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    カナト

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    カナト

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    三行半(みくだりはん)「たっ、大変ですナジーン陛下ァ!」
     ナジーンがファラザードで副官業をやっていると、突然ネクロデアからの伝令が玉座の間へと駆け込んできた。
    「ファラザードの魔王の前ですよ」
     眉間を揉みながら窘めるも、ファラザードの魔王、ユシュカは「大丈夫だ」と鷹揚に笑った。
     立場と礼節というものについて小一時間説教をしたい衝動を飲み込んで、ナジーンはやれやれと首を振って伝令へと視線を戻す。
    「で、内容は?」
    「こっ、この場では……。ナジーン陛下のみのお耳に入れたい案件ですッ!」
    「ファラザードとネクロデアは友好関係にある。助力が必要ならば我が国とて兵を率いることもやぶさかでは無いが?」
     ファラザードに知れてまずいことなのかと、ユシュカの目が剣呑に光った。
     伝令はそれに震え上がるも「ではせめてお二方のみを残してお人払いを」と引き下がらない。
     ここらが引き際かとナジーンとユシュカは顔を見合わせ、玉座の間に呼んでいた執政官たち、警備の兵たちを下がらせた。
     全員が階下におりて退室したのを見届け、伝令はナジーンに一枚の紙切れを手渡した。
     それをナジーンはサッと流し読む。表情こそ変わってはいないが、明らかに動揺しているようだ。長年の付き合いだからこそ分かる僅かな変化である。
     何事かとユシュカが紙切れを覗き込めば、そこには一筆「実家に帰らせていただきます」との言葉が書いてあった。
    「あー、これが世に言う三行半ってヤツか」
    「人聞きの悪いこと言わないでくださいッ!」
    「今朝王妃さま付きの侍女が見つけたのです。なかなかいらっしゃらないのでお部屋を覗けばこの書き置きがあったそうで……。ネクロデアじゅうを探しましたが、王妃さまはどうやら姫さまを連れてどこかへ行かれたようで……」
     そこまで聞いて、ユシュカは恐る恐るナジーンを見やった。
     良かった、何も変わっていない……と思いきや、目を見開いたまま気絶していた。
    「しっかりしろ! ナジーン!」
     慌てて肩を揺すれば、ナジーンはハッと意識を取り戻した。
    「大丈夫です。ただの里帰りでしょう。あの人は元々放浪癖がありますから、放っておいてもいいでしょう」
     そう言いながら書類を取ろうとして花瓶を手に取っている。どう見ても動揺を隠せていない。
    「何か喧嘩でもしたのか? だったら仲直りを……」
    「喧嘩などしていません」
     事務的に答えを返すナジーンに、伝令とユシュカは顔を見合せた。
    「確かにご夫婦の仲は良好で、いつも仲睦まじくあらせられましたが……」
    「とりあえず、本当にただの里帰りという可能性もある。しばらく様子を見てみよう」
     聞く耳を持たないナジーンに呆れながら、ユシュカと伝令がそう話をつける。
     伝令が去っていった玉座の間には、なんとも言えない空気が流れていた。
    「あー、ナジーン。なんかあったなら言えよ。オレたちは主従以前に友達なんだからな」
     それだけ言って、ユシュカは退室させた人々を呼び戻しに玉座の間を出ていった。本来ならばナジーンがしなければいけないのだが、ユシュカなりの気遣いだろう。
     誰もいなくなった玉座の間で、ナジーンはじっと紙切れを見つめていた。

