Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    buyo

    熟成倉庫

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💜 💛 🎩 🎃
    POIPOI 26

    buyo

    ☆quiet follow

    高校三年生の夏、うっかり告白したら司がOKしてしまい、あれこれ思い悩む類の話。

    青春してほしくて詰め込みまくったら無駄に長くなったし、類くんは情緒不安定です。8月に上げるはずが無理でした。

    #類司
    Ruikasa

    るいくんのなつやすみ「好きだなあ」

     あ、と思った。やってしまった。

     放課後の教室。空調が切られ、じわじわと暑くなっていく部屋の中で、僕と司くんは机を挟んで向かい合って座っていた。
     司くんは目の前の小論文にうんうん唸っていて、僕はそれを眺めながら、そろそろ場所を移さないかい、と話しかけるつもりだった。もっと涼しい場所に行こう……あわよくば、僕の家なんてどうだい、なんてね。
     それなのに、口からこぼれ出たのは全く違う一言で。
     言い訳をさせてもらうなら、じっとりと肌にまとわりつく暑さが不快で、頭がぼうっとしていたのだ。冷たい空気も薄れてきて、決して過ごしやすい環境とは言えない。それなのに、司くんは真剣な表情で眉を寄せて、シャーペンの頭の方で自分の唇をふにふにと押していて。
     好きだなあ、と思ったんだ。


     司くんは目をまん丸に見開いて、口もぽかんと開けて僕を凝視していた。まさに鳩が豆鉄砲を食ったようとはこのことかもしれない。
     これは、勘違いなんてしていないな。正真正銘、僕が恋愛的な意味で自分を好いているのだと察した顔だ。どうしてこういうときばっかり変に鋭いんだ……。
     一方の僕は、一生言うつもりの無かった告白を、どうにかして誤魔化せないかと必死に考えていた。汗がそこら中から噴き出て、だらだら体を伝っていく。もうシャツなんて汗染みがひどいんじゃないか、引かれるんじゃないか、とか変なことばかり頭の中を巡っていた。

    「るい」

     驚いた表情のまま、僕の名前を呼ぶ。

    「本当か」

     違うんだ、君のことじゃなくてね。
     もちろん友人としてだよ。

     ……色々言えたはずなのに、司くんの真っ直ぐで透き通った瞳と目が合ったら、口から音として出ることは無かった。誤魔化すことなんてできなかった。いや、したくなかったんだと思う。
     ごくりと唾を飲んで、乾いた口をどうにか開ける。

    「うん……君のことが、好きだ」

     もう、心臓はバクバクと鳴りっぱなしで、緊張で吐きそうだった。さっきまであんなに暑かったはずなのに、指先が冷たくて動かない。

    「そうか……」

     呼吸すらままならない僕をよそに、司くんは至極真面目な顔で目を伏せた。
     そう、司くんならすぐ拒絶したりせずに、真剣に考えてくれる。そういうところが好きなんだ。しかしそれと同時に、今すぐひと思いにフッてほしくもあった。こんな、言うはずじゃなかったんだ。早く、早く引導を渡してくれ。
     そんな願いとは裏腹に、司くんはひとつ頷いたかと思うと、これまた彼らしいことを言ってのけた。

    「もう少し考えてもいいか? 返事は必ずする……そうだな、明日だ。明日、返事をさせてもらえないだろうか」

     ここまで言われてしまっては了承の言葉を返すしかない。
     僕はなんとか「うん……」とだけ絞り出して、もう暑いから帰ろう、という司くんの声に促されるまま帰路についた。道中、司くんはいつも通り話しかけてきて、僕だけが壊れたロボットみたいに相槌を打っていた。何をしゃべっていたか、ほとんど記憶に無い。気づいたら自分の作業部屋の椅子に座り、工具を握っていた。手の中には、製作途中の、小型司くんロボ。思わずため息が出る。
     考えると言ったって、結果はわかりきっているのだ。告白の返事が長引けば長引くだけ、処刑の日取りが先延ばしされたような、陰鬱な気持ちになった。
     それとほんのちょっとだけ、淡い期待。……まあ、天地がひっくり返ったってありえないんだけど。











     ありえないことが起こった。

    「よろしく頼む!」

     翌日の昼休み、昨日から生きた心地のしなかった僕は屋上に呼び出され、告白の返事を受けていた。そう、断りの返事を――。

    「え?」
    「だから、付き合おうと言ってるんだ」

     聞こえなかったのか、なんて僕の顔を覗き込む。ちょっと童顔で、くりくりっとした濃い蜂蜜色の瞳。手入れを欠かさないんだと自慢していたサラサラの髪の毛。司くんにそっくりだ。

    「ニセモノ?」
    「ニセモノとは何だ! このオレをマネできる奴などいるか! お前と交際すると言ったんだ!」

     腰に手を当てた司くんが、ビシッと僕を指差す。どうやらニセモノでも聞き間違いでもなかったらしい。僕が言うのもなんだけど、理由がわからない。

    「実は咲希に相談してみたんだがな」
    「咲希くんに……」

     司くんのことだから、きちんと説明したんだろうな。相手が僕だってことも。ああ、顔を合わせづらい……。

    「それでだな、思い切って付き合ってみるのもいいんじゃない、と」
    「なるほどね……」

     世間一般で言えば普通の感覚だ。告白してきた相手が特に嫌いでない限り、お試しで付き合うなんてどこにでもある話だろう。至極真っ当なアドバイスだ。僕たち男同士なんだけどね。
     司くんはそれでいいの、気にしないの、と問おうとしてちらりと顔を見ると、フン、と何故かドヤ顔で仁王立ちしている。

    「ハーッハッハッハ! この天馬司、類と付き合うからには完璧な恋人となってみせよう!!」

     うーん、まったく気にしていないようだ。本当の本当にこれで付き合うんだろうか。大丈夫かな、彼、変な人に言いくるめられて壺とか買わされないかな。
     失礼なことを考えつつ、司くんは本当にそれでいいのか再度確認しようとしたら、僕の方を見てにこっと笑った。まぶしい。

    「うん……よろしく」

     また考えていることと全然違うことを言ってしまった。この笑顔の所為だ。天使を通り越して悪魔の微笑みだ。
     まあ、僕もこの降って湧いたチャンスに混乱してるのかもしれない。ちょっとくらい自分の欲に素直になったっていいだろう。どうせほんの少しの間だ……司くんの目が覚める、その日まで。



     ちなみにこの告白劇、司くんの大声によりばっちり近くにいた生徒にも聞こえていたらしい。というわけで、初日から僕らは学校公認のカップルになってしまったのである。











     夏休みと言えば遊園地にとって稼ぎ時だ。フェニックスワンダーランドも例に漏れず夏をテーマにしたイベントを来週、学生の夏休み期間に合わせて開催する。もちろん我らがワンダーステージもお客さんが涼しくなれるような飛びっきりのショーを公演予定だ。
     ただし僕も司くんも今年で高校三年生ということで、夏が終われば本格的に受験シーズンに入らなければならない。外部での宣伝公演は前回で一旦終了、ワンダーステージでの活動も夏休みいっぱいまでだ。
     僕個人としては今さら勉学に割くような時間はいらないのだけれど、雇用主に止められればしかたない。司くんはそういうことを考える人じゃないけれど、僕だけ自由に過ごしていたら普通は嫌な気分になるだろうしね。
     というわけで、夏休み期間のワンダーランズ×ショウタイムは通常公演とナイトショーで目一杯活動予定だ。労働基準法に違反しない範囲で。

     さて、日曜日の昼公演も終わり、明日からの数日間学校へ行けば夏休みの始まりだ。今日の反省会を終えてさあ帰ろう、というタイミングで「類」と声をかけられた。

    「今日の夜、電話してもいいか」

     現在絶賛恋人中の司くんだ。告白のOKを受けたのが一昨日の金曜日。それから土日の二日間はショーの公演があって忙しく、恋人になったからと言って何か変わることは無かった。態度もいつも通り、信頼し合う座長と演出家だ。忘れていたわけじゃないけれど、ショーのスイッチが入ると僕も司くんも他の思考を差し込めなくなる。今回はそれでよかった。じゃないと僕はポンコツで使い物にならなかっただろう。
     しかし……電話。わざわざ確認しなくても、と思ったけど、なにやら司くんがそわそわしてる。僕を見上げて得意げに笑う顔。

    「デートの相談をしたくてな!」
    「っで……えと」

     びっくりして言葉がカタコトになってしまった。デート。なるほど、交際にはつきものだが、司くんの口から出るとは思わなかった。もちろん僕がその誘惑につられない訳がない。

    「嬉しいよ、待ってるね――」
    「えー! 司くんたち遊びに行くの? いいな~」
    「えむ」

     にょっと僕らの間に顔を突き出したのはえむくんだ。羨ましそうな視線を向けている。
     彼女は僕と司くんがこの夏でワンダーステージをお休みすると知って以来、時々寂しそうな表情をする。すぐにいつもの元気いっぱいな笑顔に戻るのだけど、ちょっと心が揺れてしまう時があるみたいだ。司くんもそれを知っているので、「なら一緒に行くか」なんて言い始めた。
     ……まあ、みんなで遊びに行くのも楽しいからいいんだけれど。デートという単語に浮かれた僕がバカみたいだ。司くんによって浮き上がった気持ちが司くんによって打ち落とされる。付き合ったはずなのに、片想いの気分だ……いや、実際好きなのは僕だけなんだし間違いじゃない。
     司くんの提案を聞いたえむくんは、びっくりした顔でブンブンと勢いよく首を横に振った。

    「わ、ごめんね違うの! ダメだよ! デートなら司くんと類くんで遊びに行かないと!」
    「類に睨まれちゃうしね」

     えむくんの隣で首を突っ込んできた寧々が僕を揶揄うように笑う。
     ……そう、学校での告白騒ぎはあっと言う間に周囲に広まり、寧々に伝わり、必然的にえむくんにも伝わった。いつか終わる関係なのだから、こうやって広まってしまうのは司くんにとってよくないのでは、とも考えたのだが、当の本人はケロッとしている。曰く、別に隠すものでもないだろう、とのことだ。うーん。
     幸いなことに二人は御覧の通り、僕たちの新しい関係に好意的である。

    「あ、でもでも、せっかくの夏休みなんだから、みんなで遊びたいな~」

     この意見には僕らみんな大賛成だ。あれがやりたい、これがやりたいとワイワイ話し合う中、司くんとバチッと目が合った。にこっ。僕にだけわかるように笑みを浮かべて、話し合いに戻る。
     悪魔だ。その仕草だけでデートの件で沈んだ心は簡単に浮上する。案外僕って単純なのかも。











     三日後の水曜日。今日で授業は終了、明日から夏休みがスタートだ。放課後はショーの練習が無いため、司くんと初デートに行く予定である。
     受験生と言えど長期休みは心が躍る。クラスのみんながそわそわしながら、ホームルームが終わるのを今か今かと待っていた。
     号令とともに礼をすると、教室内が一気に騒がしくなる。それと同時にガラッとドアが開いて、「類!」とよく通る声がした。廊下側に目を向ければ、教室を覗き込む司くんが「早く行くぞ!」と手招いている。遠足が待ちきれない子供のようだ。

