夏チリン…チリン…と軽い鈴のような音が、風が吹く度聞こえてくる。
その日は風は吹いてたが、暑くて、ミスタは手に持っていたタオルで汗を拭った。
部屋の中なのに暑くて、暑くて、仕方がない。
ぼんやりと小窓から青空を見れば、雲がゆっくり動いていた。
「暑いなぁ……」
ぽつりと呟く。
ミスタの言葉に返事はかえってこない。
ミスタは細くて日焼けなんかしたことないような右腕を真っ直ぐにゆっくり、ゆっくり肩まで上げる。
そして人差し指だけ真っ直ぐに伸ばして、指の先に視線を投げた。
「どうして俺を置いていったの?」
目の前にいたのは、顔に幾つものシワやシミを隠そうと化粧をした女。
母…と言うべきその存在に、ミスタは夕日と海を表現したような瞳を彼女に向けていた。
「どうして…オレを置いていったの?」
女は震えながらも「なんで」「どうして」と繰り返していた。
ミスタはその無様な姿に、「あぁこいつもダメか」と、ゆっくりその手を下ろす。
「………ばいばい」
─チリンとまた風鈴がなっていた。
ゆっくりと時間が過ぎて夕方になった頃、ミスタは帰ってきた。
ランドセルに何日も洗われてない長袖を身にまといながら。
「た、ただいま…」
「お母さん今日は男の人連れてきてないといいな。」なんて思いながら、ドアを開ければふわりと香るカレーの匂い。
「お母さん?」
「おかえりミスタ」
そこに居たのは、軽めの化粧をした母だった。
日々男を連れ込んで、ミスタに暴行をする母の姿ではなかった。
「ど、どうして…?」
「今日はお母さん気分がいいの。だから料理も作っちゃった。」
戸惑うミスタを優しく迎え入れる母、ミスタはずっとこのままの母でいて欲しいと願った。
夢なら覚めないでと、思いながら綺麗になった部屋に入る。
「さぁミスタ、ご飯食べたら温泉に行こうか。今お風呂場壊れちゃってるの。」
「わ、わかった。」
ミスタはこれが夢じゃないとわかって、嬉しくなって椅子に座った。
ガタンと風呂場で音がしたのは気のせいだと思い、母の料理を食べる。
「美味しい?」
「うん!」
給食で食べるカレーとは違って肉が硬かった気がしたが、それでも大好きな母の料理をミスタは食べるのだった。
─この先もずっとミスタは、「優しい」母と暮らしていく。
チリン…チリン…ベランダに飾られていた風鈴がふわりと生暖かい風を運んでいくのだった。