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    minamidori71

    @minamidori71

    昭和生まれの古のshipper。今はヴィンランド・サガのビョルン×アシェラッドに夢中。

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    minamidori71

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    現パロビョルアシェ。現代のロンドンに暮らす大学教授ルカ・アルトゥール・ホプキンス(かつてのアシェラッド)と、ティールームの元店員ビョルンの物語。今回はふたりの出逢いまで。

    #ヴィンランド・サガ
    vinlandSaga
    #腐向け
    Rot
    #ビョルアシェ
    byelorussia
    #アシェラッド
    asheraad
    #ビョルン
    bjorn

    Unknown Legend (1)  その髪は朝日のごとく輝き
      そのまなこは高き空のごとく澄み渡りけり
      白き衣に身を包み
      剣を振るうはただひたすら、母と故郷の名誉のため

     

     失業してしまった。まったく、青天の霹靂だった。
     人生にはおうおうにして、予測不可能なことが起きる。そんなことくらい、母親に棄てられた十一のとき、とうに判っているはずだった。けれどもまさか、ここが自分の居場所だと思っていた仕事場が、ある日突然なくなるとは。あまりに急すぎて、不運を嘆くいとまもなかった。
     ――いい加減、そろそろ次の仕事を探すべきだろう。
     失業してから、そろそろ三週間になる。いつ振り込まれるかわからない失業手当はあてにならないし、ただでさえ残り少ない貯金を、これ以上食い潰す訳にはゆかない。なのに気がつけば地下鉄を乗り継いで、今日もノッティング・ヒルの駅まで来てしまった。ビョルンのかつての職場は、この駅から歩いて十分ほどの路地裏にあった。
     駅は黒山の人だかりだ。今日は土曜日、ロンドンの蚤の市でも名高いポートベロー・マーケットが開かれる日である。ビョルンが働いていたティールームも、土曜日になると歩き疲れた蚤の市の客たちや、早朝の玄人同士の取引に訪れたプロの古物商たちで賑わったものだ。 
     ――せっかく、腕を振るえるいい機会だったのにな。
     週に一度だけの賑わいを思い浮かべると、苦い笑みが浮かんでくる。元はクリームティーと、せいぜいクロワッサンかビスケットくらいしか出さない、いつ潰れてもおかしくないような店だった。しかしビョルンの料理の腕を見込んだ店主が、土曜日だけ終日食事を出すことを提案してくれたのだ。おかげで店の経営状態はだいぶ良くなったはずなのだが、……。
     ――なんで、話してくれねェんだよ。そんなに借金があっただなんて。
     差し押さえの告知文が貼られ、がらんとしたかつての店の前に、しばらくビョルンは立ち尽くしていた。
     こんな店でも、ビョルンにとってはかけがえのない存在だった。けれども、それなりに心が通じていたと思っていた店主からも、それほど信頼されていなかったのかもしれない。思えばそれなりにいた常連客たちのことも、とうに引退した独居老人がほとんどだというくらいで、どこに住んでいるのか、ファミリー・ネームがなんというのかも、ろくに知らない。ここが自分の居場所だなんて思っていた自分がひどく滑稽に思えてきて、みじめな気持ちに苛まれる。
     それでも三日にあげず、この場所に来てしまうのは、心残りがあったためだ。
     彼は、店の常連客のひとりだった。週に二回ほど、決まって昼ごろにあらわれ、クリームティーで何時間もねばる。誰もが座りたがるテラスではなく、店の奥のテーブルに陣取り、本を読んだりなにやら書きものをしたりしながら、夕方までそこにいるのだ。歳のころは四十代なかばから五十歳前後、こざっぱりとした身なりの、教師のようなたたずまいの男だった。
     店主とは長いつきあいのようだった。来るたびにふたことみこと、挨拶を交わしていたのを思い出す。ビョルンのこともいつの間にか顔と名前を憶えていて、何度か名を呼ばれたものだ。しかし、無駄なことは何ひとつ喋らなかった。だから名前も、どこに住んでいるのかも知らない。彼についてビョルンが知っていることといえば、スコーンに定番のストロベリー・ジャムではなく、マーマレードを合わせるのが好きだということ。それだけだ。