    「お、司だ」
    「変人ワンツーもとい恋人ワンツーじゃん。神代とデート?」

     ちょうどドアのそばにいたクラスメイトたちが司くんに話しかける。去年同じクラスだったんだろうか、やけに気安い感じだ。
     司くんは彼らの揶揄うような問いかけにも一切照れず、「ああ!」と元気よく返していた。まあ揶揄うと言っても嫌な感じじゃなくて、楽しんで来いよ、なんて快く送り出してくれた。司くんの人徳によるものなんだろうけど、なんか釈然としないというか……。



     ぐるぐる考えている僕をよそに、司くんは上機嫌で僕を連れて、今日の目的地であるショッピングモールへ向かった。お目当ては現在上映中のミュージカル映画だ。
     ところが映画館に到着し、さあ入ろう、というタイミングでチケット料金を払う払わないで揉めてしまった。

    「オレが誘ったんだからオレが払う」
    「割り勘でいいだろう? 僕ら学生なんだし」

     発券機から離れたところで、二人でああだこうだ言い合う。司くんは何故かいつもより頑固で意見を曲げようとしない。そもそも遊びに行くときに改まって奢った試しなんてないのに、今日は一体どうしたんだろう。
     司くんはしばらくの間、むむむ、と難しい顔で唸っていたが、結局折れてくれた。それぞれお金を出し合って発券されたチケットを受け取る。

    「恋人として完璧にエスコートしたかったんだが……」

     そう言って司くんがしょんぼりと肩を落とすと、心なしかふわふわの髪の毛も元気を失ったようにぺたんと萎れた。
     というかやけに張り切っているなと思ったら、エスコートしてくれていたのか。ここに来るまで必ず車道側を歩いたり、ドアを開けてくれたり、荷物を持とうとしてくれたり……。なんだか得意げでかわいいな、とは思っていたけど、なるほど。彼氏らしく振舞ってくれていたわけだ。

    「誘ってくれただけで嬉しいんだよ。ほら、早く中に入ろう」

     納得のいってない司くんの背を優しく押しながら、チケットに書かれた数字を目指す。上映が始まってしまえば先程まで揉めていたことなんてすっかり忘れてしまうだろう。



    「すごかったな!」

     案の定映画を見終わった司くんは興奮しながら僕に話しかけてきた。こういう時の彼は注意力が散漫になっているから、人や物にぶつかったりしないように肩を抱いて誘導するのがお決まりになりつつある。自分より少し低い位置にある肩を、そっと押しながら人混みを抜けていく。
     そのまま近くのカフェに入って、レジ前で彼の分のドリンクも注文すると、ハッと気づいたようにあわてて財布を取り出した。いつもしっかりしている司くんが一つのことに夢中になっている(しかも僕に話そうと一所懸命になっている!)このふわふわ状態が結構好き……というか大変かわいらしいので、ドリンク代くらい僕が払ってもよかったのだけれど、まあいいか。
     払い終わったはいいものの、話したくてしょうがないのか、司くんはすぐにそわそわし始めて、体を揺らしたり、僕の顔をチラチラと見たりする。商品を受け取り空いている椅子を引いてあげると、ストンと座って、待ってましたと言わんばかりに話し始めた。
     いかに俳優の演技がよかったか、ダンスのキレが素晴らしかったか、あそこの見せ方は単純だけど綺麗だった……。
     キラキラ。まるで目の中で星が瞬いているようだ。
     もちろん僕も彼に負けじと話し出す。楽しい。同じ熱量で意見を言い合えるのがすごく嬉しくて、彼と居るとついつい話し込んでしまう。
     気づけばもう日暮れだ。夏の夕日はまだまだ辺りを明るく照らしているけど、帰った方がいい頃合いだろう。駅まで並んで一緒に帰る道中も、興奮冷めやらず、といった風に話し続けている。ちょっと危ないから、今度は僕が車道側。司くんは彼氏の心得なんて頭のどっかへやってしまって、おしゃべりに夢中だ。でもこうやって自然体でいてくれる方がしっくりくるし、僕も嬉しいから何の問題も無い。
     でもこれ、デートというかほとんどいつも通りだ。まあいいか。











     真上に昇った太陽がまぶしい。小さくなっていく日陰を追いかけるようにして、僕と寧々は家の外壁に向かってじりじりと後退する。
     今日は夏休みに入ってすぐの休演日で、さっそくえむくん主催のバーベキューパーティーに御呼ばれすることになった。場所は鳳家の庭で、迎えの車を出してくれるらしい。もうすぐ到着するという連絡があったため、こうして二人並んで家の前で待っているのだ。

    「寧々は前にえむくんの家にお邪魔したんだっけ」
    「うん。……なんかもう、次元が違ったけど」

     僕の横で寧々が乾いた笑いを浮かべている。多角経営している鳳財閥なのだから、まあ、推して知るべし、というところなのだろうか。
     二人してぼうっと待っていると、黒い、やけに長い車体が音も無く目の前で停車した。寧々と黙って顔を見合わせる。……リムジンだ。
     僕も寧々もその場で突っ立っていると、後ろのドアが自動で開き、えむくんがひょこっと顔を出した。

    「二人ともお待たせ! 乗って乗って!」
    「う、うん」

     寧々と二人、手を引かれるがまま足を踏み出す。思わず自分の靴が汚れていないか確認してしまった。まあ、こんな車そうそう乗る機会がないだろうし、せっかくなら満喫すべきだろう……寧々はそうもいかないようだけれど。
     と、苦笑したところで中から聞き覚えのある、溌溂とした声が聞こえた。

    「類も寧々も、早く乗らないと出発できないぞ!」

     司くんだ。彼は一足先に乗っていたらしくて、はしゃいだようにシートをぽんぽんと叩いている。横に来い、ということだろうか。まるで自分の物みたいにリラックスしている。
     お言葉に甘えて彼の隣に座ると、車の中とは思えない柔らかさだった。寧々はもうかちかちに身を小さくしていて、そのままシートに沈んでいきそうな勢いだ。

    「あ、アンタたちなんでそんな平然としてるわけ……」
    「ふふん、世界のスターになれば高級車などいくらでも乗るだろうからな! 今のうちに予行演習しておいた方がいいぞ、寧々! いつか共演した暁にはオレがエスコートしてやる!」

     そう言うと司くんは胸を張って高らかに笑った。何事にも物怖じしないのが彼の長所だ。
     でも、ふうん……、エスコート。
     パッと数日前の記憶が蘇る。
     もちろん例え話ではあるし、紳士的なところがある彼だから実際そうするんだろうけど、前回のデートで司くんがエスコートしてくれたのはべつに特別なことじゃなかったんだな、って思うと何だかモヤモヤする。……あー、今の僕、すごく面倒くさい奴だな。もしもの話で勝手に落ち込んでる。
     悶々とする気持ちを感じ取ったのか、寧々が僕の方をチラッと見て「遠慮しとく」と返していた。年下の女の子に気を使わせている。

    「よーし、出発しんこー!」

     僕のフクザツな男心など気にするはずもなく、えむくんの元気のいい号令とともに静かに車が走り出した。





     丁寧に手入れされた芝生の上には、あらかじめセットされたバーベキューコンロ。すぐそばにあるテーブルに肉やら海鮮やら野菜やらが大量に積まれている。本当に四人分なのかな。一応僕ら三人とも手土産は持ってきたのだけど、食べきれる気がしない。

    「お兄ちゃんたちにパーティーするのって言ったら、プレゼントだって!」

     えむくんの家……まあ家だろう建物に到着すると、お手伝いさんが出迎えてくれて庭へと案内された。ご家族はみんな出払っているらしい。寧々は来たことあるはずなのにまたもや固まっていた。
     案内された庭も、都内とは思えない広さだ。天然芝の緑が目にまぶしい。とりあえずコンロ脇のテーブルに集まってあれこれと物色する。
     みんな遠慮しないでね、とのことなのでありがたく頂くことにしよう。
     夏の日差しは強いけど、パラソルが設置してあるおかげで過ごしやすい。食べ始めてしまえば豪邸に尻ごみしていたことも忘れて、みんな大はしゃぎだ。肉の油が網から垂れてボッと火柱が立つと、それだけできゃあきゃあと騒いでしまう。

    「こら、類」

     串に刺さっていた野菜を司くんの皿にひょいっと乗せたら、呆れたような眼差しを向けられた。

    「僕と野菜は相容れないんだよ。人助けだと思ってさ」
    「まったく……」

     おや。珍しく小言が無い。
     しょうがない奴だな、と苦笑している司くんは、そのまま野菜を食べようとして固まった。

    「お、お前、これピーマンじゃないか!」
    「フ、フフ、あはは! ごめんよ、気づかなかったんだ」

     お手本のように顔色を変える司くんがおかしくて、ついつい笑ってしまった。くるくる変わる表情が面白い。お腹を押さえて笑っていると、横にいた寧々がジトッとした目をして口を挟む。

    「あんまり意地悪ばっかしてると嫌われるよ」
    「ええ、そうかな……」

     揶揄うのはいつものことだし、大丈夫だと思うんだけど。
     でもちょっと心配になって司くんを見ると、眉を寄せて皿の上を睨みつけている。親の仇を見るような目だ。

    「司くーん、あたしが食べてあげよっか?」
    「いや、えむ、オレの皿に乗ったならオレのものだ。お残しはしないぞ! えいや!」
    「おお~! 司くんかっこいい~!」

     ぱちぱちぱち。目を瞑ってピーマンを口に放り込んだ司くんにえむくんが拍手を送る。少し涙目になりながらも、得意げに胸を張った司くんがえむくんに笑いかけている。

    「…………」
    「ちょっと、えむに嫉妬しないでよ」

     寧々の冷たい視線が刺さる。まったくもってその通り。ダメダメだ。自分は意地悪しておいてこの体たらく。

    「司くん……」
    「ん? 何だ、類」

     司くんはケロッとした顔で僕の方を見る。ピーマンを食べさせられた恨みなんてどっか行ってしまったみたいだ。こういう切り替えの早さが司くんのいいところであり、僕が甘えてしまう原因でもある。いや、人の所為にするのはよくないな。
     ふう、と息を吐いて覚悟を決める。

    「……司くんが食べさせてくれるなら、その、ほんのちょっとだけ、野菜を食べてもいいんだけど……」

     自分で言っておきながら、食べてもいいけど、ってどんな言い草だ。いや、むしろこれ、野菜に対してあり得ないくらい歩み寄っているんだよ。
     当の司くんは僕の言葉にびっくりして固まっていた。が、僕の気が変わらぬうちにとすぐに顔を輝かせて皿にあったかぼちゃを箸で摘まんだ。

    「ほら、あーん」

     素晴らしいシチュエーションのはずなのに、まったく嬉しくない。それに彼、恥じらいもためらいも無かったな。
     でも期待のこもった眼差しをしている司くんを裏切りたくない。一応これ、ピーマンの罪滅ぼしなんだし。
     薄くスライスされたかぼちゃを更に小さく分けてくれているのだ。優しいじゃないか。ええい、ままよ!
     ぱくっと箸に食いつき、なるべく噛まずに飲み込む。うえ、舌に味が残ってしまった。

