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    花子。

    @tyanposo_hanako
    絵や文を気分で楽しんでいます。

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    花子。

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    ジュンが日和から逃亡する王国パロディ(全年齢版)。
    これで全体の1/3くらい…?
    ここから先は、完成してからまとめて投げます。

    #ひよジュン
    Hiyojun

    太陽からの逃避行(仮)

    今、自分は凶悪な顔をしているだろうな、とジュンは心の中で自嘲する。現に、風呂を済ませて日和の部屋へ足を踏み入れた途端に、既にベッドに入って本を片手にくつろいでいた日和がギョッとしてジュンを見た。
    「……ジュンくん? どうしたの、やけに長風呂だと思ったらすごい顔で出てきて……」
    「……」
    今夜、なんとしてでも成し遂げなければならないことがある。そのために、ジュンは生まれて初めての苦痛に耐えながら『支度』をしてきたのだ。ふぅ、と深く息を吐き出すと、日和の待つベッドに乗り上げ正座をして背筋を伸ばす。
    「おひいさん、あの、…………っ」
    「……?」
    ジュンの震える声に気付いて、日和は本を置いて身を起こす。何かあったのだろうか。はくはく、と開閉するジュンの口から漏れるのは意味を成さない吐息だけ。必死に声を絞り出そうとしているジュンから言葉が発されるのをじっと待つ。
    「……オレ……、あの、してきた、んで」
    「してきた? 何を?」
    「……び」
    「……? ジュンくん、聞こえないね」
    「だから、その……準備」
    「…………準、備?」
    「……わかるでしょ」
     半ば投げやりに、低く唸るように吐き捨ててジュンは視線を逸らした。膝の上で強く握りしめた拳を細かく震わせて、日和の反応を待っている。
    対する日和はというと、そんなジュンを目を見開いて見つめることしかできなかった。本当に? その一言だけが頭の中で延々と渦巻く。何しろジュンは、それをするのを酷く怖がっていたから。折を見て何度か誘ってはみたものの、色よい返事をもらえたことは一度も無かった。
    黙り込んでしまった日和に痺れを切らしたのか、ジュンは身を乗り出して、日和の手を縋るように掴んで握りしめながら必死の形相で日和に迫る。
    「……っ、今まで踏ん切り付かなくて、ずっとできませんでしたけど、……覚悟、決めてきました。だからオレのこと、その、だ………、」
    「……っ」
    「抱いて、ください」



