夜名前のないモブ語り
あの上司そろそろパワハラとセクハラとモラハラその他諸々で訴えてやろうか…
日付を跨ぎそうな深夜
金曜日の今日は週末で明日が休みな人は夜更かしの準備をしたり、出かける予定の人は早めに就寝したり、友達や恋人、家族と過ごしているであろう時間に上司への恨み言を呟きながら帰宅する社会人とはこの世に何人いるのだろうか…いや、むしろそっちの方が多いと思う、思いたい、思わせてくれ、じゃないと自分が保てない…!!仲間は多い方が心のゆとりへと繋がるのだ…!!
人気のない道。
住宅街なので家々の防犯電灯のおかげか、比較的明るいのがせめてもの救い。
でなければ本当に心が挫ける、コケる、挫折する…同じ意味を違う単語で言い続けても仕方がない…
今夜はまん丸のお月様で本当ならお月見にかこつけて、とっておきの日本酒で一杯やるつもりだったのに、あのハゲ上司のせいで…
ダメだ、マイナス思考の沼に落ちた。
良い事を考えよう。良い事…。
コツコツと自分の足音のみが夜道に響く。
温暖化のせいか、11月だというのに気温が安定せず今年卸したばかりのコートを羽織らず腕に掛け、良い事を思い出そうと足を動かす。
家族が多いのか何時も賑やかな家。
年柄年中分厚いカーテンで閉め切っている家。
剣道の道場。
場違いなほど高級な家つか豪邸。
花壇には色々な草花が植えられている家。
たまにトランペットの音が聞こえる家。
さっきの豪邸より大きい大豪邸。
ここら辺、変な家の並びだよな。
ふと、考え事に足を取られ転びそうになる。
コンクリートとこんにちはせずにすんだが、周りに人がいないと分かりつつも見られていないか見回してしまう。
と、一軒。
明かりが零れている家があった。
いや、家ではなく。
「Cafe"黒鍋邸"?」
はて?こんなカフェ今迄見た事があっただろうか?
毎朝毎晩平日は出勤のために、休日は買い物のために、この住宅街を通るがこんな店見た事がない。
一見、家のような作りだ。恐らく自宅を改良してカフェにしたのだろう。
他の家に比べ、特徴のない家だ。
他に気を取られ気づかなかったんだろう。
そう考えつくと、急に腹の虫が大合唱をし始めた。
そういえば、あのクソハゲ上司のせいで夕飯を食べ損ねたんだった。
目の前にはカフェ。
しかも、微かにコーヒーとバターが溶けたような食欲を唆る香り。
そして、そして!!運が良い事にこんな時間なのにドアには『OPEN』の木でできた看板が掛かっている。
これはもう、入ってくださいと言われているようなものだ。
黒を基調としたドアを開けると、
カランカラン
ドアの内側に着いていたベルが来店を店内中に知らせる。
カウンター席が6席。
テーブルが6卓、いずれも椅子は1脚しかないのでテーブル席も6人しか座れないようになっている。
壁に掛かっている写真は…、いや絵かな?日本でも海外でもなさそうな、カラフルな建物が描いてある絵が飾ってある。
音楽はピアノを中心としたクラシックが流れていた。
植物も飾られているけど、ゴチャゴチャせずそれぞれが互いを主張せず良いバランスで配置されている。
あれだ、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンなんだな。
謎は全て解けたばりの雰囲気を一人で出していたが、カウンターに最も近い場所に飾られているサボテンに気付いた。残念だが私はへっぽこ探偵だったようだ。
あれは完璧ナンバーワンだ。
誰に主張してんだ?マスターか?マスターなのか?マスターに自分を主張してんのかな?凄いな…。
俺を見ろアピールがやばいな…。
プレゼントされたサボテンだとしたら、めちゃくちゃ重い人なんだろうな…
店内に他の客がいないのをいい事にキョロキョロと眺めていると、カウンターの向こう側、キッチンがある方から
「いらっしゃいませ」
少年の様な、青年の様な、柔らかく落ち着いた声が聞こえた。
暗い奥から姿を現したのは声の通り、少年から青年に、蛹が蝶に羽化する様な、この店で唯一のアンバランスな美しさを見せる子供が歩いて来た。
空色の髪と瞳。髪は後ろで1つに結んだ背丈は私より少し低い子供。ただ、何故だろう。自分より歳上に見える不思議な子供。
もしかして、めちゃくちゃ美魔女ならぬ美魔法使いかー?
こんな深夜、アンティークの壁掛け時計は0時6分6秒を指していた。
子供は深夜バイトは出来ないし、つまり見た目は子供、年齢は大人って訳だな。謎は全て解けた!!じっちゃんの名にかけて。
「あ、申し訳ございません。現在店主が不在で…僕も、未成年なので給仕が出来ないんです…。看板を『CLOSE』にし忘れてしまって…」
やはり私はへっぽこでポンコツな探偵だったようだ。
そうなると、寝ていたら名探偵だったはずだ。知らないが。
「いえ、私も突然にすみません。店主が不在なのであれば、次回店主がいらっしゃる時に来ます」
「ありがとうございます。ただ、店主は当分の間出かけているので、何時になってしまうか…」
「そうなんですね…残念です。では、来店の機会は別にとっておきます」
「はい。ありがとうございます」
愛らしい。その言葉が似合う笑顔を見せてくれた子供は、勘違いをさせてしまったお詫びにと不思議な香りのするクッキーをくれた。
「リラックス効果がある茶葉を練り込んだクッキーです。お疲れのご様子だったので食べてください」
たまには食べ歩きも中々楽しいですよ?