    「お、おおー!? すごいぞ類!」

     まさか本当に食べるとは、とでも言いたげに目を真ん丸にしている。えむくんと寧々も同様だ。僕も自分が食べるとは思ってなかったよ……。
     満面の笑みを浮かべた司くんが、「えらいな~、類はえらいぞ~」なんて言って僕の背中をわしわしと撫でている。犬か何かかな。
     恋人の対応としてはいまいち微妙だけど、このくだらなさが面白くて思わず笑ってしまった。つられたようにみんなが笑いだす。日差しを浴びた芝生がきらきら光っている。

    「類、今日はどうしたんだ。野菜なんか食べたのに楽しそうだな」
    「フフフ。そうだねえ……ちょっと浮かれているのかもしれないな。こうやって夏休みにみんなで遊ぶなんて、子供の頃以来だから」

     何気なく言った言葉だったのだけれど、何か彼の心に響くものがあったらしい。司くんは目を見開いて、それからふわっと微笑んだ。
     それがすごく優しい表情で、やけに照れくさくなってしまった僕は、火照った頬を誤魔化すようにコンロのそばへ近寄ったのだった。











     夏休みと言えど学校へ登校する日もある。今日は夏期講習が午前中にあり、僕と司くんも参加した。まあ僕は小論文対策があるからと参加した司くんにホイホイつられただけなんだけど。
     僕と司くんは同じ大学の違う専攻を目指している。これは誓って偶然だ。偶然だけど、高校を卒業しても彼のそばにいられるのが嬉しくない訳がない。ただし、ちゃんと二人そろって合格できればの話だ。
     一般入試じゃないから小論文が必須なのだけれど、司くんはこれがどうも苦手なようで悪戦苦闘している。脚本を書くのとはまた違うしね。
     今日も頭を悩ませまくった司くんは、校舎から出るなり「げ……」と呻いた。

    「なんなんだこの暑さは……」
    「まったくだねえ……」

     ぶわっと全身に暑さがまとわりつく。ちょうど真上にある太陽がカッとまぶしく照っていて、痛いくらいの日差しが肌をジリジリと焼く一方、遠くのアスファルトでは陽炎がゆらゆらと揺らめいていた。心なしか蝉たちの声も元気がない。これまでで一番の暑さじゃないだろうか。毎年更新されるんだけどね。
     僕らは夏の暑さにひいひい文句を言いながらフェニックスワンダーランドに向かって歩いた。歩きなれた道なのに、ひどく遠く感じる。足が重い。

    「うあーー!!」

     突然司くんが叫び出した。びっくりした。不審者だよ、なんて突っ込む気力も無い。

    「我慢できん! 類、少し休憩しよう!」

     そう言うや否や、僕の右腕を掴みぐいぐいと引っ張ると目についたコンビニに飛び込んだ。自動ドアを抜け、一気にヒヤリとした空気に包まれる。掴まれていた腕がパッと離された。

    (あ……)

     空調が効いて寒いくらいなのに、掴まれた腕だけがまだジンジンと熱を持っている。司くんはさっさと冷凍ケースのコーナーに進んで行ってアイスを物色中だ。
     握られていた部分が何だかむずむずとして、僕は手の平でそっと擦った。

    「類、何か食べたいのあるか?」
    「え……いや、特にないけど……」

     急な質問に答えを出せないでいると、「そうか」と頷いて一つパッケージを手に取りレジに向かってしまう。
     その後姿を見送り、僕も何か買おうかな、とケースの中を眺めていたら、会計を済ませた司くんにまた引っ張られて外へ出てしまった。
     また灼熱地獄にご帰還だ。自動ドアからちょっと離れた屋根の下、司くんは暑い暑いと言いながらアイスの袋を開けている。僕、何も買わずに出てきてしまったんだけど、その横で君は冷たいアイスを食べるのかい。なんて恨み言を言おうとした僕の鼻先に、司くんがアイスの片割れを突き出す。二人で半分こできる、チョココーヒー味のアイス。

    「食べながら歩くと危ないから、ここで食べていくんだぞ」
    「う、うん……」
    「ほら」

    促されるままアイスを受け取る。司くんはさっさと上部を切り離して、蓋の端に残ったアイスをちゅうっと吸っていた。唇の隙間から、ピンク色の舌がチラッと覗く。

    「類? 早くしないと溶けるぞ」
    「あ、うん」

     あわてて司くんから目を逸らし、手の中のアイスを同様に切り離した。そのまま蓋を備え付けのごみ箱に入れようとしたら、「あー!」と怒られてしまった。

    「お前、ここが一番おいしいんじゃないか!」
    「ええ……味は変わらないだろう?」
    「いいから!」

     言われた通りに残ったアイスを吸う。もう溶けてしまって液状だ。ほんの少ししか無いし、さっき言った通り特別味が変わるわけでもない。
     これで満足かい、と横目で見れば、司くんはふふん、と何故か得意そうに笑ってアイスを食べ始めた。僕も彼にならって口をつける。思った通り、味は変わらない……はずだ。ムニムニと溶かすように手で揉みこむ。
     司くんも同じようにアイスを両手で握って揉みながら、気だるげに目を細めた。

    「あー。こうも暑いと、今日はステージでの通し練はやめといた方がいいかもな」
    「そうだねえ。大まかな調整だけ確認して、セカイで練習した方がよさそうだ」

     日陰にいるのに汗が噴き出てくる。アイスはあっと言う間に無くなってしまった。吸いきってぺったんこになったアイスの容器を捨てる横で、司くんはプッと容器を息で膨らませて逆さにすると、吸いきれずに残った液体を口に流し込んでいた。アイスに行儀も何もないけど、ちょっと意外な姿だ。
     僕が見ているのに気付いた司くんが口を開く。

    「む、捨ててしまったのか。ここが一番おいしいのに」
    「さっきも言ったじゃないか、それ」

     そうだったか、なんてとぼけたような顔で言う司くんがおかしくて、声を出して笑ってしまった。ああ、暑い。面白い。
     アイスで冷えたはずなのに、頬が熱を持っている。蟀谷を汗が伝う。

    「ごちそうさま。そろそろ行こうか」

     暑さで頭が茹っていたのかもしれない。
     それくらい何も考えずに彼の手を取った。ごく自然に。そのまま数歩歩きだしたところで、「え」という戸惑う声に体が硬直した。
     ギギギ、とゆっくり振り返る。目も口も丸く開けた司くんが握られた手を凝視している。前にも見た表情だ。そう、僕がうっかり告白したときの――。

    「ご、ごめん!」

     勢いよく手を離し、意味もなく顔の横でわたわたと手を振る。顔が熱いなんてもんじゃない。なんでナチュラルに手を繋いでしまったんだ!
     司くんも司くんだ。さっきなんて自分から僕の腕を握ったじゃないか。そんなびっくりしなくても……いや、腕を掴むのと手を繋ぐのは全然違うよね。わかってる。
     あー、男同士で気持ち悪かったかな。引かれたかな……。
     悪い方へぐるぐる悩みこんでいると、うなだれた僕の指先に熱いものが触れ、柔らかく包まれる感触がした。
     びっくりして顔をバッと上げる。司くんは眉を寄せて怒ったような顔で、口をもごもごとさせていた。

    「ほ、ほら、早く行くんだろ……」

     そう言ってすたすた歩きだすものだから、手を引っ張られた僕はあわてて足を動かした。真っ直ぐ前を向く司くんの顔は僕からじゃ見えないから、どんな表情をしているのかわからない。
     熱い。
     指先から溶けてしまいそうだ。
     どうして繋いでくれたんだろう。……同情かな。
     司くんの心がさっぱりわからない。いや、正真正銘僕のためにしてくれてるんだと思う。彼はそういう優しいところがある。
     でも司くんは嫌じゃないんだろうか。好きでもない人と手を繋いで。僕は今、とっても幸せなんだけどさ。

     指先に力を入れると、ぐっと握り返された。どっちの汗かわからないけど、湿ってべとついている。
     フェニックスワンダーランドに着くまでの間、僕らはずっと無言で手を繋いでいた。











    「花火大会inセカイだよ~!」
    「やったやった~♪」

     イエーイ、とえむくんとミクくんがハイタッチを交わす。
     前回のバーベキューパーティーが終わってしばらくして、次の休演日はみんなでまた花火をやりたいね、という話が四人の中で出ていた。それならセカイのみんなもやりたがっていたし、ということで予定を合わせてもらって、今日はセカイで花火大会だ。腕が鳴るなあ。
     夜でもセカイにあるアトラクションの明かりはまぶしいくらいで、僕らはショーテントで影ができた、ちょっと薄暗い場所に集まっていた。
     えむくんとミクくんは大はしゃぎで手持ち花火を選んでいる。その後ろからリンくんとレンくんも楽しそうに覗き込んでいて、カイトさんはその姿を見守るように眺めていた。

    「ルカ、花火は危ないから寝ないように……って、あら?」
    「今日は~なんだか目が冴えちゃってるのよね~」
    「へえ……珍しいね」
    「ソウデスネ」

     メイコさんはいつも通りルカさんの面倒を見ようとして、肩透かしを食ったようだ。寧々が不思議そうな顔で首を傾ける横で、ネネロボも真似するように首を動かしている。

    「わー! お前ら、危ないから押すんじゃない!」

     司くんはというと、僕らが来たと聞いて集まってきたぬいぐるみくんたちをこっちに来ないように押しとどめていた。ふわふわしてるけど物量のせいか押され気味だ。万が一引火して燃えてしまったら大変だから、可哀そうだけど遠慮してもらうしかない。
     ぬいぐるみくんたちの残念そうな声と、うるうると光る目(のように見える)に、司くんは苦笑してぽんぽんと頭を撫でてやっている。まさしく面倒見のいいお兄さんだ。

    「わかったわかった。手持ち花火は危ないが、打ち上げ花火はみんなで見ような――」

     途中で僕の視線に気づいた司くんがこちらに目を向ける。ニカッといつも通り笑う顔に、僕は反射で微笑んだ。そう、いつも通りだ。
     二人で手を繋いで歩いたあの日。フェニックスワンダーランドの入り口に近づくと自然に手が離れ、何事も無かったかのようにワンダーステージへ向かった。それ以来、司くんの言動は普段とまったく変わらない。

     ここで僕はまた面倒くさいことを言うが、恋人らしいことをしても司くんの態度が変わらないことにがっかりしてしまっている。ほら、面倒くさい。
     彼の態度は一貫して仲のいい友人のままだし、あれから距離が縮まったなんてこともない。どこまでも僕の片想いだ。
     元々司くんの気の迷いで始まった関係なのだ。名前だけでも恋人という枠に入れてもらえたことを喜ぶべきなのに、心が交わらないことが、時々無性に寂しく感じてしまう。

    「類くん」

     みんなが花火を持ってワイワイはしゃいでいるのをぼうっと眺めていたら、いつの間にかカイトさんが隣にいた。手にはロウソクとマッチ、それに線香花火の束。

    「僕らは少し静かに楽しもうか」

     にこっと微笑むとその場にしゃがみ、危なげない手つきでマッチを擦る。花火の袋に備え付けで入っていた小さなロウソクに火を灯すと、はい、と線香花火を渡された。

    「……じゃあ、お言葉に甘えて」

     カイトさんにならって僕もその場にしゃがみ込み、花火をロウソクに近づける。火薬に火が付いてしばらくすると、先端からぱちぱちと火花が飛び出した。どんどん勢いが増していって、不規則な線状の黄金色がぱっぱっと躍る。

