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    あの世界でGWみたいなものがあり、まほたちに休暇を出す賢者のお話。

    #ネロ晶♂

    すくう人 前半魔法舎で晶に割り当てられている部屋はふたつある。
    プライベートな時間を確保するための寝室と、書類などを整理するための執務室。このふたつだ。
    執務室は応接室も兼ねていて、魔法使いか賢者に何らかの用事があって訊ねてきた客人をもてなすために使われることもある。
    最近は異変の調査・報告、魔物の討伐依頼も少なく、晶は今日もせっせと執務室で書類仕事に励んでいた。
    クックロビンに文章の翻訳を手伝ってもらいながら、書類の山を今日決裁するべきものと、そうでないものとに選り分けていく。

    「あ、来月の食費の請求書が来てますね……。そっか、もう月末だから……あとでネロに渡しに行かないと……」
    「僕でよければお預かりしますよ。ネロさんにお渡しするついでに、今月分の余りも回収してしまいますね」
    「ありがとうございます! そうしてもらえると助かります。こっちは……カナリアさんからの休暇申請書……?」
    「あっ」

    クックロビンが素っ頓狂な声をあげたのと同時に、執務室のドアがノックされる。
    晶が座ったまま「どうぞ」と入室を促すと、ドアが開いてカナリアが銀のワゴンを押しながら入ってきた。
    ワゴンには茶器一式とかわいらしい見た目のお茶請けがお行儀よく鎮座している。

    「失礼いたします、賢者様。紅茶とお菓子をお持ちしました。少し手を休めてはいかがです?」
    「わあ……今日のお菓子も美味しそう……。いつもありがとうございます、カナリアさん」
    「いいえ、これが私の仕事ですから」

    カナリアがにこりと微笑み、ティーカップや砂糖の容器を目の前にある執務机に並べていく。
    てきぱきと立ち働くカナリアにクックロビンは声をかけない。ただ静かに口元をゆるませ、愛おしげな眼差しを自身の妻に向けている。
    公私混同はしない。けれどふとした仕草や表情で互いを気遣い、想い合っているのがわかる。
    そんな二人を見ているのが、晶はとても好きだ。
    紅茶がティーカップに注がれ、手元に差し出される。
    少しだけぬるくなっている紅茶は乾いた喉にちょうどよかった。
    一息ついたところで晶はカナリアに問いかける。

    「カナリアさん、すみません。この書類のことなんですけど……」

    休暇申請書を見せながら、晶は首を傾げる。

    「革命記念祭の期間中、お休みしたいって書いてありますよね。革命記念祭って……なんですか?」
    「あら」

    カナリアは目を丸くし、次いでとがめるようにクックロビンを見やった。

    「まだ賢者様にお話していなかったの?」
    「いや、今日の朝に話そうと思っていたんだけど……」
    「忘れてしまっていた、というわけね。もう……仕方のない人」

    自分の失態を笑って誤魔化そうとするクックロビンに、カナリアは半眼になった。呆れたようにため息をつき、晶のほうへと向き直る。

    「賢者様、この国では年に一度、いくつかの祝日と暦で定められた休日が連続する期間があるんです」
    「それが革命記念祭?」
    「はい」

    カナリアが金色の髪を揺らして頷く。

    「中央の国の初代国王、アレクが率いる革命軍が最後の戦いに勝利した日を祝う終戦記念日。グランヴェル王朝の成立を祝う建国記念日。アレクを偉大なる勝利へと導いたとされるファウストを称える聖者ファウストの日。この三日間の祝日と暦上の休日が二日間続くのが革命記念祭です」
    「はあ、なるほどです」

    つまり日本でいうゴールデンウィークみたいなものだな、と自分の知識と照らし合わせながら晶は相槌を打った。
    それにしても祝日になってしまうなんて、ファウストってやっぱりすごい魔法使いなんだなあ。本人からすれば嫌がらせ以外の何物でもないだろうけれど。

    「この革命記念祭の間はほとんどの人がお休みを取るんです。城下町のお店はほとんど閉まりますし、農家も畑には出ません。田舎から奉公に出てきた人たちは、この革命記念祭中に里帰りをすることが多いんです。それで……私と夫にもお暇をいただけたらと思って」

    カナリアが両手の指をもてあそびながら、困ったように笑う。

    「夫は王都で生まれ育ちましたけれど、私は辺境の村の出身ですから。こんなときでもないと、両親に顔を見せられなくて。……賢者様や魔法使いの方たちのお役に立つために通ってきているのに、我がままを言ってしまって申し訳ないんですけれど」
    「いやいやいや。そんなことないです。ちっとも。まったく。我がままなんかじゃないです」

    魔法舎で暮らし始めてからというもの。クックロビンとカナリアには大変お世話になっている。この世界での常識、しきたり、礼儀作法を晶に教えてくれているだけではない。
    晶が魔法舎で快適にくつろげるよう、彼らがいつも周囲に目を光らせ、細々と心を砕いてくれているのを知っている。
    そんな二人からのお願いを断れるわけがない。彼らが息抜きするために自分にできることがあるならば、喜んで協力したい。

