汗ぽたり
ぽたり
乾いた地面に落ちる水滴を見て雨かと思い空を見上げるけど変わらない曇空で雨雲じゃなかった。
無意識にTシャツの袖で顔を拭いたとき、水滴が自分の汗だと判った。
雨雲になれば、少しはこの状況が変わるかと思ったのに…
広い森の茂みに身を隠しながら、どうして僕がこんな目に合っているのかと記憶を辿る。
※※※※※※
明日から夏休みで少し、ううん。大分興奮したクラスメイトは普段は大人に「行ってはいけない」と注意されている【森】に行こうと言い出した。
賛成する子。反対する子。どっちにも付かず遠巻きに見ている子。
僕もその遠巻きに見ている一人で、楽しそうに騒いでいるクラスメイトを眺めていた。
僕の両親は変わっていて、友達と呼べる子もいないし、頼まれ事以外で話し掛けられても楽しく話した事もなくて、今日の【冒険】も誘われず、一人家に帰るんだろう。そう思っていた。
だからー
「お前は?行く?」
「え?」
「聞いてなかったのかよ?お前は?森、行くか?って」
「え、あの、えっと…」
「あんだよ。ハッキリ言えよ」
「い、行くぼく、も森に行きたい」
誘われて、その【冒険】に行けることが、クラスメイトと遊べる事が嬉しくて、大きな声で返事をした。
「んな大きな声で言わなくたって聞こえてるっつーの」
んじゃ、コイツ入れて…なんだよ、6人しか行かないのかよ
そう言って待っている4人の元へ行く子の背に着いて行った。
外は、ジリジリと太陽が照りつけていた。
※※※※※※
【森】はとても広く、大の大人でさえ入れば方向が判らず危険な目に合うからと、立ち入り禁止区域になっている場所。
でも、そんなのは大人が子供を言い聞かせる作り話で、実際は【森】に入っていく大人を見たことがある。
それこそ、僕たちの担任の先生や用務員さんが【森】に入って行って、次の日普通に授業したり、校舎の見回りとかをしているを見かけた。
大柄な担任の先生は見た目は怖いけど実はとても優しくて、用務員さんは凄く美人で女の子達が「男性かな?女性かな?」ってきゃあきゃあ言っていたのを思い出す。
だから、僕たちがこの【森】に入っても何の問題もないのだ。
僕がしていた腕時計の時間は午後2時。午後6時が門限の子がいたから、午後5時までには【森】から出て家に帰ろうと言うことになった。
僕の両親は、変わっているから、そんな早く帰らなくてもいいと思ったけど、今日が楽しかったら明日からの夏休み、この子達と遊べるんじゃないかと思って黙っていた。
【森】の入り口にある太い縄を跨いで入ると、日の光が木で遮られ、木陰が出来ていた。
木陰のお陰でさっきまで暑かったのが嘘のように涼しくて、これなら何時までもいれるんじゃないかと、夏休み中はずっと【森】で遊ぶのも悪くはないのでは?と思っていた。
それは他の子も同じで、口々に「涼しい~」「天国じゃん」「ずっといたいわぁ」「かなえよう」「また来ようぜ」と、楽しそうに話していた。
少し涼しんだ後、どうせならば頂上を目指そうと、僕を誘ってくれたー田中君ーが言い、頂上を目指し、上へと登り始めた。
草が覆い茂っているけど、獣道があって、そこまで苦労せず上へ、上へと歩けた。
途中、川を見付け休憩を挟み再び登る。上へ。上へと登る。
途中、獣の足跡があった。大きな犬の足跡。少し怖かったけど、誰も怖がっていなかったから、僕も平気なフリをして歩いた。上へ、上へと登る。
途中、祠があった。上へ上へと上る。
途中、5人になった。上る。
途中、4人になった。上る。
途中、3人になった。上る。
途中、2人になった。上る。
1人になった。
「みんな…?」
気づけば、僕、ひとりだった。
※※※※※※
急いで坂道を下った。走って、走って、走って、こんなに速く走れたんだって、なんでか冷静な頭で走り続けた。
でも、いくら走っても【森】の終わりが見えなくて、いくら走っても他の5人が見つからなくて、いくら大きな声で呼んでも、誰も返事をしてくれなくて、とうとう怖くなった僕は、泣きそうになりながら茂みに身を隠した。だって大きな犬がいるかもしれないから。
犬は嫌い。猫も嫌い、鳥も嫌だ。
空を見上げても、木と木の間から見える空は変わらず曇空で…曇空?僕たちが【森】に入ったときは雲ひとつない青空だった。それが今は曇?急に天気が変わったのかな?
首の後ろがぞわぞわする。
なにか変?なにが変?なんで変?
乾いた地面に落ちる水滴を見て雨かと思い空を見上げるけど曇空で雨雲じゃなかった。
無意識にTシャツの袖で顔を拭いたとき、水滴が自分の汗だと判った。
なにも変わってない。
ゾッとした。
【それ】に気づいた。
なにも変わっていない。
曇空も、影の角度も、
「午後、2時…」
腕時計の時間さえも…
壊れとのかと、壊れていて欲しいと思った。でも、耳にあてた腕時計は小さなネジの音を鳴らしながら、正確なのだと。この時間が正しいのだと伝えた。
落ちる水滴の、汗の量が多くなっていく。
あとから、あとから、汗をかき頬を伝い顎から滴り落ちる。
暑いからじゃない。暑さなんてとうに感じていなかった。
だって、ここは信じられないほど、寒いのだから。
涼しいなんてものじゃない、ガタガタと歯が鳴るほど、寒い。自分で自分を抱き込み寒さを凌げるように身を丸くするほど寒い。
どうして?どうして、僕がこんな目に合わなくちゃいけないの?