    「この線香花火って、綺麗だね。一番好きかもしれないなあ」
    「僕もだよ。この儚い感じが人の心を惹きつけるのかもね」
    「なるほど……あっ」

     ぽとん。少し動いた弾みでカイトさんの持っていた花火から火球が落ちて消えてしまう。僕の方は小さいが辛うじて残っていた。

    「うーん、なかなか難しいんだね」
    「フフ、宣伝公演の時、みんなで遊んだのを思い出すなあ……」

     あの頃も司くんに恋していたけど、こんなにぐるぐる考え込むことは無かった。一緒にいられるだけで嬉しくて、ドキドキして……それで満足だったんだ。一生伝えることはないと思っていたのに。
     気づいたら僕の花火も終わっていて、カイトさんにまた新しいものを手渡された。ジジジ、と火が着くのをじっと待つ。

    「類くんは悩み事があるみたいだね」

     ゆっくりとした口調でカイトさんが言う。気を遣ってくれているのは感じていたから、その発言に驚くことはない。
     弾けだした火花を見つめながら口を開く。

    「まあ、少し……」
    「司くんのことかな? お付き合いを始めたんだっけ」
    「――――え!?」

     前言撤回。めちゃくちゃ驚いた。
     驚いた拍子に花火の先っぽが落ちてしまって、新しい花火はあっという間に消えてしまった。ああ……、なんてカイトさんは残念そうにしているが、花火どころじゃない。

    「え、し、知ってるのかい……」
    「うん。たぶん付き合ってすぐじゃないかな……報告があるって言って、みんなに」
    「セカイのみんなにも言ったのか……」

     何がしたいんだ、彼は。
     頭を抱えて一気に脱力してしまった僕を、カイトさんは微笑ましげに見守っている。こっちの気持ち的にはまったく微笑ましくないのだけど。本当、司くんは予測不能すぎる。

    「ええと、じゃあ、経緯は知ってるのかな」
    「そうだね。告白されたから、お付き合いするって」
    「はあ~……」

     ああ、もう。照れと、よくわからない苛立ちとで、顔を上げられない。カイトさんはとうとう声を出して笑っていた。
     もう、この際相談してしまった方がいいかもしれない。客観的な意見が欲しい。開き直ってしまえ。

    「まあ、そういう感じで、一応司くんと付き合っている状態なんだけど……」
    「一応?」
    「司くんは、流れで了承してくれたというか、僕が一方的に好きなだけというか……」

     口に出して言うと、余計に落ち込むな、これ。
     カイトさんは少し驚いたように目を瞬かせ、僕の顔を見ている。その手にあった花火もいつの間にか消え、ロウソクの火だけが周囲をぼんやりと照らしていた。少し離れたところではみんなが騒いでいるのに、ここだけ空間が切り取られたように静かだ。

    「うーん、僕はあまり詳しくないけど、そういうきっかけで恋人になる人たちは大勢いるんじゃないかな?」
    「うん……わかってはいるんだけど……」

     カイトさんの言ってることは正しい。そうやって愛し合って幸せになるカップルなんてごまんといるだろう。そして、そうじゃないこともある。
     司くんはそもそも僕のことを恋愛的には好きじゃなくて、これから好きになることも限りなく無い。気の迷いで付き合っているうちに、やっぱり好きになれない、なんて彼がいつか気づいてしまうのが怖い。それは明日かもしれないし、もっと先の話かもしれない。僕は来たる日に怯えて、なのに、数パーセントは可能性があるんじゃないかと期待をしてしまっている。臆病で、浅ましい。
     これじゃ、単なる片想いの方がよっぽど気楽だったな。
     あっと言う間に消えてしまった花火を、くるくると指先で回す。カイトさんは柔らかく目を細めながら、そっと口を開いた。

    「類くんは、司くんに同じ想いを返してほしいんだね」
    「……うん。でも無理な願いだよ。好きじゃないものを、好きになってもらうことなんてできないから」

     手を繋いだ時を思い出す。怒ったようにつり上がった目。やっぱり嫌だったんだろうか。きっとそうだろうな。

    「……変な話に付き合わせてすまなかったね。せっかくの花火なんだから、カイトさんもみんなと楽しまないと」

     恋人になれたことを素直に喜べる性格だったらよかったんだけど。
     ため息を吐いて立ち上がろうとする僕を、カイトさんがもう少しだけ、と引き留めた。どこまでも優しい声。

    「気持ちの問題だから何かできるわけじゃないけれど……いっそのこと司くんに訊いてみたらどうだい?」
    「司くんに訊く……?」

     僕のことどう思ってる? 好き――?

     いやいやいや。面倒くさいことこの上ない。女の子がやったらかわいいだろうけど、自分より図体の大きい男にされても困るだろう。絵面が無理だ。
     自分の想像に思わず首をぶんぶんと振る。

    「でも不安な気持ちのまま付き合ったって、お互いによくないと思うんだ。司くんなら真剣に聴いて、真剣に答えてくれるよ」
    「それは、まあ……」
    「それにね――」

     いまいち納得しきれない僕にカイトさんは何か言いかけようとして、ふふっと笑った。

    「これは言わないでおこうかな。とにかく、一度類くんの気持ちを話してみるといいよ。悪いようにはならないから」

     僕が保証するよ、とウインクが飛んでくる。パチンッ。最初から司くんの想いのセカイにいて、みんなを見守ってくれている、頼りになるバーチャルシンガーだ。その言葉を疑ったりはしないけど……。
     でも話を聞いてもらって、少し心が軽くなったかもしれない。寧々やえむくんにはこんな弱音吐けないからね。
     わかったよ、と答えたところで「類くーん!」と呼ぶ声がした。綺麗なボーイソプラノだ。

    「レンくん?」
    「類くんが持ってきた打ち上げ用のちっちゃな大砲、どうやって使うの!?」
    「あれかい? 今行くよ」

     そういえば自作の打ち上げ花火を持ってきたんだった。いわゆる家庭用の、小さなやつだ。
     僕が返事をするとレンくんはほっとしたように笑って、僕の腕を引っ張っていく。声をかけたタイミングからして、こちらの様子をうかがっていたみたいだ。気を遣わせたみたいで申し訳ないけど、ちょっと嬉しくもある。
     花火の周りにはミクくんやえむくんたちが目を輝かせて待ってくれていた。レンくんに使い方を指南して一つ試しに打ち上げてもらう。ピーーー! と甲高い音を上げて頭上に花が咲いた。よしよし、成功だ。

    「な、なんだ!?」

     急に鳴った音にびっくりした司くんが、びゃっと跳び上がった。蛇に驚いた猫みたいだ。心なしか髪の毛も逆立っている。
     反応が面白くて吹き出すと、司くんは眉をキッと吊り上げて「類ー!」と僕の方を振り向く。そのまま大きく口を開けて何か言おうとして、でも僕の顔を見たら気が抜けたように眉が下がって口をつぐんでしまった。どうしたんだろう。

    「司くん?」
    「いや……大きい音が出るなら、あらかじめ言っておいてくれ。びっくりするだろうが」
    「? ごめんね」

     いつものように大騒ぎで文句を言われると思ったのに、拍子抜けだ。司くんは頬を緩めつつ眉根を寄せるという複雑な表情をしている。チラッと僕の後ろを見たかと思えば、すぐにいつも通りのキラキラした笑顔になって、「でもすごくきれいだったぞ! あんな小さい装置なのに迫力もあったしな!」と僕の肩を叩いた。
     ワンダーステージでも使ってみたいな、なんて話に相槌を打ちつつ、さりげなく先程の視線の先を見る。ぬいぐるみくんたちに囲まれながら、みんなが打ち上げ花火に近づきすぎないように優しく誘導しているカイトさん。僕の視線に気づいたようで、何か含んだような笑みを浮かべている。
     一体何なんだ。











     えむくんがうるうると瞳を光らせながら、じーっと司くんを見上げている。そんな顔でおねだりされたら、いつもならすぐに折れて言うことを聞いてしまう司くんだが、今回の彼は非常に手強い。腕を組んで仁王立ちし、フン、とそっぽを向いている。その姿からは、絶対に絆されないぞ、という強い意志が感じられる。
     ただし罪悪感があるのか、引き結ばれた口元はヒクヒクと引き攣っていた。

    「司く~ん!」
    「ダメだ!」
    「つーかーさーくーーーん!!」
    「ダメなものはダメだと言ってるだろうが!!」
    「ええ~~~!!」
    「はあ……、二人とも、落ち着いてよ」

     見かねた寧々が二人の間に割って入る。仲間二人が喧嘩している――わけではないから、早く終わんないかな、という呆れた表情だ。どうにかしてよ、と視線を向けられても、どちらかが折れないことにはどうしようもない。僕が肩を竦めるポーズをとると、寧々は大げさにため息をついて睨んできた。不甲斐なくて悪いね。

    「……っていうか、蛍もダメなわけ?」
    「ダメに決まってるだろーが!! 虫だぞ!?」
    「ええ~、あんなにほわほわしてきれいなのに~」
    「まあ外見がどうだろうと昆虫だからねえ」

     そう、論争の的は蛍である。
     都内にある鳳グループ所有のホテルにて、日本庭園を利用した蛍の鑑賞会が毎年行われているらしい。市街地からそう遠くない都会の中、蛍の幻想的な光が味わえると、かなり好評なのだとか。せっかくだからみんなで行こうとえむくんが誘ってくれたのだけれど、それに難色を示す人物が一人。そう、虫嫌いの司くんだ。

    「自ら虫の居る空間に入って行くなど、自殺行為じゃないか! 寧々、お前は大丈夫なのか!?」
    「え……別に。蛍はきれいだし」
    「裏切り者~!」

     うおー! と頭を抱えて司くんが雄叫びを上げる。本人は真面目なつもりなんだろうけど、表現がオーバー過ぎてコミカルだ。面白いことこの上ない……けど、このままじゃ埒が明かないな、と思っていたところで、司くんが「はあーーー」と大きく息を吐いた。

    「とにかくオレは行かないぞ。三人で行ってくればいいじゃないか」
    「ええ~司くんいないの寂しいよぉ~」

     一瞬「うっ」と気が咎めたようだったけど、えむくんの上目遣いうるうる攻撃も今回は効かない。司くんはやっぱり首を振って断った。

    「オレは虫を見たら絶対に叫ぶ自信があるぞ。みんなが蛍を楽しみに来ているのに、そんな奴がいたら嫌な気分になるだろう」
    「そっかあ……」

     しゅん、と肩を落とすえむくん。司くんらしい、思いやりのある理由だ。納得はしたようだけど、残念なことには変わりない。司くんも申し訳なさそうに頭を掻いている。
     司くんの言うことはもっともだし、嫌がる彼を無理に連れて行く気にはならないけど、えむくんのみんなで遊びたいって気持ちもわかるしなあ……さて、どうフォローしようか。
     何か言え、とアイコンタクトを送ってくる司くんに苦笑しつつ口を開いたところで、「ねえ」と寧々が口を挟んだ。