     日和とジュンの関係は少々特殊だった。
    片や一国の王子、片や路地裏で野垂れ死ぬ寸前だった貧民。日和が偶然見つけて拾い上げてやったジュンは、聞けば住まいも働き口も失ったというのでほんの気まぐれで城に置いて仕事を与えてやれば、律儀に恩を返そうとそれはそれは良く働いた。そんなジュンがすっかり気に入って、いつしか自らの世話係として一番近くに置くようになり、その内にどういうわけだか日和はジュンを愛するようになってしまったのだ。
     日和がそれを告げれば当然ジュンは戸惑った。というよりも、焦った。何故ならばジュンも同じ気持ちを抱いていたから。拾われた恩から始まり、国のために身を尽くす姿に尊敬を抱き、いつしか憧れは恋慕に変わった。けれどそれは押し殺して墓まで持っていくつもりだったのだ。
    だからジュンはあれこれ言い訳を並べ立てて日和を拒んだ。男同士で何を言うのか、おまけに高貴な生まれの日和と自分が釣り合うわけがない、と。……だというのに、日和はそんな性別だの身分の差だの何だのを何一つ気にすることなく愛を向け、一切の遠慮なく落としにかかってくる。そうなると日和は目的のためには最善を尽くし手段を選ばないものだから、ジュンとしてはたまったものではなかった。
    正攻法でまっすぐに言葉で伝えてくる日もあれば、ジュンの良心に訴えかけるべく泣き落としなどを使ってくる日、少々過激なスキンシップを図る日もあった。正直、頬や額などの軽いキス程度ならば日常茶飯事と化していたのだが、そこに恋情が伴ってくるだけでどうしてこうも受け取り方が変わってくるのだろう。それはジュンの心に照れを産み、次第に身構えるようになり、日和への態度をぎこちなくさせた。
    意識させることには成功したものの、どうやらやりすぎたらしいと気付いた日和は少し距離を置くことにした。猛攻を緩めて、ジュンを休ませてやろうと。しかしその決断が最終的には決め手になるとは思っていなかったのだ。
    『ジュンくん、しばらくきみを側近から外そうと思うね』
    『……は、』
    『最近お疲れ気味だし、休暇をあげるっていうこと。ぼくの優しさに感謝してほしいね!』
    『……ああ、そういう……オレが疲れてるのはいったい誰のせいだと思ってんすかねぇ~。つうか別に、休暇とかいりませんよ。だいたい、その間あんた身の回りのことはどうするんです?』
    『それは心配いらないね! 普段は任せているけれどぼくはなんでもできちゃうし。まぁ別の使用人を置こうとは思って、』
    『……嫌、です』
    『……ジュンくん?』
    ぽろっと零された本音。日和が目を瞠ると、ジュンはついうっかり口に出してしまったことを悔やむように俯いた。
    ジュンがあれこれと世話を焼かずとも日和だって自分でできてしまうこと。ジュンの代わりはいくらでもいること。わかっていたはずなのに、日和に愛されたことで、側近から外されることは無いだろうとどこか慢心していたのかもしれない。
    側近という立場は、ジュンにとっては日和の傍にいるための唯一の手段。しかし日和からしてみれば、応えてもらえない相手を傍に置き続けるなど辛いだろう。もしや休暇とは建前で、本当はとっくに愛想を尽かされていた、とか。そんな不安から、ジュンは無意識に唇を噛み締める。
    たとえ短い間だけとはいえ、日和の側近に自分以外の人間が就くなど考えたくもなかった。けれどみっともなく縋りつくような真似もしたくない。何も言えずにいると、日和の手が伸びてきて今にも噛みちぎってしまいそうだった唇を親指で撫でた。ハッとして力を緩めると、日和の手はそのままジュンの頬へ添えられる。力が込められているわけでもないのに、ジュンが日和から視線を逸らすことを許さない。
    『それは、どういう意味の嫌? 正直に言ってごらん』
    『……あんたの側近は、オレでしょう』
    『それだけ? だったら、休暇くらい取っても何もおかしなことはないよね。誰にだって当然にある権利だね』
    『……、』
    『ジュンくん。本当にそれだけ?』
     ジュンの睫毛が怯えるように震え、はくはくと呼吸が浅くなっていく。今までの一連の態度だけでもう、ジュンの想いは暴かれてしまったも同然だった。勝ちを確信した日和に遠慮をする理由はもう無い。
    『怖がらないでいいね、ジュンくん。きみだって、愛に手を伸ばしていいんだから。きみが必死にひた隠しにしているそれこそが、ぼくの欲しいものだってわからないわけがないよね?』
    安心させるようにもう片方の手も使って両手でジュンの頬を柔く包み込めば、おそるおそるといった様子でゆっくりとジュンの手がそれに重なる。
    『……あんたのことが好きだから、傍にいたいんです。おひいさん』
    押して駄目なら引いてみろ、とはよく言ったものだ。長きに渡る攻防の末、そうしてジュンはとうとう陥落した。