なんて、茶目っ気を加えて渡されたクッキーを両手で大切に持ちお礼を言う。
「いえ、こちらこそ本当にすみません」
申し訳なさそうに言う子供に、そこまで悪い事はしていないと伝えようとすると、大きな影が目の前を横切った。
「カルエゴさん!」
大きな影は、大きな犬…犬だよね?
犬にそんなに詳しくないが、犬ってこんなに大きくなるの?
四つん這いの状態でも分かる大きな体格と艶のある黒毛。目は濃い紫色の…本当に犬?狼みたいなデカさだよ?
カルエゴと呼ばれた犬は、私を一瞥すると小物を見るような目で見て、鼻で笑った。
鼻で笑う?
「え?犬だよね?」
「いえ、カルエゴさんです」
「カルエゴって犬種?」
「いいえ、カルエゴさんはカルエゴさんです」
「……なるほど、カルエゴさんか」
あれだ。そうか、この子は俗に言う『不思議ちゃん』だ。
そうと分かれば取るべき行動はただ一つ。
「クッキーありがとう!!お邪魔しました!!」
逃げるが吉!!
愛らしい笑顔の不思議ちゃんくんと、不思議ちゃんくんの足元で私に威嚇するわけでもなく、ただ不思議ちゃんくんを護るように行儀良く座るお犬様基、カルエゴさんに挨拶をすませ急ぎドアノブに手をかける。
「こちらこそ、すみませんでした。クッキー、必ず食べ歩きしてくださいね」
さようなら
二度と来るな
不思議ちゃんくんの言葉を背中で聞きながらドアを閉める。
ドアに付いていたベルは聞こえなかったが、
はて?低いめちゃくちゃイケボが聞こえた様な…?
あのカルエゴさんか?
まさか。と、一人笑い、不思議ちゃんくんがくれたクッキーに目をやる。言ったらあれだが、めちゃくちゃ怪しい。けど、めちゃくちゃ美味しそう。
星や三日月、丸や三角等の形で出来た茶葉入りクッキー。
ラッピングは至ってシンプル。透明な袋に紫と青で出来たリボンで結んである。
しゅるり…
リボンを解くと茶葉の良い香りが鼻を擽り、空腹の胃へとストレートパンチを決めてくれた。
お行儀は誰も見ていないし今日位は大目に見てくださいと心の両親に謝り(健在)三日月クッキーをパクリ。
起きたら昼だった。
化粧は落としていないし着替えもしていない。スーツはシワだらけで月曜日に着るには少し、いや大分恥ずかしい状態だ。
仕方がない。冷蔵庫は空っぽだし、クソハゲ上司のせいで昨日の昼から何も食べていないお腹は空腹を通り越して大空腹状態で大合唱を決めている。重い腰を上げクリーニングとお昼を食べに行くか。
落とし損ねた化粧を丁寧に落とし、簡単に身支度を整え鍵を持とうと通勤バックを漁る。
カサリ
なんだこれ?
食べカスが入った透明な袋と、紫と青で出来ているリボンがバックに押し込まれていた。
何時食べたやつだ?
記憶を辿れど思い出せず、思い出せないのであれば重要でもないかと結論付け、袋とリボンをゴミ箱へと捨て外へ出る。
井戸端会議が盛り上がっている家。
カーテンが全開で中のオッサンがモロ見えな家。
庭の手入れが出来ていない家。
空手の道場。
子供が一人遊んでいる家。
他の家より小さめな家。
そしてー
ここの空き地は何時になったら売れんのかなねぇ
売れないなら土管を3つ持ってきて積み上げればいいのに。
ネコ型ロボットが来るかもしれないぞ?
おっと。そろそろ空腹が限界の様だ。
急いで駅の近くにあるクリーニング屋と定食屋へと足を動かす。
スニーカーで歩く道は、足音一つしなかった。
まさか人間界と繋がっちゃうとは思いませんでした
だから迂闊に開くなと言っただろう
ごめんなさい、カルエゴ先生。でも、おじいちゃん達が何時でも来れる様にしておきたいんです…
店主は自分のくせに、留守と嘘をつくしな
だって、僕、見た目がこんなのですから、僕が店主って言っても信じてもらえないですよ…
こんな見た目か、確かにこんなちんちくりんが店主と知れば頭のおかしな奴と思われるか
先生酷いです!先生だって犬に変身してるし、最後に喋ったじゃないですか!あのお姉さんが振り向いたら危なかったんですよ?
ふん、我々の時間を邪魔した人間が悪い。一言位言いたいだろうが。それに、俺を『カルエゴさん』と説明していた時点で、あの人間は貴様を頭のおかしな奴と思っていた様だがな
えぇ!?
まぁ、シチロウの茶葉を練り込んだクッキーを食したのだから、何もかも忘れている。気に病むな
病んでませんが、他に説明の仕方があったのかなぁと思いまして
『カルエゴさん』も『カルエゴ先生』も『伴侶』も不審に思われるだけだ。やめておけ
はぁい…
さて、行くぞ
バサリ
何かが羽ばたいた様な音がしたけど、青空には何も飛んでいない。
雲一つない快晴が広がっていただけだった。
おしまい