異世界ファンタジー風学園BLゲーのセカイでオレは、錬金術師と恋に落ちるまで夜も眠れない! 1 な、な、な、
「なんだここはーーー!!?」
抜けるような青い空の下、オレの困惑した叫び声が響き渡った。わあ、わあ、と語尾が背の高い建物に反響して跳ね返ってくる。
こんな時真っ先に文句を言うはずの寧々は耳をふさぐ動作もせず、ただただ呆然と目の前を見ていた。高校の制服でもショーの衣装でもない、袖にフリルのついた見慣れない服装をしている。かく言うオレも身に覚えのない、妙に息苦しい服を着ているのだが。
微動だにしない寧々から視線を外し、建物の全体を視界に入れるように仰ぐ。いや、首をぐるりと回しても全体を把握できないくらいにはでかい。いかにもヨーロッパといった風の時計塔を頂点に、何だか先の尖った屋根の飾り。まったく見覚えのない風景だ。
オレは現実逃避しそうになる思考を押しとどめながら、おそらく原因であろう、つい先ほどの出来事を思い出していた――。
今日はショーの公演も練習もない週の中日で、放課後の暇な時間を持て余していたオレは、何とはなしにセカイを訪れていた。スマホに入っている音楽を再生するだけでポンッとお手軽に愉快で摩訶不思議なセカイに到着だ。この不思議空間はオレの想いから作られているらしいが、ハチャメチャすぎていまだに現実感が無い。
特に用事があったわけでもないが、せっかくだからカイトに演技指導でもしてもらうか、とショーテントの方角を目指して歩き出そうとしたところで、後ろから「あ」という聞きなれた声。
「寧々も来ていたのか」
振り向くと、仲間の一人である少女が長い髪を揺らしながらこちらに近づいてくる。我らが歌姫だ。
「司も来てたんだ。練習?」
「まあな」
全体での練習が無い時にこうやって誰かしらとセカイで会うのはままあることだ。今日の寧々は歌の練習をしに来たようで、歌う花達がいる花壇へ向かう途中らしい。練習熱心で感心感心、オレも見習わないとな。
目的地は別方向だから、それじゃあな、と別れようとしたところで、「あれ?」と寧々が困惑した声を出した。
「ん? どうした?」
「あそこ……」
そう言って寧々が指さした先には、手のひらサイズの丸っこい何かが落ちていた。ベンチ脇の茂みの隅、ガラスみたいに艶々して、日の光を浴びて虹色にきらめいている。
「想いの欠片だ……」
「想いの欠片?」
「そう。えっと、セカイになる前の誰かの想い……だったかな。触ると中に込められた想いのセカイを少しだけ見れるんだけど」
「ふむ――」
説明してくれてありがたいが、まったくわからん。オレと寧々が話している間にも欠片はキラキラと光っている。小さいがやけに目を引く色だ。ん? 輝きが増していってる――!?
「お、おい、なんか光っているぞ!?」
「え、触ってないのに、なんで……!」
寧々が驚いた顔をしている――ということは、これは想定外の出来事か! 小さな玉から虹色の輝きがどんどんあふれ出して、目を開けていられない。咄嗟に寧々を隠すように覆いかぶさって――暗転。
冒頭に戻るわけである。
回想中も寧々は呆然と建物を見上げていて、首が痛むんじゃないかと変な心配をしてしまった。よくよく見ると寧々の服装は白と黒を基調にまとめられていて、なんというか……いわゆるメイド服みたいだ。
打って変わってオレの方を見下ろすと――胸元のリボンにごてごてと装飾のついた上着。やたらとこまかく金色で刺繍が入っている。なかなか凝った衣装じゃないか、はは……。
「しかし……本当にここはどこなんだ……」
『それはねー!』
「うおお!?」
「えっミク!?」
『ミクダヨー』
脳内に声が直接届いたぞ!?
寧々にも聞こえたようで思わず顔を見合わせる。力の抜ける、この能天気な声は間違いない。
「ミク! どこかにいるのか!」
『ううん~、ミクはそっちに行けないから声だけ届けてるんだよ~。司くん達、想いの欠片に気に入られちゃったみたいだね!』
「はあ?」
気に入られる、とは。寧々と声がハモる。
――ミク曰く、想いの欠片それ自体に意思が宿ることがある。それは自分の想いを満たそうとして、願いを叶える力を持った人間に干渉するんだとか。説明を聞いてもいまいちわからんが、今回オレと寧々がそれに当てはまったということだろう。つまり――、
「とにかくオレ達はその想いとやらを満足させればいいんだろう。何をすればいいんだ?」
『それはね~――』
ミクが意味深に声を溜める。姿は見えないはずなのに、あのやけにキラキラした瞳がいたずらっぽく弧を描いた気がした。
『大好きな人と結ばれて、物語をめでたしめでたしにすることなのだ~!!』
■
「まったくわからん!!」
衝撃的な言葉を発したミクは、『じゃあね~!』という一言を最後にうんともすんとも言わなくなった。なんて言い逃げだ。声だけのくせに逃げ足が速い。
――要はこの想いの物語をハッピーエンドに導けということだろうか。
改めて自分の服装を確かめる。ふむ……よくショーで演じる王子役に似通っているな。童話なんかじゃ王子様とお姫様が結婚してめでたしだ……オレにそれを演じろということか。不思議現象を経験しすぎて、我ながら理解が速すぎるな。
「えっ!」
ミクが話している間、頭を抱えていた寧々が突然顔を上げた。オレの顔を見て顔をしかめる。
「おい、人の顔見て嫌な顔をするな!」
「だってこれサイテーすぎるでしょ……なんでわたしが……」
「寧々?」
苦い顔をしたかと思えばまた頭を抱えて一人でぶつぶつしゃべっている。大丈夫だろうか。いや、大丈夫じゃないな。
寧々は特大のため息を吐いた後、首を振ってオレを半眼で見据えた。
「ミクから伝言。これから司の攻略対象が現れるから、その中の誰かと結ばれれば想いが満足してこのセカイから出られるって。わたしはあんたのサポート役みたい」
「こうりゃくたいしょう?」
「あんたの恋のお相手候補ってこと」
「なるほど……何人もいるのか。寧々じゃダメなのか?」
いい案だと思ったのだが、脳内でミクの『ブブー!』というブザー音が聞こえた。寧々が呆れたような眼差しを向けてくる。その方が早くこのセカイから出られてお前のためにもいいと思ったんだが!? ちょっと、いや、大分デリカシーに欠けた発言ではあったが!
「お話として手っ取り早すぎるでしょ。とにかく物語を進めないと」
そう言うと目の前の建物を睨むように見上げる。白い壁に囲まれたレンガ造りの舞台。オレ達二人の暗澹たる気持ちなどお構いなしに、日の光を浴びて窓ガラスがキラキラと光っていた。
「ここは貴族の子弟が通う学園。この国の第一王子であるツカサは立派な王になるため、勉学に励んでいる。今日は王子が二年生になり新入生が入ってくる日。ここから物語は始まる――はあ、何この導入」
「寧々がいてくれて助かったな。話の流れは何となく掴めたぞ」
「わたしはすごい変な感じがして最悪」
「じゃあなおさら早く物語を終わらせないとな! それにしても王子が学校なんて行くのか?」
「根本に突っ込まないでよ」
渋い顔をする寧々。喉元に違和感を感じるようで何度も擦っている。
寧々曰く、この物語の設定のようなものが勝手に知識として頭の中に入ってくるらしい。だからサポート役、という訳だ。これを頼りに物語を進めていけばいいんだろうか。
ひとまず正面にあった立派な門をくぐり抜け、建物に続く石畳を踏んでいく。緑の芝生と左右対称に整えられた庭木を見ると、前に公演で出向いた庭園を思い出すな。
寧々の説明してくれた通り、外廊下を行き交う人の中には初々しく視線を彷徨わせている者が少なくない。学園の新入生ってやつだろう、初めての場所で緊張するのは致し方ない。ちなみに寧々はオレの侍女という設定らしく、王子様特権で学園の中に入っているらしい。助かった。
そんな学生達の様子を微笑ましく眺めていると、よーく見知った顔を見つけた。
「冬弥!?」
思わず声を出してしまった。冬弥も気づいたようで、パッと目を合わせるとこちらに近づいてくる。
「ツカサさ……殿下、お久しぶりです」
「お、おお……」
殿下、なんて呼ばれて声がどもってしまった。冬弥も見慣れない格好をしている。装飾のついたタキシードみたいなやつだ。冬弥まで巻き込まれてしまったのか!?