    けれど、身体を明け渡すというその一線がどうしても越えられなかった。
    興味が無かったわけではないが、肉体を貫かれる恐怖や不安は拭えない。それに孤独で貧しい生活をしてきたジュンはどうしても自分に向けられる愛情に臆病で、本当はずっと引け目があった。もちろん日和へ抱く感情に嘘は無い。引きずり出された日和への愛は膨らんでいく一方。それでも、心のどこかで本当にいいのかと迷っている。
    子を成すことのできない男の身体、日和には既に結婚している兄がいるため国の跡継ぎの心配はないが、長く続いてきた王家の血の一筋がここで途絶えてしまう。日和は良いと言ってくれた、日和の家族である王や王妃も日和の意思を尊重しジュンのことを受け入れてくれた。とはいえ、そのことに何も思わないでいられるわけがない。だから深い触れ合いにだけは踏み切れず、のらりくらりと避けてきたのだった。
    ……そんなジュンがとうとうその決断をした理由は、昨夜に遡る。
    ジュンが一人のところを見計らって、密かに声をかけてきた男がいたのだ。ジュンはとりわけ王家の権力を狙う数多の貴族たちから敵視されていた。城の内外問わず、二人の関係を良く思わない者は多くいた、時には心無い言葉や仕打ちを受けたことも。しかしこれまでは事が大きくならなかっただけで、とうとう強硬手段に出る者が現れたというわけだ。
    『日和王子の元から去れ。大人しく従えば命までは奪わない。逆らうならばお前だけでなく、王子の地位か命を脅かす』
    とある高貴な人物の使いだというその男の話は、ジュンにとって死刑宣告に等しかった。ジュンのことをよく調べているらしい、自身が傷付けられるよりも何倍も効果的な脅しだ。何の力も持たないジュンは為す術もなく頷く他に無かった。
    男は満足そうに計画を事細かに語り始める。ジュンには時期国王である日和の兄夫婦の暗殺未遂の容疑がかけられるらしい。そうすることで、日和からの愛と信用、未練を完全に断ち切ろうという算段だ。犯行動機は次男である日和に王位を継がせることでその婚約者であり元貧民のジュンが莫大な権力を得ようとしたという設定で、確かに信憑性の高い理由だろう、しかしジュンは権力など全くもって興味が無い。それを知っている日和がその綻びに気付いてくれることに一縷の希望をかけて、言及しないでおいた。
    公表は明後日の朝。それまでの期間は、この計画を口外しないことを条件に日和と共に過ごすことを許された。夜明け前に迎えを寄こすのでその者の手引きで国を出ろ、とのことだ。
     男と別れて、ジュンは残された時間で日和とできることをひたすらに考えた。まだ、日和と共にやりたいことがたくさんあった。本で見た遠い異国にいつか一緒に行ってみたいという夢も、春になってアーモンドの木の花が満開になったら近くの丘へピクニックへ行こうという小さな約束だってもう叶わない。そもそも明日も朝から夕まで通常通り公務があり、大掛かりな準備などは間に合わない。
    この身ひとつですぐにできること。日和との強烈な思い出を刻める、何か。
    「……」
    そんなもの、そう多くは存在しない。あるとすれば……かねてより日和が強く求めてくれていたことが、ひとつだけ。
    素性すら明かさない見知らぬ誰かの身勝手な都合に振り回されてやるのだ、ジュンも一度くらい……最後くらいは、周囲を気にせず自分の欲だけで動いたって許されてもいいのではないだろうか。自分のためだけに、愛を求めたって。
    そんな焦りに突き動かされるように、ジュンは身体を差し出すことに決めたのだった。
     