    「久しぶりの夫婦水入らず、ぜひ楽しんできてください。美味しいお土産期待してますね!」

    晶はえいや! 勢いよく休暇申請書に許可の判を押した。カナリアとクックロビンが顔を見合わせ、ぱあっと顔を明るくする。

    「ありがとうございます!」
    「ありがとうございます、賢者様!」

    心底嬉しそうに声を弾ませる二人を見上げて、晶は満面の笑みを浮かべた。



    夜の魔法舎の食堂は、魔法使いたちでにぎわっている。ドアの隙間から漏れ聞こえる活気に満ちた喧噪に耳を傾け、晶は相好を崩した。
    晶はいわゆるカギっ子で、共働きの両親はすっかり日が暮れてから帰宅することが多かった。小学生の頃から晩ご飯は一人で食べるのが当たり前で、こちらの世界に来てから晶は初めて大勢で食卓を囲む楽しさを知った。
    心許せる仲間たちと一日の出来事を語り合いながら食べるご飯はとても美味しい。食事の時間になったら、必ず誰かが食堂にいるこの毎日が愛おしい。
    だからこそ、親しい人たちと共に過ごす時間をみんなにも大切にしてほしいと晶は思う。
    晶がドアを押して食堂に入ると、リケと額を寄せ合ってくすくす笑い合っていたミチルと目が合った。

    「あ、賢者様!」

    ミチルの呼び声で晶の存在に気付いた魔法使いたちが話をやめて視線を向けてくる。一気に注目の的になった晶は、若干の気恥ずかしさを覚えながら「みなさんお疲れさまです」と頭を下げた。
    きょろきょろと辺りを見回せば、ムルとカインの間に空席がある。カインの隣には珍しいことにオーエンが座っていた。
    カインの左腕に両腕を絡ませ、小動物みたいに肩口に頬をすり寄せているのを見て、晶はぎょっとして動きを止めた。諦めの表情を浮かべたカインが無言で首を横に振る。なるほど。今食堂にいるのは傷のほうのオーエンらしい。
    晶はそっとオーエンを視界から外した。

    (だ、大丈夫、なのか……? ここにはみんなもいるのに)

    オーエンの傷のことがばれてしまったら大変だ。晶はハラハラしながら周囲の様子をうかがう。幸いにも同じテーブルに着いているムルとシャイロックは、オーエンの奇行を気にも留めていない様子だった。
    オーエンが気まぐれを起こして、カインに嫌がらせをしている、とでも考えているのだろうか。わからない。晶が悶々としていると、不意にシャイロックと目線が合った。
    一瞬の間を挟んでシャイロックがふっと意味深に微笑む。

    (ばれてる!? ばれてない!? どっち!?)

    どちらにせよ、シャイロックもムルもオーエンを無視する心積もりらしい。晶は冷や汗をだらだら流しながら椅子に座る。

    「ねえねえ、賢者様! 俺たちに話ってなあに? 全員を集めるなんて何があったの? またどこかで大事件? それはどきどきすること? それともわくわくする? 悲劇? 喜劇? どっちでも俺は大歓迎!」

    晶が腰を下ろした瞬間にムルは畳みかけるように問いかけてきた。期待に瞳を輝かせているムルを見て、隣に座るシャイロックがやれやれと肩をすくめる。

    「早とちりはいけないぜ、ムル。もしかしたら賢者様は合コンを開きたくて俺たちを呼び出したのかもしれないじゃないか」

    何も言わないシャイロックに代わって、カインがムルをたしなめる。合コンという単語に反応して、オーエンが身を乗り出した。カインの鼻先に顔を近付けて、オーエンが唇を動かす。

    「合コン? 合コンがあるなら、あまーいお菓子がたくさん食べられる? ぼく、合コンだいすきなんだ」
    「うん。わかった。わかったから、俺の膝から手をどけてくれないか……あと近い。顔が近いぞ、オーエン」
    「ぼく、騎士様の顔がすき。目もすき。色が違ってとってもきれい。ジャムみたいにきらきらしてる」
    「……褒めてくれるのは嬉しいんだが……頼むから離れてくれないか。お前とキスなんかしたら、あとが怖いんだ」

    カインとオーエンのぎこちない会話を右から左へ聞き流し、晶はえへんと咳払いをした。食堂と厨房の主であるネロに目配せをすれば、彼が小さく頷いてGOサインを出してくれる。

    「みなさん、お忙しい中集まっていただいてありがとうございます。夕食の前に俺のほうからみなさんにお話したいことがあります。できるだけ手短に済ませるので、最後まで聞いてもらえると嬉しいです」

    ふ、と吐息をこぼして晶は立ち上がった。
    不安そうにしている者。そっぽを向いている者。興味深そうに話の続きを待っている者。
    十人十色の反応を示す魔法使いたちの姿を視界に収めて晶は声を張り上げる。

