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    カナト

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    カナト

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    ( ゚∀゚)o彡°「ナジーンさん上着脱いでそこに仰向けで寝転がってください」
     ガリガリとペンを走らせていると、不意にやたら不機嫌そうな声が降ってきた。
     何事かと見上げれば、これ以上ないほどに凶相になっている少女がひとり。
     漏れ出す圧に弱小魔族である猫魔族はぷるぷる可哀想なくらいに震えていた。
     しっぽがボワッと広がった彼らは、目線だけでナジーンへと助けを求める。それ即ち、少女の要求を叶えることに他ならない。
     少女が指し示した先には休憩用のスペースがあった。衝立で一応は遮られている。
     設置されているのは仮眠も取れる長椅子などの椅子と、つまめるものが常備された机だ。
     突然のことに固まってしまっていたからだろう、少女は普段に有るまじき鋭い目付きでこちらにギロリと目を滑らせた。
     猫魔族たちは恐ろしさにお互いに抱きついてイカ耳になっているし、猫魔族ではない執政官たちも青ざめている。まだ幼いとも表現出来る少女に、だ。
     周りの視線は自然と要求を向けられている方向へと集中し、ご指名に与ったナジーンは詰めていた息を小さく吐き出して立ち上がった。この状態では仕事にならない。
     少女の要求通りに上着を脱ぎ、座っていた椅子の背に引っ掛ける。それだけのことなのに、部屋中の者が固唾を飲んで見守っていた。
     凶悪な程に目を細めて黒いオーラを撒き散らす少女の手を引き、ナジーンは衝立の向こうへと向かう。そうしてお望み通りに長椅子に仰向けに寝転がった。
    「これでいいだろうか」
     問いかけると少女はイソイソと靴を脱ぎ出した。何故靴を脱ぐのか。
     何がしたいのか分からないまま、少女は邪魔なもの全てをとっぱらってそのままのしりとナジーンに乗っかった。
     いきなりの行動に慌てるのはナジーンだ。
     真昼間っから、とも、衝立しかないのだぞ、とも、聞き耳を立てているのであろう部屋では不用意な発言は出来ない。
     少女はやたら据わった目をして、そのままナジーンの胸に顔を押し当てるように突っ伏した。
     ナジーンの頭上に幾つもの疑問符が浮き上がる。んん? 何が起こった?
     混乱しているうちに細い指先が伸びてきて、ナジーンの胸をぱふぱふと弄ぶ。男の胸をぱふぱふして何が楽しいのか。
     シャツ一枚を隔てて感じる少女の吐息。感触を確かめるように揉まれる胸。ンンン……これはどういう状態だ?
     よく分からないが、少女が癒しを求めているのだろうことは理解した。何があった。
     首を傾けて少女を見やれば見えるのは小さな頭だ。ナジーンの手ならば簡単にわし掴んでしまえる程に小ぶりな。
     髪はボサボサで、それは普段から手入れを面倒くさがっている少女では普通のことだったが、それでもいつもよりももっと荒れているように思えた。
     己に何ができるのか。ナジーンには分からない。けれど。
     そろそろと手を持ち上げて、グリグリと少々乱暴に押し付けられる頭に手を置く。そっと滑らせるように撫れば、少女はそれを拒絶せずに受け容れた。
     パサついた髪。こびりついているのは返り血だろうか。これはこの後強制的に風呂に連れて行って洗わなければならない。
     反対の手で落ちないように少女の腰に手を回せば、相変わらずの細さに戦慄さえ覚えた。
     彼女は自分を疎かにしすぎている。
     それがもどかしくて、世話を焼くことくらいしかできなくて、自分を大切にして欲しいと願わずにはいられない。それは、過去のナジーンと重なって見えるからかもしれないが。
     しばらくすると冷たかった少女の体温はナジーンと混ざりあってほんわりと温度を上げた。
     グリグリと押し付けられていた顔は動きを止め、手はナジーンの両胸をわし掴んだままの形で固まっている。
     聞こえてくるのはすぅすぅと穏やかな寝息で、どうやら相当に疲れていたらしい。
    (どうすればいいのだ、これは)
     困るのは動けないナジーンである。ついでにうつ伏せの少女の柔らかな胸がしっかりと当たっていたりする為、色々辛い。下半身が。
     仮にも恋人の少女である。ナジーンがかたいとはいえ男なのだから、好きな女の感触に反応してしまうのは仕方のないことだ。
     ナジーンの葛藤など知らず、少女は気持ちよさそうに眠っている。そんなにナジーンの胸に癒し効果があったのか。複雑な心境である。
     しかし、こんな状態の少女を起こすことも運ぶことも寝返りを打つことすら出来ず、ナジーンは必死に眠気を求めて目を閉じたのだった。