    「じゃあ司と類でどこか行って来たら?」
    「「え?」」

     思わず僕と司くんの声がハモる。

    「えむは司を仲間外れにするのが嫌なんでしょ。蛍はわたしとえむで見に行って、司と類は別の場所で遊べばいいじゃん。そもそも最近、四人で遊んでばっかだったし」

     そう言うと今度は寧々がちらちらとアイコンタクトを送ってくる。まずい、何を伝えたいのかわからない。とりあえず賛同しとけばいいのだろうか。僕と、司くんの二人で、遊びに……二人で!?
     うーん……。
     ――ここで白状させてもらうと、僕はセカイでの花火大会以降、司くんと二人きりになるのを極力避けている。カイトさんと話して心の整理がついたはずなのに、何故か尚更怖くなってしまったのだ。二人きりになって、友達でも仲間でもない、恋人という関係性をまとった時に、彼が正気に戻るのを。
     だからさりげなく二人になるのを避けていたのだけど、そうとは知らない寧々は気を利かせてくれたんだろう。いや、むしろ僕の微妙な距離感を察して言ったのかもしれない。
     悶々と考え込むうちに、司くんがぽんっと手を叩いた。

    「なるほど! オレたちと寧々たちで、それぞれデートだな!」
    「「で……!」」

     今度は寧々とハモってしまった。いや、僕と司くんの関係的には正しいんだけど、前回しかり、彼は何の躊躇いも無く言うから心臓に悪い。咲希くんは友人同士で遊びに行くことを“デート”と言うらしいから、それに影響されて気軽に使うんだろうな。
     ただし、えむくんの気分を上げるには最良だったらしい。

    「デート!! 寧々ちゃんと!?」

     ただでさえ大きな目を丸くさせて、えむくんが跳び上がった。みるみるうちに瞳が輝いていく。「デート! 寧々ちゃんと!? デート!?」と大はしゃぎで、寧々の周りをあっちにぴょんぴょんこっちにぴょんぴょん。流石の跳躍力だ。その中心には、恥ずかしそうにプルプルと震える寧々。しばらく黙っていたけど、えむくんのボルテージがどんどん上がっていくのに耐えられなくなったようで、ガッとえむくんの肩を押さえて動きを止めた。

    「えむ! わかったから! 大人しくして!」
    「はあ~い♪」

     えむくんはご機嫌にこにこ状態、寧々も寧々で満更でもなさそうで、怒った顔をしながらも口の端がにまにま緩んでいる。あれだけ喜ばれたら悪い気がしないというか、嬉しくてしかたないだろうな。図らずも司くんの発言によって丸く収まってしまった。
     二人の様子を微笑ましく眺めていたら、つんつん、と腕をつつく感触がして横を見る。いつの間にか司くんが隣に立っていた。こっちも満面の笑みだ。

    「じゃあ、決まりだな!」





     という訳で、僕はただ今駅前の待ち合わせスポットでぼうっと突っ立っている。夏の夕方はまだまだ暑さが引かない。夏休みのせいか、大勢の人が僕と同じように待ち合わせをしていて、人いきれに茹だってしまいそうだ。
     手持ち無沙汰にスマホを取り出して時間を確認するが、ちっとも時計が進んでいない。家で作業していてもまったく手につかず、だいぶ早めに来てしまったのだ。待ち合わせの時間までまだ二十分もある――。

    「類!」

     人混みでもよく通る声が聞こえて、パッと顔を上げた。大きく手を振っているから、周りの人たちも自然と彼に目を向けている。ただでさえ目立ちやすいのに。
     僕の所まで小走りで来た司くんは、ふうと息を吐いた。ちょっと頬が赤い。暑い中走った所為に違いないけど、僕とのデートでちょっとでも高揚してくれているなら嬉しい。何だかんだ言って、僕は今日が楽しみだったのだ。うじうじと悩んでいたくせに都合がいいが、できるだけ司くんと一緒にいたいのも本心だ。

    「早いな。待たせてしまったか?」
    「ううん、司くんも十分早いよ。僕が早過ぎただけだから」

     あ、この会話、ちょっとベタだけど恋人っぽいやり取りだと思ってしまった。浮かれているな、僕。
     照れを隠すようにシャツの胸元を掴みぱたぱたと風を送っていると、司くんは僕の返事に目を細めて笑った。

    「今の言い方、恋人っぽかったな!」

     ……彼のこういうところが、僕を惑わせるのだ。





     電車で数駅移動した先、街中にある小さな水族館。ここが今日の目的地だ。前回の映画デートは司くんチョイスだったため、今回は僕が行き先を選んだ。
     人の並んでいない受付で料金を支払い、チケットを受け取る。二人分払おうとしたら、司くんに怒られてしまった。前回とやってることが違うじゃないか、と。もっともである。司くんのカッコつけたい気持ちがちょっと理解できた。
     水族館と言ってもビルの中にある本当に小さなもので、展示物も熱帯魚やクラゲがメインだ。イルカやペンギンなんてもちろんいないし、大掛かりな水槽もない。小ぶりな水槽が館内に点々と置いてあるだけだ。ただそれが、中の展示物が映えるように効果的にライティングされていて、僕はこの場所がけっこう好きだったりする。中学の頃はよく一人で来てぼんやりと水槽を眺めていたものだ。

    「おお……」

     というわけで、派手なものが好きな司くんには物足りないかな、と思っていたけれど、杞憂だったようだ。
     薄暗い中、水槽の青い光に照らされた横顔はキラキラと輝いている。僕の、大好きな表情だ。
     円形にくりぬかれたパネルから見る水槽に、小さなクラゲたちがぷかぷかと漂っている。水流にゆったりなびく水草と淡い光が幻想的で、まるで一枚の絵画を見ているようだ。小さな水槽に、小さな世界。こっちのクラゲはまん丸、風船の形。隣のクラゲたちは対称的に細長い。尾を引く流れ星だ。空の海を自由に飛び回る星クラゲに憧れて、はみ出し者の風船クラゲが一匹、空へゆらゆら浮かんでくる。孤独で暗い海の中を抜けたその先。光り輝くお星さまに出会うのだ。なんてね。
     昔もよくここで即興の物語を考えては空想に耽ったものだ。一人懐かしさに浸っていると、隣にいた司くんが笑った気配がした。
     不思議に思って横を見る。何か慈しむような目で僕を見ている……うん?

    「司くん?」
    「いや……ふふ、なんでもないんだ。それよりこのクラゲ、丸っこくてかわいいな。風船みたいだ」

     ごまかすように笑って、目の前の水槽を指さす。
     何を考えていたのかも気になるけど、彼の発言が自分の思ったこととそっくり同じで、なんだか嬉しくなってしまった。ふにゃふにゃと口元が緩んでしまうのが自分でもわかる。そのまま調子に乗った僕の口は、持ち主の意思に反してペラペラと先ほど描いたクラゲの物語を紡ぎだす。
     せっかく水族館に来たのに、と思わなくはないけど、それならこういうストーリーにして、と嬉々として話し出す司くんも僕と同類だ。ショーのことばっかり考えていて、何を見てもショーに繋げてしまう。でもそれがすっごく楽しくて、自然体でいられるから、司くんの隣は心地いいんだと思う。息がしやすいんだ。
     気づけばだいぶ水槽の前で話し込んでしまった。ここは心配になるくらいお客さんがいないから邪魔になることはないだろうけど、そろそろ移動しよう。そう言って司くんを促そうとしたら、よかった、とにっこり笑った。

    「何がだい?」
    「今日の類は楽しそうだからな。……最近、何か考え込むことが多かっただろう?」

     僕の方を見て、そっと目を伏せる。まつ毛の影が落ちて淡い色の瞳が少し隠れたけど、優しい光をたたえている。
     僕はそれにどう答えればいいのか――自分でもわからなくて、じっと黙っていた。心配させてしまった罪悪感とか、喜びとか。僕のこと気にしてくれてたんだ、見てくれてたんだ。でも司くんなら相手が誰だろうと心配するに違いない。そういうところも好き。感情が行ったり来たりする。君の所為で、僕は思い悩んでいるんだよ。全部君の所為だ。責任を取ってほしい。
     脳内で勝手に責任を被せていることなど露知らず、当の本人はバッと右手を広げ、左手を胸に当てた。

    「……だからだな、悩みがあるなら話してくれ! オレたちは、恋人なのだから!」

     胸を張って、いつも通り、かっこいいポーズ。司くんらしい。何の躊躇いもなく、まっすぐに僕の目を見つめてくる。

     恋人、か……。

     パッと頭に思い浮かんだのは、セカイで話を聴いてくれたバーチャルシンガーの姿。『いっそのこと司くんに訊いてみたらどうだい?』という言葉が甦る。それと同時に、僕が楽しそうだからって、優しい表情を見せた司くんのことも。
     正面を見れば、司くんは僕が心の内を話してくれるって、信じるかのように黙って僕を見つめていた。薄暗いのに、目が焼けそうなくらいまぶしい。まっすぐな目。
     ごくりと唾を飲み、唇を舐めて湿らせる。

    「その、僕の気持ちの問題なんだけど……」

     やけにドキドキする。

    「何だ?」
    「……僕は司くんが好きで、司くんは僕の告白に応えてくれたけど、僕を好きじゃないだろう? それが何だか寂しくて……わがままな気持ちだってわかっているんだけど」

     途中で止まらないように、一息で言った。言ってしまった。仮にも恋人という関係の相手に言うには失礼な話だと思う。でもこのままじゃ駄目だって言うカイトさんの言葉もわかるんだ。
     しゃべっている間、司くんの顔を見れなくて、ずっと胸の辺りを見ていた。
     恐る恐る顔を上げる。

    「え」

     無表情だった。
     悲しむでも怒るでもなく、無表情。
     いつも感情を顔いっぱいで表現する人だから、怖いくらいだった。
     僕はびっくりして彼を凝視することしかできない。自分の発言なんて忘れてしまっていた。声をかけることもできず、はくはくと口を開ける。

    「そうか……」

     やけに長い沈黙が過ぎた気がしたけど、おそらくほんの少しの間だ。
     司くんが低い声で呟く。ふ、と一瞬顔を伏せ、ぱっと上げた時には、口角は上がっていたけど、眉はひそめられていた。ちょっと寂しそうで、苦しげな表情。だけど……正直ホッとした。先ほどの見慣れない表情に胸の辺りがざわざわしていた。

    「……帰るか」

     もう水族館を楽しむ雰囲気ではなくて、僕は司くんの言葉に素直に頷いた。館内の薄暗い照明が司くんの顔を隠す。
     ――僕の昔から好きな場所。独りの時間に寄り添ってくれた小さな水族館。少しでも気に入ってくれたらいいなって思ったら、予想外に楽しんでくれて。同じことを考えながら、あんなに熱中して話したのに。すごく楽しかったのに。
     今は体がひどく重く感じて、お腹がじくじくと痛む。前を歩く司くんは振り返ることもなく、横顔すら見えない。館内はクーラーが効きすぎて、寒く感じるほどだった。











