言い負かすことのできる相手を味方につけよう。
    あとでネロから何か言われるかもしれないけれど、彼がきちんと反省してくれるのなら、多少汚い手を使っても許されてしかるべきだと晶は思うのだった。



    賢者たちと別れ玄関ホールからキッチンに直行したネロは、水回りや床や調理道具が汚れていないかを見て回り、食料貯蔵庫に手をつけた奴がいないかを確認した。
    自分が不在の間、悪さをした人間はいないようだとわかり、ネロはようやくひと息つくことができた。
    木製の椅子に座って熱々のコーヒーを飲みながら、夕食のメニューを考える。昨日は魔法舎に残っていたヒースたちが魚のムニエルを作ったらしい。

    「んー……昨日が魚だったなら、今日は肉か? 肉料理、肉料理……」

    精霊たちの住処で散々飲み食いしたため、ネロの腹はふくれている。晶や行動を共にしていた魔法使いたちも同様だろう。
    振る舞うならさっぱりした味付けで軽い口当たりの料理のほうがよさそうだ。

    「そういや群青レモンが余ってたよな」

    果物は早く消費しなければ腐ってしまう。今日の夕食は鶏肉を群青レモンの汁と油に漬け込んで、照り焼きにしたものに決まりだ。あとはスープとサラダとパンがあればいいだろう。

    「よし、先に下ごしらえだけしちまうか」

    日が暮れるまでまだ時間はあるが、先に鶏肉だけ汁に漬け込んでおこう。マグカップに残っていたコーヒーを一気に喉に流し込み、ネロはのんびりと立ち上がった。そのとき。

    「――ネロ」

    聞き慣れた声がネロを呼んだ。振り返ればヒースクリフがこちらの様子をうかがうようにキッチンの入り口に立っていた。

    「ヒース、どうした? 俺になんか用事?」
    「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

    ヒースクリフが口を閉ざして黙り込む。憂いを帯びたような顔をして、あてどなく視線をさまよわせる彼を見てネロはぴんと来た。
    何か言いたいことがあるのに言い出せないとき。もやもやした気持ちを抱えて途方に暮れているとき。ヒースクリフは置いていかれた迷子のような顔をする。

    「悩み事があんなら聞くよ。まあ、俺よりファウストのほうが相談相手には向いてると思うけどさ」
    「っ! そんなことない!」
    「おわっ」

    急に語気を強くしたヒースクリフにネロは目を丸くした。何がなんだかわからないが、自分はどうやら彼の地雷を踏んでしまったようだ。
    ヒースクリフが憤懣やるかたないとばかりに眼差しを鋭くしてネロを睨む。ヒースクリフが自分に対して怒りをあらわにするなど初めてのことで、ネロは困惑するほかない。

    「ヒース?」
    「ネロはすごい魔法使いだ。ファウスト先生だってそう言ってる。シノだってネロにはよく懐いてるし……。親切で、強くて、頼りになるって。俺もネロみたいに上手く人と付き合ったり、優しくできたらいいのにっていつも思ってる」
    「えーっ、と……。褒めてもらえんのは嬉しいけどさ、俺が誰かに良くしてやるのはただの処世術だぞ。そんな立派なもんじゃない」

    ネロがやんわり否定すると、ヒースクリフは勢いよく首を横に振った。ぶんぶん、と風を切る音さえ聞こえてくる。頑なになったヒースクリフを解きほぐすのは至難の業だ。

    (さて、どうしたもんかねえ……)

    ため息をつきそうになり、すんでのところでこらえる。ヒースクリフが何に怒っているのか皆目見当もつかない。ヒースクリフをなだめようとすればするだけ、火に油を注いでしまうような気がする。ネロはじっと黙ってヒースクリフの出方をうかがった。
    形のよい唇が薄く開き、ぽつり、とつぶやきがこぼれ落ちる。

    「……ネロもシノも自分を大事にしなさすぎるよ」
    「うん?」

    ネロはぱちぱちと瞬きをした。ヒースクリフの言葉を吟味し、嚙み砕き、咀嚼し――そして点と点がつながった。

    「あー……もしかしてだけど、賢者さんになんか聞いた?」

    ネロがおそるおそる尋ねると数秒の間を置いてヒースクリフはこくんと首肯した。

    (賢者さん~~~~~っ!)