    酷い痛みで快感なんて拾えなかった。それでも、ジュンを案じて身を引こうとする日和を必死で引き止めた。どうにか日和が果てたのを感じ取って、緊張の糸が切れたようにドッと疲れが押し寄せる。ドサリと覆いかぶさるように脱力した日和の下で、指一本すら動かせずにいると日和に口付けられた。視界には幸せいっぱい、と言わんばかりに目を細めている日和の笑顔。
     ジュンの瞳から涙がボロボロと溢れる。痛みによる生理的なものか、それとも。
    「……っ、」
    何があっても滅多に涙を見せないジュンのそんな姿に日和は動揺した。頬に手を添えて、親指で頬を伝う涙を拭う。そんな微かな触れ合いさえもっと感じていたくて、ジュンは強く頬を摺り寄せて口角を無理やりに上げて見せた。
    「……嬉し泣き、っすよ。……よかった」
    「ジュンくん……?」
    「おひいさん、オレ……」
     日和のことを愛している。日和に出会えて、拾われて、幸せだった。日和との思い出さえあれば、これから先、何があっても、どんな場所でも生きていける。
    そんな想いは、口にすることができなかった。嘘が苦手な自覚はある、改まって言うことで何かボロを出してしまうことが怖かった。言いかけた言葉を誤魔化すように、目を閉じて首を横に振った。
    「……流石に疲れちゃった? 今日はぼくばっかりだったからね。次は、きみのことも気持ちよくしてあげる」
    「……」
     そんな仕草を恐らく『もう無理』とでも取ったのか、日和はジュンに労いの言葉をかけた。次が来ることは無いとも知らずに向けられる言葉と笑顔がジュンには残酷だった。
    今からジュンは日和を裏切る。明日から世間的にはジュンは王家に、日和に仇成した反逆者となる。無実の罪であることに気付いてくれればいいが、日和に恨みを向けられる可能性だってゼロでは無い。
    (……離れたく、ねぇなぁ)
     日和に言えば、解決できるだろうか。一国の王家の権力があれば。一瞬、そんなことを考えた。きっと動いてくれるとは思う。けれど本来ただの貧民であったジュンが、日和の傍にいたいがためにそんな大それた頼みを口にすることは気が引けた。
    おまけに相手が誰かもわからない、そんな状況で万が一何かが起こってしまう可能性を捨てきれない。それに今回のことは、遅かれ早かれ起こったことだ。この先もきっと、手段を択ばない者たちがきっと出てくる。悔しいが、そんな時にジュンには何もできない。日和を守るためにも、やはり一人で消えるしか方法はないのだ。
     日和が寝静まったことを確認して、そっと腕を抜け出す。思い出の詰まった部屋をぐるりと見わたして、ふと、ひとつの戸棚で視線が止まる。そっと引き出しを開けて、手のひら大のケースを取り出した。
    この中に、大切にしまい込まれた宝石がある。日和の瞳によく似た紫色の大きなアメジストの原石。『ジュンは日和の物である』という証にいつか加工して贈ると用意してくれたのだが、ジュンが身に余ると遠慮したのでひとまず日和が保管していた。もう二度と会うことのできない日和を思い出せる品が欲しくて、ジュンはそれをケースごと持ち去った。これで本当に罪人になってしまうな、と苦笑しながら、少ない荷物を手に城を出る。
     日和はきっとジュンを捜す。追手も来るかもしれない。その目的が恋人の捜索なのか罪人の捕獲なのかはまだわからないが。決して見つかるわけにはいかない。日和が諦めるか、二人が一生を終えるまで。
    そうして、ジュンの長い逃亡の旅が始まった。