両親が革いて、友達がいないから?両親のせいで学校を休みがちだから?
僕はなにも、なにも悪くないのに
そんなの、全部両親が、悪いんじゃないか…
ガサリー
微かに聞こえた、茂みを揺する音
ガサリー
再び、聞こえた
きっと、他の子だ
顔を上げ、声をかけようと、何処に言っていたのかと、問い詰めようと茂みから顔を出そうとした瞬間
どこだ
低い。とても、同い年の子供が出す声とは違う、低い、大人の、男の声が、聞こえた。
どこに いる
探している。低い声のひとは誰かを探している。
もしかして、僕と離れ離れになった子が、先に【森】から出て僕を探しに大人と迎えに来たとか?
だったら、僕はここだと言わないと。
言わないと、いけないのに、声が出ない。張り付いた喉が音を拒むかのように、声が出ず、仕方がないと先に顔を出そうと茂みから顔を覗かせる。
声の聞こえた方は…
顔を向けると、背の高い男が立っていた。
黒ずくめの暑そうな服を着た、顔はなにか文字?を書いた白い布を垂らしながら、男がそこに、僕の直ぐそばに立っていた。
「ひっ…」
漸く出た声は小さな、悲鳴だった。
怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい…
上げた顔は動かないのに、足はガクガク震えて、今にも、あ、尻餅着いちゃった。
男は、布をしたまま僕を見ているのか、尻餅を着いて、低くなった僕を追うように頭を下へと向けた。
目が合っていないのに、目なんて見えないのに、鋭い、犬に睨まれたような、恐怖で涙が止まらない。
黒く塗りつぶされた鋭い爪が、手が伸びてきて…
「先生」
僕の後から、一緒に【森】に来た子の声が聞こえた。
僕と同じで頼まれたら、お願いをされたら断れない、お人好しで、僕より友達がいなくて、僕より両親が変で、僕より僕たち以上に担任の先生にも用務員さんにも好かれている
「す、ずきくん・・・」
「先生。お待たせしました」
鈴木くんは、そう言うと僕には目もくれず、男の元へと歩き、男も鈴木くんを待っていた。
小さく鈴木くんが何かを言うと、男の白い布は触れず落ちた。
眉間の深い皺が目立つ、目付きの鋭い男だった。
「遅くなってごめんなさい」
「いい。貴様が、入間がいるなら、もういい」
「はい。これからは、ずっと一緒です」
男が鈴木くんを抱き締めると、突風が視界を遮り、僕は、そのままー
※※※※※※
気がつくと僕たちは夜の森の入り口で寝ていて、全員夜にも関わらず先生に呼び出され、説教大会が行われた。
何時もは吹けば飛んで行ってしまうような柳みたいな担任の先生は見たこともないような顔をして、いかに僕たちを心配していたのかと怒りながら、泣きながら説明してくれた。
それぞれの両親も口々に心配と怒りを露にしていて、僕の両親…普段は出張ばっかでロクに家にいないパパとママ急いで帰ってきて僕を叱った。でも、それ以上に心配したと泣きながら言われた。
説教大会が終わり先生に
「他に森に入った生徒は、子供はいませんね?」
と、聞かれ
「俺たち【5人】で森に入りました」
田中君が答えた。
そう、僕たち【5人】全員無事に還ってきたのだ。
あれ?5人、だよね…?
※※※※※※
入間様の記憶が戻らないうちは、自分の記憶も封印しろ。だなんて、馬鹿げた阿呆のような事をするからこんな事になるんですよ?住まいに用意した場所で大人しくする事も出来ないんですか?
まあまあ、落ち着いてください。カルエゴ君も寂しかったんですから
今、何と言った?寂しかった?寂しくなどあるはずもない
え?先生寂しくなかったんですか?
…っ、記憶が封印されているのだ、寂しいという感情は、ない
前回が寂しすぎて大変でしたからね
粛にっ
ちょっと、カルエゴ君本調子じゃないんだから落ち着いて
僕は、思い出した時に先生が僕じゃない子に手を伸ばしていたの妬いちゃいましたよ?
あれは…気に食わなかった
ああ、あの人間ですね。入間様を下に見ている愚か者
僕も、ちょっと苦手だったな~カルエゴ君の代わりに入間君の担任役をやれるって嬉しかったのに、何故かことある事に僕と入間君の邪魔してきて
他の者は直ぐに眠りに付かせたが、アレは入間に対し度が過ぎた
だからって、あんなに怖がらせなくても…相手は子供ですよ?
子だろうか何だろうが関係ない。それに、どうせ記憶を消す。多少の腹いせなぞ痒くもないだろう
そうそう。入間君も気にしない、気にしない
そうですよ。さて、そろそろサリバン様の首が伸びきってしまいます。入間様
う~ん。記憶は消していますし…大丈夫、かな?よし、そうですね
帰りましょう!!
僕たちの魔界へ!!
おしまい
あれ?僕たち【6人】じゃ、なかった?