    あの野郎やりやがった。ネロはその場で頭を抱えてうずくまった。晶への罵詈雑言が脳内で乱舞する。本人には口が裂けても言えない数々の下品なスラングが頭をかすめては消えていく。

    「ち、ちなみに、何を……?」

    ネロが視線を上げて訊くとヒースクリフは苦虫を噛み潰したような顔をして教えてくれた。

    「賢者様を庇って腕を噛まれたって。本当は避けられたけど、相手が人間じゃないってことを証明するためにわざと襲われたって」
    「その話、賢者さんにはしてねえはずなんだけどなあ、ハハハ……」

    乾いた笑い声をあげながらネロは遠い目をした。ヘレナの家に泊まった夜、ネロは確かにそんな話をした。ただし相手は晶ではない。シャイロックである。

    ――あなたはなぜわざわざフェッチに腕を噛まれてやったのです?

    二人きりになったときシャイロックから探りを入れられ、ネロはこう答えた。

    ――それが一番手っ取り早いだろ?

    と。ヘレナに化けたフェッチが外に飛び出てきた瞬間から、ネロは正体を見抜いていた。
    直前にスノウが言った通り、「彼女」は希薄で異様な気配をまとっていた。それでネロにも「彼女」が人間ではないこと、本物のヘレナが連れ去られたことがわかった。
    フェッチが晶に飛びかかるのを見てとっさに間に入ったが、攻撃をかわそうと思えばいくらでもかわせた。しかし相手が精霊の作り出した幻影であるならば、傷を負ったとしても痛みはなく、すぐに消える。
    その様を見せてやれば、晶もヘレナの両親も、ヘレナが「すり替えられた」ことをすんなり受け入れるだろうとネロは踏んだ。
    人間の中には自分たちの子供が精霊にさらわれた事実から目をそむけ、魔法使いに罪をかぶせる者もいる。そういった事態を回避するためにネロはわざと「被害者」になり、ヘレナのまがい物が「加害者」になる構図を作り上げたのだ。

    ――そういうの、俺は得意だからさ。
    ――ええ、そうでしょうね。ですけれど、今の話を聞いたらルチルとミチルは怒るでしょうね。彼らは南の国も、そこに暮らす人々も愛していらっしゃいますから。
    ――だからチクるのは勘弁してくれよ。今度あんたのリクエスト聞いてやるから。
    ――ふふふ。私たちを悪意から遠ざけるために、我が身を犠牲にしてくださったあなたの心意気に免じて、私からは吹聴しないで差し上げましょう。

    そんなやり取りをシャイロックとした。さしものシャイロックが相手では、嘘も誤魔化しも通用しない。彼の気が済むように洗いざらい実情をぶちまけて、ネロは「お願い」をするしかなかった。

    (私からはって、そういう意味かよ……そりゃねえぜ)

    私からは吹聴しないというのは、つまり、ネロの行動を怪しんだ誰かから何かを聞かれれば答えを教えるということだ。
    晶はネロが我が身を犠牲にして自分を庇ったことが不服だったに違いない。しかし賢者の魔法使いが賢者を守るのは当然だ。ネロに不満を表明してもあっさりかわされるか、上手く丸め込まれてぐうの音も出なくなると晶は踏んだのだ。だからネロに対しては何も言わず「ありがとうございます」と穏やかに微笑んで感謝の念のみを示した。
    そし胸中に溜め込んだやり場のない思いを吐露する相手にシャイロックを選んだのだろう。彼らがどんな会話を交わしたのかネロにはたやすく想像できる。
    賢者の魔法使いにただ守ってもらうだけの自分が腹立たしい。何もできなかった自分が悔しい。あの場にはほかの魔法使いもいたのだから、ネロが噛まれる前にフェッチを止める手立てはいくらでもあったはずなのに――。
    そんなふうに晶がぼやいたのだとすれば、シャイロックは「賢者様が気になさる必要はありませんよ」と答えるだろう。「ネロの行動はすべて故意によるものなのですから」と。
    シャイロックの返答を聞いた晶は不審に思い、事の真相を追求しただろう。いつどこで晶がネロの行動の真意を知ったかはわからないが、彼はきっと悲しんだはずだ。
    自分たちの身の潔白を証明するために、ネロにそこまでさせてしまったこと。何も気付けなかったこと。ネロが晶に何も話さなかったことに傷付いたはずだ。
    そして怒ったのだ。怒ってネロへの意趣返しを計画した。
    ネロが魔法舎に帰ってきてすぐヒースクリフはキッチンにやって来た。晶から南の国でネロが何をしたのか、なぜそうしたのか彼はすべて聞いたのだろう。
    だからこそ目の前にいるヒースクリフはもどかしそうな顔をして立っているのだ。