    「みなさんも知っての通り、魔法舎は不必要な混乱を避けるために中央の国の暦に則って運営されています」
    「もしかして賢者ちゃん、他の国の暦を採用したいとか?」
    「じゃったら、祭日が一番多い国にしておくれ!」
    「南とか!」
    「西とか!」

    額縁の中にいる双子が「ん?」と小首を傾げて見つめ合う。
    二人の間でバチッ! と火花が散ったような気がして、晶は慌てて口を開いた。

    「魔法舎の運営方式を変えるわけじゃないです……っ! 誤解しないで」

    今は夜。オズは魔法を使うと眠ってしまう。双子が本気で喧嘩を始めたら誰にも止められない。
    自分の話がきっかけで魔法舎が半壊状態にでもなったら、今この場にいないアーサーに顔向けできなくなってしまう。
    晶は口早に畳みかけた。

    「カインやリケは知ってると思うけど、今度中央の国では革命記念祭があります。その週はみんな仕事を休んで家族と過ごすと聞きました。お城の内郭が開放されて、様々な催しも行われるみたいです」

    革命ウィーク――革命記念祭がある週、では長すぎるので晶はそう称することにした――の間、グランヴェル城の内郭は浅草のようになるらしい。
    飲食物やお土産を売る屋台がずらりと並び、曲芸師がショーをやり、たくさんの人でにぎわうそうだ。王家が執り行う祭事も間近で見学できるらしい。

    「世間の人たちがみんな休んでのんびり過ごすのに、ここにいるみなさんだけが労働を強いられるのは不公平だと思います。なので――革命ウィーク中は、魔法舎を閉鎖することにしました。異変の調査も魔物の討伐も受け付けません。アーサーも了承済みです。五日間のお休みが終わるまで、みなさんは自由です! ……よっぽどの大事件が起きたら話は変わってきますけど……とにかく! ブラッドリー以外はどこで何をしていても構いません。この機会に存分に羽を伸ばしてください。以上です!」

    晶が話し終わるのと同時に食堂は沸いた。わ! と歓声があがり、誰かがピュー! と口笛を吹き鳴らす。「ふざけんな! 俺にも休みを満喫させろ!」とブーイングをあげる者も一人だけいたが、晶の提案はおおむね好意的に受け入れられたようだ。

    「五日間もお休みがあるなら、久しぶりに里帰りができますね! みんなで一緒に帰りましょう、フィガロ先生! レノさんも!」
    「うん、そうだね。街の人たちに会えるのが楽しみだよ」
    「そろそろ山小屋の様子を見に行きたいと思っていたところだ。……丁度いい」
    「ルチル……チレッタの墓は」
    「え?」
    「チレッタの墓はどこにあるんです?」
    「えっと……母様と父様の墓は雲の街の共同墓地にありますけど……。ミスラさん、もしかして墓参りをしてくださるんですか!?」
    「まあ……たまには顏を出さないとあの世から呪われそうな気がするんで」
    「わああ、ありがとうございます! 二人ともきっと喜びます!」
    「リケは? リケはどうしますか? 教団に帰るんですか?」
    「いえ……僕は教団には帰るつもりはありません。でも他に行くところも、行きたいところも僕にはありません。ですから……」
    「だったら、ボクたちと一緒に雲の街に行きませんか?」
    「え……?」
    「ね、いいですよね、兄様。リケをボクたちの家に泊めてあげても」
    「もちろんだよ、ミチル。リケ、よかったら休暇中に私たちと楽しい思い出を作らない? 私たちが育った雲の街はとっても素敵なところだから、リケに見せてあげたいんだ。ミチルも私と同じ気持ちだと思う」
    「その通りです、兄様。ね、リケが嫌じゃなかったら、一緒に来てください」
    「っ……! ではお言葉に甘えてお二人のお家に泊まることにします。ルチル、ミチル、ありがとうございます!」

    南の魔法使いたちの話を聞いて、晶はひそかに緊張をゆるめた。実を言えば、魔法舎を閉鎖しようと決めたとき、リケの存在だけが気がかりだったのだ。リケは教団と魔法舎以外の居場所を持たない。けれど教団には帰りたくないと今のリケは思っている。
    もしもリケが魔法舎に残ることになったら、彼が寂しくならないように色々な案を練ろうと思っていたけれど、晶の心配は杞憂に終わったようだ。

    「ねえねえ! シャイロックはどうするの!」
    「そうですね……たまには神酒の歓楽街で店開きと洒落込みましょうか」
    「わーい! 俺もシャイロックと一緒に行くー!」
    「ラスティカ! 俺とシルクの名産地に行こうよ! 前に話してたとこ!」
    「もちろんいいよ。クロエとの二人旅は久しぶりだから、楽しみだな」
    「ブラッドリーちゃんは我らと一緒に北の街に行くんじゃぞ!」
    「奉仕活動に取り組むなら、刑期が短くなるかもね!」
    「クッソ……足元見やがって……いつかぜってえぶっ殺してやる……」
    「きゃーこわーい!」
    「おっかなーい!」
    「「きゃっきゃ」」