    「……ジュン、くん?」
     ぽつん、と小さな呟きが静かな部屋に落ちる。
    翌朝、目覚めた日和を出迎えたのは、愛しいぬくもりの抜け落ちたベッドと一人きりの部屋、そして廊下から近付いてくる慌ただしい足音だった。




    「……死んだ?」
    日和の問いかけに、老齢の執事が神妙な顔で頷いた。
    ジュンが兄夫婦の暗殺を目論み深夜に寝室へ忍び込もうとしていたところを見回りの衛兵に見つかり、逃亡の末に城の外周の堀へ落ちていったという。
    「王子も、無くなっているものはないか後ほど部屋の中を隅々まで確認するのが宜しいかと。何か盗られているかもしれません。あの男……いつかやると思っておりました」
    「……ぼくにはジュンくんが暗殺や盗みなんてくだらないことを企むとは考えられない。さっきの話が本当かどうかも怪しいね」
    「王子……お言葉ですが、あの者は貧民です。王宮で生活するうちに富と権力に目がくらんだとしても何もおかしくはありません」
    「さぁ。それはジュンくんにしかわからないことだね。亡骸は?」
    「まだ見つかっていません」
    「なら……まだ死んだと決めつけるのは早すぎるね。自力で泳いで生き延びたかも」
    「しかし、あの堀は一人で登れる高さでは……」
    「どちらにせよ、ぼくは自分の目で確認するまでは信じない。まずは捜索隊を結成して一刻も早くジュンくんを探し出す。まずはそのジュンくんを見つけたっていう衛兵と話をしなくちゃね」
    「ま、まさか王子が直々にですか? そんな、お手を煩わせるわけには……私共に任せて頂ければ全て、」
    「ジュンくんはぼくの婚約者だね。この件の指揮は全てぼくが執る。……それともなぁに、ぼくに意見するの? 何の権利があって?」
    「………いえ、出過ぎた真似をいたしました。申し訳ございません」
     パタン、と静かに扉を閉めて執事は部屋を去っていった。彼にとってはジュンがいなくなった方が都合が良いのだろう。長年王家に仕えてくれた、父である国王からの信頼も厚い男だが……ジュンが、貧民が王家へ迎え入れられることが、それも男同士の婚姻が我慢ならなかったようだから。王家に誇りを持つからこそ……伝統を重んじるからこそ。
    しかし……誰も、何もわかっていない。きっと何か裏で陰謀が渦巻いている。そうでなければジュンが日和から離れようとするものか。あのジュンが、暗殺など企てるものか。
    (ぼくともあろう者が……気付けなかった。ジュンくん……どこにいるの……? 生きて、いるよね?)
    つい昨夜まで間違いなく同じベッドで日和の腕の中にいたというのに。ジュンがいない。その現実が心に重くのしかかってくる。消え去ってしまったぬくもり、せめてその代わりにジュンを感じられるものを求めてゆっくりと部屋を歩いた。
    寒い冬の日に二人でくるまったブランケット。渋るジュンに柄を選ばせた二人用のティーセット、ジュンが誕生日に贈ってくれた日傘、そして、いつかジュンのためにアクセサリーに加工して贈ろうと用意した大きな……、
    「……無い?」
    日和はハッと目を見開いた。戸棚の中に大切にしまっていたはずのアメジストの原石が無い。荒らされた形跡もなく、ただケースがあった場所だけがポッカリと開いている。
    この場所を知っているのは日和とジュンだけだ。日和は毎日この戸棚を使うので無くなっていればすぐにわかる。
    ─何か盗られているかもしれません。
    執事の声が脳裏に蘇る。確かに、今朝の内にジュンが持ち出したとしか考えられなかった。一体何のために? まさか、本当に……。
    最悪の想像がチラついて、強く頭を振った。自分だけはジュンの味方でなくてどうするのか。そうは思っていても、何一つ手がかりのない今は不安が拭えない。朝食の席に向かう気にもなれず、心配したメイドが部屋に運んできた食事にすら手をつけられずにしばらく呆けていると、トントン、と扉がノックされた。入室を許可すると、現れたのは隣国の王であり日和の大切な家族でもある凪砂だった。
    「……おはよう、日和くん」
    「凪砂、くん。こっちに来ていたんだ。ごめんね、お出迎えもできなくて。今少し……立て込んでいてね」
    「……うん。今日は国境付近で宝石商として露店を開くつもりだったのだけれど、何かが起こっているような気がして、きみに会いに来たんだ。……お城の中がずいぶん騒がしいけれど、一体どうしたの」
    静かに扉を閉めて部屋に入ってきた凪砂は、日和にそっと寄り添うと震える手をとって強く握った。日和のかろうじて上がっていた口角がフッと下がる。太陽の似合う明るい笑みは雲がかかってしまって、雨に降られて濡れ始めた。
    「凪砂くん……無いの、ぼくの大事な宝物……ふたつとも消えて、どこかへ行ってしまったね! 今朝起きたら、いなくなっていたの。きみが掘り出してくれたあの宝石と一緒に、あの子……ジュンくんが……」
    「……ジュンくん?」