     あれ以来、僕の日常は変わらない。ショーの練習をして、ショーをして、みんなで笑いあう。夏休みは大勢の人が遊びに来て、ワンダーステージも満員御礼だ。僕らはその時その時で最高のショーをして、お客さんから笑顔をもらう。やったね、と顔を見せ合って喜びを分かち合う。それはもちろん――司くんともだ。
     彼はいつも通り振舞って、いつも通り声をかけてくれる。何もなかったように、いつも通りだ。……前もこういうことがあったな。手を繋いだ時だっけ。つい最近の話なのに、懐かしい。
     逆にえむくんと寧々は(主に僕を見て)何かあったと勘づいているようだ。時々何か言いたげに僕の顔を見る。でも一方の司くんが普段通りだから口の差し込みようがないのか、静観してくれている。まあ僕の独り相撲みたいなものだから間違っちゃいない。これがいわゆる、自然消滅ってやつか。

     今日も最後の公演を終え、更衣室で小道具を片付けていると、少し離れた所から視線を感じた。
     司くんだ。
     僕同様、衣装を着替えたラフな格好で、僕の顔をじっと見ている。それはもうビシビシと。何かあったのだろうか。

    「司くん?」

     僕から声をかけると、びっくりしたように目を見開いた。丸い目がさらに丸くなって零れそうだ。何か言いたげだったのに、なんでそんなに驚くんだ。うろうろとさ迷う目は、何かを探しているみたいだった。

    「いや……なんでもない」

     と言う割に、なんでもなくない顔だ。眉根を寄せて、何を言うか考えている顔。最近じゃ珍しい表情だ。
     僕と彼とは終わった関係だけど、何か思う所があるのかもしれない。なんだろう。なんでもいいから彼の気持ちが知りたい。話して欲しい。
     そう促そうとする前に、「ステージに戻るからな」と先んじて言われてしまい、更衣室からそそくさと出て行ってしまった。パタン、と扉が閉まる。別に会話していたわけじゃないのに、彼がいなくなっただけでやけに静かだ。
     ……やっぱり、恋人になったことを後悔しているんだろうか。僕から告白したくせに、面倒くさいことを言ってしまったから。いや、彼は面倒とか面倒じゃないとか考えないか。単純に、好きでもないのに付き合うことの不毛さを理解したのかも。
     ――そう、ようやくだ。ようやく理解した。目が覚めてしまったのだ。それがあの日だったというだけだ。いつか来るってわかっていたはずで、当然の結果なのに……どうしようもなく寂しい。

    「フフ……」

     思わず笑い声がでる。楽しくなんかないのに。











     もやもやした状態のまま、気づけば夏休みも終盤だ。僕が(不本意ながらも)告白してしまったのが七月の半ばだから、もうあれからひと月近くも経つのか。なんだかあっという間だ。今年の夏はいつになく盛りだくさんだったのにね。
     八月も半ばを過ぎると暑さも和らいでちょっと過ごしやすくなる。ほんのちょっとだけど。でも今日は涼しい風が吹いていて、久しぶりに気持ちよく外出できそうだ。

    「類、お待たせ」

     草薙家の玄関ドアからひょこっと寧々が顔をのぞかせた。きれいに後ろでまとめられた長い髪と、淡い緑の浴衣。なれない格好の所為か、袖の辺りを落ち着きなく握っている。

    「浴衣姿なんて久しぶりに見たよ。似合ってるね」
    「……えむが一緒に着よって言うから……」

     だから、仕方ないんだ、とでも言うようにふいっとそっぽを向く。そんなこと言いつつもきちんと用意しておめかししているあたり、満更でもないんだろう。素直じゃないなあ。
     などと考えているのが顔に出てしまっていたのか、寧々は僕を一瞥して鼻を鳴らすとスタスタ歩き始めてしまった。下駄じゃなくてサンダルだから転んだりする心配はいらないだろうけど、みんなで遊ぶ前に体力を使わせてしまうのはよくない。悪かったよ、と謝りながら寧々の隣に並んで歩きだした。





     夏休み最後のイベントはお祭りだ。もちろんえむくん発案の。
     場所は宮益坂女子学園の近くにある神社で、境内を中心にして夜店が出たりお神輿が通ったり、少しだけど打ち上げ花火も上がるようだ。
     こんな夏の思い出にピッタリな代物、えむくんが食いつかないわけがない。そして僕たちはみんな彼女のおねだりに弱い。もちろん満場一致で行くことになった。四人でね。
     というわけで寧々と二人、待ち合わせ場所である境内の前に着くと、司くんとえむくんがすでに待ってくれていた。えむくんは桃色で花の柄が入った浴衣、司くんは僕と同様に普段着にサンダルを引っかけたラフな服装だ。……少し残念ではある。普段通りの僕が言うことじゃないけれど。

    「わ~寧々ちゃんかわいいね~!」
    「えっ、あ、うん……ありがと」

     寧々の浴衣姿を見たえむくんが飛びつかんばかりの勢いで、ずいっと顔を寄せる。というか抱き着いている。ただし浴衣を着崩さないように優しく、だ。
     えむくんのストレートな表現に寧々は毎度のごとく照れていたが、そこに追い打ちをかけるのがもう一人。

    「夏らしくていいな! えむもだが、寧々も似合っているぞ!」

     こういう素直に表現するところが司くんの美点であり、悪いところでもある。案の定司くんの光に当てられた寧々は顔を赤くしながら小さく礼を言っていた。気持ちはわかる。ところで僕も素直に褒めたんだけど、この対応の差はなんだろうね。

    「あたしもうお腹ぺこぺこだよぉ~。焼きそばでしょ~、チョコバナナとりんご飴と~、あ、あとあと綿あめも食べたいし、ヨーヨー掬いもしたいし、あと」
    「ちょっとえむ、わかったから落ち着いて!」
    「はしゃぎすぎて迷子になるなよー!」

     祭りの雰囲気に当てられたのか、張り切ったえむくんは寧々の手を掴んでどんどん先に行こうとする。この様子じゃ見失ってしまうかもしれない。僕らも行こう、と司くんに声をかけると、チラッと僕の手の辺りを見てすぐさま「ああ」と返ってきた。





     で、みんなで出店を回るのかな、と思いきや、女性陣二人はくるっと振り返り、別行動にしようなんて言い出した。

    「えーっと! 司くんと類くんとも遊びたいんだけど、ちょっとダメというか……あ! そうだ、デート! あたし寧々ちゃんと浴衣デートしなきゃだから!」
    「……まあ、そういうわけだから、後で合流しよ」

     まくし立てるようにそう言い残すと、僕らの返事も聞かずに人込みへ消えてしまった。
     祭りの喧騒の中、ぽつんと残された僕と司くん。
     えむくんのいかにも誤魔化してますよ、という言い方と寧々の目配せからして、気を遣ってくれたんだろうけど……。
     チラリと司くんを見る。目が合った。しかたないな、と司くんが苦笑する。

    「せっかく来たんだし、オレたちも見て回るか!」

     ほら、と差し出される右手。握手……ではないな。
     不思議に思って司くんを見ると、彼も不思議そうな顔をしている。

    「どうしたんだい?」
    「どうしたって……この間は手を繋いだじゃないか」

     当然だろう、とでも言う風に首を傾げている。
     この間……夏期講習に行った時のことか。まあこんな風に思い出そうとしなくても強烈に記憶に残っているんだけれど。嫌になるくらい強い日差しと、あの熱い手の平の温度。あの時は暑さで頭がおかしくなっていたからノーカンだ。司くんだって、あれは不本意だっただろう。
     なんで急に、こんなこと。

    「そんなことしなくていいよ」

     何がどうなってその行動に至ったのか、摩訶不思議な思考回路を持つ司くんだから僕にはわからない。けど、手を繋ぐなんて恋人みたいなこと、しなくていいんだ。
     彼は彼で納得いかないのか、訝しげに見つめてくる。むっと眉間に寄った皺。跡が残ってしまわないだろうか。

    「そんなことってなんだ?」
    「そういう、手を繋ぐとか。無理しなくてもいいよ。別れたんだし」



    「……は?」



     ピリッと空気が冷えた。
     びっくりした。めちゃくちゃド低音ボイスだった。顔に似合わず低い声の持ち主だけど、今まで聞いたことない声だった。
     僕の目の前にいる司くんらしき人は、これ以上ないほど据わった目をして僕を睨んでいる。え、これ司くん?
     思わずジリ、と後退ると、素早く腕を掴まれる。痛いほどじゃないけど、ぐうっと強く握られて解けない。何だこれ。

    「つ、司くん?」
    「ついてこい」

     低い声が聞こえて、左腕がぐっと引っ張られる。たたらを踏んだ僕はあわてて足を動かし、司くんの背中を追いかけた。僕から見えるのは後ろ頭だけで、表情はわからない。ずんずん歩いていくから人混みの中どうしてもぶつかってしまって、そのたびに「すみません」と謝る彼の声はいつも通りの高さだった。周囲の人たちは目の前のお祭りに夢中で、僕らのことなんか誰も気にしていなかった。
     そうして出店の通りを抜けた先、たどり着いたのは神社の裏手側だった。明かりがなくて人気もない。祭りの騒々しさは感じられるけど、ガラス一枚隔てたようなぼんやりとした賑やかさだった。
     そこでようやく司くんは僕の手を離してくれた。まだ前を向いたままで顔が見えない所為か、心がざわざわして落ち着かない。

    「司くん……?」

     恐る恐る小さな声で呼びかける。黙ったままの司くんは、一つ大きな深呼吸をしてゆっくり振り向いた。
     いつもより眉がピンと吊り上がっていて、瞳が鋭く光っている。
     怒っている。
     それはもちろんわかっていたけど、いつの日かのような無表情じゃなくて、逆に安心してしまった。
     司くんはもう一度大きく深呼吸すると、ゆっくり口を開いた。

    「別れたっていつだ」
    「……前回のデートの時に」
    「オレは別れるだなんて一言も聞いてないぞ」
    「それは……」

     そうなんだけども。

    「だって、司くんに無理してほしくないんだ……」
    「? どういう意味だ」
    「僕のこと、好きでもないのに付き合ってくれたことだよ」

     ぽつりと零す。
     そりゃあ司くんが僕と恋人になってくれて嬉しかったけど、僕のために意思を曲げないでほしいんだ。無理して僕に合わせようとして、恋人を演じる必要なんてない。自然体で、そのままのキラキラ光ってる君が好きだから。だから――。

    「オレは」

     静かで、でも力強い声がきらりと目の前をよぎった気がした。はっと顔を上げる。
     司くんは眉を寄せて、困ったような顔で笑っていた。しかたないな、と何だかんだ言って僕を許してしまう時の目だ。

    「オレは、告白を受けた時、もちろん驚いた。お前のことをそんな風に考えたことがなかったからな」 
    「……わかってるよ、だから」
    「ええい、大人しく聞け! オレだって何も考えずに返事をしたわけじゃない! オレも類も、男同士だしな」

     ふん、と鼻を鳴らして腕を組み、ふんぞり返る司くん。何でそんな偉そうなんだ。というか司くんにも、そういう考えがあったんだ。性別なぞ、スターの前では意味を為さない、とかいう考えなのかと思ってた。
     失礼な僕の脳内など露知らず、司くんは静かに続ける。

    「オレの両親はきっと喜んでくれるだろうが、類のご両親に申し訳ないとかな」
    「え、そんなことまで考えてくれてたのかい?」
    「もちろんだ! オレは類のことを大事に思っている。だから類の家族も大事にしたいんだ」

     先ほどまで得意げな顔をしていたかと思えば、一転して慈愛に満ちた表情を浮かべる。ずるい。ずるすぎる。
     大体お付き合いの段階で相手の両親のことまで(僕らが男同士だということを加味しても)考えるなんて、重すぎるだろう。しかもまだ高校生の身で。こんなの――嬉しいに決まっている!
     だって誰よりも家族を大事にする司くんが、だ。僕と、僕の両親のことを考え、結果として僕と付き合うことを選んでくれたのだ。それって、すごくないかい?
     もはやその言葉だけで今までの不安なんか吹っ飛んで満足してしまいそうだったけど、司くんは追い打ちの手をやめない。

    「それでだな、オレとお前が付き合ったとして。その、お前がいつもオレに笑いかけてくる表情とか思い出して、これが独り占めできるなら、悪くないなと……」

     言葉尻がどんどんどんどん小さくなっていく。さっきまであんなに落ち着いて話していたのに、目をうろうろとさせ、頬は赤く染まっていっている。あれ? 僕が幸せに浸っている間に、もしやすごいことが起きようとしているのでは――?