    うきうきとした面持ちで休暇の過ごし方を話し合う者たちがいる一方、オズやファウストなどは眉ひとつ動かさず、淡々とした素振りを貫いていた。

    「嵐の谷の隠れ家に帰るのも悪くはない、が……」
    「あの……ファウスト先生。よかったら、ブランシェット家にお出でになりませんか」
    「きみの家に?」
    「はい。両親はファウスト先生にとても感謝しているんです。それで一度ゆっくりファウスト先生と話がしてみたいって」
    「旦那様と奥様の願いだ。聞き入れろ、ファウスト」
    「シノ! 先生に向かってその言い方は……」
    「まあ、構わないよ。きみたちの両親は魔法使いについて正しい知識を仕入れるべきだ、と僕も前から思っていた。いい機会だ。きみの招待を受けよう、ヒース」
    「あ、ありがとうございます! 嬉しいです!」
    「お前らがブランシェット領に行くってんなら、俺は一人でのんびりするかな。そろそろハーブの収穫時期だし」

    どうやらファウストとネロの予定も無事に決まったらしい。素直に喜ぶヒースクリフを見て、ファウストはまんざらでもなさそうな顏をしている。革命ウィークがなければ、ヒースクリフがファウストを家に呼ぶことはなかったかもしれない。休暇中に交流を深めて彼らの結びつきはより確かなものになるのかもしれない。
    魔法舎を閉鎖する、という判断がただの独り善がりではなかったことに晶は心底安堵した。

    「何このバカ騒ぎ……」

    大いに盛り上がっている魔法使いたちを微笑ましい気持ちで眺めていると、不意に地を這うようなおどろおどろしい声が近くから聞こえてきた。晶はぎくりと身を強張らせる。
    おそるおそる振り返れば、オーエンが触れれば切れてしまいそうな眼差しで食堂全体を睨んでいた。

    「お、やっといつものオーエンに戻ったな」
    「なんで僕の隣に騎士様が座ってるのさ」

    禍々しい不機嫌オーラを醸し出すオーエンに晶は冷や汗が止まらない。しかしカインは臆することなくオーエンと会話のやり取りを続けている。さすがとしか言い様がない。

    「それは逆だ。俺の隣にお前が座ってきたんだ」
    「…………あっそ。で、今日はなんでこんなにやかましいの。食事は?」
    「食事はまだだ。みんなが騒がしいのは浮かれてるからだ。王都での革命記念祭が終わるまで魔法舎は一時的に閉鎖。俺たちは好きに過ごしていいらしい。賢者様がアーサーと掛け合って、俺たち全員に休暇をもらってくれたんだ」
    「ふうん……」

    オーエンが意味ありげな眼差しをよこす。晶をしげしげと見つめたのち、彼はにやりと口元をゆがめて笑った。

    「それってきみの面倒を見てくれる奴がここからいなくなるってこと? いいのかな。悪者が忍び込んできて、命を取られるかも。さらわれて、死んだほうがマシなくらいひどい目に遭わされて、泣く羽目になるかもね」
    「っ……! そんなことには、なりません。俺の身の安全を確保する方法については、考えるとアーサーが言ってくれてます」
    「ははっ。あの王子様に何ができるって言うのさ。理想ばかり追いかけて、現実が見えていな、」
    「オーエン」

    オーエンの言葉を遮ったのはオズだった。晶の正面に座っていたオズが、腕組みをして、無言でオーエンを見据える。全身から放たれているすさまじい怒気に晶は「ひ……っ!」と小さく悲鳴を漏らした。
    オーエンはオズと晶の顏を交互に見比べ、フンと鼻を鳴らした。自身の劣勢を悟ったらしく、むすっと唇をとがらせて黙り込む。晶は胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。

    「えっと……それで、休暇中、カインとオズは何をして過ごすんですか!?」

    ひりついた空気をなんとか和ませようと、晶はわざと明るい声を出す。晶の意図はカインに正しく伝わったらしい。彼もまた「ああ! そうだな!」と大げさな相槌を打ちながら応えてくれた。

    「両親をこっちに呼ぼうと思ってる。去年まではこの時期は殿下の護衛で忙しかったからな。今年は両親とあちこち見て回るつもりだ」
    「親孝行ってやつですね。楽しそうでいいなあ。オズは?」
    「……グランヴェル城の警備をする」
    「ああ、なるほど。今年はそういう配置になったのか」

    カインが訳知り顔でうなずく。晶は首を傾げた。何がなるほどなのか、晶にはさっぱりわからない。
    晶が頭上に疑問符を掲げていると、カインは苦笑しながら説明してくれた。

    「これは自慢でもなんでもないんだが……俺が騎士団長の任を解かれてから、近衛兵の戦闘力は著しく低下している」
    「カインは優秀ですもんね」

    弱冠22歳の若さで騎士団のトップにまで上り詰めたカインの実力は並大抵のものではない。武力だけではなく、軍師としても彼は遺憾なく才能を発揮している。カインが騎士団にいるのといないのとでは、大きな差があるのだろう。