どうやって説明すれば、と少し緊張していたのだが、冬弥はこのセカイについて何も言及しなかった。いつものように淡く微笑んで丁寧な挨拶をしてくる。
「殿下と同じ学徒として過ごせること、とても光栄です。早くお役に立てるよう、頑張りますね」
「おお……」
ダメ押しのように微笑まれてコクコクと頷く。さっきから同じ音しか出してないな、オレ。
「それでは」と一礼してスマートに去っていく冬弥を見送る。ピン、と背筋の伸びた後ろ姿。えーと、これは一体……。
「トウヤ・アオヤギ。現宰相の息子で、王子とは幼少期からの顔見知り。一つ年下で今年から学園に通う。父親とは折り合いが悪く感情を表に出さないけど、王子には心を開く一面も。……攻略対象の一人」
寧々が死んだような目をしながら無心で解説する。ちょっと待て。
「こ、攻略対象!? 冬弥がか!?」
「みたいね」
「というか冬弥はこんなセカイにいるのに何も反応していなかったが……」
「さあ。……意識があるのは、想いの欠片に取り込まれたわたしたちだけなのかも。司が主人公だから、司と親しい人が登場人物として現れた、とか?」
こればっかりは寧々もわからないのか、首をひねっている。まあ冬弥の意識があったとして、この状況をどう説明すればいいのかわからないからよかった……のか?
いやいやそれにしても冬弥だぞ。冬弥とオレが結ばれる??
「おかしいだろう!!」
「ちょっとうるさ……あ」
頭を抱え込むオレをよそに、声を漏らした寧々がある一点に視線を向ける。廊下の曲がり角からこちらに向かってくるのは……。
「彰人ぉ!?」
「は?」
人目を引く橙色の髪。冬弥と打って変わって動きやすそうで機能的な服装をして、腰には剣を提げている。名前を呼んだせいか、訝しげにこちらを見ている。
「……あー、王子サマですか。オレ、お会いしたことありましたっけ」
「あ、ああ、まあな」
ジロジロと見られて、挙動不審な返事をしてしまった。彰人と王子は面識が無い設定らしい。というか王子に対してものすごくぞんざいな態度を取っているな。片手でポリポリと頭を搔きながらオレの目をじっと見る。
「ふーん。まあ、これから世話になるかもしれないっすからね。よろしくお願いします。じゃ」
「ああ……」
興味なさそうにくるりと背を向けると、手の平をひらひらと振って去っていった。扱いがなんか雑だ。オレ、本当に王子なんだよな?
「アキト・シノノメ。宮廷画家の息子だけど騎士志望で、新入生の中ではトップクラスの身体能力の持ち主。処世術として初対面の人間には愛想よく振舞う面もある。攻略対象の一人」
「愛想よかったか?」
「さあ……」
どう見ても雑だった。まあ今更彰人に愛想よくされても反応に困るか。
それにしても冬弥に続いて彰人まで出てくるとは。この物語、いったいどういう人選をしているんだ。オレにどうしてほしいんだ。
序盤だというのにぐったりしてしまったオレ(と寧々)は、ようやく建物の正面玄関へたどり着いた。中に入ると小さなホールのような大きさの広間に、中央には赤い絨毯の敷かれた階段。ここから階段落ちなんてしたら映えそうだ。
「学校というか城だな」
「まあ仮にも王子様が通うわけだしね」
二人して物珍しさにキョロキョロしていると、広間に隣接している扉から、これまた見知った顔が現れた。なるほど。
「今度は暁山か」
彰人と似たような白を基調とした服を着ていて、長い髪は後ろで一つにくくっている。自分の名前が呼ばれたことに気づいたのか、大きな目をパチクリとさせてこちらに近づいてきた。
「えーと、ボクに何か御用ですか?」
「いや、知った顔だったから名前を呼んでしまったんだ。気にしないでくれ」
「ふーん……」
オレの返事に少しだけ眉をひそめた暁山はすぐにパッと表情を笑顔にすると、「それじゃあ、ボクは用事があるので」と足早にその場を立ち去った。このセカイではもちろん初対面なのだが、いつもならもっと嬉々として話しかけてくるからちょっと拍子抜けだ。揺れるポニーテールが遠ざかっていく。
「ミズキ・アキヤマ。成績優秀で今年の新入生の中では首席で入学。人懐っこいがあまり自分のことを語りたがらず、秘密の一面を持っている。攻略対象の一人」
もはや慣れたように寧々がスラスラとプロフィールをしゃべる。ふーむ。
「それはいいとして、何で男が攻略対象にいるんだ? 暁山もいるが」
「え? うーん、ジェンダーフリーなのかな……BL要素もあるってことね」
「びーえる?」
「ギャルゲ系は専門外なんだけど、ここから出るためにもどうにかしないと」
「ぎゃるげ?」
「爆弾処理はめんどくさいから、ハーレムエンドは却下ね。攻略対象を一人に絞ること」
「オレを置いて話を進めるな!」
さっぱり理解できない呪文の言葉を吐いた寧々がビシッとオレを指さす。なんだかちょっと楽しそうじゃないか?
「ゲーマーの血が騒ぐっていうか……所詮わたしじゃなくて司のことだし」
「お前はもうちょっとオレに優しくしてもいいぞ!?」
オレの訴えに、寧々は肩をすくめてやれやれ、と首を振った。他人事だと思って……。
攻略対象を絞ること、という命題を受けたオレは、うんうん唸りながらあてもなく学園内を歩いていた。寧々は疲れたからと言って食堂で休んでいる。考える時間をやろうとオレに気を遣ってくれたのかもしれないが、仮にも王子の侍女がそんなに自由でいいんだろうか。
しかし三人の中から選べと言われてもな……順当に行けば暁山か。でも物語を終わらせる攻略? という観点から行くと一番親密なのは冬弥だしな……。あー、まったくピンとこない。
うろうろうろうろ。考えながら歩いていたらいつの間にか外へ出てしまった。ここは……庭園か?
正面からは見えなかったから、ここは学園の裏手側だろうか。白、赤、ピンク……いろんな色の、いろんな形をした薔薇が生い茂っている。イングリッシュガーデンってやつか。一つとして萎れている物が無い。かなり丁寧に世話をしているんだろう。
ほう、と息をつく。
「きれいだな……」
「――誰だい?」
「うおっ!」
誰もいないと思ったのに茂みの奥から声が聞こえて、思わず跳び上がってしまった。ん? この声は――。
さわさわと葉っぱの擦れる音がする。そうして現れたのは、よく知ってるなんてもんじゃない、今日だって学校で会った男だった。
「類!」
ダークトーンのタキシード。すらりと長い手足が強調されて、スタイルの良さが無駄に際立っている。右側の髪を耳にかけていて、大人っぽさが増し増しだ。こいつ、背が高いからこういうフォーマルな衣装がムカつくほど似合う。
オレが内心臍を嚙んでいることなど露知らず、類は顎に手を当ててこちらを見やった。
「何故僕の名前を……」
不審そうな目でジロジロと見る。頭のてっぺんからつま先までなぞるように見られて、何だか居心地が悪い。オレが返事をしようとする前に、類は勝手に納得した風に頷いた。
「ああ、例の噂か……。ご存知のようですが僕は二年に編入したルイ・カミシロです。よろしく、殿下」
柔らかな物腰で、ゆったりと礼をする。そんな素振りと正反対の、貼り付けたような皮肉気な笑み。口元は笑っているけど目は笑っていない。
……こんな笑い方、見たことが無い。もちろんこれは現実の類じゃない。別人だ。そうわかってはいるんだが――。
「寧々! 寧々!」
食堂の扉を開けると、隅っこの方で寧々がちんまりと座っていた。大方見知らぬ地で居心地が悪かったんだろう。だからオレに遠慮することなどなかったのに。
ずんずんと大股で歩いて寧々の前で立ち止まる。肩幅より気持ち広めに足を開き、胸は大きく張る。左手をバッと胸に当て、高らかに宣言した。
「寧々、決めたぞ! 類だ!」
よし、ポージングは完璧だ。こういう節目はばっちり決めないとな。
寧々はオレのかっこいいポーズに見惚れていたようでしばらく固まっていたが、理解がじわじわと追いついたのか、目を丸くして立ち上がった。
「え、類もいたの!?」
「うむ、まさにロマンチックで運命的な場所での出会いだったな!」
「……ちなみにどうして類にしたの?」
「それは――」
寧々の問いかけに先ほどの類の笑顔が脳裏に蘇る。つまらなそうな、諦めきった顔。今日の昼間に学校の屋上で見せた(そしてオレが実験台にさせられた)笑顔とは似ても似つかない。もちろんここは想いが生み出した幻のセカイだ。だから実際の類がどうのこうのってわけじゃない。そう、なんだが――。
「……それは、類のことならよく知っているからな! 攻略とやらもしやすいだろう! この間なんか、オレの肩にすり寄ってきて猫みたいだったぞ!」
どのセカイの類も笑顔にしてやりたい。なんて言うのが妙にこっぱずかしく感じてしまい、取り繕うように誤魔化した。
ありがたいことに寧々はそれに気づかなかったようだ。というか蔑んだ目でオレを凝視している。
「え、あんたたちそんなことしてるの……」
なんかよくわからんがすごく引かれている。
「いや、たまにだからな、こう、類が疲れている時とか。あいつなりに甘えてるんじゃないか!?」
「しかも何回もしてるとか……」
うおお、フォローしようとするほど寧々が引いた目をしていく! すまん類、幼馴染の中のお前の株がだだ下がりだ。
ここにはいない現実の類に謝罪の念を送っていると、待ちに待った(?)天の声が聞こえた。
『ハロー! 司くん、寧々ちゃん!』
「ミク!」
『司くん、大切な人に会えたみたいだね! わんだほいなハッピーエンドになるように、明日からもがんばってね~。それじゃ、バイバ~イ☆』
「お、おい、ミク!?」
突如現れたかと思えば唐突に話をぶった切る。びっくり箱のように予測がつかない奴だ。
ミクの声が聞こえなくなると同時、目の前の景色がかすんでぼやけていった。手足の感覚も曖昧だ。寧々、寧々は? 近くにいるのか?