     *

    「ママー!」
    「おかえりなさい、カナト」
     一方、カナトは書き置きどおり、実家へと帰っていた。エテーネの村にも実家はあるのだが、生家の方の実家である。
     出迎えてくれた母、マローネの抱擁を受けて、カナトは豊かな胸の感触を堪能した。
    「まぁぁ! お嬢さまのお子さまも可愛らしいわぁ!」
    「見て! 小さい角があるわ! 可愛いわねぇ」
     今回一緒に連れてきたカナトの娘、マローネにとって孫にあたる子どもは、屋敷のメイドたちを既にメロメロにしている。
     そもそも、カナトも本来ならばこの人たちの中では赤ん坊なのだ。
    「お年は二歳と伺っていたのですが、まだ赤ん坊ですわね」
    「成長速度が魔族と同じみたいなの」
    「そうなのですか。角もありますし、当然と言えば当然ですわね」
     きゃっきゃとはしゃいでいるメイドたちを見ながら、メイド長が不安げな声を出せば、カナトが説明を入れる。ネクロデアではこれが普通だったので、成長速度が遅すぎるということではないらしい。
     カナトはマローネに導かれて屋敷の中に入っていく。
    「お嬢さまは私たちがしっかりとお世話させていただきます」
     楽しそうなメイドたちが、元カナトの部屋がある方向へ向かう。カナトが時渡りしてしまってから時が止まった部屋には、相も変わらず真新しい木馬や積み木が未だに置かれていた。
     カナトはマローネと共に反対側にある応接室へと向かう。
     ここに来ることは事前に手紙で知らせてあったので、大きな混乱は起こらなかった。
    「孫にも会えたし、私を頼ってくれて嬉しいわ」
     手作りのマドレーヌと共に紅茶が供されて、カナトは進められるがままそれらを口にする。
     マローネはその様子を優しい目で見ていた。
    「突然ごめんなさい、急に滞在させてくれなんて……」
    「何を言っているの。ここにはいつまでもいてくれて構わないのよ。だってあなたの家でもあるんですもの」
     あまり帰って来れない親不孝者な娘でも、マローネにとっては唯一の娘で心の拠り所だ。
     夫であるパドレと、その従者ファラスが遺してくれた、彼女の唯一の希望である。
    「ここにはあなたが使うはずだった赤ちゃん用品が使われないままあるのだし、設備だって整っているから心配することはないわ。それよりもあなたに着せたかったお洋服なんかが着せられて嬉しいくらいよ」
     マローネが喜ぶ姿に嘘偽りはないのだろう。カナトは苦笑いをした。
    「でもどうして突然帰ってこようと思ったの?」
    「……少し、意見の食い違いがあって……」
     マローネの質問に、カナトは言いづらそうに口をもごもごさせて、目を逸らした。
    「別の個体なんだもの、意見の相違なんてあって当たり前よ。でも、聞かせてくれるかしら?」
     マローネに肩を抱かれて、カナトはぽつりぽつりと家出してきた理由を語り始めた。
     娘を産んで二年。まだまだ手のかかる赤ん坊だが、幸いにもカナトたちには世話をしてくれる使用人たちがいた。
     ナジーンは副官業に魔王業にと忙しいが、それでも合間を縫ってこちらを気にかけてくれてそれに対して不満を持ったことはない。
    「それでね、私……そろそろ二人目が欲しいって言ったの」
     兄と一緒に育ったカナトは、兄弟と過ごす幼少期をよく知っていた。実際には一人っ子なのだが、養女として育てられた家庭に兄がいたのだ。
     そして、その兄にカナトはとても救われた。
     兄は破天荒な人で、平和な村で爆発やらなんやらを起こしては、カナトがフォローにまわっていたが、それでもそれを負担だと思ったことは無かった。
     そんな過去のことなんてちっぽけだと思えるほどに、兄はカナトにテンスの花をくれ、錬金釜をくれ、死なないように忠告し、共に邪神となったナドラガに立ち向かい、エテーネルキューブをくれ、古代ウルベア帝国では捕まっていたのを助けてくれた。
     そんな兄が行き着いた先は、魔界の最長老、魔仙卿という立場だったけれど、落盤から救ってくれたり、みんなの為にからだも命も魂も張ってくれた。
     時渡りの呪いなんて厄介なものを与えてしまった妹に対して、兄は「おまえのせいじゃない」と何度も言って助けてくれた。
     そんな兄を持ったからこそ、カナトは二人目を欲しがったのだ。
    「でも、ナジーンさんは……」
     カナトはギュッと拳を握りしめ、大きく深呼吸をした。
    「ナジーンさんは、まだ子どもを産んだばかりなのだから、二十年後くらいでいいって」
    「……まぁ」
     予想外の答えに、マローネは言葉に詰まった。
     それは、カナトのからだのことを慮ってくれた優しい言葉なのだろう。そして、魔族目線では当たり前の年月なのだろう。
    「ナジーンさん、分かってるのかな……。いくら私が血の契約で生命力を高めていても、魔族の姿を持っていても、私は所詮人間なんだって。しかも二回も死んでる」
    「そうね。いついなくなるかなんて分からないものだものね」
     カナトを産んですぐに夫が行方不明になっているマローネが言うと、その言葉の重みは半端ではない。
    「でもちょっと二回死んでるとか血の契約とかいうお話について詳しく聞かせてもらえるかしら?」
    (あっこれヤバいやつ)
     そう思った時には時既に遅し、カナトはマローネに色々なことを語る羽目になったのだった。

