はじめてのバレンタイン「今日はカレーを作ります」
もらった合鍵を使って部屋に入ると、リビングで待ち構えていた旭がエプロン姿でカレーのルウの箱を片手にそう宣言してきた。
「そうなんだ」
今日はなるべく早めに来い、なんてメールがきたから何事かとちょっと警戒してたけど、これから作るなら別に急がなくてもよかったな、なんて思いながら鞄をおろすとさっさと手を洗ってこい、と促される。
「お前も一緒に作るんだからな」
ほれ、と差し出されたエプロンは一旦無視して、洗面所で手洗いうがいを済ませてリビングに戻る。
「カレーって煮込むのに時間かかるでしょ。今から作るのには向いてないと思う」
先ほどと同じようにエプロンを渡そうとしてくる旭から逃れるように目線を斜め下に向けながらそう答える。
「そこは大丈夫、姉ちゃんから圧力鍋ってやつを借りたから」
三十分くらいで出来るってよ、と言いながら自分のエプロンのポケットからスマホを取り出し、レシピのページをみせてくる。
「具材刻んで炒める、まで出来ればほぼ終わりだな」
米はあと十分で炊けるしと言われ、僕がやる気になればいいだけという万全の体制が整っていた。
「なんでいきなり料理?」
あんまり認めたくないけど、僕は料理が苦手みたいだった。大学の文化祭で出すクレープだってまともに作れなかったくらいだし。
「バレンタインのチョコ、用意してないだろ?」
質問に質問で返さないで、という反論がスルッと出ずに言葉に詰まってしまった。
それは数週間前に、バレンタインをめぐってちょっとした行き違いがあったからだ。
旭からチョコをもらうことしか考えてなかった僕にとって、逆にチョコをねだられるなんて考えもしないことだった。
結局、その話はうやむやのまま終わってその後、話題に上がることはなくバレンタイン当日である今日を迎えた。
「まぁ、俺もなんだけどな」
あっさりとそう言われて、ちょっとだけ口を尖らせてしまった。
だって、旭のチョコは今でもすごくほしいから。言えないけど。僕は旭に渡すかどうかずっと迷っていたから。
言われるまでその可能性に気づかなかったことも、言われたからあげるのも、なんか嫌だった。負けてるみたいで。こういうのは勝ち負けじゃないってどこかで分かってるけど、素直に認めるのは癪だった。
「だからさ、とりあえず今年はこれでおあいこってことにしないか?」
さっき見せてきたレシピページとは別のものをみせられる。そこにはカレーの隠し味にチョコレートを使うという旨のことが書かれていた。
「手作りでチョコレートでお互い貰える。だいたいあってるだろ?」
別に僕としては手作りである必要はないんだけど、旭のイメージする本命チョコって手作りなんだな、というのが分かって今後について少し考えてしまった。
「ちょっと強引だけど。今回はのってあげる」
しょうがないな、なんてポーズをとりながらエプロンを受け取ると空いた手でポンポンと軽く頭を撫でられた。
「なに?」
「郁弥はかわいいなって思って」
「バカにしてるの?」
「してないっての」
旭はたまにこうやって余裕のある表情を浮かべながら僕のことを年下みたいな扱いをしてくる。
昔はどちらかといえば旭の方が幼稚だったくせになんだか生意気だし、離れていた時間の長さを改めて思い知らされてちょっと寂しくなってしまう。
「さっさと始めよ。食べる時間どんどん遅くなっちゃうし」
感傷を振り払うようにそういって旭より先にキッチンへと向かおうとすると、後ろから肩を組まれちょっと強めに引き寄せられる。
「おう、一緒にがんばろうな!」
しっかりと目を合わせて微笑まれただけで、さっきまで感じていた切なさはさっぱり吹き飛んでいった。
旭の準備が万端だったのは結局前振りだけだった。
まず、包丁が一本しかなかった。なので、具材ごとに皮むきと切る役割を交代した。皮むきはお互い難なくこなしたものの、切る段階になると包丁を持っていない方が口を出し始め、サイズが揃ってないとか切り方が違うとかギャーギャー言うのでその度に手が止まりの繰り返しで、結局一時間ちかくかかってようやくカレーが完成した。
「もう腹ぺこぺこ〜」
「そうだね」
あと数分で煮込みが完了する、という時間になったので先にご飯をお皿に盛るべく食器棚からちょっと深めの大皿を旭が取り出し、そのうちの一枚を僕に渡してきた。
「これ、旭のお皿でしょ?」
旭が一人で暮らすこの部屋にはペアやセットになっている食器というものが存在しない。なので同じ料理を食べるときでも似たようなサイズの違う器を使っていた。
その中でも、カレーやパスタに使うお皿は使用頻度が高いので、自然といつもお互いが使うものが決まっていた。
「俺の分の盛り付けは郁弥がやってくれよ」
サラッと少しの照れも含まずにそう言われた。
旭ってこういうところがすごいというか憎いというか。本当にちょっとしたことだけど、気持ちとか気遣いとかそういうのを取りこぼさない。
このカレー作りだって思いつきみたいな感じで言ってたけど、実際はかなり頭を悩ませたんじゃないかと思う。詰めが甘いところもあったけど僕が気まずい思いを引きずらなくていいように、いっぱい考えてくれたんだなって伝わってきてしまう。
なんか旭ばっかりかっこよくてずるいな、と思いながら盛り付けを完成させた。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
パクッとお互いほぼ同時に一口目を食べる。
「あ、普通においしい」
「だな!」
レシピ通りに作ったから当然なんだけど、チョコレートなんて入れたことがなかったからもしかして、という不安もあったので完食できそうな味で安心した。
「旭」
次の一口を頬張ろうとしていたタイミングで声をかけると、カパっと開いていた口を閉じスプーンを一旦お皿に置いて僕の方に顔を向けてくる。
「今日は、ありがとう」
ありきたりな言葉だったけど、どうしても言っておきたかった。
「おう! 俺も嬉しかったぜ」
ニコッと笑顔でそう返してくる旭がなんだか眩しくて、来年はちゃんと僕が旭に渡したい本命チョコを考えよう、と密かに決心した。
「でも、こういう場合ホワイトデーってどうすればいいんだろう」
来年のことはひとまず置いておいて、目先の疑問を投げかけると、先ほどおあずけとなった分をもぐもぐとしながらう〜ん、と唸っている。
「バーベキューでもするか? んで、マシュマロ焼くとか」
「焼きマシュマロやったことないな。おいしそう」
どうせならキャンプとかしたいよな〜なんて他愛のない話をしながら、恋人と過ごすはじめてのバレンタインデーの夜はふけていった。
おまけ:ホワイトデーの顛末
「バーベキューで焼きマシュマロしたかったなぁ」
「起きられなかったのはお互い様だろ」
「僕、昨日は一回だけにしようって言った」
「する前はな。おわっちゃヤダってねだられました」
「……断ってよ」
「無茶言うなよ!」
「せっかくマシュマロ買ったのに」
「トーストにのっけて焼こうぜ」
「なにそれ」
「なんかでみたことある。うまそうだった」
「じゃあ、今日はそれでおあいこにしてあげる」
「へいへい、どーもありがとーございますー」
「なにその言い方」
「なんもねーよ」
〜〜前夜に盛り上がりすぎたため、仲良く寝坊しました〜〜