きっかけはなんでもいいよ それは、ある日の帰り道だった。
最初は何人かいた集団からポツポツと人が抜けていき、最終的に俺と郁弥のふたりきりになった。他愛のない話をしながら人通りの少ない住宅街を抜け、公園へと向かう。ここをまっすぐ抜けると駅への近道になるからだ。
あと数歩で公園の出口に差しかかるというタイミングで、突然郁弥が立ち止まった。
三歩ほど先に進んでしまってから隣にいたはずの気配が消えていることに気がつき、俺も足を止めて郁弥の方を振り返る。
「好きだよ、旭のこと」
苦しそうに吐き出されたその言葉は、友達への好意を伝える言葉としてはあまりにも重々しい口調で、「俺もだぜ」なんて簡単に返事をしてはいけないと頭の片隅で警報が鳴り続けるような、そんな緊張感を孕んだ一言だった。
なにがきっかけだったのか分からない。でも、本当はずっと秘めておこうと思っていたものがふいにあふれだしてしまったかのような衝動的なことだったらしく、郁弥自身も狼狽えているようにみえた。
ゆっくりとその言葉を咀嚼しながら自分自身に問いかけてみる。
俺は郁弥のことをそういう風に意識したことがなかった。大切な仲間で友達。それだけだった。でも……
「郁弥がもし許してくれるなら、ちょっとだけ時間が欲しい」
「時間?」
不思議そうというよりは不服そうな声でそう返される。
「郁弥のことを恋愛対象だって認識して、それから答えを出したい。」
これは完全に俺のわがままだ。その結果、やっぱりダメだったごめん、なんていうのは本当に深く郁弥を傷つけることになる。
「つまり、可能性があるってこと?」
バカにしないで、と怒られることを想定していたのに妙に弾んだ声が返ってくる。
「まぁ、そうともいえる……か?」
「そうなの? じゃあ、がんばる」
普段どおりのあっさりとした、ちょっと起伏の少ない平坦な声でそう言われる。
「旭が好きって思ってくれるように、猛アピールすればいいってことでしょ?」
猛アピールしてくる郁弥はなかなか想像するのが難しいが、本人がやると言ってるからにはできるのだろう。俺は黙ってコクリと頷くしかなかった。
「わかった。期待してて」
郁弥は颯爽と俺を追い抜き振り返ることもなく、まっすぐに帰っていった。
「大丈夫か、あいつ……」
自分から言い出したことなのに、妙に不安な気持ちを抱えながら俺も帰路へとついた。
あれから一ヶ月が経った。
「猛アピールはどこにいった?」
自主練の陸上トレーニングを終え、自販機前のベンチでひとりで休憩しているところをみかけたので、ここぞとばかりに声をかけて隣に座る。
言われた意味がわからないとばかりにコテンと首を傾げ、キョトンとした表情を浮かべている郁弥はもうこの間のことなどすっかり忘れ去ってしまったらしい。
「好きになってもらうためにがんばる、じゃなかったのかよ」
俺がこれを言うのはおかしいとは思ったけど、あまりにも普段と変わり映えのしない日々が続いていたのでついツッコミたくなってしまった。
「だって、どうしたらいいかわかんなくて」
口を尖らせて拗ねたような様子をみせられると俺が悪いのか? と一瞬勘違いしそうになってしまう。
「いや、なんかあるだろ。いつもより連絡する回数増やしてみるとか、飯に誘うとか」
なんでアピールされる側が提案してるんだよ、と心の中でツッコミを入れながら無難に思いつくことを挙げてみても、郁弥は首をひねるばかりだ。
「嬉しい? 旭はそういうことされて」
「まぁ、単純に俺のことめちゃくちゃ考えてるんだなって分かるのは嬉しい、かも?」
「一般的に、じゃなくて僕にそういうことされて」
「嫌ではない……」
そう答えながらもどことなく歯切れが悪くなってしまう。
「旭は、僕のこと知ってるでしょ? だから変に無理した姿みせても、心配させちゃうかなって」
それはそうだ。でも、がんばるなんて言ってたからちょっと期待もしていた。今は肩透かしをくらっている状態だ。
「最初は旭に好きになってもらいたいって思ってたけど、なんかそれって違うんじゃないかなって」
郁弥は真っ直ぐに前に視線を向けて、落ち着いたトーンで話を続ける。
「僕をちゃんとみてくれれば、それだけでもう充分な気がして」
「いじらしいっていうか、らしくないな?」
恋愛に関しては奥手というか無知な面があるものの、郁弥本来の性格からするとそんな控えめな考え方をするとはどうしても思えなかった。
「そうかな? でも、イヤじゃないんでしょ。僕にえっちな目でみられるの」
「エッチな目でみてるのかよ」
「そういうのも含むでしょ、恋愛感情の中には」
そりゃそうかと納得しかけたが、スケベな目でみられる自覚は全くなかった。
「普通は友達がそういう目で自分のことみてるってわかったら、多少なりとも嫌悪感があると思うよ」
「そう……かも?」
「そうじゃないって時点で旭の中で僕はかなり可能性あるってことだし、そもそもプラスからのスタートだからあとは時間の問題かなって」
すごい自信だな、と言い返したかったけど出来なかった。だって、その通りだから。俺は告白されたあの日から郁弥のことを意識しまくって水泳以外の時間の大半は郁弥のことを考える時間に費やしていた。
不器用だけど負けず嫌いで何事にも一生懸命なところも、テンションは低めだけどかなり仲間思いなところも、気安い相手に対する下手くそな甘え方も、単純だけどそれが俺のことを好きな郁弥なんだと思うと、可愛らしくて愛おしくなってきていた。
「好きになろうって決めて本当に好きになった、じゃ納得いかない?」
本当はほぼ答えは出てる。でもそんなの郁弥に対して失礼じゃないか、とずっと自分に言い訳をしつづけている。だって、こんなのはあまりにも都合が良すぎるだろう。
「きっと大丈夫だよ。旭はこれからもっと僕のこと好きになるし、きっとそのうち後悔するよ」
「後悔?」
「うん、なんで自分の方が先に好きにならなかったんだろうって」
クスクスと楽しそうに笑う横顔をみた瞬間に沸きあがった感情に、もう抗うことはできなかった。
「郁弥のこと、好きだぞ」
あの日、衝動的に告げられたものと同じ熱量はまだなくても、それは嘘偽りない今の俺自身の気持ちだった。
「知ってるよ、バカ旭」
抱きつかれながら、俺にだけ聴こえるような小声で囁かれたその声は、先ほどまでの自信満々な様子とは打って変わって少しだけ涙に濡れたように震えていた。
きっとまだ求められてるものに到底追いつけていないけど、ちゃんと伝えていこう。流されただけじゃなく、俺の意志で選んだって。
郁弥の薄い背中に少し力をこめて腕を回しながら密かにそう決意した。