     *

     カナトからの三行半の報せが来てひと月が経とうとしていた。
     ナジーンは相も変わらずファラザードでアストルティアの観光客誘致業務に忙しい日々を送っていた。
    「ニャジーンさま、ここの予算の計上についてにょはにゃしにゃのですが」
    「これか。これはここを切り詰めることが可能だろう。ここからの資材を流用できるはずだ」
    「にゃるほど! ありがとうございますニャ!」
     猫魔族、ニャドータの質問に丁寧に答えるが、ニャドータはお礼を言ってからふと違和感を覚えた。
     ナジーンが去っていった部屋でニャドータは零す「ニャジーンさまと言ったのを訂正されなかった」と。
     違和感を覚えるのはニャドータだけではない。黄昏呪術店店主の問題児、ネシャロットもまた「小言にキレがない」などと宣い、ネシャロットの姉でバザールの元締でもあるジルガモットにも「相変わらず仕事はキッチリしているけれどぼんやりとしているわね」などと言われる始末。
     果てはユシュカから「凡ミスが増えたんじゃないか?」と指摘されている。
     度々「ここはいいから迎えに行け」と言われる日々を過ごしているが、ナジーンはなかなか向かおうとしなかった。
    「なんだい、久々に来たらこれは」
     そんな中、久しぶりに訪れたレディ・ウルフこと賢者マリーンは、ナジーンの体たらくを見て大きなからだを揺らして豪快に笑った。
     苦虫を噛み潰したようなナジーンに代わって、ユシュカが三行半を突きつけられたことを話す。
    「ふうん、あの子がなんの理由もなしにそんなことを言うとは思えないんだがねぇ? アンタの束縛が嫌になっちまったのかね」
    「束縛など……」
    「いーや、おまえ結構束縛激しいぞ。娘が産まれてから大分落ち着いたが、それまでこれはオレのだーって丸出しだったからな」
    「落ち着いたってことは理由にならないんじゃないかい?」
    「そうか。師匠、コイツどうやったら口を割ると思います?」
     師弟はコソコソとナジーンにわざと聞こえるような音量で話し始める。絶妙に腹が立つ仕打ちだ。
    「本当に心当たりがないって顔じゃあないね。宝石魔法で脅すのはどうだい?」
    「ですよね。絶対心当たりがありますよね」
    「ありすぎてどれか分からないって可能性もあるよ」
    「離婚するようなことになったら今度はオレが嫁に貰おう……ヒェッ」
     不穏な言葉を吐くユシュカの顔面スレスレを、ナジーンの剣が掠った。
     さすがに今のは言い過ぎたとも思ったが、あながち冗談でもない。ユシュカは、三百年生きてきてあれ以上の女を知らない。
    「カナトが、二人目が欲しいと言ったこと、だと思います」
     不穏な空気を出していたナジーンが、観念したようにボソリと言葉をこぼす。
     そこになんの問題が、とユシュカとマリーンは顔を見合せた。
    「作ったらいいじゃないか。嫁が自分から欲しいって言ってくれてるんだから」
    「別に経済的に困窮してるわけでも、あの子が妊娠して困るような問題も発生してないだろう?」
    「彼女はまだ子どもを産んだばかりです。それなのにもう二人目なんて早すぎるかと。だから、二十年後くらいに二人目をと言ったら怒ってしまって……」
     本気で何が悪いのか分からないナジーンに、ユシュカとマリーンは再度顔を見合せた。
     ナジーンとしては、カナトを気遣っての発言だろう。魔族であるなら、そのくらいの年齢差の兄弟というのが当たり前だ。
    「ナジーン、あの子が人間だって忘れてないかい? いくら血の契約をしても、あの子の寿命は……」
     長くはない、という言葉をマリーンは飲み込んだ。
     既に二度死んでいるのだ。生命力を分かちあっているのだとしても、その余命は普通の人間よりも短いだろう。
    「それに人間なら一年違いの兄弟だって当たり前だよ。早すぎるなんてことァないね」
    「人間ってそんなに短命なんですね。師匠も人間では?」
    「アタシは魔神ジャイラジャイラと契約してるからね。普通の人間じゃァないよ」
     夜の神殿に導かれて封印を解いてしまった少女、リィンがもたらした結末。ラウルを救う為だった、その決断に後悔はない。
     本当ならば、リィンはラウルと共にトレジャーハントをして共に骨を埋めただろう。けれど、あの時選んだ選択が、ユシュカやナジーン、魔界を救ったのだと思うと悪い気はしない。
    「だからね、ナジーン。素直に据え膳食っときゃ良かったのさ!」
     腹の底から笑って、マリーンはナジーンをしっしと手で追い払う仕草をする。
    「分かったらさっさと迎えに行って二人目を仕込んできな」
    「ですが仕事が……」
    「そのくらいアタシがやっといてあげるよ。可愛い子どもの顔を見せてくれたらそれでいいから」
     ナジーンが縋るような目でユシュカを見遣るも、ユシュカも取り合ってはくれないようだ。
    「早く迎えに行ってこい。大魔王サマを幸せにすると誓ったから譲ってやったんだぞ。そんな態度だとかっさらうからな」
     ナジーンは少し躊躇ったものの、何も言わずに部屋から出ていった。
     扉がしまった後に、走る音が聞こえたので実際はいてもたってもいられなかったのだろうが。
    「さて、アイツの分も仕事しないとな」
    「そうしておくれ。全く、世話の焼ける子どもたちだ」
     ユシュカとマリーンは楽しげに笑って、昔話に花を咲かせつつ残された魔瘴石についてなどの話をし始めた。