    (賢者さん、あんた、とんだ策士だぜ……)

    ネロにお灸を据えようと思ってヒースクリフをけしかけたのなら作戦は大成功だ。とっくのとうになくしたと思っていた良心がずきずきと痛む。
    今にも泣き出しそうな様子のヒースクリフにネロは目を泳がせるしかない。

    「俺はネロが死んだらすごく悲しいよ……。だから自分の体は大切にしてほしい。賢者様を守るために戦うのは仕方のないことだけど、自分のことも守ってほしいんだ」

    潤んだ瞳がネロを見上げる。水の膜の向こうにあるサファイアが切なげにゆがんでいて、ネロは何も言えなくなった。
    こんなふうにヒースクリフを悲しませるつもりはなかった。しかし自分の行動がヒースクリフのトラウマを刺激したのは確かだ。グランヴェル城でミノタウロスと戦ったとき、シノはヒースクリフを守るために自分を犠牲にしようとした。
    ヒースクリフはそのことをずっと怒っている。彼は大切な人が誰かのために命を落とすことをいつも恐れている。
    ネロはそれを弱さだとは思わない。ヒースクリフが抱える怒りや恐れは、自分たちが誰かにとってかけがえのない存在なのだと教えてくれる。

    「ごめんな、ヒース。心配させて悪かった。今度からはもう芝居はしません。むやみに他人を疑いません。だから許してくれ。な?」

    だからネロにできるのは素直に自分の非を認めて、謝罪をすることだけだった。
    この通りだ、とネロが手を合わせて頭を下げると少しの間を置いて頭上からひそやかなため息が降ってきた。

    「本当なら約束をして、と言いたいところだけど……」

    おそるおそる顏を上げる。と、ヒースクリフは利き手の指先で涙をぬぐいながら、かすかに苦笑していた。

    「いや、約束は勘弁してくれ……」
    「そう言うと思った。俺こそごめんなさい……自分の意見を押し付けるような真似をして。きっと嫌な気分にさせたと思う」
    「……、……申し訳ないと思うんなら、賢者さんにさ、言ってくれない? ネロは反射的にあなたを庇ったんです、他意はなかったみたいです、ってさ」
    「それはちょっと遠慮したいかな」

    晴れやかな顔つきになったヒースクリフがきっぱりと言い切る。優柔不断で気が弱いと思われがちだが、東の魔法使いの中で誰よりも勇ましいのはきっとヒースクリフだ。一度こうと決めたらてこでも動かない。誰にも流されない。
    ヒースクリフだけが持つまぶしさと頑なさがネロにはとても好ましかった。



    人数分の夕食を作り、温めれば食べられる状態にしてキッチンのテーブルに並べておく。
    調理器具を洗って片付けを終えると、ネロはワインボトルとグラスを携えて魔法舎の裏手に広がる森へと向かった。
    自分は粘り強いほうだと自負しているが、さすがのネロもそろそろ体力と気力が尽きかけている。今夜はもうキッチンには戻らず、のんびりと月見酒を楽しむつもりだ。
    頭上に広がる薄明の空では夕焼けと宵闇が縄張り争いをしていた。色層の境目が溶け合って、ビロードのような濃紺と郷愁を誘うオレンジ色がマーブル模様を描く中ちかちかと星が瞬き始める。

    (星の数は南の国のほうが多かったな……)