    「ぼくの婚約者……まだ紹介していなかったね。とってもね、いい子なんだよ。それなのに、兄上たちの暗殺の疑いを掛けられて……ぼくのジュンくんがそんなことするはずがないのに。そのうえ堀に落ちて死んだなんて……信じられないね!」
    「……」
    日和の嘆きを聞いて、凪砂は日和を胸に抱き寄せながらじっと何かを考え始めた。少しして戸惑い気味に開いた口からは、日和の思いもよらぬ言葉が飛び出した。
    「……群青色の髪に、琥珀みたいな瞳の子。少し筋肉質で、身長は日和くんより少し低いくらい?」
    「っ、どうして、」
    日和は慌てて身体を離し、会ったこともないはずのジュンの容姿を詳細に言い当ててみせた凪砂の顔を見つめる。何か知っているの、縋るように問いかける日和の反応を見て、そうか、男の子だったんだね、と凪砂は眉を八の字に下げた。
    「……今朝、露店の準備をしていたらそんな青年が通りがかりにお店を覗いていったんだ。宝石の手入れについて相談を受けてね。実物を持っているというから見せてもらったのだけど、すぐにあのアメジストだとわかった」
    「……!」
    凪砂がそう言うのならば間違いは無い。やはり、日和の予想は正しかった。ジュンは生きている、宝石もジュンが自分で持ち出したのだ。そして、手入れの相談をしたということは、少なくとも金銭が目的ではないはずだ。もしそうなら、そのまま凪砂に売り払えば良かったのだから。
    「教えて凪砂くん、どんな些細なことでもいいから、その後はどうしたの? その子は今……どこにいるの?」
    「……わからない。私が日和くんの知り合いだとわかると慌てて逃げ去ってしまったから。……ごめんね、私は彼がきみの元からあの宝石を盗んだんじゃないかと疑って責めてしまった。日和くんの婚約者は女性だと無意識に思い込んでしまっていたから、すぐに思い至らなかったんだ。……返してもらおうと説得を試みたけれど、どんな条件を出しても決して首を縦には振らなかったよ」
    「ジュンくん……」
    「……今は茨が後を追ってくれているから、きっと見つけ出してくれるよ。けれど、茨はまだ彼を疑ったままだろうし、城を出た理由がわからない以上は強引に連れ戻すのは今は避けるべきかもしれない。茨に伝えないと……あぁそうだ、その子からもひとつ、日和くんへ伝言があったんだ」
    「な、なんてっ!?」
    「……『メシをちゃんと食え』だって」
    「……は、はは……馬鹿だね、ジュンくん……」
    日和はよろよろと後ずさるとソファに腰かけ背もたれにだらりと身を投げ出した。きっと日和の心配などしている場合ではないだろうに。
    ジュンは目的を持って自ら城を出たのだ。恐らくは……日和のために。
    ジュンの涙を初めて見た。睫毛を細やかに震わせながら嬉し泣きだなんて言われたものだから、嬉しくて、見逃した。信じてしまった。幸福感に酔って、判断力が鈍っていた。
    今になって思い返せば、昨日のジュンは様子がおかしかった。朝から妙にソワソワと落ち着かず、日和が一人でどこかへ行こうとしようものなら無言であとに着いてくる。かと思えばいつにも増して長時間一人で風呂に立てこもり、出てくるなり一大決心をしたような顔で……実際そうであったのだが、日和の前に詰め寄った。それもこれもきっと、今日起こることを知っていたから。今更気付いても、後の祭りだ。
    過去を振り返るのは後だ。ジュンは生きている。一縷の希望を見出して、日和の瞳には輝きが戻っていた。
    「……あの子を連れ戻す。凪砂くん、協力してくれる?」
    「……もちろん。まずは茨に知らせを出して、それが済んだら朝ごはんにしよう。途中すれ違ったメイドが、朝食を食べてくれないと心配していたよ」
    「……そうだね、ジュンくんにも言われちゃったし。まったく、誰のせいで食欲を無くしたと思っているのかね!」
    いつもの調子が戻ってきた日和を見て、凪砂は笑みをこぼす。安心すれば、途端に腹が減ってくる。今朝は露店を開いていた辺境の町から急いで王都まで駆けつけたりと慌ただしくしていたせいで、軽食をつまんだきり何も食べていなかった。凪砂の腹の虫が控えめに鳴って、日和がクスクスと笑った。
    「きみの分も用意させるから、食べながら今朝のジュンくんの様子をもっと聞かせてほしいね」
    「…うん、もちろん」
    凪砂は密書を用意して日和の呼んだメイドに渡すと、とある住所にすぐに配達させるように頼んだ。そこは表向きには普通のバーだが、裏では情報屋のようなことをしており茨が情報収集によく使用している場所。慎重に慎重を重ね、書面には凪砂と茨の間でだけ通じる暗号が使われているので誰かに内容を悟られることは無い。
    メイドは二人分の朝食の用意を終えると、手紙と冷めてしまった日和の朝食を持って深々と一礼して部屋を出た。
    ジュンと二人でお茶をしながらよく語り合った小さなテーブルにつき、食前の挨拶をするとまずはスープをひとくち。コクリと静かに飲み込んだ凪砂は、今朝のできごとをゆっくりと語り出した。