    「おまけに魔法科学兵団は今使い物にならない。となれば、警備の穴を埋めるためにオズを引っ張り出すのは極めて正しい選択だ。しかしオズ、警備なんてよく引き受けたな。普段は城を避けてるのに」
    「……余計なことを言うな」

    オズが苦虫を噛み潰したような顔をする。晶とカインは顔を見合わせてくすくすと笑った。オズがグランヴェル城の警備を請け合ったのは、私情によるものだと二人ともわかっている。

    「殿下も今頃、張り切って祭事の準備に取り掛かってるだろうな」
    「ちょっとした授業参観ですね。アーサー、喜ぶだろうなあ」
    「アーサーは無関係だ」

    眉間にしわを寄せてオズが言う。その台詞はあまりにも白々しかったが、晶とカインは何も言わずにオズの主張を受け入れた。
    ざわめきがある程度収まったところでネロが今夜の食事を運んでくる。出来立てほかほかのスコッチエッグは頬が落っこちそうなほどに美味しくて、晶はとても幸せだった。

    ----------------------------------------------------------------------

    「こうして王子様にかけられた呪いはとく、とき、解かれ? お姫様と幸せ、に……えーと、この単語なんだっけ……。あ、暮らすの変化形? ってことは、幸せに暮らしました……おしまい!」

    ああぁああおわったああぁああ。
    読み終えた絵本をパタリと閉じて晶は一気に脱力した。
    椅子の背もたれに寄りかかり、図書室の高い天井を見上げてつぶやく。

    「今日のノルマしゅーりょー……っ!」

    やったああぁあああ。風船から空気が抜けていくように語尾がしぼんでいく。疲労感と達成感がにじむ声は誰に聞かれることもなく、宙に漂って消えた。

    「今更だけど……」

    繊細なタッチで描かれた表紙絵を矯めつ眇めつしながら晶は苦笑を漏らす。

    「オズってほんとにいろんな絵本に出てくるなあ……」

    しかも善良な魔法使いとして、ではなく、悪い魔法使いとして登場する数のほうが圧倒的に多い。
    今晶が手にしている絵本に出てきたオズも、王子様に呪いをかけて石像に変えてしまう悪者だった。
    その風貌は毛むくじゃらの醜い野獣で現実のオズとは似ても似つかない。アーサーがこの絵本を見たら、きっとまた怒り出すに違いない。
    アーサーに見つかる前にルチルに絵本を返しに行こう。この時間帯なら中庭で青空教室をやっているはずだ。
    借り物である絵本をしっかりと抱き締めて晶は図書室を出た。
    廊下を歩きながら、それにしても、と晶は思う。

    「継続は力なりって上手いこと言ったもんだなあ」

    子供向けの絵本を一週間に一冊読破する。
    賢者業に慣れてきておおよそのルーチンが出来上がってから、晶はそんなノルマを自分に課した。
    今のところそのノルマは毎週きっちり達成できている。
    地道な勉強の賜物か、簡単な文章であれば自作の辞書を見なくても理解できるようになってきた。
    努力が実を結んで何もできない自分から、何かができる自分になれるのは嬉しい。
    晶はふくふくと笑いながら廊下を進む。と、角を曲がってヒースクリフとシノが歩いてくるのが見えた。

    「ねえ、シノ……。母上へのお土産はともかく、父上へのお土産がナイフってやっぱりまずくないか……?」
    「そんなことはない。ヒースが買ったナイフは最高級の鋼で作られた一級品だ。商人もそう言ってた。酒や宝石や菓子なんかよりずっといいものだ」
    「そうかなあ……。あ、賢者様!」

    ヒースクリフが反対側にいる晶に気付いて笑いかけてくる。晶も笑みを返しながら二人に近付いた。

    「こんにちは。二人ともなんの話をしてたんですか?」
    「そうだ! よかったら賢者様の意見も聞かせてください。これについてどう思いますか?」

    ヒースクリフが指を振ると何もないところから長方形の木箱が現れた。蓋が勝手にずれて、中から美しい意匠のナイフが浮き上がる。
    刃は木箱の底が透けて見えるほど薄く、柄には蔦の文様が刻まれている。

    「このナイフについて、ですか……? とてもきれいだと思いますけど……?」
    「ああ、すみません! 肝心な説明が抜けていました。この品を贈られたら、賢者様はどう思いますか?」
    「え」

    予想外のヒースクリフの言葉に晶は口を閉じた。ナイフをまじまじと見つめ、晶は考えあぐねる。

    「そ、そうですねえ……。ちょっと使い道に困るかもしれないですね……? 護身用に持ち歩くのも怖いので、観賞用として部屋に飾る……かな?」

    さてこの答えにヒースクリフは満足してくれるだろうか。晶がそっとヒースクリフの様子をうかがうと、彼は眉根を寄せて険しい表情をしていた。

    「……そうです、よね。ナイフなんてもらっても困りますよね。シノ、やっぱり父上へのお土産は別の物にしよう。ナイフより美味しいお酒とかのほうが喜んでもらえるに決まってるって」
    「ヒース、旦那様と賢者様を一緒にするな。旦那様は生粋の武人だ。ブランシェット家の武器庫にあるどの武器よりもこのナイフは優れてる。お土産にするならこれが一番だ」