    ぼんやりと物思いにふけっていたネロは、遠くから聞こえてきた「マッツァー・スディーパス!」という声を耳にして目を瞬かせた。
    声を頼りにのんびりと歩いていくと、森を蛇行しながら貫く小川に出会う。開けた視界の先には大鎌を威勢よく振り回しているシノと、彼を指導しているらしいファウストの姿があった。

    「サティルクナート・ムルクリード」

    ファウストが呪文を唱えると小川から風船ほどの大きさをした水泡が浮かび上がる。数十もある水泡がふよふよと宙を漂いながら、シノの周囲を取り囲む。
    その水泡を鎌の切っ先が勢いよく切り裂いていく。

    「マッツァー・スディーパス!」

    シノが呪文を唱えるのと同時に鎌が縮小し、腰に肉薄していた水泡がバシャン! と弾ける。ファウストとシノの様子を眺めていたネロは目を眇めた。

    (なるほどな)

    シャーウッドの森の番人たるシノは若い魔法使いにしては強い。各国に名前が知られているほどの猛者だ。だがシノの戦闘スタイルは大味で、器用な立ち回りは得意ではない。
    それがいつか命取りになるかもしれないとファウストは常々危惧している。

    (だから今の内になんとかしてやろう、って魂胆なのかねえ……)

    水泡の距離と動き方を正しく予測し、大鎌のサイズを変幻自在に変えられるようになれば、狭い場所でも自由に戦えるようになるだろう。
    集中している二人の邪魔をするのは気が引ける。そもそも今顏を合わせるのは気が進まない。真木晶は普段は温厚だがへそを曲げるととても厄介な生き物なのである。
    シャイロックが晶に漏らした情報は、間違いなくファウストとシノにも伝わっているだろう。ネロの罪悪感を煽って反省を促すため、晶ならそうするはずだ。

    (見つからない内に移動しよ)

    そう思ってネロが体の向きを変えた丁度そのとき。見計らったかのように強い風が吹き、宙に浮く水泡がネロの正面に流れてきた。

    「あ」
    「あ」
    「やっべ」

    ざざ! っと水泡を追いかけてきたシノがネロを目にして立ち止まる。丸くなった赤い瞳は、サンダースパイスによく似ていた。
    ぎこちなく首を動かせば無表情のファウストが自分を凝視している姿が視界に入る。ネロは曖昧な微笑を浮かべて口を開いた。

    「あーっと……訓練の邪魔しちまって悪い。俺は行くから気にせず続けてくれ。じゃあ」

    軽く手を振ってネロはそそくさと立ち去ろうとした。しかしそう簡単に問屋をおろせるはずもなく。

    「ネロ、きみが任務先で魔物に襲われたと賢者から聞いた。ヒースがずいぶん心配していたぞ」
    「いや、あの」
    「彼はきみの実力を疑っているわけじゃない。この場合はきみが選んだ行動と理由が問題だ。ただ、僕も事情をかいつまんで聞いただけだからな。時間があるなら、きみの真意を聞かせてほしい」
    「ファウスト、俺今日はもうめちゃくちゃ疲れて、」
    「取り替え子の存在を証明するために、きみの腕を差し出してやったというのは本当か?」

    冴えて冷たく底光りする眼差しがネロを射抜く。ネロは自分に逃げ場がないことを悟った。
    ファウストを煙に巻くのは容易ではない。今の彼は沸騰寸前のぬるま湯だ。言い訳や弁解をしようものなら、かんかんに怒り出すだろう。
    ファウストが本気で怒り狂うさまを想像して、ネロは頬を引きつらせた。

    (数百年先まで呪われそう……)

    何せ相手は凄腕の呪い屋である。これはもう素直に自分の非を認めて謝罪したほうが賢明だ。

    「ファウスト先生、ごめんなさい」
    「それは何に対しての謝罪だ?」
    「えー……そこまで言う必要ある?」
    「ネロ」

    ファウストの怒気が膨れ上がる。シノはどうしたらいいのかわからないようで、借りてきた猫のように大人しい。
    他者との関わりを避けて生きていたファウストが、怒りをあらわにするほど自分に心を砕いてくれている。
    それがネロには不思議だった。不思議でむずがゆくて、けれど嫌ではない。

