お題:「常套句」「出荷」9/25「さあ、今年も『ビーストくん』の出荷が最盛期をむかえています!」
聴き間違えかと思い、アーロンはテレビの画面に目を遣った。
「みてください! 旬をむかえたビーストくんたち、まあるくて真っ赤で、かわいいですね~今年もこの愛らしい姿を待ち望んでいた人たちで市場には既に行列が出来ています。こんにちは~今日はどこからいらっしゃったんですか? …………」
テレビ画面には丸くて赤い、見覚えのある物体が山と積まれた様子が映しだされていた。その山の前でマイクを持ってしゃべりつづけるアナウンサーの声はもはや耳には入ってこない。丸くて赤いその物体は、相変わらずの面相で凝、とこちらを見ているもの、尻……なのかどうなのかわからない部分をこちらにむけているもの、ぎゅうぎゅうに積まれた隙間から小さな爪だけがのぞいているもの、様々であった。
「……何だこりゃ」
フェイクニュースか、地上波をつかって大掛かりな冗談をタレながすなんざ酔狂なことだ、そう思ってアーロンはリモコンのスイッチに手を掛けた。
「ああ! 今年もそんな季節か! かわいいなあ~ビーストくんたち!」
ルークが身をのりだしてテレビ画面に顔を近づけた。
「毎年やってんのかこの冗談」
「そりゃあ、みんなビーストくんの出荷を心待ちにしているからね、ニュースにもなるさ、あ~あの山のなかにダイブした~い!」
出荷て何だ果物でもあるまいし、アーロンは呆れてコートを掴むと、すっかりテレビのニュースに夢中になっているルークに、仕事遅れるなよ、そう声をかけて家を出た。
なるほど。あの丸いヤツが、何故だか理解に苦しむが流行していることはわかった。アーロンはため息をつく。気がつけば、道行く人々の手の中にはあの丸くて赤い物体があった。すれ違う人の肩の上に何食わぬ顔で乗っていたり、鞄の中から身体を半分のぞかせていたり、スーツのポケットに窮屈そうに押し込められているものもあった。自然に、まるで体の一部のように馴染んでいる。すれ違った人も、バスを待っている人も、時計を見ながら全速力で走っている人、露店の物売り、配達途中の郵便局員、手に紙袋をいっぱい下げた買物客、……そう、今、目に見えるすべての人が、あの、丸くて赤い物体を持っていた。振り返り、周囲を見渡す。右も左も、後ろも、皆、『ビーストくん』を、持っていた。
街へ出た用事も忘れて、アーロンは帰宅するとルークの部屋のドアを開けた。ルークが祭壇と呼んでいるニンジャジャンの人形やら何やらが並べられている棚をみた。その棚の真ん中にいつも我が物顔で座っている『ビーストくん』はいなかった。棚の何処を見ても、部屋の中を探しても、見つからない。街中にあふれていた『ビーストくん』。いつも在るはずの場所にない『ビーストくん』。これは、どういうことだ?