    二人の会話を聞いて晶はある程度の事情を察した。と同時に自分の失言に気付いて晶は慌てて口を開く。

    「あの、もしかして、ヒースはご両親へのお土産を何にするかで悩んでるんですか?」
    「ええと、実はそうなんです……」

    困ったように眉尻を下げてヒースクリフがうなずく。

    「さきほど市場に行って父上にはこのナイフを、母上には耳飾りを買ってきたんですけど、別の物にすればよかったかなって」
    「うわああごめんなさい! さっきは使い道に困るかもって言っちゃいましたけど、それはあくまで普段武器を持ち歩いたりしない俺の意見なので!」

    ヒースクリフが真に受ける必要などこれっぽっちもないのだと晶は鼻息荒く語った。

    「俺にはそのナイフの価値がわかりません。でも、シノが言う通り、ヒースのお父さんなら絶対にいいものだってわかってくれるはずです。ヒースはこのナイフを見たとき、どう思いましたか?」
    「単純にきれいだな、と。武器としても工芸品としても価値のある代物です。市場でたまたま見つけられた自分はなんて幸運なんだろうと思いました。父上がこれを手に取って喜んでいる姿が頭に浮かんで……気付いたら買ってしまっていたんです」
    「ヒースがお父さんのためを想って選んだ贈り物なら、お父さんもきっと気に入ってくれるはずですよ。それにヒースのお父さんは立派な軍人なんでしょう?」
    「ああ、そうだ」

    晶の問いかけに誇らしげに答えたのはヒースクリフではなくシノだった。シノが犬だったなら、きっと今彼は尻尾を激しく振っていたに違いない。想像して晶はふふっと微笑した。

    「ブラッドリーが銃を、ミスラが髑髏を魔道具にしているみたいに、大切なものは人それぞれです。誰かにとっては見た目が恐ろしくて近寄りがたいものでも、誰かにとっては目を奪われるくらい素敵なものかもしれない。俺はナイフや包丁を見たら怖いな、危ないなって思います。でも、ヒースのお父さんなら違う見方をするはずです」

    息を短く吸って吐いて。晶は言葉を続ける。

    「普段から武器を扱い慣れている人なら、こんなにきれいなナイフをプレゼントされて困ったりはしないと思います。それに自分の子供からのプレゼントなら嬉しいに決まってますよ。だから、自分の選択に自信を持ってください、ヒース。」

    晶が噛んで含めるように諭すと、険しかったヒースクリフの顔が徐々に和らいでいった。

    「ありがとうございます、賢者様。少し考えすぎてしまったみたいです。俺の悪い癖ですね」

    そう言ってヒースクリフが照れ臭そうに笑う。晶は何も言わずにうなずいた。

    「それじゃあ、俺は行きますね。ルチルに絵本を返さなきゃ」
    「はい、呼び止めてしまってすみませんでした。行こう、シノ。早く荷造りを終わらせないと」
    「ああ。頑固なヒースを納得させるなんてさすがだな、あんた。感謝する」
    「どうしてシノはいつも上からなんだよ……」

    子猫がじゃれ合うような会話をしながらヒースクリフとシノが去っていく。二人の背中を見送って、晶はぽつりとつぶやいた。

    「いいなあ……」

    帰れる家があって。待っていてくれる両親がいて。ちょっとだけうらやましくて、胸の奥がざわざわする。いやいやと晶はかぶりを振って、再び廊下を歩き出した。

    「俺って奴はなんて浅ましいんだ」

    魔法使いたちに休暇を与えると決めたのは自分なのに嫉妬するなんて。どうかしている。馬鹿げた思考を追い払うため、晶の足取りは自然と速くなった。
    玄関ホールから中庭に出て噴水を目指す。が、いつも青空教室が開かれているその場所は無人で、晶はあれ? と首を傾げた。

    「ルチルたちここにいると思ったんだけどなあ。もしかして図書室? 入れ違いになったとか? うーん……」

    今から図書室に戻るより、誰かを捕まえて魔法で探してもらったほうがいいかもしれない。みんなは今どこで何をしているのだろう。食堂に行けば誰かしらいるだろうか。それとも部屋を一つずつ訪ねたほうが手っ取り早いだろうか。

    「ああーっ!」
    「ん?」

    晶がどうしようかなあと考え込んでいると、不意に上から大声が聞こえてきた。驚いて頭上を振り仰ぐと、何十枚もの羊皮紙がひらひらと宙を舞いながら、中庭目掛けて落ちてくるのが見えた。

    「えっえっ」

    何が起きたのかわからず晶が目を点にしていると、半べそをかいたクロエが3階の窓から身を乗り出してきた。下を向いたクロエと羊皮紙の行方を追っていた晶の視線が噛み合う。
    晶の姿を見つけるとクロエは大きく目を見開いて声を張り上げた。