どんどん視界が白けていく。ぐるぐるぐるぐる。眠りに落ちる寸前みたいだ。どんどん、意識が遠くなって――。
□
――ピピピ……。
枕元で電子音が鳴っている。アラーム……スマホ?
頭のそばを手で探り探り、ようやく冷たい金属に手が触れる。薄っすら目を開いて、重たい瞼を二、三回ゆっくりと瞬かせる。ちゃんと設定した時間だ。アラームを切ってしばらく画面を眺める。すぐに液晶が暗くなるから、もう一度画面を点ける。ふむ、日付が変わっている。柔らかな日差しが降り注ぐ、爽やかな朝だ。
しばしぼーっとして、五分ほど経ってからようやく起き上がった。朝には結構強いと自負しているのだが、なんだか今朝の目覚めはいつもの調子が出なかった。ちゃんと眠った気がしないというか……変な夢を見たせいか。知り合いと恋人になろうとするなど、ちょっと恥ずかしくて人には言えないな。
そういえば昨日、セカイで寧々と会って――それからどうなったんだ?
ぼうっとしてても体はルーティン通りに動いてくれる。きちんと身支度を整えいつもの登校ルート。学校までの道のりをえっちらおっちら歩いていたら、ちょっと先によく見知った髪の長い少女。少し小走りになって隣に並ぶ。
「寧々、おはよう!」
調子は出ずとも朝の挨拶は重要だ。普段の声量より控えめになってしまったが、輝かしい朝にふさわしい爽やかな挨拶だ。
「司……おはよ」
あくびをかみ殺したようなふわっとした声。目立つから大声出さないで、という小言も無い。珍しい。夜更かしでもしたんだろうか。
「なんだ寧々。眠いのか」
「眠いっていうか、なんか疲れてるっていうか……司こそ、いつもより元気ないじゃん」
「むっ」
元気がないと指摘されるとは、この天馬司、不覚だ。今からでも特大のスペシャル挨拶をお見舞いしようかと思ったが、敏感に感じ取った寧々に「やめて」と釘を刺されてしまった。
高校までの短い道のりを寧々の歩幅に合わせてゆったり歩く。寧々が「昨日」と口を開いた。
「昨日、妙な夢を見たせいで疲れちゃったっていうか……わたしとあんたがゲームみたいなヘンテコなセカイに飛ばされる夢」
最悪、と鼻で笑う。待て待て待て。
「オレも見たぞ!?」
「えっ?」
思わず立ち止まって顔を見合わせる。そう、ファンタジーで、まるでゲームみたいなセカイだった。知り合いが出てきて、しかもその相手と恋に落ちろだとか何だとか。夢の終わり際の、ミクの声がリフレインする。明日からもがんばってね……明日からも……。
「はは、まさかな……」
「そ、そう、偶然、悪い夢を見たんでしょ……」
お互いに口元を引き攣らせる。ははは。空中に霧散する乾いた笑い声。
それからは二人示し合わせたかのように一切同じ話題に触れなかった。人はこれを現実逃避と言う。
■
放課後はショーの練習で汗を流し、家に帰って今日の自己反省会。明日の支度を終えたら寝る前にかっこいいポーズの研究をし、安眠を誘うベッドへダイブだ。ほどよい疲れを感じつつ、朝までぐっすりコース、のはずだったのだが……。
隣をちらりと見る。頭を抱え、見覚えのあるメイド服に身を包んだ寧々。昨日も見た光景だ。
「やっぱりこうなったか……」
悪い予感というのは当たるものである。昨日ぶりに見たそびえ立つ学園は、今日も日の光を受けて輝いている。
「……やはり物語をハッピーエンドにしないとこれは終わらないのか?」
「……そうかも」
ようやく顔を上げた寧々は、深い深ーいため息を吐いた後、ぐっと拳を握りしめた。
「何とかしてクリアしないと。眠った気がしないし」
「まったくだ。と言っても、ひとまずどうすればいいんだ?」
「ゲームならパラメータ上げと好感度上げなんだけど……あっ」
考え込むようにしてオレを見ていた寧々が声を上げる。
「どうしたんだ?」
「わ、司のステータスが見える。ほんとゲームみたい」
「おお……」
あれか、RPGの勇者みたいなやつか。どれどれ。
「オレのかっこよさはいくつだ!?」
「全部10。最高値は100」
「何ぃ!?」
なんだそのけしからんステータスとやらは! この天馬司の魅力がわからん奴だな!
物語の持ち主である想いに向かってぷりぷり怒っていると寧々がなだめるように手を振った。
「ハイハイ、こういうのって初期値は一律で低いもんだから。ここからがんばって上げていくの」
「むむ、なるほどな……どうやって上げるんだ?」
「学校の授業受けていい成績取ったり、とかかな」
「ふむ。しかしステータスとやらが上がって強くなれば、恋人になれるのか?」
「強くっていうか……要はできる男はかっこいいってことじゃない?」
なるほど。できる男はかっこいい。真理である。
という訳で早速授業に参加だ。
講堂の一つに集まったオレとその他生徒達は、教科書を眺めながら前に立つ教師の言葉を聞いている。この文字、日本語とは似ても似つかないんだが、何故か頭にはちゃんと意味のある言葉として入ってくる。なんだか気持ち悪いな。ちょっと違うかもしれないが、寧々もこんな感覚なんだろうか。
しかし知らない国の知らない歴史の授業だ。まったくもって頭に入らない。ステータスとやらは上がっているんだろうか。そもそも夢の中でも勉強って、オレ頑張りすぎじゃないか? 恐ろしいな、オレ。
もはや集中力が切れてしまってそっと周りを見渡せば、斜め後ろ方向に見知った藤色の頭。類……じゃない、このセカイのルイだ。
ルイは肘をついた手に顎を乗せて、つまらなそうに前を向いている。手元で機械をいじってない分、現実よりマシかもしれない。
その周囲には誰も座っていなくて、あからさまに避けられていた。ちらちらと良くない視線も向けられているようだ。現実の類も最初はあの変人っぷりから周囲に距離を置かれていたが、こっちのルイにも何かあるのだろうか。
(あ……)
目が合った。ぱちぱちと瞬きをする。ルイはちょっと目を眇めて、フイッと逸らしてしまった。うーむ……。
は! 授業中に余所見をするなど、できる男のすることじゃないな。いかんいかん。
視線をルイから引きはがし、授業に集中すべく前を向く。平坦な教師の声。窓から差す暖かい日差し。ウン百年前に何が起こったかなんて、聞いたことない国の名前を出されても、何が何だかさっぱり……むにゃむにゃ……。
「体が重い!」
経済学に語学、神学、エトセトラ! 頭が爆発してしまいそうだ。
「わたしも。ずっと司についてなきゃいけないけど、でもやることないし……」
肩を回しながら寧々が言う。お互い疲れ気味だ。同じタイミングでため息が出た。どうしてこんなことを……いや、文句を言っても始まらないな。
今日の授業ノルマが終わったため、二人で学園内を当てもなく歩く。ほんっとーにこれでパラメータが上がってルイは惚れてくれるんだろうか。果てしなく疑問だ。
とりあえずどこかで休憩するか、と思った矢先、目の前の廊下をルイが横切った。これは仲良くなるチャンスか!
