本命チョコがほしい「ねぇ、旭。僕これがいい」
俺のベッドに我が物顔で寝転んでいた郁弥がそう言いながら差し出してきたのは、カラフルな冊子だった。
ベッドを背にしてローテーブルに向かって座っていた俺は肩越しにそれを受け取ると、右上を耳のようにして折りたたんであるページを開いた。
「その、真ん中のやつ」
わざわざ起き上がって背中越しに目当てのものを指定してくる。
トントン、と俺よりは細いが節くれだった指が示す先にあったのはちょっとお高いチョコレートだった。
「言いたいことが色々ある」
パタン、とわざわざ音を立てて冊子を閉じ、俺もベッドに座って向かい合う体勢になると、郁弥は不思議そうに首を傾げた。
「数が少ないのに値段が高いとか思ってる?」
「まぁ、それもある」
「だよね、僕もそう思う」
「じゃあ……」
「でもね、旭……高いチョコって、おいしいんだよ」
だから、しょうがないと思う。なんて言われて一瞬納得しかけたが、問題はそこではない。いや、そこも後でちゃんと問い正したいが前段階というものがある。
「まずこれはなんだ?」
さっき差し出されてた冊子をズイっと郁弥の目の前に突きつける。
「百貨店のバレンタイン特集のカタログ」
「わざわざもらってきたのか?」
「寺島がくれた」
曰く彼女からこの中で食べたいやつある? と聞かれたのだとか。もう選び終わったから幸せのお裾分け、なんて言いながら部室に置いていったらしい。
「潮音崎のときは寮生活でこういうの買いに行く余裕もなかったから」
単純に物珍しくて手に取ったのは分かったが、それがどう俺へのおねだりにつながるのかが分からない。
「今までも義理チョコはいっぱいもらったことあるんだけど」
さりげなくモテ自慢か? とも思ったがなんとなくチョコを次々と押し付けられる郁弥という図が想像できてしまった。
やや人見知りな気質も手伝って慣れない場ではひとりでポツンとしているせいか、黙ってボンヤリとしている様は整った容姿も相まって近寄りがたい印象がある。でもしばらく接してみれば、不器用な面が露呈しはじめ、なんとなく手を貸したくなってくるというか。うまくいえないが、庇護欲をくすぐるなにかが郁弥にはあるらしい。可愛がられ上手とでもいうのだろうか。
これまで聞いてきた高校時代の話から想像するに、普段は遠野のガードが厳しくてなかなか気軽に話しかけられなかった奴らが、こういうイベントを機に気軽な雰囲気を装って郁弥とお近づきになりたい、と押しかけたのだろう。みんなに配ってるから、なんて言われて深く考えずにホイホイとそれを受け取っている様子が容易に浮かんできた。
「本命チョコってもらったことないから欲しいなって思って」
でも、むやみやたらに選ばせるとウケ狙いみたいの買ってきそうだから先に選んでおいた、なんて申し訳なさも恥じらいも含まずに言ってきた。
確かに俺と郁弥は恋人同士だからチョコを渡したらそれは本命だ。
「なんで、貰う気満々なんだ?」
「くれないの!?」
そんなこと考えたこともなかった、と言わんばかりに目を見開いて驚かれるとこっちが悪いことをしたような気がしてしまうから不思議だ。
「いや、あげるのは構わないんだけどよ。俺は?」
「俺は?」
いわれた言葉をおうむ返ししながらまたコテンと首を傾げる。普段は人の揚げ足をとるような言葉ばかりのくせにこういうときは妙に素直なところが愛されポイントなのか? と思いかけたが郁弥がひねくれた物言いをする相手は限られているからいまいち参考にならない。
「俺だって欲しいんだけど、本命チョコ」
くれねぇの? とちょっと拗ねたような声色でいうと、郁弥は言葉の意味を瞬時に咀嚼しかねたのか固まってしまった。
しばらくそのまま反応を待っていると突然バタン、とベッドに倒れ込み枕に顔を埋めてなにやらモゴモゴ言い出した。表情は見えないものの、無防備に晒された耳が真っ赤に染まっていた。
「なぁ、くれねぇの?」
わしゃわしゃと丸い後頭部を撫でて返事を促すと、か細い声で考えとく、ときこえてきた。
「いや、そこはあげるって言えよ」
向かい合うように隣に寝転がりながら腰の辺りに腕を回して引き寄せる恥ずかしすぎバカ、と言いながら枕から頭を上げ俺の胸元にぐりぐりと額を寄せてきたので、この件は笑って許してやることにした。
【蛇足】
郁弥は基本的にチョコをもらうことしか想定してなさそうだな、と。
あげる発想がなかった上に、自分があげるチョコが旭にとっての本命チョコになる、と自覚した途端、旭の恋人である自分を強く意識しちゃって恥ずかしくなっちゃうんじゃないかなぁと。
旭は自分の本命だけど、自分が旭の本命ってことが抜け落ちちゃってる郁弥でした。
因みに庇護欲云々はカラマガ郁弥の霜学生たちからの証言を基にしてみました。