    「あ、後押ししてもらいたくて咲希に相談したりだな……」
    「そ、それって、つまり……」

     もう司くんの言葉が寝耳に水すぎて展開についていけない。ぐるぐる数学の公式が頭の中を巡って、浮かんでは消えていく。震える口で続きを促すと、司くんの眉がぎゅっと吊り上がった。ちょっと瞳が潤んでてドキッとする……なんて考えてる場合じゃない。カッと目を見開いた司くんは、大きく息を吸った。



    「お前が告白しなければ好きだって気づかなかったんだ!! つまり、責任を取れ!!」



     キーーーン……。耳が鳴る。司くんの久しぶりのでっかいデシベルだ。辺りに聞こえるんじゃないかってくらい。
     もう司くんの顔は真っ赤で、愛しくてたまらない。

    「と、とる! とるよ!」

     もう逃がすかっていう勢いで司くんの両手をぎゅっと握りしめた。僕よりちょっとだけ細くて、きれいな指。ショーの時は指先まで神経を尖らせ、ピアノを弾くときは軽やかに動く。温かい手だ。
     これって僕の夢なんじゃないだろうか。あの司くんが僕のこと好きって言ってくれた。本当の本当に? やっぱり夢かも。
     現実感が掴めなくて、頭がふわふわしている。手の中の温かさだけがやけにリアルで、確かめるように指の腹で撫でた。すりすり。日頃のケアを欠かさないからか、僕よりよっぽど滑らかだ。

    「いたっ」

     司くんに手をつねられた。しかも結構本気のやつ。

    「さ、触り方がよろしくないぞ!」

     手が振り払われてお叱りを受けてしまった。おかげで夢じゃないってよく理解できたよ。
     司くんは怒ったような顔をして、こっちを睨んでいる。頬が赤い。……どこかで見た表情のような――。

    「あ」

     初めて手を繋いだ日だ! 茹るような暑い夏の日、フェニックスワンダーランドへ向かう途中の、一緒にアイスを食べた日だ。あの日も今と全く同じ怒ったような顔をしていて、僕はてっきり嫌々ながら手を繋いだのだと思っていたけど。もしかしてこれ、彼の照れ隠しの表情なのかもしれない。いや、きっとそうだ。あれは同情なんかじゃなくて、正真正銘、司くんの意思で握ってくれた手だったんだ。
     そう理解した瞬間、目の前がぱっと開けたような心地だった。なんだ、僕が一人でから回っていただけで、司くんも僕と同じ思いを抱いてくれてたのか。じわじわゆるゆる、胸の辺りが温かくなって、思わずフフフ、と笑みがこぼれた。なあんだ、フフ。
     痛がったくせに急に笑い出した僕を司くんは訝しげに見ていたけど、しかたないやつだな、みたいな顔で笑った。これも僕の好きな司くんの表情。その彼が、「ところで」と続ける。

    「類はオレと別れただの何だの言っていたが――」
    「ま、待ってくれ! それはその、司くんがお試しで僕と付き合ってくれてて、やっぱり好きになれないって気づいたのかと思って。大体あの時の司くん、何も言わずにすぐ帰ったから……」
    「あ……れは、予想外のことを言われて頭が真っ白になってしまってだな……。というか何だオレが類のこと好きじゃないって! 好きでもない奴と付き合うわけないだろーが!」
    「だってあの告白の返事じゃ勘違いしてもしかたないだろう!? いつも通りの変人節だし、好きだなんて一言も言われてないし!」
    「オレだって恥ずかしかったんだ! というか言ってなかったか!?」
    「言ってない!」

     ……ぜえはあと息を切らしてお互いの顔を見る。僕の言葉の後、ポカンとした表情で見上げてくる司くん。乾いた風が二人の間を抜けていった。

    「それはその……すまなかった。伝えたと思っていた」
    「いや……うん」

     急に冷静になってしまった。
     久しぶりに心の内を打ち明けた気がする。モヤモヤを全部吐き出せば、なんてことはない、二人してすれ違っていたのか。僕は勝手に裏を読み、司くんは好きだと言った気になっていた。興奮が落ち着くと、こんな暗い場所で顔を突き合わせてくだらない応酬を繰り返していたのがやけに笑えてくる。蜂蜜色の瞳と目が合う。

    「ぷっ」

     司くんの口から息が漏れる。それを皮切りに僕の口からも笑い声が漏れた。僕と司くん、二人のクスクス笑いが静かに響く。
     勝手に勘違いして不安がって、だいぶ遠回りしてしまったなあ。答え合わせをしてみれば、こんなに単純なことだったんだ。カイトさんの言う通り、素直に話し合うだけでよかったんだ。
     ただ、言葉を我慢してた僕も悪いけど司くんだって言葉が足りない……と思う。いや、でも彼氏アピールとかして張り切ってたっけ。さっき判明したことだけど、照れつつも手を握ってくれたり。まあ、しかたないか。これで察しろと言われても、僕だって恋愛初心者なのだ。彼の照れるポイントもいまいち掴みづらいし。

    「類くーん! 司くーん!」
    「あ、ちょっと、えむ!」

     賑やかな声が近づいてきたかと思うと、神社の陰から元気な桃色が飛び出してきた。その後ろにはこちらを伺うような寧々。勢いが良すぎて、えむくんの両手にぶら下がった水ヨーヨーがびよんびよんと跳ねる。

    「えむ!? よくここにいるとわかったな」
    「なぁ~んかこっちの方からおっきいデシベルが聞こえるぞ~ってなったの!」
    「もう、いきなり走り出すからびっくりしたでしょ。それで……」

     はあ、とため息をついた寧々がチラリとこちらを見上げる。

    「うまくいったの?」

     心配そうな視線。思わず司くんと顔を見合わせる。わざと二人きりにしたりと、彼女たちはかなり僕らのことを気にしてくれたようだ。自然と笑みが浮かぶ。

    「うん。ありがとう」
    「そっか」
    「やったー! 類くんも司くんも、これで元通り、ラブラブきゅんきゅん~~だね!」
    「なっ!」

     えむくんがわんだほいポーズをきめると、司くんの眉間に皺が寄って顔が一気に赤くなった。ものすごく照れている。今ならこれは照れている表情だってわかるのに、なんで小難しく考えてしまっていたんだろう。恋は盲目ってやつかも。
     照れ隠しか、「ラブラブではないっ……ことはないが!」とぎゃーぎゃー騒ぐ声を気にも留めず、えむくんが「じゃーん!」と両手を前に出す。というか司くんが墓穴を掘れば掘るほど相対的に僕も恥ずかしくなっていくんだけど。

    「これ、みんなの分もあるんだよっ」

     両手を出した勢いで、また水ヨーヨーのゴムがびよよんと伸びる。黄色、ピンク、緑、紫……全部で四つある。

    「えむ、すごかったんだよ。一回でこれ以上取ってたの。十個だったかな」
    「えへへ。みんなでおそろいにしたかったから、四個もらったんだ♪ はい!」

     司くんには黄色、寧々には緑、僕に紫、残ったピンクはえむくんに。それぞれの手元でゆらゆら揺れる。なんだか……いいな、これ。安っぽい単なる水風船だけど、みんなでお祭りに来て、みんなでおそろいの物を持つ。いいな。
     ふと視線を感じて顔を上げると、司くんが優しく目を細めて僕を見ていた。よかったなって、慈しむ顔。これはあれだ、僕が以前、こういう友達との思い出が少ないって言ってしまったから、兄として年少者を見る目。ちょっと面白くない……けど、気にかけてもらえて嬉しくもある。
     司くんと両想いだってわかった途端、司くんがどう思ってるのか何となくわかるんだから、困ったものだ。不安でだるかった体の重さも解消されて、祭りの音も匂いもさっきよりクリアに感じる。現金なことに、安心したら気が抜けてお腹がぐうと鳴ってしまった。少し離れた屋台から微かに流れてくる香ばしい匂いが鼻をくすぐる。焼けた醤油の匂いかな……お腹が減った。耳ざとく腹の音を聞いたえむくんが綿あめを手渡してくれたから、ありがたくいただくことにしよう。
     綿あめを千切って口の中に入れたその時、ドンッと腹に響く音が聞こえて、ぱっと空が明るくなった。

    「そういえば花火があがるんだっけ……」

     ドンッ、ドンッと続けざまに上がる。火薬と金属が燃えて夜空に色があふれる。パッと咲いてははらはらと消えていく。

    「たーまやー!」

     えむくんの掛け声に合わせるかのように、ひと際大きな花火が空に打ち上がった。
     神社の裏手には僕らしかいなくて、少し木々で花火が隠れるけど絶好の観賞スポットだった。きゃっきゃとはしゃぐえむくんの声と、それにつられたような寧々のいつもより上ずった声。

     それを微笑ましく眺めていた時、左手に触れた柔らかな感触。

    (え……っ)

     びっくりして思わず横を振り向こうとして、でもそうしたら手の中の温もりが逃げてしまう気がして、そうっと横目で隣を見た。
     何もありませんよ、という顔で司くんがまっすぐ夜空を見上げている。また花火が打ち上がって空が明るくなる。司くんの横顔が照らされる。
     すっと通った鼻筋。眉はきゅっと吊り上がって、口元は怒ったように引き結ばれている。ほのかに赤く染まった頬。
     ギロッと横目で睨まれて、僕はあわてて目線を空に戻した。顔が熱い。左手をそっと絡ませるように繋ぎなおすと、彼の右手は一瞬ピクリと跳ねて、でもそのままだった。

    (司くん、照れると怒った顔するの、かわいいな……)