「ルイ!」
笑顔を浮かべて手を振る。絶対聞こえていたはずだ。何ならチラリとこちらを一瞥した。そして歩く速度を緩めることなく通り過ぎて行った……。
「む、無視だと……」
呆然と立ち尽くしてしまう。なまじ同じ顔をしている所為か、類のことを思い出して結構堪えるな、これ。体の疲れがどっと増した気がする。
「現実の類ですら初対面はもう少しフレンドリーだった気がするぞ……」
「類はむしろ興味津々だった気もするけど……たぶん、ステータスも好感度も足りてないのかも」
「好感度?」
ふむ、己の能力値だけが原因じゃないってことか。それにしたって親密になるためのアクションすら起こせない状態なんだが。
「大体何かしら親しくなるためのイベントが起きて、会話の選択肢がハマれば好感度が上がるんだけど……」
「そのイベントとやらはいつ起きるんだ?」
「さあ。それこそステータス依存なのかも。一定値無いとイベント発生すらしない、とか」
自分で言いながら寧々がこめかみを揉んでいる。聞いたオレも頭が痛いぞ、寧々。
その理論で行くと、好感度アップイベントが来ない限りオレはずーっとあの冷たい視線に晒されたままだし、ステータスを上げるために勉強漬けになってしまう。現実の授業だけで手一杯なんだぞ、それだけは絶対に遠慮したい……!
二人してうんうん唸っていると、すぐそばの講堂から人の話し声が聞こえてきた。少し扉が開いている。素通りしようかと思ったのだが、何やら剣呑な雰囲気だ。寧々と顔を見合わせて、そっと扉の隙間から中を覗く。
オレが授業を受けていた場所と内装は概ね似たような感じだ。木製の長机に椅子が数セット。授業が終わった後なのだろうか、中には生徒数名が一人を相手に話しかけている。背が高いから人より頭が飛び出ててわかりやすい。冬弥だ。周りを囲む生徒は友好的とは言いがたい目で冬弥を睨んでいる。
「家の方針だか知らないが、剣技の授業に出なくとも成績に響かないって、とんだ特別待遇だな」
「真面目にやってるこっちが馬鹿らしくなるぜ」
「そうそう。どうせ宰相閣下に泣きつけば成績なんていくらでもいじれるもんな」
周りの人間たちがやいのやいの言う中で、冬弥はじっと黙って目を伏せていた。それがまた気に食わないのか、余計に嫌味っぽくチクチク言葉で刺す。
これはあれか。詳細は不明だが宰相の息子である冬弥……じゃない、トウヤを妬んでいるのか。トウヤが(わかりづらいが)眉をひそめている。
「トウヤ!!」
バンっと扉を開け放ちずんずんとトウヤの方に向かう。背後から寧々の「待って司!」という声が聞こえたが気にしない。困っている弟分を助けるのに、理由なんかいらないのだ。
突然のオレの登場にみんな目を丸くした。顔色が悪い。オレ――王子とトウヤの関係を知っていればさもありなんって感じだろう。
トウヤを囲んでいた生徒たちは、顔を青くしながらオレに挨拶をして、逃げるように講堂から出て行った。ふん、すぐ逃げるくらいなら最初からやらなければいいのに。
驚いた様子だったトウヤは目を少し瞬かせて、それから眉尻を下げた。肩の力が抜けたみたいだ。
「すみません、ツカサさ……殿下」
「気にするな。……と言いたいが、トウヤも災難だな」
「いえ……情けないです」
ぽつり、と小さくこぼす。トウヤはぐっと眉をひそめて下を向いていた。
「手を痛めるからと剣の鍛練を禁止されているのは事実です。ピアノに支障が出ると。そのことに関して、宰相の息子だからと特別待遇を受けていることも。だからと言ってそれが当然だとも思いきれない。……だから、あんな風に言われても言い返せない」
「トウヤ……」
仕方ない、という風に薄く笑いながらも、トウヤの握った手にはギリギリと力が入っていた。
――こっちのセカイのトウヤも、形は違えどピアノのことで苦しんでいるんだな。
幼い頃のことを思い返せば、いつも冬弥とは家の中で遊んでいた。ピアニストにとって手は命で、スポーツなんてもっての外。その日も冬弥はオレの家に預けられていて、学校の友達と遊べないんだ、と俯いて話す冬弥の手をそっと握って、オレは人探しの本を取り出し目の前に広げた。俯く冬弥にも見えるように。オレが下手っぴで見つけられないものだから、冬弥がおずおずと絵本の中を指をさしてくれる。すごいすごいと褒めると、嬉しそうに笑みを浮かべるんだ。
……よし!
目の前にいる人を笑顔にできねば、スターとは言えないな!
トウヤの手をそっと持ち上げて固く握られた拳を優しく解くと、手の平に爪の跡が赤く残っていた。大事にしている指をこんなにしてしまうなんて、よっぽど悔しかったのか……いや、自分自身に嫌気が差したんだろうな。
赤い跡を指先でなぞる。
「トウヤ、お前は自分の思う通りのことをやっていいんだぞ」
「……ツカサさん」
「心の思うままに進むんだ。そうすれば他人の目なんて気にならない。お前が考えて下した決断なら、オレは何だって応援する。だから下を向くな!」
ここが作られたセカイとはいえ、弟分には笑ってほしいからな!
ニカッと笑いかけると、つられたようにトウヤが口の端を緩めた。よしよし、力が抜けたようだ。雰囲気も柔らかくなった。
「ありがとうございます、ツカサさ……殿下。おかげで気持ちが楽になりました」
「当然のことを言ったまでだ! それと、言いにくいなら無理して殿下なんて呼ばなくてもいいぞ?」
「……公の場ですし、ケジメをつける意味で殿下と呼んでいたのですが……中々癖は抜けないものですね」
そう言ってトウヤは照れたように頬をかいた。なんだ、かわいいやつめ。
先ほどまでとは全然違う、スッキリした顔で「では、また」と挨拶をするトウヤに手を振る。大きくなった子を見守るような気持ちで後ろ姿を見送っていると、後ろから背中を小突かれた。
「あんた何でアオヤギくんの好感度上げてるの!?」
「へ?」
「もう好感度ぶっちぎりトップじゃん……はあああ……」
頭を押さえた寧々がふらふらとよろめく。危なそうだったので身体を支えてやったら、「ホント、そーゆーとこ……」とますますため息をつかれた。何なんだ。
もはや達観した表情の寧々が言うには、それぞれの人物のオレに対する好感度がステータスバーのように見えているらしい。現在トップはトウヤ、ルイは最下位なんだと。
「司、本当に類のこと攻略するわけ? 鞍替えしたら?」
「何を言う。初志貫徹しないとな!」
「じゃあ無暗に他人の好感度上げないこと! このままじゃ絶対爆弾処理コースじゃん……」
「お、オレだって爆発? するのは類の実験だけで十分だ!」
寧々の言う爆弾、というのがいまいちわからないが、いい響きを持たないのは普段爆発させられているオレにもわかる。
オレのことを信用していない、白けた目で見てくる寧々を宥めすかして、これからも協力してくれるようお願いした。だいたいオレがクリアしなきゃ、お前にも(恐らく)安眠は訪れないんだぞ。いわばオレとお前は運命共同体なのだ!