「いくら流行ってるからって、あれは異常だろう……」
街中にあふれていた丸くて赤い人形を思いだして、アーロンは舌打ちをした。そもそも何で流行っているのかもわからない。いつの間にか“怪盗ビースト”を模して勝手に作られた人形。それだけでも胸くそ悪い。それをあんなにも街のいたるところで見かけることになるなんて、アーロンは髪の毛をぐしゃぐしゃとかきまぜて唸りながらルークのベッドの上に突っ伏した。
今日は早く仕事が終わったんだ、そう言いながらスーパーで買ってきた肉を抱えて帰宅したルークの腕を掴み、アーロンはルークの部屋へ直行した。
「アーロンどうした?! 何で僕の部屋に……、え、いや、あの、……その、僕も、待ちきれないといえば待ちきれないのだけれど、その、せっかく肉も買ってきたし先に夜ごはんにしないか?! いや僕は今すぐにでも君を食べたいのだけれどもね?!」
「何サカってやがる、……入れ」
ルークはアーロンに言われるまま部屋の中へ入ると、アーロンは部屋の明かりを点けた。
「……ヤツはどこへ行ったんだ」
「ヤツ?」
「その、あの棚の真ん中にいただろう、赤い、丸い……ヤツだよ」
アーロンがいまいまし気に棚を指差す。その先にはごちゃごちゃと様々なものが並んでいる棚、その真ん中にはぽっかりと空いた空間があった。
「……ああ、ビーストくんのことか、だって、彼はもう役目を終えてしまったから」
「……役目?」
「そう、君も知っているだろう?……ビーストくん、あの子は、願う人のもとへやって来て、その願いを叶えたらいつの間にかどこかへいってしまう、一年に一度現れて一回だけ願いをかなえてくれる、『妖精』だから」
「……いつの間にそんな設定までくっついてやがんだよ……何なんだいったい勘弁してくれ」
アーロンは頭をかかえてため息をついた。
「……そもそも、怪盗くずれの悪党を模して作られたヤツが何でそんな都合のいい妖精、なんてものになってやがんだ、その設定どこからもってきたんだよ」
「悪党? 何を言ってるんだ、ビーストくんは正義と愛の最強のヒーローから生まれた妖精だぞ」
「あ?」
「昔、この世界に、この星すべてを満たすほどの大きな愛を抱いてひとりのヒーローが現れた。ヒーローは何者にも砕くことの出来ない鉄壁の正義と、優しき強さで地上のあまねく人々を救い、すべての災いを消去り、そしてこの先、皆が力を合わせてこの世界を正しい方へと導いていってくれることを信じて還っていったんだ。ヒーローが何処に行ってしまったのか誰も知らない。そしてそんなヒーローを想う人たちに、ヒーローは贈りものをおいていってくれたんだ。それが、ヒーローが自分の姿に似せて創った、一年に一度だけ願いを叶えてくれる妖精『ビーストくん』だよ」
莫迦なこと言ってんじゃねえ、そう、笑いとばそうとして、ルークのその顔が冗談を言っている顔ではないことはすぐに解った。だとしたら、甘いものの食べすぎでどうかしてしまったのか。まさか、またやっかいな催眠でもかけられているのか。アーロンは先程の街で見た人たちのことを思いだした。街中の人間が催眠にかけられているのか。それは考え難い。だとしたら今、ルークが語ったこの荒唐無稽な話は何なのだ。アーロンは深呼吸をした。
「その、ヒーロー……の妖精とやらは、どうやって現れるんだ、」
「恵みの雨のように空から降ってきたり、大地からひょっこり顔をだしたり、咲いた花のなかで眠っていたり、樹木の枝がしなるくらいたわわに実っていたり、ちょうどこのくらいの季節にいっせいに現れる、そのビーストくんを市場に集めて希望するすべての人に託すんだ、ヒーローからのプレゼントとして」
アーロンはかるく眩暈をおぼえながら、よく出来たお伽話に唸る。そしてだんだんとルークが語るこの奇妙な話が本当の事のように思えてきて、いやそれはない、絶対に有得ないと思いながらもお伽話のその先が気になっている自分に愕然としながら、いつもと変わらない呑気な顔と少し熱のこもった声で延々とビーストくん伝説を語るルークの声を凝、と聴いていた。
「誰もヒーローの姿をみたことはないけれど、ビーストくんはヒーローが自分に似せて創ったということだから、きっとものすごくかわいいんだろうなあ!」
「……おまえは、今年は、そのビーストくんとやらを家に連れて来ないのかよ」