    「わかった、わかった。ちゃんと全部話すって。今回の任務で俺は判断を誤った。俺らは賢者の魔法使いで悪さはしない。子供がおかしくなったのは、魔法使いの仕業じゃなく、ほかの何かが原因だ。それを村の奴らにわからせるために一芝居打ったわけだが、やり方が間違ってた」

    ネロは勝算があったからこそ賭けに出た。ネロが胸の内を明かせば晶が心を痛めることもわかっていた。それでも魔法使いが疑われ、ほかの奴らが堪え忍ぶしかないのを見るほうが嫌だった。

    「自分がどうなってもいいと思ってたわけじゃない。自分を大事にしねえ奴を、死にたがりを傍から眺めてるのは最悪だ。俺はそれを誰よりも知ってる。なのに同じ思いを賢者さんやヒースにさせちまった。ファウストにも。だから……悪かった」

    勝手に人間を疑って自分を犠牲にする前に、事前にきちんと晶やほかの魔法使いたちと話をしておくべきだった。南の国の村人が賢者の魔法使いに罪をなすりつけようとした場合、自分たちはどうするべきなのか。
    それをしなかったのはネロの怠慢で落ち度だ。

    「シノも悪い。お前の大切なご主人様を危うく泣かせちまうところだった」

    ネロが名前を呼ぶとシノはぴくりと肩を揺らした。ファウストの顔とネロの顏を交互に見比べて、シノがおそるおそる口を開く。

    「俺はヒースやファウストとは違う。ネロは自分にしかできないことをやっただけだ」

    どうやらシノはネロに共感してくれているらしい。ネロが思わず口元をほころばせると、ファウストに「喜ぶな」とたしなめられてしまった。

    「賢者の魔法使いが危険や非難から賢者を守るのは当たり前のことだ。俺だってヒースを襲ったり、悪口を言う奴らには容赦しない。ヒースを守るためならどんな手だって使う」

    子供の言葉は夜の森に重たく響いた。ネロとファウストはそっと目配せをし合う。シノの忠誠心の強さは魔法舎の誰もが知っている。確かに彼はヒースクリフの身に危険が迫ったとき、命を捨てることさえためらわないだろう。
    だからこそネロは賢者だけではなく自分自身も守るべきだったのだ。彼らの良い模範となるように。
    ファウストがネロを軽く睨む。無言の圧を受けてネロは肩をすくめた。ファウストに言われるまでもなく、自分のやるべきことはわかっている。
    ネロは川原の砂利を踏みしめながらシノに近付いた。シノの頭を撫でてことさら優しく語りかける。

    「褒めてくれてありがとうな、シノ。けど……さっきも言った通り、今回俺がやったことはする必要のないことだった。取り越し苦労にもほどがあったんだ。俺は悪いことをした。だから賢者さんやヒースやファウストは怒って俺に説教してる」
    「役目を果たしただけだろう」
    「でも、余計な世話を焼いちまった。初めましての相手を色眼鏡で見るのは失礼だ。たとえばヒースが将軍になったとして、親の七光りだとか、魔法使いだったからなれたんだって言われたら、腹が立つだろ?」
    「それは、そうだな」

    シノが眉間にしわを寄せて鼻白む。ネロはよしよしと頷いた。

    「俺は失礼なことをした。だからヒースとファウストに謝ったんだ。……わかるか?」
    「ああ、わかった。俺たちの品位が疑われるような馬鹿をあんたはこっそり仕出かしたってことだな? それが俺たちにばれて気まずくなってるってことだろ?」
    「……まあ、そういうことなんだけどさあ。シノはたまにファウストより厳しいよな」
    「そうか?」

    シノがこてんと首を横に倒す。その無邪気な仕草にネロは苦笑せずにはいられなかった。張り詰めていた空気が和らいだところで視線をファウストに戻す。

    「しばらくその辺ぶらついて、魔法舎に戻るわ。今頃やきもきしてるだろうからさ、賢者さん」
    「……そのほうがいい。僕たちに仲間を売った罪悪感で、頭を抱えているだろうからな」