     やけに静かな衝立の向こう側の不穏な気配が落ち着いたのを感じ取って、少女の威圧にビビり倒していた執政官はそおっと衝立の向こう側を覗いた。
     同僚たちは目線でやめろと訴えたのだが、好奇心の強い性格が疼いて仕方がなかったのだ。
     好奇心は猫を殺すが、その執政官は猫魔族ではない。同僚は猫魔族なので殺されるかもしれないが。
     髭をピンと張り詰めてピリピリしているらしい猫魔族たちをしりめに、執政官は衝立の隙間からひょっこりと顔を出す。
     そこにいたのは眉間に深い渓谷を築いて魘される上司と、上司の胸にくっついて眠る少女だった。一体何があった?
     同僚たちが止める声が聞こえるが、執政官は立ち上がって衝立の向こう側へと進む。そして眠るふたりにそおっと掛布を引っ掛けたのだった。
     その後、なんだか見ていてほっこりするふたりの寝姿で部屋の全員が小一時間癒され、仕事がめちゃくちゃ捗ったという。

     *

    「ムラムラする……」
     吐息と共にボソリと呟かれた言葉に、ユシュカはぴくりと耳を動かした。耳がダンボとはまさにこの事だ。
     呟きをこぼしたのはメタルスライムよりもおかたい副官だ。性欲など母親のお腹に置いてきたような人物が、まさかそんな言葉を呟くだろうか。
     ユシュカはそこまで考えて自分の耳を疑った。聞き間違いかもしれない。
     だがしかし、そこで流さずズケズケと突っ込んでいくのがユシュカである。無神経とも言う。
    「どうしてムラムラするんだ?」
     普通ならこの問いかけには、ため息がセットで別の言葉の聞き間違いだと返されるのだ。だがしかし、現在のナジーンは少し違った。
    「口に出ていましたか」
     その返事にギョッとしたのはユシュカである。悪ふざけのつもりだったのに、思いっきり踏んではいけない場所を踏み抜いてしまった。
     とはいえ、臨機応変に対応出来てこその商人だ。商人あがりの魔王であるユシュカはすぐさま気持ちを切り替えた。
    「なあ、何があったんだ?」
     ユシュカは好奇心の塊だ。知識や経験はその後の糧となる。噂話ひとつであっても、その中に真実が紛れていたり、商売のチャンスが眠っていたりするものだ。
     金色の瞳をキラキラと輝かせ始めたユシュカに、ナジーンは少しだけ嫌そうな表情をした。それも想定内である。
     再び小さなため息と共に、ナジーンは諦めたように口を開いた。ユシュカの性格は嫌という程熟知している。伊達に幼なじみをしていない。
    「いえ、あの細い腰を押さえつけて、何度も激しく突き上げて抱き潰したいと思っているだけです」
     鉄面皮の真顔でもたらされたセリフにさすがのユシュカも面食らった。あけすけにも程がある。
     淡白そうな印象のナジーンだが意外と夜は凶暴だったらしい。というか、言葉から察するに特定の誰かについて語っていることが気になる。
    「抱き潰したらいいじゃねえか。相手の許可があれば、だが」
    「彼女小さいんですよ。そもそも私のが入るのかっていうくらい小柄で」
     その言葉にユシュカはまじまじと己の副官を見やった。
     涼しい顔で手元が見えないくらいの速さで書類を捌きつつ何やらとんでもないことを言っている。
     確かにナジーンは大男に分類される大きさだ。彼の父親を知るユシュカとしては、父親の遺伝子だな、と思うのだが、そんなナジーンから見れば女性などほぼ全員が小柄の分類である。
     なんか色々苦労してそう。ユシュカはナジーンに同情の眼差しを送った。
    「なにやら失礼なことを考えているような気がしますが」
    「いや、思い返せば妥当な感覚だなって」
     ナジーンの隣にそういった女性が立っているのを見たことがないので、ユシュカ自身考えたこともなかったのだ。ナジーンのナジーンが女性たちにとってどんなモノになっているのかなど。
     先程の発言からすれば相手は素人なのだろう。ナジーンのナジーンは言わずもがな玄人向けだ。初心者には辛いだろう。
    「最初を失敗して以降消極的になられるのは絶対に回避したいのです」
     これはなかなかに難しい問題だ。今の状態のナジーンが優しく我慢して好印象を与えられるだろうか。
     おかたすぎる理性が克つか、はたまた魔族らしい欲望が勝つのか賭け事でもできそうだ。
     仕事一辺倒に打ち込んできた幼なじみの、非常に俗物らしい状態に、ユシュカは知らず口元に笑みを浮かべたのだった。

     *

    「あっ、大魔王さまー!」
     アビスジュエルで現れた少女を見つけた官吏は、不敬だとかそんなことを全く気にせず元気に声をかけた。
    「んん? 何かあったの?」
     それに対して少女は怒るどころか普通に対応する。歴代の大魔王や魔王たちにこんなに気軽に接したら、大抵は処刑されること間違いなしなのだが、少女は魔界では変わり者扱いだ。いや、人間たちの中でもかなりの変わり者の部類に入るのだが。
    「またナジーンさまが徹夜をしておりまして」
    「ははぁ、分かった。行ってくるね」
     ニンマリと口元に笑みを形作って、少女は手を振り去っていく。きちんとナジーンの所在を聞き出すことも忘れてはいない。
     こうして、ナジーンの我慢大会は引き起こされ、いつ爆発するのかの賭けがファラザード城で行われていることを、本人たちは全く知らない。
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