ある朝の一幕朝ふと目が覚めて横を見ると、一緒に夜を共にしたはずの男は隣にいなかった。カチャカチャと寝室の外から物音がするから、きっと朝食を作っているのだろう。彼の作る食事は頬が落ちるほど美味しいのは知っている。だけど、彼の腕の中で目を覚ましたかったとすっかり欲張りになってしまった自分がいる。まだ寝たかったけれど、2人用のベッドに1人で寝なおすのは寂しくて適当にそこらへんにほおってあったシャツを身につける。
そおっと物音を立てずに寝室から出れば、上機嫌に歌いながら料理をするヴォックスの姿があった。彼もTシャツにスエットと格好つけた普段からは想像できないほどにゆるい恰好。その上につけられているのは、同棲を始めた日に自分が贈った黒のエプロンだった。料理についてはヴォックスに頼りきりになってしまうことが分かっていたので、せめてもと購入したエプロン。黒のシンプルなデザインだが、大きめのポケットや厚手の生地など使い勝手の良さそうなものを選んだ。思っていたより彼は喜んでくれて、ちょっとしたことでも着用している。自分が贈ったものを身につけながら料理をする彼を見るのは、実に満足感を得られて楽しみの1つだ。今もこっそりとリビングに入って、料理をする彼を見る。ベッドにいなかったことは、この光景で帳消しにしてやろう。
「ああ、ミスタ。起きたのか。体の調子はどうだ?」
「おかげさまで腰が怠いくらいかな」
お皿を準備しようとした段階で起きていることに気づかれてしまった。昨晩の獣のようなヴォックスとは違い、優しく気遣ってくれる。別に俺も男なんだから心配しすぎな気もするが、その心配が心地いいと思ってしまうのも事実だ。
「もうすぐ出来るから待っていてくれ」
頭をなだめるように撫でられる。別に子供じゃないんだから大人しく待てるのにと頬を膨らませれば、ハハと笑われる。目の前のテーブルにどんどん美味しそうな食事が並べられる。コーヒーも紅茶も苦手な自分用のりんごジュース。ヴォックスの席には紅茶。ホカホカと湯気を立てるエッグベネディクトに、ドレッシングでキラキラと光るサラダ。これ以上はないだろうというくらいに完璧な朝食。
「さぁ食べよう」
目の前にヴォックスが座れば、朝食の始まり。ドレッシングまで手製のサラダは、野菜はシャキシャキとしていて酸味の効いたドレッシングと合わさってとても美味しい。エッグベネディクトもホテルのものと遜色がないレベルだし、本当に自分と付き合ってくれているのが申し訳なくなるレベルだ。どうせ朝食の片づけをしようとしても、大人しくしていろって言われるんだろうな。体を重ねた日の次の日は、ヴォックスは特に甘くなる。何もしなくてもいいほどに、真綿でくるんだように甘やかされる。最初はそれがとても不安で、苦痛で仕方が無かったのに、今じゃそれが“普通”になってしまった。すっかり毒されてしまったよななんて思いながら、目の前のこの鬼も同じくらい俺に毒されているのかと思うと笑みが浮かぶ。口に運んだりんごジュースはいつもと同じはずなのに、いつもより甘かった。