古びた鍵を差し込んで、屋上のドアを開く。少しだけノブを押せば隙間から冷たい風が吹き込んで思わず肩を竦めた。吐息が微かに白くなって流れていく。
クリスマスイブともなれば、そこまで寒さの厳しくないフォルモーントシティでも随分気温が下がる。カインは寒さには強い方だと自負しているが、ジャケットも無しというのはさすがに薄着過ぎたのかもしれなかった。空調のきいた室内が一瞬頭に過って、すぐ終わるからと首を振る。休憩中だというボスにネロ特製の軽食を差し入れるだけだ。
よし、と気合を入れて勢いよくドアを開く。途端に風が吹いて髪を揺らし、嗅ぎなれない煙草の匂いが鼻をくすぐった。
眼下に広がる色とりどりのネオンが輝く街並みに、コートを着た見慣れた後ろ姿が佇んでいる。目に馴染んだはずのその光景は、そこにたった一つの煙草の火があるだけで急に違うものに見えてしまった。踏み出しかけた足が止まる。
声がかけられない。静かに吐き出されて消えていく白い煙から目が離せなかった。急に寒さが遠のいていく。
「おい」
呆れたような声に呼ばれて我に返る。煙草の火があっさりと消え、いつも通りの顔が振り向いた。報告書の期限ギリギリに提出した時のような表情を見て、ブラッドリーに見惚れていたのだと気づいて顔が熱くなる。今が夜でよかった。ネオンの光で顔色は分かりにくいはずだ。
誤魔化すように駆け寄って、ネロから受け取った紙袋を差し出す。
「これ、ネロから夜食にって」
恐らく事前に伝えられてはいたのだろう。納得したように頷いて紙袋を受け取ったブラッドリーが、おかしそうに口角を上げた。
「坊やのお遣いにしちゃ、随分時間がかかってたみてえだな」
何かあったのかよとわざとらしく顔を覗き込まれて言葉に詰まる。見惚れていたなんて言えるはずもなく、寒かっただけだと苦し紛れに口にする。それだって別に嘘じゃない。一番の理由じゃないだけで。たぶんブラッドリーにはお見通しなんだろうなとわかっていても、素直に告げる気にはなれなかった。
次に何を言われるのか身構えて、唐突に押し付けられたコーヒーのカップに面食らう。反射的に受け取ってしまってから、その温かさにはっとする。さっきまで、ブラッドリーが持っていたのは煙草だけだった。だったらこれは、カインが持ってきた差し入れの中身に違いない。
「これ」
「いいから取っとけ」
寒いんだろ、とゆるりと細くなる瞳に思わず頷きそうになって、だめだと首を振る。カインが寒いならブラッドリーだってそうだろう。これにこれはネロがブラッドリーにと用意したものだ。カイン受け取るべきものじゃない。
返そうと腕を伸ばす前に、肩に重みがかかる。柔らかなぬくもりと、嗅ぎなれた香水の匂い。目の前のブラッドリーはいつの間にかコートを脱いでいる。ジャケットがあるだけ先程のカインよりはましだが、それでもこんな気温の中にいる格好じゃない。
慌てて返そうとしても、伸びてきた指先に止められる。
「いや寒いだろ?!」
「セントラル生まれの坊やと一緒にすんじゃねえよ」
そういう話じゃないと言おうとして、絡んだ指に言葉が止まる。カインより少しだけ冷たい手が、確かめるように指の腹を撫でた。
「まだ寒いか?」
「寒くは、ないけど」
見た目よりずっと暖かいコートに、湯気をたてるコーヒー。すっかり寒さは遠のいてしまった。だけどそれはカインだけの話だ。
「なあ。やっぱりその格好じゃ」
「いいから黙って着とけ」
手を引かれてブラッドリーの隣に収まる。肩が触れ合って、そういえばこんな風に二人で過ごすのは久しぶりだとようやく思い出した。仕事が忙しいのも、長い間上司と部下でしかいられないのもつらくはないけれど、こうして過ごす時間も大切だった。
きっとそれは、ブラッドリーも。
コートを脱ごうとしていた手を止めて、ほんの少し体を寄せる。ありがとうと囁くと、褒めるように指先が頬を撫でた。