と、意気込んでみたものの、この数日間まっったく進展が無い。
ルイを見かけるたびに話しかけても取り付く島もないし、イベントとやらも発生しない。ひたすらパラメータを上げるだけの日々に、寧々も嫌気が差してしまって「適当な場所で休んでいる」と言ってふらりと消えた。ぐうたら侍女だ。
最近じゃ現実世界で類の顔を見ても好感度のことばっかり思い浮かんでしまう。よっぽど難しい顔をしていたのか、類に心配されてしまう始末だ。不甲斐ない。
どうにか突破口が見つからないものか、と学園の中をふらふらと散歩していると、いつの間にか見覚えのある場所にたどり着いていた。
(ルイと最初に出会った薔薇園か……)
ほんの何日か前のことなのに、やけに懐かしい感じだ。足を踏み入れれば固い石畳の感触。今日も綺麗に手入れされた薔薇達からは甘い香りが漂ってきて、白色を主体にした薔薇のアーチをくぐると、目の前がぱっと開けた。
「おお……」
思わず声が出た。
青い薔薇だ。
一組のテーブルセットを囲むようにして、青い薔薇が咲き誇っている。確か青色の薔薇って現実じゃ不可能なんだよな? まあここは想いのセカイだし不可能だって何でも有りか……。
物珍しくなって青薔薇に近づく。近くで見ると本当に見事だ。瑞々しさを湛えた花びらは先端に向かうにつれ、濃い青から薄い青色へと色づいている。
ほう、と知らずに息を吐いて、そろそろと手を伸ばした時だった。
「迂闊に触れると危ないですよ」
「うおっ」
背後から声を掛けられ咄嗟に振り向く。
「ルイ」
こうもタイミングよく会えるとは。
名前を呼ばれたルイはゆっくりと足を進め、オレの横で立ち止まる。今日もきっちりしたタキシード姿だ。そのまましゃがむと、優しい手つきで薔薇に触れた。
「棘の鋭い品種ですからね。慣れない人は触らない方がいい」
「……そうか、ありがとう」
「…………」
ルイはこちらに目線をやることなく、じっと手の中の薔薇を見つめている。よくわからない表情だ。ただ、手つきから薔薇を大事に扱っているのは伝わった。
「ルイは花が好きなのか?」
そういえば類も花が好きだと言っていた。緑化委員に入っていて、オレが花を踏みそうになって転ばされたこともあったな。今思えば納得できるんだが、あの時のオレは類が花を好きなんて信じられなくて、無神経なことを言ってしまった。悪いことをしたな。
思い出しついでに、ふっ、と笑い声が漏れる。それに耳ざとく気づいたルイが、顔を厳しくさせてこちらを見た。
「何故僕に話しかけるんです? そんなに僕が面白いですか?」
蔑んだような眼差しに、一瞬呼吸が止まるかと思った。
こんな冷たい目、見たことが無い。……いや、一度だけあるか。オレが、みんなの笑顔を奪ってしまった日。あの瞳に似ている。
鼓動がどくどくと鳴って、体が固まった。落ち着けオレ、こいつは類じゃない。オレはもう、あいつにこんな顔をさせない。
「何故って……」
乾いた喉を湿らせるように唾を飲む。
「お前が笑顔じゃないと、なんか嫌なんだ……」
考える暇もなく、するりと言葉がこぼれた。
これはあれだ。類の笑顔を見慣れてしまったせいで、違和感があるのだ。だからこいつも笑顔じゃないと、オレも調子が出ないのだ……と、思う。
オレの返事にルイは何か言いかけようと口を開いたが、眉をひそめ、黙ってその場を立ち去って行った。
今思うに、あれがいわゆるイベントってやつだったんだろうか。
先ほどの出来事を思い返しながら、寧々を探すべく学園内を再び歩く。
しかし、だとしたらもっとアクションを起こすべきだったのかもしれない。思っていることを口にしただけで、せっかくのチャンスをフイにしてしまったのではないか? どうもルイを前にするといつもの調子が出ないな……。
「お、寧々!」
悶々と考えているうちに音楽堂の前で寧々を見つけた。最近はここで聖歌隊の歌を聴くのが暇つぶしにいいらしい。
呼び声に反応した寧々は目を瞬いてオレを見た。
「司……どうかしたの、そんな顔して」
「む、どこか変か」
「いや、なんか難しそうな顔してるから」
心配そうに言われて、自分の顔をぺたぺたと触ってみる。うーん、いかんな、眉間の皺が癖になってしまう。
「そうか。それよりルイの噂について知っているか?」
「ルイ? ええと……」
初めて薔薇園で会った時、ルイの名前をうっかり呼んでしまったオレに対して、あいつは『例の噂』と言ったのだ。すっかり忘れてしまっていたが、それが何かしらルイの心を抑圧しているヒントなのかもしれない。
寧々はオレの言葉に頷いて、頭の中の物語を探すように上を見た。
「ルイ・カミシロ。ある没落した貴族の一人息子。当主は怪しげな錬金術に憑りつかれた狂人だって言われてる。政争で敗れてルイは別の家の養子になったみたい。で、本人もその血を引いた頭のおかしな奴だってみんなに噂されてる。あー、言っててイライラしてきた!」
説明してるそばからプンプンと怒り出した寧々が床を蹴る。虚構のセカイとはいえ、仲間を貶められて黙っていられるほど温厚じゃない。寧々も、オレも。
しかし、そうか……。この噂話が原因でルイは周りから遠巻きにされて、ルイ自身も人を遠ざけているのか。この壁を破らなければルイには近づけないが……どうしたものか。
□
最近は夢の中で奮闘しているせいで連日疲れ気味だったのだが、今日はなんだか目が冴えている。いつもの屋上。目の前で購買のチキンサンド(野菜は入ってない)を食べるルイ……じゃない、類のこともよ~く観察できる。元は類がモデルなんだから、こいつを観察すればルイを攻略するヒントが隠れてるに違いない!
「えーっと……司くん?」
「何だ」
ルイは何をすれば笑うんだ? 大体こいつってオレと話している時はいつも楽しそうだしな。表情筋ゆるゆるだ。「神代くんってミステリアスでかっこいい~」などとのたまっている女子に見せてやりたい。おっと、脱線したな。
「そんなに見られると僕も気になるんだけど……どうしたんだい?」
まあオレほどではないが顔も整っていてスタイルもいいしな。ムカつくことにオレより背も高い。いや、オレの身長は黄金比なのだ、羨むようなことじゃない。
類はちょっと眉を下げて困ったようにオレを見ている。ふむ。
「ルイを笑わせたいんだが!」
「ええ?」
「類が楽しいのはどんな時だ?」
こうなったら本人に聞くのが一番手っ取り早いな。
オレの質問にますます困惑した表情を浮かべた類は、う~ん、と首を傾げながらもへらりと笑った。
「質問の意図がわからないけど……もちろんみんなで一緒にショーをしている時さ。当たり前だろう?」
「――それだ!」
灯台下暗し!
パンッと手を打ち鳴らすと思いの外いい音が鳴り響いた。こんな簡単なことを忘れていたとは、迂闊だった!
「ありがとう類! これでルイも笑顔になる!」
「ええ……?」
善は急げだ。今日は家に帰ったらすぐに脚本に取り掛からねば。それだけじゃない、ルイの気を引けるようなプラスアルファが欲しいが……こちらの世界から何か持っていくのは難しいか。
隣で類が訝しげな視線を投げているのがわかるが、オレは頭の中の構想をこねくり回すのでいっぱいいっぱいだ。
ルイを笑顔にするにはこれしかない。
そう、ショーをするのだ!!
■
ふっふっふ。
ハーッハッハッハ!
寧々の協力もあって準備万端! 脚本もばっちりだ! また傑作を世に生み出してしまったな……。
「ちょっと司、さっさとして」
ええい、せっかく己の才能を称えるポーズをとっていたのに、寧々に横槍を入れられてしまった。
ジトッとした目で見られ、あわてて足を動かす。まあ急ぐに越したことはないからな。さて、肝心のルイを見つけなければいけないのだが……お。
前方にターゲット発見! 方角的に薔薇園に向かう途中のようだ。
「ルイ!」
今日こそは無視されようと諦めないぞ! そもそも物語の設定がどうのこうのなんて関係ない。オレがルイを笑顔にしたい、そのために全力を尽くすのみだ!
そんなオレの熱が伝わったのか、ルイが廊下の端で立ち止まった。やった!
「ルイ……っ」
「殿下」
「へ?」
ぱっとルイとオレの間を塞ぐようにして人が立ちはだかった。恐らく生徒の一人だ。顔に見覚えはないが、オレに何か用だろうか。
男はルイを冷たい目で一瞥すると、オレの方に向き直って笑みを浮かべた。なんか……嫌な感じだ。
「殿下、物珍しさはわかりますが、あのような怪しい人間に関わるべきではありません」
「は?」
「王家の品性まで疑われてしまう」
目の前の男は、はあっ、と大げさに息を吐いて肩をすくめた。ちらりとルイを見る、蔑んだ視線。男の背後で、ルイが俯いた。
もうそれが目に入った瞬間、目の前がカーッと赤くなってしまった。
ルイに関わるな? それはあれか、例の噂ってやつか。本当か嘘かもわからない、ルイを貶めるような噂を鵜呑みにして、あまつさえ本人の目の前であげつらうように!
血が上った頭で口を開こうとした瞬間、ルイの横顔が視界に入った。全てを諦めきった顔。
(あ……)
唐突にフェニックスワンダーランドでの出来事を思い出した。えむと経営陣である兄達が仲違いしていて、えむにひどいことを言った時の事だ。あの時もオレはカッとなってしまって、でも類に感情的になっちゃいけないって止められたんだった。……まあ、その後すぐに諭した本人がキレてたんだが。
ふっ、思い出したらちょっと冷静になった。頭に血が上った状態で喚き散らしても、それこそルイの影響だと悪し様に言われる可能性もある。
大きく息を吸って吐く。よしよし、オレはスマートに冷静だ。
「……オレが誰と話すかはオレが決める。偏見で凝り固まることほどつまらないものはない」
言葉に力を籠める。生徒の背後にいる、目を見開いたルイに届くように。
目の前の生徒を真っ直ぐ見つめると、気圧されたかのように目をキョロキョロとさせていた。
「ルイ、お前に見せたいものがある。ついてきてくれ」
青ざめた顔をした男の横をすり抜けて、類の腕を掴む。ぐっと引っ張ると、特に抵抗もなくついてきてくれた。後ろから戸惑った様な気配は感じるが、まあ、待っていろ。お前を絶対に笑顔にしてみせるからな!