    「……いらっしゃい。ごめんね、まだ準備中だけれど興味があるならゆっくり見ていって」
    「ど、どうも……」
     城のある首都から馬車で運ばれ、国境の手前の街で下ろされたジュンは、寂れた路地でぽつんと開かれている宝石の露店に目が留まった。
    準備中、と言うように店主らしき長い銀髪の青年ともう一人の眼鏡をかけた青年が、簡易的に設置された台の上に色とりどりの煌びやかな宝石を並べている最中だ。
    早いところ少しでも遠くに逃げなければならないのだが、ジュンの荷物にはあまりにも高価な宝石が入っている。衝動的に持ち去ったはいいが、日和に管理を任せていたため手入れの仕方も知らず、ケースに入れたままでいいのか不安なのだ。
    しかし、商品を買わずにアドバイスだけもらうのもいかがなものかと躊躇していると、眼鏡の宝石商が声をかけてきた。
    「何か迷っているのであれば、ご相談に乗りますよ」
    「いえ……その。買うつもりで見てたわけじゃねぇんですけど……宝石の手入れって、教えてもらえたりしませんかねぇ」
    「もちろんです。そういった道具も一通りそろえておりますので、よろしければ見ます? ちなみに物によって手入れの方法や注意点が変わってくるのですが……石の種類は何ですか?」
    「あー……貰いもの……で、よく知らねえんですけど、紫色の……名前が思い出せねぇ……」
    「でしたらアメジストか、タンザナイトでしょうか。稀にサファイアなどにも紫に近い色味の物がありますね」
    「あぁ、なんか聞き覚えがある気がします……多分アメジスト……だったような……」
    「ふむ……実物はお持ちではないですか? 見せていただければすぐに判断できますよ」
    「う……そうっすよね。……これなんすけど」
    扱いがわからず困り果てていたジュンは、つい原石を見せてしまった。その瞬間、眼鏡の宝石商は顔色を変えた。
    「これはこれは……素晴らしい代物ですね。これ程のアメジストはそうそうお目にかかれません。さぞかし贈り主は高貴なかたなのでしょうなぁ!」
    「あ、う……」
     態度こそ丁寧で笑みを浮かべているが……宝石商の瞳が眼鏡の奥でギラリと蛇のように煌めいている。その豹変ぶりにジュンはたじろぎ、地面に足が縫い付けられたように動かなくなる。
    その隣、それまで話に入ってこなかった店主がじっとジュンを見つめて口を開いた。
    「……言えないんだね。貰いものと言っていたけれど……本当はどこかから盗んできた物かな」
    「それは……」
    半分間違いで、半分正解だ。これは確かに日和からの贈り物ではあるが、一度遠慮して日和の手元に戻った物を無断で持ち出してしまったものだ。
    答えられないジュンを見て図星と判断したらしい銀髪の宝石商は諭すように語りかける。
    「……この石の価値を知っている? 慎ましやかな生活をするなら一生働かずとも遊んで暮らせる」
    「……わかってるつもりです」
    「……これはきみのような子が持つ物じゃない。この石は、あるべき所へ返さなければ」
    ……そうだろう。ジュンにとっては、日和から与えられたもの何もかもが分不相応だ。わかっているが、それでもジュンは食い下がる。
    「見逃して、もらえませんか」
    「……本来の持ち主にとってその石は大事な宝物、見つけ出して取り返したいと願っているはず。その宝石を持つ限り、一生追われ続けることになるかもしれないよ」
    「……」
    スっと、ジュンは遠くに見える城へ視線を向ける。石のことがなくとも、本当にこのまま見逃してもらえるとも限らない、油断したところで追手が来て、始末されるかもしれない。……だとしたら尚更、これだけは手放すわけにはいかなかった。首を横に振るが、宝石商たちも引き下がる様子がない。
    「……なら、私に売って貰えないかな。お金に替えてしまった方がきみにとっても良いと思う」
    「閣下、それは」
    「……大丈夫、私が自分で払うよ。そうだな……金貨500枚でどうだろう」
    「……できません」
     ジュンのその返答は、二人にとって少し意外な物だったようだ。目が眩むような具体的な数字を提示されても揺るがないその態度に、宝石商たちは顔を見合わせた。
    「……何故? ……そういえば、手入れを教わりたいのだったね。お金が欲しくて盗んだのではないの?」
    「お金になんか替えられません。これはオレにとって何より大事な宝で、支えだから。どこで野垂れ死ぬかも分かりませんけど、墓場まで持って行って、死んだって誰にも渡さない。これさえあれば、この先どんなに苦しくてもオレは生きていけるんです」
    「……どうしてそんなにその石に固執するのかな」
    「オレの、大事な人の目と同じ色をしてるから」
     ケースの中央に鎮座する大ぶりのアメジストに視線を落とす。太陽に煌めいて輝くそれを見れば、愛しい人の瞳を思い出せる。どこにいても一緒にいてくれるような気がするのだ。きっと日和もそういう理由でこの宝石を選んだ。
    「単に紫色の宝石が欲しいのでしたら、こちらの商品も同じアメジストを加工したペンダントです。やや価値は劣りますが差額は金銭で支払いましょう。……それでも、ダメなのですか」
    眼鏡をかけた宝石商が代替案を提案するが、これじゃなければ駄目なのだ。日和が、ジュンのために用意してくれたもの。首を横に振るジュンを、銀髪の宝石商の男がじっと見つめる。
    「……きみにも何か事情があるんだろうね。それでも、私はこれを元の持主に返したい」
    「っ、口止め料でも何でも……コイツの価値に比べりゃ少ししかねぇですけど、払いますから……お願いします、こいつをオレから奪わないでください……!」
    「……あのね。実はその原石、親友に頼まれて私が自ら掘り出した物なんだけど」
    「は、」
    「……きみは、日和くんの何?」
    しまった、とジュンは後ずさる。日和にこのアメジストを卸したのは目の前の宝石商だった、だから何度も食い下がって取り返そうとしたのだ。
    「あ、あの、オレ……ッ、その、メ……メシ! ちゃんと食えって……それだけ……あの人に……!」
    ジュンの頭は真っ白になって、とにかく逃げることしか考えられなかった。意味も考えぬまま浮かんだ言葉を口走りながら転がるようにして露店から走り去り路地裏へと逃げ込む。それを見送った二人の宝石商たちは、顔を合わせて頷き合った。
    「……茨は彼の後を追って。私は日和くんを訪ねてみる」
    「アイ・アイ!」
    返事をした次の瞬間には、眼鏡の宝石商も凄まじい速度でジュンの逃げ込んだ路地裏へ消えていった。凪砂はまだ準備も終えていなかった店を片付けてしまうと、城へ向かうための馬車の手配に向かった。