    和解は成功したらしく、ファウストの怒気はすっかりほどけていた。穏やかな顔つきになったファウストが、睦言を紡ぐようなやわらかい声色で呪文を唱える。

    「サティルクナート・ムルクリード」

    きらきら輝くシュガーをネロの手の平に乗せて、ファウストは優しく微笑んだ。

    「お帰り、ネロ。きみたちが無事に帰ってきてくれて何よりだ」



    ファウストやシノと別れ手酌でワインボトルを空にしたのち、ネロは魔法舎に戻った。キッチンにも自室にも寄らず、ネロは真っ直ぐに晶の部屋を訪う。
    コンコンとノックの音を響かせれば、ドアの向こうから「はーい」と間延びした返事があった。
    ドアが開かれ、パジャマ姿の晶がひょっこりと顏を出す。眠たげな顔をしていた晶は気だるげに立つネロを見て、瞬時に表情を切り替えた。

    「あ、あの……」

    鉛を飲み込んだような面持ちでこちらを見上げる晶に、ネロはにぃ、と歯をむき出しにして笑う。わざとらしい笑顔はときとして他人にプレッシャーを与えることをネロはよく知っていた。

    「ちょっと賢者さんと話したいんだけどさ。……中入ってもいい?」
    「あ、う……」

    まるっこくて愛くるしい瞳が宙を泳ぐ。本当はネロの申し出を断りたくて仕方がないけれど、下手なことを言って彼を怒らせるのが怖い――。晶の考えがネロには手に取るようにわかった。
    袋小路に追い詰められた晶がよこす答えはひとつしかない。

    「ど、どうぞ」

    晶が後ろに下がって半開だったドアを全開にする。ネロは「こんな時間にごめんな」と形ばかりの謝罪をして、晶の部屋に足を踏み入れた。後ろ手にドアを閉めて、晶をつぶさに観察する。
    部屋の真ん中に立つ晶はずいぶんと居心地が悪そうだった。腹の辺りで手を組んで、二本の親指をいじいじと動かしている。

    「あの、話って……」
    「わかってるだろ?」

    ネロは大股で晶に歩み寄った。一気に距離を詰めて腰を屈める。吐息がかかる距離まで顏を近付けると、晶は耐えられないとばかりに視線を逸らした。

    「俺とシャイロックの内緒話が、なんでか東の奴らに漏れてた。ヒースには泣かれそうになるし、ファウストには遠回しに責められるし、シノには馬鹿呼ばわりされるしで、散々だった」
    「う、あう」

    晶が無意識に背中を反らし、ネロから遠ざかろうとする。晶の体がぐらついたので、ネロは咄嗟に彼の腰に腕を回した。
    お互いの胸がぴったりと密着する。ネロの体の下で晶の胸は忙しなく波打っていた。呼吸も心なしか乱れている。

    「ヒースもファウストも同じことを言ってたよ。任務先で俺が何をしたか、賢者さんから聞いた――ってな」
    「ネロはお、怒ってるんです、か」

    晶のかすれた声がネロの鼓膜を震わせる。晶は目尻にいっぱいの涙を溜めていた。潤む瞳の中に皮肉げな笑みを浮かべた自分がいる。

    (あー、やっべえ。今の賢者さんめちゃくちゃかわいいな……)

    気を抜けばすぐさま下半身が反応してしまいそうだ。ネロは煩悩を理性で抑え込みながら、わざと晶に淡々と語りかける。

    「まあまあ、って感じかな」
    「まあまあ」
    「そ、まあまあ。俺は責められても仕方のないようなことをやった。それは事実だ。だからヒースの感傷も、ファウスト先生の説教も、シノの馬鹿発言も甘んじて受け止める。けど、それとこれとは別」

    ネロは真上から晶の顏を覗き込んだ。密着しているのが恥ずかしいのか、晶は耳を赤く染めている。ネロの怒りに触れてどうしていいかわからず挙動不審になっているのが最高にかわいい。