パッと部屋が暗くなる。寧々が暗幕を垂らしてくれたのだ。
一歩踏み出し、暗闇の中で声を張り上げる。
『ああ、ここが死者の国か。真っ暗で何も見えないじゃないか!』
嘆いて、脱力する。こうも暗いと、観客の反応がわからないのが難点だ。
ルイの手を引いて連れて行った先は小さな講堂だ。王子様特権で借りてやった。寧々に裏方を任せたせいでほとんど一人芝居になってしまったが、即席の舞台にしては上々だろう。
内容はルイにも親しみやすいようにと、この国の神話をアレンジしたオーソドックスな英雄譚。こんなところであの苦行の勉強が役に立つとは……真面目に授業を受けたオレ、偉いぞ。
物語は中盤。何はともあれ、ルイの心をぐっと掴んでやらないといけない。戦の最中、騙され、冥府へと落とされた勇気をつかさどる神が暗闇の中を彷徨う一遍だ。彼を地上へと導くために、星の神が力を貸す。
オレはひとしきり嘆いた後、寧々に合図を送った。寧々が手元の布をパッと取り去る。ぽつぽつと暗闇の中に小さく頼りない明かりが灯っていった。柔らかいオレンジ色の光の中、目を瞬かせたルイの顔が目に入る。ランプに穴を開けた鉄製の杯を被せただけの簡易プラネタリウムだが、少しは楽しめているだろうか。いや、楽しませてこそ未来のスターだからな! オレは全力を尽くすのみだ!
『この輝きの向こうだ。星が導いてくれる』
そう、照らしてやるんだ。
大団円で幕が下り、深く一礼する。どうだ、とルイの様子が気になって顔を上げると、ルイは顔を伏せて体を震わせていた。まずい、何か傷つけるようなことでもしてしまっただろうか!?
「る、ルイ……?」
「フ、フフ……」
恐る恐る声を掛けてみると、口元を押さえながら顔を上げてくれた。ん? もしやこいつ、笑いをこらえているのか……?
「……フフッ……」
「……ルイ、面白かったか?」
「あ、ああ。うん、久しぶりに腹を抱えて笑ってしまったよ」
「そ、そうか」
オレなりにアレンジを加えたとはいえ、コメディ要素は無かったはずなんだが……まあ、これだけ笑ってくれたのなら結果オーライか。ちょっと引っかかるが。
ようやく笑いが収まったのか、目の端に浮かんだ涙を拭ったルイがにこりと微笑む。
「芝居も面白かったけれど、あの星を再現した灯りが話のテーマに合っていて物語への没入感を得られたよ。簡単な装置だけどよく物語を引き立たせていたし。光を回転させて話の時間経過を表したり場面転換に使うのもよかったね。その後のシーンで星を抱えていたけれど、僕ならあそこで……あ」
ぺらぺらと湯水のようにルイの口から言葉があふれ出す。現実の類も興が乗ると口が止まらなくなるんだが、何だかんだで楽しそうな表情を見るのは気分がいいからいつも聞いてやってる。
だからルイの興奮したような話しぶりにもフンフンと相槌を打っていたのに、途中でぷつりと切れてしまった。話し過ぎてしまった、って様子だ。もったいない。
「楽しめたならよかった! ルイなら絶対ショーに興味を持つと思ったんだ!」
同じ類だからな! オレの慧眼が冴え渡っていたということだ。
己を称えるポーズを取ると、ルイはおかしそうに息を漏らした。
「なんだいそれ」
「ルイは類ってことだ!」
「……さっぱりわからないな。僕も大概だけど、君も……じゃない、殿下も変わった方ですね」
「司で構わないぞ。オレとお前はショー仲間だ!」
ニコッと笑いかけたら、ルイはちょっと目を見開いて、それからふんわりと笑った。……あれ。
「うん……フフ。ショーって面白いんだね。よろしく、ツカサくん」
心臓がどくんと跳ねた。不整脈だろうか。
ずーっと冷たい目線を浴びてきたギャップの所為か、ルイが立ち去った後もぼんやりとしていたら寧々に脇腹をつつかれた。
「おわっ、忘れてた! どうだ寧々!?」
「一気に半分近く上がったよ。断トツ一位」
寧々も嬉しそうに小さくブイサインを出す。ふふん。勝利の雄叫びを上げたいところだが寧々の目線に止められたので自粛しておこう。
「まあオレのスター性にかかれば魅了されるのもやむ無しだな! さて、次はどうする?」
「この調子で好感度を上げていけば告白なり何なりされてエンディングになると思うけど。……っていうか仕方ないとはいえ、知り合いの色恋を見せられるのってどんな罰ゲームなんだろ……」
「それはその……仕方ないだろう」
「だからそう言ってるじゃん」
ルイを攻略すると決めた時は勢いに任せていたから何も感じなかったが、改めて考えるとオレだって恥ずかしい。これから好感度をもっと上げていくと――ど、どうなってしまうんだ?
今更悶々とし始めたオレを横目に、寧々が深いため息をつく。もう癖になってるんじゃないか。
「この流れ、現実の類も思い出して余計気まずいんだって……」
ブツブツと言ってるが、聞こえないぞ。
□
何はともあれようやく一歩前進したのだ。疲れは残っているがすっきりとした心持ちで学校生活を送れる。うんうん、今日のオレは絶好調だ。
「司くん、何だかご機嫌だね」
そういうお前もにこにこじゃないか。
隣に座って菓子パンにぱくついている類がオレの顔を見てふにゃりと笑う。このだらけきった顔! ルイもゆくゆくはこんな風にしてやるからな。
「ああ! 類のおかげで、えーと、とある人物を笑顔にできたんだ。ありがとう!」
「アドバイスした記憶はないけれど、どういたしまして?」
「いいや、類のおかげだ。思った通りショーも好きになってくれたし、これから楽しみだ!」
「ふうん」
おや?
先ほどまで上機嫌だった類がムッとしている。面白くないです、と顔に書いてあるが、今の会話のどこに引っかかる所があったんだ。
と思いきや、類は目を細めてニヤリと口の端を吊り上げた。うげ。
「ねえ司くん。お礼に今日も実験に付き合ってね」
「う……まあ感謝はしているからな。ただし、オレに害が及ばないものにしろよ!?」
「もちろんだとも、フフフ」
その怪しげな笑いが不安を誘うのだが、仕方ない。礼をしたいと思っていたのは本当だしな。……今日も反省文決定か。
■
順調順調!
今日も夢の中の授業で頭を悩ませまくったが、ルイが勉強を教えてくれることになった。あれからルイの雰囲気は大分柔らかくなって、オレの前では自然な笑顔を見せてくれるようになっている。本人には内緒だが、ノラ猫が懐いてくれたみたいでちょっとかわいい。
図書室に置かれた小さなテーブルに向かい合って本を開く。寧々は侍女らしくオレの後ろでスタンバイだ。何もしないで立ってるのって、疲れるよな。すまん。
しばらく真面目に机に向かっていたのだが、どうしても集中力が切れてしまう。現実の授業だけで手一杯なのだからあっという間に疲れるのだ。肩を軽く回していると、本のとある記述に目が吸い寄せられた。
「ルイ、そういえば錬金術って何をするんだ?」
あ、と寧々の声が背後から聞こえたがもう遅い。オレのバカ! ルイが心を閉ざす切っ掛けのことを、何でぽろっと訊いてしまうんだ! 何も考えてないからだ!
ルイは目をパチパチと瞬かせた後、おろおろとするオレの様子にフッと息を吐きだした。
「世間じゃ異端だの怪しい呪術だの言われてるけどね。この世の理に則った、れっきとした技術さ」
「うう……ルイ、すまん」
「フフ。気にしていないよ。ツカサくんに含みが無いのはわかっているからね」
純粋に知りたかったんだろう? と意を汲んでくれて穏やかに微笑む。優しいなお前……。
具体例を持って錬金術の説明をするルイの顔は生き生きとして輝いている。話からするとこっちで言う科学みたいな物か。……それにしても、本当に好きなんだなあ。だからこそ、噂話が心に堪えたのかもしれない。
「この前見せてもらったショーにも応用できるかもね。熱の問題があるから安全性を考慮しないといけないけど……」
「なるほど、錬金術を使ったショーか。面白そうだな!」
そう言うとルイは驚いたように目を見開いて固まった。どうしたんだ、と様子を伺うと、スッと目が逸らされる。
「……今言った通り、危険な面もあるんだ。怖くないのかい?」
「なぜだ? ルイはそうやって安全性を確かめてくれるだろう。怖がる必要はない」
まあ、先生に追いかけられるのは勘弁してほしいけどな。
先日のお礼と称した実験を思い出す。案の定指導担当の教員に見つかり、お決まりになった反省文を書かされたんだった。ちなみにオレがシャーペン片手にうんうん唸っている横で、類は「こういうのは定型文があるんだよ」と言って反省の色を見せずにさっさと提出していた。遺憾である。
そんなことをつらつら考えているうちにルイの反応が無いのに気づいて顔を見れば。
(おお……)
照れくさそうに薄っすら頬を染めるルイ。なんだ、オレの言葉が嬉しかったってワケか? ふっ。
「ちょっと、まじまじと見ないでおくれよ」
「いいだろうが減るもんでもなし!」
顔を背けようとするルイを逃がすものかと肩を掴んでこちらに向かせる。それを阻止しようとルイがオレの腕を掴んで外そうとするから、オレも意地になって腕をかわそうとする。だんだん面白くなってしまって二人して笑いながらわちゃわちゃしてたら、背後から舌打ちが聞こえた気がした。……ね、寧々さん?