    「賢者様! 拾って! それ! その! 紙! 俺のデザイン画ー!」
    「デザイン画っ!?」

    それってめちゃくちゃ大切なやつ! 一枚も失くしちゃいけないやつーっ!
    晶は卒倒しそうになりながら、慌てて羊皮紙を集め始めた。地面に落ちている羊皮紙を猛スピードで片っ端から回収していく。
    クロエが中庭に到着する頃には、晶はすべての羊皮紙を拾い終えてしっかりと腕に抱き締めていた。

    「あ、ありがとう、けんじゃ、さま……ぜー、はー、ぜー、はー……っ」

    階段を全力疾走してきたのか、クロエは肩で息をしながら晶に礼を告げてきた。クロエの大切なデザイン画を手渡しながら、晶はふと脳裏に浮かんだことをつぶやく。

    「――魔法を使えば、わざわざ中庭に来なくてもよかったんじゃ?」
    「あ」

    クロエが口を大きく開けて硬直する。もしかして口にしたらまずかっただろうか。晶がはらはらしながらクロエの様子をうかがっていると、彼は無言のままうつむいた。
    じわ、じわ、じわり。
    クロエの耳が、頬が、首が、少しずつ朱色に染まっていく。それを見て晶の脳味噌は警鐘を鳴らした。冷や汗が背中を伝う。
    自分にあまり自信がないクロエの劣等感を刺激してしまっただろうか。辱めるつもりはまったく! これっぽっちも! なかったのだけれど。今日はなんだか失言をしてばかりだ。うかつな自分に嫌気が差す。
    晶が固唾を呑んで見守っているとクロエの頭がかすかに動いた。そろりと目線を上げて、クロエが「えへへ……」と照れ臭そうにはにかむ。
    クロエが泣き出さなかったことに晶は心の底から安堵した。

    「確かにそうだよね……。慌てすぎて魔法のこと忘れてた。恥ずかしいなあ」

    シャイロックに知られたら、あなたはまだまだ小さなつぼみのようですね。って遠回しに駄目出しされそう。
    少女のように頬を染めて身悶えるクロエは晶の言葉にあまりダメージを受けていないようだ。

    「もっと場数を踏んで腕を磨かないと。いつまで経ってもラスティカに追いつけないよ」

    素直にありのままの事実を受け入れ、反省し、次に活かそうとする姿勢には好感が持てる。まぶしくて直視できない。
    晶は目をすがめてクロエに問いかけた。

    「それにしても……何があったんですか? 羊皮紙がいきなり降ってきたので、びっくりしました」
    「ああ、うん。自分の部屋で旅支度をしててさ。今まで描いた服のデザイン画をベッドに並べてたんだよね。……窓を開けっ放しにしてたの忘れて」
    「あぁ、なるほど。それで風にいたずらされた?」

    そうそう、とクロエが苦笑しながら相槌を打つ。

    「ベッドに置いてたのが全部飛んでって、頭が真っ白になっちゃった。でも賢者様がいてくれてよかったよ! 本当にありがとう!」
    「いえいえ、どういたしまして。大切なデザイン画がなくならなくて、本当によかったです」
    「うん! 明後日から俺とラスティカが行くのはシルクの名産地なんだ! 織物とか服飾の工房もたくさんあるところでさ、デザイン画と照らし合わせながら生地を選ぼうと思ってて。計画がおじゃんになったら、ショックすぎて旅どころじゃなくなってたよ。ずっと魔法舎で塞ぎ込んで、そこら中にカビを生やしてたかも!」
    「あははっ。そうなったら俺が死に物狂いで魔法舎をきれいにするしかないですね。クロエが誰かに叱られないように」
    「うわあ、優しい。じゃあ賢者様が何かやらかして誰かを怒らせたときは、俺が庇ってあげるね! ……怖くて震えてたらごめんだけど」

    口を閉じて晶とクロエはしばし見つめ合う。数秒の沈黙が続き、どちらからともなく噴き出した。

    「ふっ、ふふふ、あはっ」
    「はは、あははっ!」

    腹を抱えて笑い転げる。ヒイヒイと浅い呼吸を繰り返しながら、晶は目尻に浮かんだ涙を指でぬぐった。

    「はー、はーっ、笑いすぎて腹筋がつるかと思いました……っ。想像しただけで、面白すぎて……くっ!」
    「この話もうやめない? 笑いが、止まらなく、なっちゃうから……っ!」
    「いや、すみません、そうですね、そうですよね」

    じゅげむじゅげむごこうのすりきれ拙者親方と申すはお立合いの内にご存知のお方もござりましょうが、と晶は冷静になれる呪文を胸の内で唱えた。すると次第に笑いの波が遠のいていき、晶は落ち着きを取り戻す。
    クロエもひとしきり笑って我に返ったのか、真顔で晶を見つめていた。眉根を潜めて心配そうな面持ちだ。

    「ねえ、さっき死に物狂いで魔法舎をきれいにするって言ってたけど、賢者様はどこにも行かないの? 休暇中はみんないなくなっちゃうんでしょ?」
    「あー…………」

