アルビレオの離別(4・前半)「ナギ先輩、お疲れ様です」
「……あぁジュン、お疲れ様」
ジュンが艦内ラウンジへと赴くと、凪砂がソファにゆったりと腰をかけ一人で本を読んでいたので声をかけた。
「……日和くんの検査待ちかな」
「はい。でも、どう時間潰すか悩んでるんっすよねぇ。目を使うなって言われると何していいかサッパリで……あ、隣座ってもいいっすか?」
「……いいよ、おいで」
「あざす。じゃあその前にちょっと飲み物取ってきます。ナギ先輩も何か飲みます?」
「……それじゃあ、お願いしようかな。ココアがいいのだけれど……茨に怒られちゃうかな」
「いいっすよ、内緒にしときますんで」
クスクスと笑いあって、ジュンはラウンジに設置されているサーバーに向かう。特にこれと言って飲みたいものが決まっていたわけでもなかったのでココアを二人分いれて凪砂の元に戻る。
「……ありがとう」
「ういっす。……それ、星の本っすか」
ジュンが隣に腰掛けると凪砂は静かに本を閉じて脇へ置いたが、何の本だったのか気になってちらりと視線を落としてみれば、銀河系の鮮明なカラー写真が表紙を飾っているのが見えた。
「……うん。人類が宇宙へ進出しても、未だ解明されない宇宙の果てへの興味は尽きない。ジュンも読んでみる? ……ああ、読書も駄目なんだったね」
「はは。オレの体感的にはもう全然平気なんっすけどねぇ……茨に怒られちまうかも」
「……ふふふ。じゃあココアのお礼に、この本の内容を話すというのはどう? 少しはジュンの暇潰しになるかもしれない」
「う、オレにわかりますかねぇ……でも、良ければお願いしますよ」
苦笑しながらも背もたれに身を預け聞く姿勢を取れば、凪砂は穏やかな声で語り始める。
とある惑星では、夜空に広がる星の羅列に名前を付けて、それぞれに物語があったのだとか。その他にも方角の指針にしたり、占いに用いたり、星から星への移動ができない時代にも星とは生活に深く根差したものであったらしい。
運命を分かたれた親子が元となるおおぐま座とこぐま座、力自慢の狩人であったオリオン座とその命を奪ったサソリ座。今ジュンたちが使う星の名であるC-06だのS-12だのの記号的なものとは大違いだ。
「へぇ……これとこれを結んでも人の形には見えませけどねぇ……昔の人はずいぶん想像力が豊かなんすね。……あ、でもこれはオレでもギリギリわかりますよ」
そう言って本の写真をなぞるように指でさし示して見せたのは、星々を十字に結ぶ線が示す、夏の夜空に翼を広げるはくちょう座。真ん中の線が頭から胴体、それを横切る線が両翼、他の星座よりかは比較的イメージしやすい気がする。
「……はくちょう座か。この星座にも神話が存在してね。大神ゼウスが姿を変えたものだとか諸説あるのだけれど……そうだ。ジュンはアルビレオという星を知っている? ええと……今の名前で言うと、E-02かな」
「いやぁ……星の名前なんてサッパリっす。その……何でしたっけ。アル……がなんです?」
「……アルビレオ。はくちょう座の恒星。連星といって、ふたつでひとつの星なんだ。正確には連星なのかそうでないのか今でも意見が割れているらしいのだけど。……金色に眩しく輝く主星と、その傍らで静かに青い光を湛える伴星。……なんだか少し、きみたちEveの在り方と似ている気がしたんだ」
「……はは、慰められちまいましたねぇ〜」
ふたつでひとつ。それはまさにEveを現す言葉だ。
きっと、日和と再会してもなお不安定なジュンの精神を落ち着けようとしてくれたのだろう。ジュンが苦笑すれば、凪砂は温かな視線を向けてただ微笑んだ。
談笑していてもどこかで張り詰めたままだった緊張の糸がふっと緩んで安心したジュンは、ぽつんと弱音を零す。
「まだ、前ほど上手くあの人との距離が測れないことばかりで。どうしたらいいのかわからないことだらけですよ。……連星、か。そうだといいって思いますけど……どう、なんでしょうね……」
「……大丈夫。きっと日和くんとジュンもこの星のように、これから先もずっと一緒。……もちろん、私や茨もね。だから一人で不安を抱える必要はないよ。いつでも遠慮せずに頼っておいで。日和くんのこと、これからのEveやEdenのこと、みんなで一緒に考えよう」
「……ざす」
「……そうだ、アルビレオにはこんな神話もあってね。太陽神アポロンの息子が……」
『♪♪♪~』
凪砂の言葉を遮るように、ジュンの携帯端末が着信音を鳴らす。画面には『医務室』の文字。恐らく日和に関することだろう。出て良いよ、と凪砂が手で指し示してくれたので、ジュンは軽く頭を下げるとその場を離れ通話ボタンをタップした。
「もしもし、お疲れ様です。……え? ……あ、ああ……わかりました。すんません、本当にご迷惑をおかけして……えぇ、すぐ探しますんで。はい。それじゃあ。…………はぁ」
通話を終え、面倒なことになったと重いため息をつく。日和くんのこと? と凪砂の問いかけにひとつうなづいて、端末をひらひらと揺すって見せる。
「おひいさんが検査終わった瞬間に勝手にどっか行っちまったって……」
「……それは心配だね。ココアの証拠は私が隠滅しておくから、早く行ってあげて」
「はは……お願いします。んじゃ、失礼します」
凪砂の言いかけた話は気にはなったが、今は日和のことが先決。ジュンは改めて凪砂に頭を下げると、ラウンジから飛び出して行った。