     けれども。
     ――美しいひとだ。俺の知る限り、誰よりも。
     同性を見て、そんなふうに思うのははじめてのことだ。しかし、そうとしか言いようのないひとであった。
     いつもぴしりと背筋がのびていて、隙のない雰囲気。ページを繰る指のしなやかな動きすらも、無駄がなかった。窓から差し込む弱い陽光に照らされると、なめらかな白い肌とごくあわい白金の髪が、ふわりと浮き上がるように輝く。誰をも寄せつけず、誰とも馴れあわず、なのに時折、風に溶けてしまいそうな儚げな風情を纏う彼に、どうして声などかけられよう。彼が姿を見せるたびに、厨房から息を詰めてうっとりと見とれた。柄にもなく心が浮き立つのを、抑えることができなかった。
     そしてなぜか、彼の姿を見つめていると、脳裏に浮かぶことばがある。
     ――その髪は朝日のごとく輝き、そのまなこは高き空のごとく澄み渡りけり。白き衣に身を包み、剣を振るうはただひたすら、母と故郷の名誉のため。
     それは蒸発した母が、チャリティ・ショップで買ってくれた唯一の本の一節だった。今に伝わる中世の叙事詩「アシェラッドのバラッド」を、少年少女向けに易しく現代英語に訳したものだ。アシェラッドは不幸な生い立ちを隠した白皙美貌のヴァイキングの頭目で、無頼な手下どもを従え、すぐれた智略を武器に戦場を駆け巡る。しかしデンマークの王位継承争いに巻き込まれ、主君と仰ぐ第二王子と亡き母の故郷ウェールズを守るため、苦闘の果てにわが命をなげうつ。
     子どもが読むにはずいぶんと血なまぐさく、悲劇的な物語だったように思う。けれどもなぜか、いやだからこそ、寝食を忘れるほどに夢中になった。生活に追われるうち、あの本はどこかに紛れてなくしてしまったが、繰り返し登場するアシェラッドを讃える四行の文句だけは、今でもすらすらと脳裏に浮かぶ。しかしそれは自分とはかかわりのない、あくまで過去の物語。古書店のガラスケースの中に飾られた、銅板画の挿絵のようなものだと、ビョルンは思っていた。
     ところが彼を前にしたとき、にわかに白黒の銅板画が、あざやかな色を纏った。そして映画のように、生き生きと動きだしたのだ。白金の髪を輝かせ、剣を振るう姿すら容易に思い描くことができる。もっとも、よく考えたらおかしな話だ。ろくに知りもしない客が、幼いころに憧れた物語の主人公そのものだなんて。
     ――しかもあのアシェラッドは、結構な悪党だぞ? 農村を略奪したり、王子の守り役を暗殺したり……失礼にもほどがあるんじゃねェか?
     でも、できればもうひと目会って、確かめてみたい。そんなことをぼんやり考えるうち、ビョルンはいつの間にか、ポートベロー・マーケットの雑踏の中を歩いていた。
     時刻は十一時にかかろうとしていた。道の両脇に露店がびっしりと並び、ありとあらゆるものが売られている。古着にレコード、家具のパーツ、カメラのレンズ。ランプシェードやキャンドル、革のバッグなど、手作り品を売っている者もいるし、ケバブやクレープのフード・トラックも出店している。実はビョルンがマーケットを訪れるのは、はじめてのことだ。食事を出すようになる以前から、土曜はティールームの稼ぎ時で、とてもマーケットをひやかしに出る余裕などなかったのだから。
     ――古書、手染めの布、ハーブティー。あっちはブリキのおもちゃか。
     なんとなく流しているだけなのに、あちこち目移りするし、物欲を刺激される。とはいえ、失業中の身で余計な買い物などできない。ただ目を愉しませるためだけだと肝に銘じ、店主と目があわぬように俯く。ところがその瞬間、通り過ぎようとした露店の店先にあるものに、ビョルンの視線は釘付けになってしまった。
     しばらく棒立ちになって、それを注視した。先に進むのをあきらめ、吸い寄せられるようにその露店に歩み寄り、決して手を触れずに、視線だけを向け続ける。それはティーカップと皿のセットだった。すこしぶつけただけで欠けてしまいそうな、高級ブランドのものではない。どっしりとして、地の色も白ではなく茶色だった。ごくふつうの家庭のキッチンにある、ティーポットとよく似た色味だ。