    まさかそこに切り込まれるとは思わず、晶は言葉に詰まった。
    革命ウィークの初日は明後日に迫っている。そのため、魔法舎の中はいつもより騒々しい。魔法使いたちはみんな留守にするらしく、旅支度に追われている。
    つまり魔法舎に残る晶は一週間近く一人で過ごすことになる。
    あれがないこれがない。どこに行こう。何をしよう。お土産に何を買おう。
    舎内を練り歩いているとそんな話ばかりが聞こえてくる。みんな生き生きとしていて、楽しそうで、その光景を見る度に晶は魔法舎を閉鎖することにしてよかったなあとしみじみしてしまう。
    魔法使いたちが休暇を喜んでくれているのが嬉しい。嬉しいのに、なぜか、たまにどうしようもなく悪態をつきたくなるときがある。

    (クロエは俺を心配するけど……旅に誘ってはくれない……)

    一緒に行こうよ。俺とラスティカと賢者様の三人で。そんなふうに言ってはくれないのだと、ひねくれた物の見方をしてしまう。
    優しいクロエは自分が一緒に行きたいと言ったら快く承諾してくれるに違いないのに。
    何も口にしないくせに誘われるのを待っている自分が、ないものねだりをしている自分がいる。それが嫌で嫌でたまらない。
    さっきだってそうだった。
    故郷に帰れない自分の前で、喜々として両親のことを語るヒースクリフが少しだけうとましくて、どろどろした黒いものがあふれそうになった。
    こんな醜い自分がいることを誰かに知られるのは耐えられない。
    晶は無理やりに笑ってみせた。

    「俺は大丈夫ですよ。たまには一人でのんびりしたいなあと思ってたので、今回は渡りに船ってやつです」
    「本当? それならいいんだけど……でも……」
    「クロエ」

    なおも何かを言い募ろうとするクロエの言葉を晶は故意にさえぎった。

    「俺は俺で革命記念祭を楽しみますから。クロエも気にせず、旅を楽しんできてください」
    「うん……わかった! お土産たくさん買ってくるから期待しててね!」

    晶がきっぱり言い切るとクロエはもう何も言わなかった。茶目っ気たっぷりに片目をつむって、クロエが踵を返す。部屋に戻ろうとするクロエに晶はひらひらと手を振る。
    中庭からクロエがいなくなると、晶は顏をうつむけた。持っている絵本を強く強く抱きしめる。

    「ルチルの部屋に行って、いなかったら図書室に戻ろう……」

    自分の胸がとげとげしているのがわかる。だからこそルチルに会って癒されたい。まるで陽だまりのように温かなルチルの笑顔を見て、声を聞いて、強張っている肩をほぐしたい。
    このままではきっとぼろを出してしまう。ほころびを看破されてしまう。そうなる前に、真木晶が抱えている郷愁だとか子供っぽさを封じてしまいたい。
    晶は早足でルチルの部屋に向かった。しかし晶の足はドアの正面で止まってしまった。
    探していたルチルは自室で作業をしていたらしい。それはいい。けれど彼は一人ではなかった。

    「兄様! 里帰りをしたら、レノさんとリケと一緒に夜のレイタ山に行ってみてもいいですか!? 山頂で日の出を見てみたいんです!」
    「黄金色の朝日が霧に包まれた峰々を照らし出す様は、とても幻想的で美しいそうです。僕からもお願いします」
    「ふふ、二人ともそんなにはしゃいで……。レノさんが引率を快く引き受けてくださるなら、私は構わないよ。でも夜の山道は危険だ。夜行性の妖精たちにいたずらされることもあるから、くれぐれも気を付けて行くように」

    はーい! とまだ声変わりを迎えていない少年二人が元気よく返事をする声がドアの向こう側から聞こえてくる。晶はドアノブからそっと手を離した。
    一歩、二歩と後ずさり、気配を消しながら踵を返す。

    「いいなあ……」

    とぼとぼと廊下を歩きながら、晶は無意識につぶやいていた。はっと我に返り、口を押さえる。慌てて辺りを見回すが、幸いにも周囲に人影はなかった。

    (せっかくみんなが盛り上がってるのに、今の発言を聞かれたら、心配されてしまう……)

    楽しい空気に水を差してしまうことだけは望まない。
    けれど。

    「俺にも誰かがいてくれたらよかったのに……」

    遠慮なく甘えられる誰か。弱音を吐き出せる誰か。プライベートな時間を一緒に過ごせる誰か。
    自分を一番に優先してくれる誰か。
    そういう人がいてくれたらいいのに。
    この世界では賢者は重要人物だけれど、ただの真木晶はそうでもない。魔法舎に集った魔法使いたちには晶以上に親しい人たちがいて、その輪の中に飛び込む図太さを自分は持たない。
    にじみ出てきた涙を手の甲で拭いて、晶はズズと鼻水をすすった。
    涙ぐみながら歩く彼を双子が視界に捉え、顔を見合わせたことなど知る由もなく。
    晶は背中を小さく丸めて、こそこそと自室へと帰っていった。
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