僕の宝物「無くしてからでは遅いのです。思い出せなくても事実を受け入れて下さい」
「…すまない。迷惑をかけているね。私からも彼にはちゃんと伝えておくよ」
無くしてからでは遅い?既に記憶を無くしているのに?
「アルバートから聞いたよ。悪いんだが彼は忙しくてね、もう関わらないでくれるかな」
正しい判断をした筈だ。
「アレクセイ⁉︎何という事を!彼は貴方が望んで手に入れた宝だったと言うのに‼︎」
たから。宝?普通のナチュラルで容姿に優れてもいない歳の離れた同性の彼が?
「ハインライン大尉、馬鹿馬鹿しい話はもうお終いだ。さあ仕事に戻ろう」
じっと私を見たアルバートは瞼を下ろし一つ大きなため息をつくと、話を切り上げる気になったようだ。
「…はぁわかりましたコノエ艦長。もうこの話はお終いにしましょう」
ある部屋に集まった2人は悩んでいた。
「アーノルド、コノエ艦長は駄目だ。記憶喪失からくるストレスに対する防衛反応かもしれないが変化を疎う様子があって話にならない!」
ハインラインは髪を掻き毟りながら吐き捨てた。
「チャンドラのメンタルもかなり不味い。もうアイツを逃そう。元々逃げようとしていたのを俺が引き止めた」
引き止めたせいで余計に傷付けてしまった。苦悩を浮かべた表情のノイマンの瞳は後悔で染まっていた。
「記憶が戻った後で逃げたチャンドラ中尉を発見されるとまず監禁される危険が高い。決して見つからない所、もしくは見つけても手を出せない所に逃さねば。しかしそんな所がどこにあると」
思案するハインラインにノイマンが一つの道を示した。
「一ヶ所心当たりがある」
最近ブリッジの空気が悪い。気不味そうに目を逸らし腫物扱い。非難するような目で何か言いたげだが別クルーに宥められている者。雑談が無くなり業務連絡以外は無言。
ブリッジの中央に設置された艦長席にまるで処刑台に座るかの様な憂鬱な気持ちで深く座って外の宇宙に視線を向けた。
ちょうど太陽が地球の影から姿を表し、ブリッジを囲むスクリーンが遮光仕様に変化する。
艦長席の周りが淡い水色に染まる。
淡い水色の…
「私の宝物」
無意識に言葉が溢れた。それを契機に失っていた三ヶ月の記憶が怒涛の勢いで戻ってくる。頭が割れる様に痛い。周りでクルー達が叫んでいる。霞む目をこじ開け彼を探す。いない。どこへ。『関わらないでくれるかな』あれは命令だ。ここにはいられない。彼らを探す。其々の席に座ったままだ。こちらを向いているが、席を立つ気はないのだろう。忠告を無視して命令で黙らせたのだ。失望されている事だろう。副長の彼は医務室への搬送を指示した後はこちらを見もせずクルーに矢継ぎ早に指示を出している。彼も思う所有りか。
医務室を抜け出してくることくらいお見通しだったようだ。目指す部屋の前にはアルバートとノイマン大尉が扉を挟むように立っていた。
「入って左側が彼の使用スペースです」
「ありがとう…君には一発殴られる覚悟だったんだが」
彼にはチャンドラ君との交際を伝えた時に言われていたのだ。泣かせたら許さないと。
「自分が艦長をですか?しかしそれは筋違いですので」
筋違い?どう言う事か気になったが、先を急ぐ。
開いた扉を潜り部屋を見渡すが彼の姿はない。しかし左手側のスペースにも生活用品があり部屋を引き払っていない事に安堵して…違和感を感じた。何かが足りない。
彼の私物は元々少なかった。だから彼には色々プレゼントして…そこではっと違和感の訳に気付く。ここには私がプレゼントした物や一緒に購入した物しかないのだ。彼が元々持っていた私物は一つも無い。
愕然と立ち竦む私に入り口に立つ2人が話し始めた。
「いませんよ。ダリダ・ローラハ・チャンドラII世中尉は3日前にコンパス出向を終了しオーブ国防軍に復帰しました」
ノイマン大尉の声はまるで原稿を読んでいるかのように淡々としていた。
「レクイエムでオーブ本土を狙われた状況で、アスハ代表が搭乗した機体とドッキングしたキャバリアーアイフリッドの通信管制をチャンドラ中尉が任されてた事は知っておられますね。彼は普通のナチュラルではありません。二度の大戦を生き残り勝利に導いたアークエンジェルの古参クルー。更に極めて優秀な電子工学のスペシャリスト。オーブは2度と彼を手離しませんよ」
アルバートの声はいつも通りで、その事が逆に不自然で。しかし内容は悲しいくらいに当たり前の事だった。そんな事も私は忘れていた。記憶が無くても調べようと思えば知ることが出来た事だ。だが私は彼を知ろうともしなかった。
「私は一言謝る事も出来ないのかい…」
ポトリと落ちた弱音に戻ってきた返事は以外な物で。
「謝る?何をですかコノエ艦長。記憶を失ったのは事故。チャンドラ中尉を傷付け追い払った記憶喪失中の貴方は三ヶ月前の貴方であって、今の貴方ではありません」
淡々と話していたノイマン中尉がため息をつき肩を落とした。
「別人なんですよ、私達アークエンジェルクルーに取っては。我々は機械と薬で嘘の記憶を植え付けられ運用されていた人を知っていますから」
それっきりノイマン大尉は口を閉ざした。嘘の記憶を植え付けられた人を思い出しているのだろうか。
その視線は私ではない誰かを見ている。
黙ってしまったノイマン大尉と交代するように、アルバートが私に現実を突きつけた。
「だからノイマン大尉は筋違いだと言ったのです。殴られるべき相手は貴方とは別人で、もういないのですから」
殴られるべき相手も、あなたの宝も。