     茶色い地に、青緑でパターンが描かれている。木の芽のようなリズミカルなパターンが、眺めていてここちよい。それはまさに、思い描いていた理想のティールームで出すにふさわしいカップだった。どこか懐かしくも新しく、大地のぬくもりを感じさせてくれる。
    「気に入ったかい?」
     店主が声をかけてきた。ここまで穴があくほど見つめているのだから、当然だろう。うわの空で、ビョルンは黙って頷く。店主の手がカップの皿に添えられ、静かにこちらに押し出してきた。先細りの、白く優美な指をしていた。
    「手に取ってみるといい。こういうものは、触れてみないとわからんよ」
    「……いいんですか?」
    「もちろんだ。毎日使うものなら、手に取って選ぶのが当然だろう?」
    「毎日?」
     問い返すと、店主が顔を上げた。オレンジ色の派手な丸縁のサングラスをかけた、髭をたくわえた中年の男である。サングラスに反射した日光に、ビョルンは目をすがめた。店主の表情は、サングラスと日光の両方に遮られ、よく見えない。
    「おいおい君、これを棚に飾りっぱなしにしておくつもりかね? マイセンの金彩入りとは訳が違うんだ。ホーンジーのヴィンテージは、使ってこそだよ。実際、使ってみてさらに良さに気づかされる。作られて四〇年以上経つのに、こいつが生き残ってきた意味もわかるだろう」
    「……」
    「さ、触れてみな。取り落とさねェよう、それだけ気をつけてくれりゃアいい」
     催眠術にかかったように、ビョルンは地べたに片膝をついた。買えるあてなど、ないというのに。
     目線が合うようにかがみ、屋台に肘をつけて、そっとカップを手に取る。指に吸いつくような陶器の感触に、心の奥深くがざわめくのがわかった。
     持ち重りがするかと思ったが、さほどでもない。最初はとても厚みがあるようにみえたのだが、家で使っているPGティップスのおまけのマグと、あまり変わらなかった。それでもビョルンの大きな掌のなかで、それはじゅうぶんな存在感を放っている。有機的なパターンもいいが、なにより色味と、質感が素晴らしい。ずっと触れていたいと思わせる、不思議な魅力がある。
    「ブロンテ。ホーンジーでも、人気のシリーズのひとつだよ」
    「ホーンジー?」
    「窯元の名前さ。二〇〇〇年に廃業しちまったが、今でも根強い人気がある。割れ物は扱いが手間だが、ホーンジーはオレも好きでね。ほんのすこしだが、扱ってる」
     カップを掌に包んで、脇目もふらずに見つめるビョルンの様子に、店主は小さく笑みをこぼしたようだった。彼がかけている、サングラスのオレンジ色が視界の端でちらちらしていたが、ビョルンはあいかわらず、カップから視線をはずすことができない。
    「ずいぶんと、ご執心のようだが」
    「……夢、だったんです」
    「え?」
    「夢だったんです。いつか自分の店を持つのが。店構えはどんなだっていい。でも、食器は他とは違うものを使いたい。できればこういうどっしりとしていて、でもしゃれたデザインの、古いものをたくさん仕入れて使いたかったんです」
    「……ほう」
    「でもまあ、夢です。俺にそんな金ねェし、店だってとうてい持てる見込みなんてねェ。だからせっかく触らせてもらったけれど、このカップも、とても」
     手が出ねェ。そう呟いてカップを皿の上に戻し、立ち上がったときだった。店主がひどくつまらなさそうに、鼻を鳴らしたのは。
    「何を言ってるンだ。金がねェなら、すこしでも働いて貯めりゃアいい。それで最初に、このカップと皿を買う。一〇ポンドだ。そうやってちょっとずつ、目標を達成してゆけば、モチベーションも上がるってもんだ」
    「……しかし」
    「失業中だから無理? ならうちで働くってのはどうだ、ビョルン?」
     いきなり名を呼ばれて凝然とするビョルンの前で、店主はサングラスのレンズを跳ね上げ、にっと笑ってみせる。うすあおの瞳がいたずらっぽく笑みをたたえて、こちらをまっすぐに見上げていた。
     ――なんてことだ。
     開いた口が塞がらないとは、このことだ。今の今まで気づかなかったなんて。もう一度会いたいと、あれほど願っていた人物は、今まさにビョルンの目の前にいた。



    (2)に続く
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