終盤はふざけ合ってちっとも勉強は進まなかったが、ルイとの仲は深まったし結果オーライだろう。夕陽が窓から差し込んできて部屋をオレンジ色に染めている。そろそろ学園から出る頃合いだ、と帰り支度をして三人でぞろぞろ門を目指す道中、夕焼けにそっくりな髪色を見つけた。
「アキトじゃないか!」
ついつい声を掛けてしまったが、挨拶を交わした仲だし、話しかけるくらいは普通だろう。だから睨むんじゃない、寧々。
オレの声に振り向いたアキトは顔をしかめつつ「どうも」と顎を引いた。剣を佩いた動きやすそうな格好の衣服は、少々砂で汚れている。
「こんな時間まで鍛錬か、精が出るな!」
「はあ……」
「連日遅くまで鍛えているようだし、アキトは努力家だな」
「……見てたんですか」
少し驚いたように目を開く。騎士志望だというアキトは、授業終わりにも学園の鍛練場や敷地内で剣を振る姿や体力づくりに励んでいる様子をよく目にする。自分の目標に向かうストイックな姿は、現実の彰人とそっくりだ。
「無茶しすぎて、体を壊すなよ」
「はあ、どうも」
アキトは少しだけ口の端を上げて頭を下げると、門とは反対側に歩いて行った。言ったそばから鍛練に戻るらしい。あいつらしいというか何というか。
「ツカサくんって」
横で黙っていたルイがぽつりと漏らす。夕陽の逆光で表情がよくわからない。
「人のことをよく見ているよね……」
「そうか? まあ皆を引っ張るリーダーとして当然だな!」
ふふん、と胸を反らすが、ルイからの返事は無い。
ぱしぱしと目を瞬いてようやく見えたルイの表情は、どこか寂しげに感じられた。
□
普段学校では「わたしを巻き込まないで」とオレ(と類)を遠ざける寧々だが、朝一番に話があるからと昼休み――ついでにランチの約束を取り付けられた。ついに寧々もオレの素晴らしさがわかったか。ランチが終わったら二人で校内即興ショーなんていいんじゃないか? と、むふむふ笑いながら向かった先は、中庭を通って校舎の裏側。人っ子一人いない。
「司、こっち」
キョロキョロと辺りを見渡せば、校舎で影になった場所から寧々が手招きしていた。よくこんな場所見つけたな。
「学校で呼び出すなんて珍しいな、寧々」
ててて、と近寄って笑いかけると、寧々の顔は対照的にしかめっ面になった。
「……ちょっと司、誰にでもモーションかけるのやめてくれない?」
「はあ!?」
衝撃的発言だ、人聞きの悪い! その言い方、オレが手当たり次第に手を出すだらしない奴みたいじゃないか。
反論しようとするオレを「そうじゃなくて」と寧々が押しとどめる。
「昨日のアレ、シノノメくんの好感度も上がったし、ルイに爆弾ついた」
「は? ……というか爆弾?」
「要は嫉妬したってこと。このまま放置すると感情が爆発しちゃって、最悪司のこと嫌いになる」
「なんだとー!?」
思わず大声を上げてしまってまた寧々に叱られた。だって、ここにきてこんなトラブルが発生するとは!
「ぶっちゃけあの会話一つで爆弾つくとか予想外すぎ。ルイのご機嫌とってよね」
「あ、ああ……」
寧々と二人して肩を下げる。まあちょっと順調に行き過ぎてたからな、物語には起伏が必要だろう。そうとでも考えないと疲労感が増してしまう。
時間も無くなるしランチにするか、と弁当を広げたところで校舎の陰からひょこっと見覚えのある長身が覗いた。
「類?」
「やあやあ二人なんて珍しいね」
名前を呼ばれた類がにこにこ笑いながらこちらに近寄ってくる。手には購買の袋。よくこんな場所にいるとわかったな。
「僕も一緒に食べていいかい?」
「構わんが……ってお前それ、野菜サンドじゃないか!」
「そうなんだよ……これしか残ってなくてね……すごく困っていたんだよ」
うるうる、とオレより背が高いくせに上目遣いでかわいそうアピールをしてくる。その手には乗らんぞ……と心を強く持とうとするも、憐れみを誘うような声でオレの名を呼ぶ。えーい、わかったから服を引っ張るな! ……なんだかんだでいつもオレはこいつのおねだりを聞いてしまう気がする。
仕方なく弁当に入っていた食べられそうなものを類に渡してやっていると、寧々が引き攣った顔で言った。
「人に見つからないような場所にしたんだけど」
「だってこの野菜サンドを誰かと交換しないといけなかったからね」
「答えになってないし……」
類の返答に何かを諦めたような顔をした寧々は黙々と弁当を食べ終えると、さっさと教室へ戻ってしまった。せっかく寧々とショー談義でもしようと思ったんだが、残念だ。
後に残った類はやけに上機嫌で今日の練習について話しかけてくる。そんなに野菜サンドが交換できて嬉しかったんだろうか。
■
さて、目下の問題は『ルイについた爆弾』である。昨日のアキトとの会話で嫉妬したらしい。あんな会話で? と思ってしまうが、最初の素っ気ない態度から比べると、それもかわいく思えてしまうんだから困ったものだ。きっと今まで親しい人間がいなかったから些細なことでやきもちを妬いてしまうんだろう。
とりあえずルイを探しに行こう、といつも通り寧々と共に薔薇園の方角へ足を進めていると、外廊下の隅の方でうずくまっている人影があった。
「どうした!」
一目散に駆け寄り、相手の様子を伺う。アキヤマだ。見るからに顔色が悪い。
「アキヤマ、具合が悪いのか?」
「……少し、だけ……」
アキヤマはそう言いつつも、先ほどから下を向いて動かない。頭に手を当てているから、頭痛か眩暈がするんだろうか。早く休ませてやらないと。
「医務室に行くぞ。立てそうか?」
「……たぶん」
「そうか。……嫌かもしれんが少しだけ我慢してくれ」
無暗に他人の体を触るのは良くないが緊急事態だ。背中に手を添えてゆっくりと立たせると、一声かけて膝の下にも手を回し、体を持ち上げる。
「うええ!? ちょっと!?」
「驚く元気があるなら大丈夫そうだな。医務室まで運ぶぞ」
寧々に先導を頼み、アキヤマを腕に抱えたまま歩く。周囲からの視線は感じていたが、こればっかりは仕方ない。アキヤマ自身の体の方が大事だからな。
医務室に到着して指示されたベッドに丁寧に下ろすと、力が抜けたようにぐったりと体を横たえた。やはり相当具合が悪かったらしい。
ちょいちょいと指先で呼ばれたので顔を近づける。
「……ありがとうございました」
「当然のことをしたまでだ。ちゃんと休むんだぞ」
「はい。横になったら大分マシになりましたけど」
アキヤマは少し微笑んで、それから言うか言わないか迷ったように口をもごもごとさせた。それでも結局言うことにしたらしく口を開く。
「殿下、最近ルイと仲いいでしょ」
「お、ああ」
「ちょっとめんどくさい奴だけど、よろしくね」
「……もちろんだ」
オレの返事に満足したのか、アキヤマはふふっと笑って手の平をひらひらさせた。後は医師に任せて退散するか。それにしても、こっちでもルイとアキヤマは知り合いなのか。
すごすごと医務室から出て、ぐっと体を伸ばす。かっこつけたがちょっと腰が痛いかもしれん。
ずっと付き添ってくれていた寧々は困ったように眉を下げつつも笑みを浮かべていた。
「あんたってほんと……。好感度上げるなって言ったばかりなのに。でも、困っている人を助けないなんて司じゃないしね」
「う……すまん。忘れていた」
「だからいいって言ってるでしょ、人助けなんだから。とにかく今は爆弾処理のためにルイに会わないと」
「そうだったな!」
よし、いざゆかん! と振り返った先にルイの顔があって、ホラー映画さながらに叫んでしまった。
「ぎゃーーー!!!」
「ヒィっ!?」
寧々と一緒に跳び上がって後退る。滅茶苦茶失礼な態度を取ったのに、当の本人からは何の反応もない。――というか、目がどんよりとして暗いし、負のオーラをまとっている。
ルイの顔を見た寧々がグイグイとオレの腕を引っ張って、耳元で囁いた。
「司、やばいっ。どうにかしないとっ」
「どうにかって、どうするんだっ」
「ええ~っと、デートにでも誘って機嫌取ってきてよっ」
「で、でえと~?」
ちらりと前を見る。オレたちがこそこそ話をしている間も、ずもももも……と効果音が出てきそうな闇のオーラを背負っている。この状態の奴をデートに誘う? 恐ろしすぎる。
「る、ルイ……?」
恐る恐る声を掛けると、目を合わせたルイは口の端を歪めて無理矢理笑顔を作った。
「ミズキを助けてくれたみたいだね、ありがとう……」
「お、おお……」
声音はいつも通りなのが逆に不気味だ。それにしてもこいつ、今度はアキヤマに嫉妬したのか。それでもちゃんと礼は言うって……難儀な性格だな。
しかしデート、デートか……。どうやって誘うんだ? 生まれてこの方色恋沙汰に関わったことがないので誘い方がわからない。……ええい、恥ずかしがることなどない! 男を見せろ、天馬司!