     口元のムズムズが止められない。心臓の音が大きすぎて、花火の音なのか僕の鼓動の音なのか判別がつかない。脈が速すぎて、僕は早死にしてしまうかもしれない。
     全部全部、司くんの所為だ。君に出会わなければ、君に執着することもなかったんだ。僕は司くんの好きを気づかせた責任をとるから、司くんは僕に好きを教えた責任をとってほしい。そうじゃないと、割に合わないじゃないか。











     夏祭りを経て勘違いも晴れ、僕と司くんの仲はすこぶる良好だ。――と言っても、あれからほんの数日しか経ってない訳だけど。でもワンダーステージでのショーを終えた後、お疲れ様って笑いかけるその声が以前では感じられなかった柔らかな熱を帯びていて、そのたびにふにゃふにゃした気持ちになってしまう。いけないいけない。
     夏休みもあと数日だ。今日の最終公演を終えれば僕と司くんはワンダーステージを一旦降りる。寂しいことに変わりないけど、受験が終わるまでの辛抱だ。それが終わればまたそろってショー三昧、通う大学も一緒。フフ、フフフ……。
     と、少々お花畑状態になっていた僕だったのだが。

    「どーしよーーー!!」

     夏休み最後の公演を終えて、最後の反省会も終えて、寂しくなっちゃうね、なんて離れ難くてだらだらと四人でしゃべっていたら、何かのはずみで勉強の話になった。そう、夏休み特有の、大量の課題である。
     もうその単語が出た瞬間、司くんもえむくんも顔が真っ青になって、寧々はそれを呆れた眼差しで見ていた。僕? 僕はそういう単純作業、得意じゃないんだよね。

    「も、もう二日しかないじゃないか! 寧々! 寧々はもう終わってるのか!?」
    「当たり前じゃん」
    「ええ~~! 類くんは!?」
    「僕かい? やってないよ」
    「お前はもう少し焦れ!!」

     あっちにわたわた、こっちにわたわた、文字通り頭を抱えて右往左往する二人は絶望的な表情だ。悲しそうな顔をしてるのはわかるんだけど、コメディみたいで面白い。
     ふっと笑った息が聞こえてしまったのか、ぐるっと司くんが首をこっちに向ける。左手を腰に当て、地に足がどっしりつくような仁王立ち。ビシッと音が出るんじゃないかってくらい、勢いよく僕を指さした。



    「ワンダーランズ×ショウタイム、勉強合宿だ!!」






     ――と、そんな訳で現在僕の家のガレージにメンバー全員がそろっている。司くんとえむくんは勉強道具一式が入った鞄を担ぎ、とっくに宿題を終わらせていた寧々は「なんでわたしまで……」とぶつくさ文句を言いながら携帯ゲーム機を持参。そうして僕はというと――。

    「なっっっんで全部真っ白なんだ!!」

     わなわなと震える司くんの手には、僕が終業式の日に渡された課題。さて、何が出されていたかも曖昧だ。

    「単純作業は苦手なんだよね」
    「それにしたって程度があるだろうが! 開いた痕跡すらないじゃないか! えーい、今日はとことんやるぞ!」
    「おおーーー!」
    「わたし帰っていい?」

     僕以上にやる気のある司くんの号令を合図に、母屋から引っ張り出してきた折りたたみテーブルの上にノートを広げる。寧々の声はえむくんのおねだりによって一蹴された。僕としては課題を提出する意義を感じないからやる気は一掬いも無かったはずなんだけど――。
     自分の部屋を見渡す。
     司くんは僕の向かいで数学の教科書を片手にうんうん唸っていて、その隣でえむくんがリーディングの本とにらめっこしている。寧々は適当なクッションに寄りかかってゲーム機のボタンを素早く押している。
     みんなが遊びに来てくれるたびに思うけど、いつもと違う、この賑やかさが好きだ。退屈な夏休みの宿題が楽しいなんて、初めての経験じゃないだろうか。

    「こら」
     
     ぼうっとしていたら司くんに叱られてしまった。呆れたような眼差しをしながら、ペンの先で僕のノートをトントンと叩く。

    「お前が一番大変なんだから、休んでる暇なんて無いんだぞ」
    「わかっているよ、うん」

     出席とテストの点さえ取れてればいいかなって思ってたんだけど、ここまでお膳立てされたら頑張るしかない。
     ちなみに司くん、苦手なはずの英語は早々に終わらせていたらしい。アメリカに行って以来、苦手なのは変わらないけどショーのためだと思えば俄然やる気が出るんだとか。そういうとこ、彼らしくていいな。
     なんてことを考えていたらまた手が止まっていたようで、再び司くんに怒られてしまった。
     





    「はあーーー……」

     時刻は夕方の四時過ぎ。誰の口からかわからないため息が部屋に漏れた。みんなぐったりして床に手をついている。寧々が目の辺りを揉んでいるのは、単純にゲームのしすぎだろう。
     途中休憩は挟んだけど、朝からぶっ続けで机に向かった所為で、手首は痛いし背中がバキバキ言う。でもそのおかげで司くんとえむくんは無事宿題を終わらせ、寧々はアイテム集めが捗ったようだ。対する僕の目の前には残り一冊となった課題のノート。自分で言うのもなんだけど、今日一日でここまで終わらせたのってすごく頑張ったんじゃないかな?

    「あたしもうダメ~~頭ぐるぐるで疲れちゃったよ~」
    「ハイハイ、お疲れさま」

     でろん、と床に寝転んだえむくんの頭を寧々が優しく撫でる。寧々の手がお気に召したのか、えむくんがますます頭をすり寄せて、寧々はそれに文句を言いながら付き合ってあげていた。最初の頃からは想像がつかない、微笑ましい光景だ。

    (こうやってみんなで家に集まるのも、しばらくお預けか……)

     そう考えると、途端に寂しく感じてしまう。
     しばらくしてえむくんと寧々は帰り支度を始めて、でもやっぱり二人ともどこか名残惜しそうだ。受験の終わる冬になればまた戻ってくるし、連絡だって取り合うのにね。ところで――。

    「司くんは帰らないのかい?」

     片づけをする二人を横目に、司くんは立ち上がる素振りを見せない。先ほど全部終わったと言っていたのだけど。
     司くんは僕の言葉なんて気にせずに鞄から別のノートを取り出して広げている。ええと、小論文対策か。

    「類もあとそれだけだろう。もう少し付き合ってやる。どうせこのまま帰ったら手をつけないだろうからな」
    「なるほど」

     司くんはよくわかっている。もう僕はここまで終わらせた達成感で胸いっぱいだ。こんな一冊、誤差だと思ってたんだけどなあ。
     というわけで女性陣を見送った後、引き続き僕と司くんは机に向かい合って座った。えむくんは寂しがりつつも「二人の邪魔しちゃ悪いもんね!」と口元をによによさせるという器用な表情をして去っていった。ちなみに寧々は無言で親指を立てていた。男らしい。
     気を取り直して目の前の課題に向かう。かなり問題数はあるけど、数学だし、それほど時間はかからないだろう。
     しばらく無言でお互いのシャーペンを走らせる音だけが響く。それと僕がページをめくる音と、考え込む司くんがたまに漏らす唸るような声。
     チラッと目線を上げる。
     司くんはいつの日かと同じように、シャーペンの頭でふにふにと唇を押していた。ちょっと考え込んではパッと顔を明るくしてペンを走らせ、かと思えば難しい顔をして文字を消しゴムで消す。表情がコロコロ変わるから、見ていて飽きない。あの時と違うのは、ここが僕の家で、エアコンの効いた涼しい部屋だってこと。それと――。

    「類」

     名前を呼ばれる。何か用かな? ってぱちぱちと目を瞬かせると、司くんが苦い顔をしていた。

    「オレじゃなくてノートを見ろ」

     そう言って顔を伏せる。真剣な表情。優等生モードに入ってしまった。オレを見ろ、じゃなくてオレを見るな、だって。
     あーあ、恋人という関係になって、しかも僕のテリトリーに二人きりだというのに、何も起こる気配が無い。宿題をため込んでいた自分の所為だと言われたらそれまでなんだけど。
     大人しく問題を解こうとノートを覗き込んだ時、テーブルの下、つん、と胡坐をかいた膝をつつかれた。

    「?」

     まだ何か言いたいことでもあったのかと顔を上げれば、顔を赤くした司くんがもごもごと口を動かしている。照れている?

    「……その、オレだって二人きりになりたかったんだからな。今日中に終わらせるんだぞ! そしたら、ちょっと、いちゃいちゃしてやってもいい……」
    「え?」

     言葉が脳みそに入ってこない。目の前には怒った顔をした司くん。シャーペンを握る手に力がこもる。だっていちゃいちゃって……いちゃいちゃ……。
     思考が止まってフリーズしていると、反応がお気に召さなかったのか、司くんが真っ赤な顔で「やっぱ無し! 今の無しだ!」と叫んだ。まずい。

    「ま、待って! 僕急いで終わらせるから! 司くん待っててね!」

     大声にびっくりした顔をする司くんを尻目に、もうそれからはかつてないほどの集中力を持って、目の前の邪魔者を排除することだけを考えた。だって司くんも僕と恋人っぽいことをしたいって思ってくれてたんだ。僕と同じことを考えて。
     一気に気分が上がる。どんどんページが進む。僕のあまりの必死さに、とうとう司くんが声を出して笑った。しかたない奴だなって。

     そうなのだ。司くんのことで僕は一喜一憂して、簡単な言葉で幸せになれる。こうやって、柄にもなく勉強だって頑張ってしまう。
     笑い疲れた司くんが、テーブルの上に投げ出した両腕に頭を乗せてこっちを見る。ふっと息を吐きだして、恥ずかしそうに顔をしかめて、「早くしろ」って。



     司くんって、僕を喜ばせる天才だ!



    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💕💖❤💖💖💖💘💖😍😍😍😍💖💖👍😍💕❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤💖💙
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    x12_rt

    PROGRESS※18歳未満閲覧厳禁※

    2024/5/26開催のCOMIC CITY 大阪 126 キミセカにて発行予定の小粒まめさんとのR18大人のおもちゃ合同誌

    naの作品は26P
    タイトルは未定です!!!

    サンプル6P+R18シーン4P

    冒頭導入部とエッチシーン抜粋です🫡❣️

    あらすじ▼
    類のガレージにてショーの打合せをしていた2人。
    打合せ後休憩しようとしたところに、自身で発明した🌟の中を再現したというお○ほを見つけてしまった🌟。
    自分がいるのに玩具などを使おうとしていた🎈にふつふつと嫉妬した🌟は検証と称して………

    毎度の事ながら本編8割えろいことしてます。
    サンプル内含め🎈🌟共に汚喘ぎや🎈が🌟にお○ほで攻められるといった表現なども含まれますので、いつもより🌟優位🎈よわよわ要素が強めになっております。
    苦手な方はご注意を。

    本編中は淫語もたくさんなので相変わらず何でも許せる方向けです。

    正式なお知らせ・お取り置きについてはまた開催日近づきましたら行います。

    pass
    18↑?
    yes/no

    余談
    今回体調不良もあり進捗が鈍かったのですが、無事にえちかわ🎈🌟を今回も仕上げました!!!
    色んな🌟の表情がかけてとても楽しかったです。

    大天才小粒まめさんとの合同誌、すごく恐れ多いのですがよろしくお願い致します!
    11