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    花子。

    MEMOひよジュンゲームブックの余談というか、書いた感想です。
    そんなに大した話ではないですが、こんなこと意識した〜とか、ここ気に入ってる〜とか、インスピレーション元の別作品や国などちょっとした話をまとめました。ふーんと思って頂ければ幸いです。
    とても読みづらいです。
    ゲームブック余談番号で書き進めています、行ったり戻ったりが激しいです
    ルート分岐図かpixivを見ながらでないと何言ってるかわからない不親切仕様です、すみません


    ・ゲームブックにした理由
    最初はゲームブックじゃなくて普通に一本道の、色んな国から国へ逃げていく話を書いてたのですが……けっこういろんな話を思いついて
    私どちらかというと、二人がなんらかの関係に至るまで、付き合うまでの過程が主食でして
    だからいろんな逃げるパターンを書くのが楽しくて筆が乗ってきたら、いろんな再会のパターンができてしまった
    再会って一回がいいじゃないですか。ひとつの物語の中では。また逃げて再会して〜を繰り返してもいいけど……
    あと、再会させたいという気持ちと、二度と会えなくてもお話として美味しいな……の気持ちがぶつかり、それも両立はできないので、じゃあいっそ分岐にするか!と
    7679

    花子。

    MOURNINGタイトルとは裏腹に暗め。完結まで書いてませんが一応ハピエンのつもりです。
    両片想いひよジュン♀に酒の間違いで子供が出来てしまいジュンちゃんが逃げる話。子どもも出ます、オリジナルで名前も付けてます。途中からただのプロットになります。何でも許せる人のみどうぞ。
    一年くらい前からちまちま書いてたんですけど、地の文をつける気力がなくて完成するか謎なので……
    ひだまり家族ジュンくん、こっちにおいで。
    家の集まりだか何だかで珍しく酒が入って酔っぱらったおひいさんがマンションを訪ねてきたかと思えば、やや不機嫌そうな声で私を呼ぶ。おいでって……ここ、私の部屋なんすけど。まぁこういう時は下手に逆らわないに限る。
    相当飲まされたのか、ちょっとフラフラしてる。ミネラルウォーターのペットボトルだけ持って大人しくついて行くと、そこは寝室で。
    ああ、眠いんすかねぇなんて……何の危機感も抱かずにおひいさんの後に続いてのこのこ入る。扉を閉めて振り向いた瞬間、力強く腕を引かれてベッドに引きずり込まれた。ベコッと投げ出されたペットボトルが床かどっかに当たってへこむ音がする。服の上から胸のふくらみを撫でられて、何をされようとしているのか察した私は慌てて腕を振り回す。
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