「ルイ! デートに行くぞ!」
「デート?」
「そうだ!」
きょとん、とした顔でオレの言葉を復唱する。デート、デート……、と何度も口に出すうちにじわじわと言葉の意味が脳内に浸透したのか、目尻が下がり口元がムズムズとしている。
「……うん」
うっ。ほんのりと頬を染めて嬉しそうにはにかむ姿に、何だかオレの方が照れてしまった。なんだこいつ、かわいいな。頭を撫で回してわしゃわしゃしてやりたい。
「よ、よし、善は急げだ! 町にでも出かけるか!」
「あ、ちょっと待って」
門の方へ向かおうとしたオレを呼び止めて、ルイはどこからかストールを取り出してオレの頭にふわりと乗せた。
「変装しないと大変なことになるからね」
柔らかな布地を巻き付けながら、フフ、と楽しそうに笑う。ち、近い。ストールを巻くのにこんな至近距離に顔を近づける奴があるか? ……ここに居た。まじまじと見るとすごく整った顔だ。いいい、いや、オレの方がかっこいいんだけどな!?
「あ、ありがとう! ならルイも隠さないとな! 綺麗な顔をしているから!」
動揺して言葉がどもってしまった。いかん、何故だか胸がざわついてしょうがない。オレも医者に診てもらった方がいいか?
ルイはオレの言葉に嬉しそうに目を細めると、「じゃあ一緒に変装しようね」と上機嫌で言った。
というわけで裕福な商人風に変装したオレとルイ、そして小間使いの恰好の寧々は学園から少し離れた町の商業区域に来ていた。このセカイに来てから学園の外に出るのは初めてだ。ちょっとワクワクする。
何もかも物珍しくて、ルイに貰ったスカーフで顔を隠しながらキョロキョロと辺りを見回していると、ルイが苦笑しながらオレの肩を抱き寄せた。オレがいた場所を荷車を引いた男が通り過ぎていく。
「すまん、ルイ」
「ううん。こうやってお忍びで歩くのは初めてかい?」
「ああ!」
外国といえばアメリカのライリードリームパークには行ったが、それとも全然雰囲気が違う。ザ・中世ヨーロッパって感じだ。せっかくだから色んな場所を見てみたい。
すうっと深呼吸をすると、砂埃の匂いがする。赤茶けたレンガ調の建物が並ぶ通りは日本じゃなかなかお目にかかれないだろう。
「ルイはよく遊びに来るのか?」
「まあ、買い物がてらね。王子様にはちょっと見せられない場所もあるけど」
「むっ」
「ああ違うよ。ええと、錬金術に使う材料は、治安の悪いところの店もあるからね。君に何かあったら嫌だから……」
ちょっとふてくされた真似をしたら、予想外にルイが焦って弁解し始めた。ルイの奴、言いながら少し照れくさそうに頬をかいている。
「ふふん、それなら許してやる!」
恥ずかしがっているお前に免じてな! 最初の頃と比べると驚くほど表情豊かで、それだけオレに心を開いてくれているのだと思うと嬉しくてしょうがない。ふわふわとした気持ちのままルイの腕を引っ張って、あれは何だこれはどうだと手当たり次第に指をさす。それを面倒くさがることなく、ルイは一つ一つ丁寧に教えてくれた。こういうの、ショーの題材に使えそうだな、なんてルイと笑い合っていたら、少し離れたところで寧々が胸の辺りを擦って舌を出していた。
「砂吐きそう……」
「ど、どうした寧々! 具合が悪いのか!?」
「わ、わたしに構わないでいいからっ」
心配で寧々に近寄ると、あわてた様子の寧々が「ほらっ」と目線をルイに向ける。視線の先には唇を引き結んだ姿。アキヤマの時ほどではないが、明らかにムッとしている。お前……寧々にすらやきもち妬くのか。
「しかしオレにはお前がいないと……」
「システム的にね! 誤解を生むようなこと言わないで!」
「お、おお。元気ならいいんだ」
ものすごい勢いで言われ、思わずコクコクと頷いた。ショー以外でもこんな迫力出せたんだな、寧々。
その後、なんやかんやでデートを満喫したオレ達は、また学園の正門前まで戻ってきて、何故かルイにじっと見つめられていた。どうした。
「離れたくないな……」
おおおお!? 近い近い近い!
ルイの手がそっとオレの両肩を掴み、顔をゆっくりと近づけられる。憂いを帯びた瞳が夕陽に反射して、艶々と光っている。甘い、レモンイエロー。どくどくと耳の奥で音がする。
お互いの鼻が触れるんじゃないかってくらい近づいて、思わずぎゅっと目を瞑った瞬間、パッと体を離された。
「へ?」
「……じゃあまたね」
顔を赤くさせたルイは、はにかんだようにちょっと微笑んで手を振った。反射でオレも手を振り返す。こちらを振り向くことなく早足で去っていく後姿をぼんやりと見送る。
……なな、何だったんだ!? 時間差で急激に心臓がばっくんばっくん鳴っている。顔がひたすら熱っぽい。むず痒くて、全身を搔きむしりたくなるような気持ちだ。これは一体何なんだ!
わけがわからずに縋るように寧々の方を見ると、寧々も顔を真っ赤にさせてぽかんと口を開けていた。無言でオレを見て、ぶんぶんと首を振る。せめて何か言ってくれ! そういうオレも意味のある言葉を発することができなくて、しばらく二人でじたばたするしかなかった。
□
今日の天馬司は不調である。朝起きてからずーっとうわの空で、頭がはっきりしない。原因はもちろん昨日のルイだ。
昨日の帰り際の、ルイの瞳が忘れられない。あんな近くで人と見つめ合うなんて初めてだった。夕陽で少しオレンジがかっていた、真ん丸の月みたいな色。そうだ、今目の前にある、こんな感じの、吸い込まれるような――。
「ひょえっ!」
思わず声が出て、ガタガタっと椅子を鳴らして後退る。ガタン、と後ろの机にぶつかって、危うく転ぶところだった。びっくりした……。
いつの間にか放課後になっていたようで、周囲をきょろきょろと見回してもオレともう一人しか教室にいない。
「大丈夫かい?」
元凶である男――類が心配そうにオレの顔を覗き込む。いや、オレの心の問題であって、類の所為ではないんだがな……。それにしても至近距離にいすぎじゃないか。
「呼んだのに気づかないから、驚かせてしまったみたいだね。何か考え事かい?」
「いや、何でもない……」
お前と同じ顔の男のことを考えてました、なんて言えるわけがない。その男と昨日、い、いい雰囲気になりかけたことなど。
自然と熱くなりかける頬を冷ますように手の甲で押さえていると、目の前に立っていた類が「へえ……」と相槌を打って、じろじろとオレを見る。その見透かすような視線に何故か体が熱くなってしまって、じわりと汗が滲んだ。
「る、類?」
「……ううん。ねえ、今日は練習前に買出しに付き合ってもらっていいかな」
「あ、ああ、もちろんだとも!」
類のいつも通りの声音のはずが、やけに力が入っているような気がして、すぐさま首を縦に振った。普段と違う圧があった気がする……気のせいかもしれないが。
それでなくたってオレ達の活動に必要なことなら否やは無い。急いで帰り支度をするオレの様子を、類はにっこりと微笑んで眺めていた。