    「賢者さんが俺に直接不満をぶつけてくれなかったのは正直きついよ。俺たち、付き合ってんのに、さ」

    魔法舎に帰ってきてヒースクリフと話をしてから、ネロもまたもやもやしたものを抱えていた。
    大々的に公表はしていないが、ネロと当代の賢者である真木晶は恋仲なのだ。賢者の魔法使いたちは言及はしてこないが、おそらく自分たちの関係に気付いている。
    魔法舎で一緒に暮らす内に、ネロは晶を好ましく思うようになっていた。
    魔法使いではないただの人間が、一生懸命に自分たちを理解しようとしてくれている。異世界の人間である晶はこの世界や自分たちを守るために命を危険に晒すことさえためらわない。
    陽だまりのような温かさで、猫のような伸びやかさで、自分たちの在り方を尊重して見守ってくれている晶のそばは居心地がよかった。なるべく一緒にいたいと気付いてしまったら、もう駄目だった。
    それは晶のほうも同じだった。どうしたら晶の故郷の味を再現できるのか、いつも頭を悩ませているネロを見ていたら、いつの間にか恋に落ちていたと彼は言う。
    不器用で臆病で他人に裏切られるのが怖いのに信じることがやめられない。そんなネロの優しさが好きだと晶は言った。

    「賢者さんの口から聞きたかった。俺は馬鹿なことをしたって。俺の考え方は傲慢だって」
    「そ、そこまでは、さすがに……」

    晶がふるふると首を横に振る。ネロは思わず苦笑した。長い寿命の中で彼のような賢者に仕えられることを、ネロは誇りに思う。いつか別れるときが来るとしても、彼と過ごした時間はきらきらと輝き続けるはずだ。
    海図もコンパスもなく夜の海に繰り出したとき、行くべき道を示してくれる星のように。

    「でも腹が立ったのは、本当です……。何も起こらない内から予防線を張るなんて、どれだけ疑り深いんだろうって思ったし、悲しかった。もっと人間を信じてくれてもいいのにって……。でも俺たちのためにネロがしてくれたことを、否定するのも嫌だったんです。本音を言っても上手くかわされるだけかも、っていうのもありました」
    「……、……それは」
    「ないとは言いませんよね? ネロが俺のことわかってくれてるみたいに、俺だって多少はあなたのことをわかってるつもりです」
    「……うーん」

    今度はネロが何も言えなくなる番だった。晶の言い分は一理ある。東の魔法使いたちにあそこまで干渉されなければ、ネロの心は動かなかったかもしれない。
    晶が気に病むことなど何もないと一蹴して笑って終わらせていたかもしれない。

    「そう、だな……。実は賢者さんの本音を聞きたくて、さっきから怒ってる振りしてたんだけどさ」
    「え……? 振り? え、え?」
    「やっぱり俺が先に謝るべきだよなーって今話聞いて痛感した。今回の件は俺の器の小ささが引き起こしたようなもんだから……ほんとごめんな。南の国の奴らを端から信用できねえって決めつけたことも、賢者さんを庇うために自分を犠牲にしたのも、最良の方法じゃなかった。でも、これだけは言っとくぞ」
    「は、はい……」
    「俺に不満があったら、次はすぐに言ってくれ。恋人の不満を受け止められないほど、ちっさい男じゃないつもりだからさ。それが原因で俺が賢者さんを嫌いになったり、愛想尽かしたりすることは絶対にねえから」
    「う、うううう」

    ネロの言葉によほど安心したのか、晶がぼたぼたと涙の粒をこぼし始める。

    「お、俺も、ごめんなさい……。陰口を言うような、陰湿な真似をしたりして……。本当はシャイロックにもやんわり言われてたんです……これは二人で内々に話し合うべき問題だって。でも、ネロなら許してくれるって打算もあって、」
    「まあ、それは、賢者さんが俺を信頼してくれてるってことだから、もういいって。それより――さ」
    「う、うう、なんでしょう」
    「しばらくご無沙汰だったし、俺そろそろ限界なんだけど……付き合ってくれる?」

    ネロは晶の腰にぐっと股座を押し付けた。晶がはっと息を呑む音が聞こえ、ほんのり朱色に染まっていた頬が真っ赤になる。

    「お、お好きなように……」

    羽虫の鳴くような声で晶が返事をする。ネロは胸の内で荒々しく拳を突き上げた。
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