指先がスリットの隙間に入り込み太腿を撫でる。思わず肩が跳ね、反射的に抗議しようとして慌てて言葉を飲み込んだ。カインにはほとんど見えてはいないが、周りには多くの人々がいるのだ。
見事な装飾のシャンデリアと、至る所にあしらわれた蝶の意匠。まさに蝶の夜会の名にふさわしい会場には、たくさんの気配がひしめいている。あっという間にその視線のほとんどを見事に奪ってみせた男が、見せつけるように太腿に触れた指を動かす。誰に、とは聞かずともわかる。次第にあらわになっていく白い肌に、どこかで息を飲む音が聞こえた。
趣味が悪いぞと言ってしまいたいが、それでは役目を果たせないことはよくわかっている。その選択肢をカインが選べるはずもなく、ブラッドリーの方もそれを知っているからこんなことをするのだ。眉間に皺が寄りそうになって、意識して力を抜く。
零れそうになるため息をどうにか飲み込んで、不埒な指先をつかまえた。愛人らしい仕草の何も教えてはくれなかったくせに急にこんなことをさせるなんて本当に人が悪い。
何とかそれらしく見えるようにゆっくりと顔を見上げ、そっと唇を開いた。たくさん喋ると男言葉が出てしまうから、なるべく短く、カインの気持ちを伝えられる言葉を。
「だめ」
思った以上に甘えるような響きになって、じわりと頬が熱くなる。たぶん愛人としては悪くない言い方だったのだと思うが、どうにも気恥ずかしかった。周囲の視線が頬に突き刺さり、逃げるように目を伏せた。それを追いかけるように指先が肌に触れ、おとがいを掬い上げる。抵抗出来ずにワインレッドの瞳とぶつかった。
「そういうのはベッドの中だけにしろって言っただろ?」
「そういう…?」
「なるほど、躾が必要か」
少しかさついた指先が顎下をくすぐり、肩をぐっと引き寄せられる。驚いて上げそうになった声を何とか飲み込んでいるうちに、ブラッドリーは白々しく外の空気を吸いたくなったと言って歩き出していた。声を上げる周囲に構わず進む腕に連れられて、縺れそうになる足を何とか動かす。
着いた先はバルコニーだった。会場内の照明の光がぼんやりと差し込むそこには誰の気配もない。無意識にほっと体の力が抜けてしまった。任務はまだ終わっていないのだから会場から離れるのは良くないとはわかっている。だけど随分ぐったりしてしまった。髪につけられた飾りがやけに重たく感じる。
あのまま会場にいるより、少し離れてでも休憩して、気持ちを持ち直した方がいいのかもしれない。ブラッドリーもそれに気付いてここまで連れてきてくれたのだろう。少し情けなくて、同時に嬉しくも思う。
だけど言いたいこともある。
会場の中の気配は未だにこちらに関心を払っているように感じられた。近づいてくる様子はないが、これなら少しぐらい抜けても問題なさそうだとブラッドリーに向き直る。
「さすがに、さっきのはやりすぎじゃないか?」
「はっ。この程度で動揺してんじゃねえよ、色男」
「無茶言うなよ」
あの状況で冷静を保てるほど場数を踏んでない。ため息まじりにそう言えば、楽しそうな笑い声が返ってくる。
仕方ねえから手を貸してやる、とブラッドリーが小さく呪文を唱えた。かすかに指先が光り、カインの太腿がほんのり熱くなる。見下ろせば、薄暗いバルコニーに浮かび上がる白い腿の上に、幾何学模様が刻まれていた。見覚えのある、ブラッドリーの魔法陣だ。
「そいつを通して指示してやるよ」
俺様の寛大さに感謝しろと口角を上げるブラッドリーの指先が淡く光って、今度は魔法陣のあたりが冷たくなってくる。なるほど、確かにこれならきちんと心の準備が出来そうだ。だけど、と首を振る。
「魔法使いだって知られたらまずいだろ」
会場の中では他の仲間たちがまだ任務の真っ最中なのだ。会場に入ってから別々に行動してはいたが、時折情報の共有の為に話をしている。派手な接触ではなかったが、繋がりがあるとは思われているだろう。だとしたら、カインやブラッドリーが魔法使いだと知られたら皆も怪しまれることになる。そうすれば努力が水の泡だ。
太腿に刻まれた魔法陣をなぞる。こんなことが出来るのは魔法使いぐらいなのだ。この印を見せれば、誰もが自ずと二人の正体を知るだろう。
外から見えない位置ならな、と零せば、もう一度呪文が聞こえた。ぱっと太腿の印が消える。
「あれ、消しちまったのか?」
「移動させただけだ」
ここに、と伸びてきた手が右の脇腹に触れた。指先が通ったところがじわじわと熱くなっていく。体温とは違う熱に、なるほど確かにそこに移動したのだろうと頷いた。
これなら誰かに見られることもないし、何かの拍子に外に晒されてしまうこともない。カインの言葉を聞き入れてくれたのだとわかって、ありがとうと笑顔になった。
「そういえば、ここの場所あんたとお揃いだな」
ブラッドリーの紋章と同じ場所だ。ふと思い出して呟くと、へえ、と笑い交じりの声がこたえた。
「愛人らしい台詞が言えるようになってんじゃねえか。けど、まだ足りねえな」
武骨な指先が伸びて、子猫のように顎の下をくすぐられる。楽し気な瞳がぐっと近付いた。
「もっと甘えて言ってみな」
「甘えて、って…」
「出来るだろ?」
さっきもしてたじゃねえか、と言われて頬が熱くなってしまった。あれをやるのかと見つめれば、からかうようにワインレッドが細くなる。カインの反応を楽しんでいるのだとはわかっているが、だからといって断ることもできなかった。愛人らしい振舞いを教えてほしいと思ったのは嘘じゃない。恥ずかしいが、覚悟を決めた。
そっと右手を伸ばし、顎をつかむ腕に触れる。片手ではなく両手でする方がより甘えているように見えるだろうかと左手も持ち上げた。上等な生地の袖口を指先でつかんで、そっと唇を開く。なるべく短く、気持ちを伝えて。
「おそろいで、うれしい」
何だか随分舌足らずになった声の、ひどく甘えた響きが幼子のようで恥ずかしい。
これでいいのかと顔を伺うと、悪くねえなと機嫌よく腰を抱き寄せられた。そのまま、中に戻ると告げられて気を引き締める。
表情が固いと頬をつままれた。