「…………うん、僕はいいんだ。……この棚に住んでいたビーストくんにね、僕は願ったんだ。『ビーストくん、ずっと僕と一緒にいてほしい』君といつまでもいっしょにいたい、だから僕の傍からいなくなってしまわないで。僕は願ってしまったんだ。でも、そう願った次の日の朝、ビーストくんはいなくなってしまった。ああ、ビーストくんを自分だけのものにしたいだなんて、僕は何てあさましいお願いをしてしまったんだ、ビーストくんは皆の幸いなのに、僕は幸いをひとりじめしようとしてしまったんだ、この胸にいつまでも失えない痛みは欲深い僕に架せられた罰だ。だから、僕はもう、ビーストくんと暮らすことはしない、そう決めたんだ。それに、僕のビーストくんはあのとき一緒に暮らしたビーストくんだけだから、……もう、大切な誰かと別れることには耐えられない」
伏した目の、睫毛がかすかにふるえている。そんな昏い目をさせたかったわけじゃない。何が真実なのか嘘なのか解らなくて頭がおかしくなりそうだけれど、それよりも灰色に曇ったその顔を見ているほうが、ずっとつらくて、アーロンはルークの頭を自分の胸にひきよせて抱きしめた。抱きしめたまあるい頭は、いまにも雨の降りそうな曇天のなかで迷子になっている太陽のように冷たくて、この手で太陽の暖かさをとりもどすことができるのなら、ずっといつまでもこうして抱きしめていよう。アーロンの身体に触れたルークの頬の冷たさが、アーロンの胸をいっそうと熱くした。
「……でもね、ビーストくんとの別れはとても寂しかったけれど、しばらくしてから君が突然やってきたんだよ。一緒に暮らそう、って。僕は夢かと思ったよ。何て幸福な夢なんだろう。そして今もその夢のなかに僕はいるんだ」
それは夢じゃない。願いは、叶わなかったんじゃない、叶ったんだ。
「……俺がいるだろ」
声にだすつもりはなかった。けれど、今にも泣きそうな子供の顔で微笑う相棒にかける言葉が、ほかに見つからなかった。
「そうだね、僕には君がいる、ヒーローがくれた何よりものプレゼントだ、いや……君が、僕のヒーローだよ、アーロン」
「………………夢オチかよ」
まぶたに刺さる朝の陽光があまりに痛くて、目が覚めた。相変わらず鳥の声はうるさく、見上げた天井もいつもと変わらない。カーテンが揺れている。清々とした風が吹いて鼻の頭をくすぐった。鼻がむずむずと痒く、アーロンは鼻に手を遣ろうとしたが、何やら腕に妙な重みがある。手のひらにつたわるこの感触には覚えがあった。それに、何だか胸に圧迫されているような苦しさを感じて、アーロンは視線を自分の胸の上に向けた。これは、夢のつづきなのか。胸の上にのっているのは、まるい、真っ赤な、妖精。いや、これは妖精ではない、これは、この憎たらしい目つきの物体は、
「アーロンおはよう! もうお昼になっちゃうぞ。お寝坊さんだなあ」
「……俺の体の上のあちこちにのっている、これは何だ」
「ビーストくんだよ!」
「何体いるんだ」
「……えーと……、二十? いや、三十か……? いやあ近所のお店にビーストくんが大量入荷したって連絡が来たから、おむかえしてきたんだ!」
この上なく満足そうに満面の笑みをたたえたルークはひときわ大きな『ビーストくん』を抱きかかえていた。そして大中小、様々な大きさの『ビーストくん』がアーロンの眠るベッドを埋めつくし、足や、腹、気がつけば顔のすぐ横にもまるい真っ赤な物体が迫っていた。
「……こんなに買いやがって、ずいぶんと欲が深いんだな? てめえは」
「だ、大丈夫だよ! ちゃんと世話するから! だって、こんなにかわいいんだぞ?! おむかえせずにいられるか?!」
「その言い訳はな、強欲な奴の常套句なんだよ! そして何で俺のベッドにのっけてやがるんだ!」
「だってビーストくんは君の分身じゃないか。かわいいかわいい君にそっくりだぞ」
あれは夢だ。この胸くそ悪い人形どもがみせた、悪夢。わかっている、わかっているけれど、目が覚めた世界も相当にクレイジーで、夢と現の境がわからなくなる。
「……だったら、そんな妖精だか妖怪だかわからないモンなんかより、俺にしとけよ、俺だけにしておけばいいだろうが」
自分の口からでてしまった言葉は、夢か、現か。
どうか、夢であって、くれ。