     *

     ルクスガルン大空洞を抜けた先は、ガミルゴの盾島という場所だった。
     そこはオーグリード大陸という場所で、カナトの実家はそれよりも南に位置するレンダーシア大陸にあるという。
     以前アストルティアを旅行した際は、ルーラストーンなるものでひとっ飛びだったが、ルーラストーンはなかなか希少なものらしくナジーンの手元にはない。
     カナトが幾つか持ってはいるのだが、それら全てを持って実家へと帰ってしまったようなので使うことは出来なかった。
     そこからナジーンは酷く苦労した。まず、大陸間鉄道というものに乗るのにパスが必要だと知った。
     幸いにも駅弁を買い漁っていた賢者ホーローに出会えた為、なんとか大地の方舟に乗車することが出来た。
     続いて待っていたのは、レンドアからのレンダーシア大陸への船旅だった。
     グランドタイタス号という豪華客船に、賢者ホーローの紹介でなんとか滑り込んだのだ。
     そこからグランゼドーラ港に来ると、勇者姫アンルシアが待ち受けていた。
     仁王立ちしてナジーンを待ち受けていたアンルシアは、どこかピリピリとした空気をまとっている。
    「賢者ホーローさまから連絡を受けてきました。カナトが実家へ帰ってしまったようですね」
     刺々しい言いようだが、アンルシアはカナトのモンペなので仕方がない。盟友は大事な人なのだ。
     バチバチと雷を起こしてはじめているアンルシアを宥めるのは、初めて見る薄紫色の髪をした男だった。
    「落ち着きなさい、アンルシア」
    「分かっています、シオンさま」
     深呼吸をして落ち着きを取り戻したアンルシアは、それでもナジーンを睨みつけるのはやめなかった。
    「カナトの実家があるエテーネ島への船はありません」
     カナトの実家があるエテーネ島は、レンダーシア大陸の中央に位置し、長い間その存在を知られることなく続いていた。
     ナルビアの町まで行けば物資を運ぶ船があるものの、観光目的などのものは少ない。
    「カナトはエテーネの村には帰っていませんね……」
     そう説明を受けていると、シオンと呼ばれた男がボソリと呟いた。カメさまとして時々エテーネ村に帰っているとはさすがに言えない。
    「だったら大エテーネ島の王都キィンベルの方にいるのかもしれません。でもそうなると、大エテーネ島へ行く船は貨物船さえないでしょう?」
     難破して流れ着いた男はいるが、大エテーネ島への船はない。そもそもものの流れも自国内で賄えて、五千年前から時渡りしてきた島だ。各国に存在さえろくに知られていない。
     アンルシアやカナト、シンイ、エステラなどは空を飛んで行くことが出来るが、そもそも閉鎖的な国である。
    「それでも私は行かなければいけないのだ。どうにかならないだろうか」
    「…………はぁ、分かりました。メレアーデに連絡を取ってみます」
    「感謝する」
     ナジーンはメレアーデがどういった立場の人物なのか分からなかったが、アンルシアが渋々でも協力してくれようとしてくれているのは分かった。
     しばらく城下町で宿をとって滞在した末に、メレアーデからの返信にお招きのつばさなるものが送られてきたと連絡を受けた。
    「カナトを泣かせたら殺します。大魔王であろうと、カナトは私の盟友ですから」
     本気の目でそう言われて、なかなか手渡されたお招きのつばさから手を離して貰えないなどといったハプニングを経て、ナジーンは王都キィンベルへと降り立った。
     そこは不思議な場所だった。
     円形の都の中央には、巨大な砂時計が鎮座し、人々が当たり前に錬金技術の話をしている。
     錬金術で作られた青い花を売り込む女性や、アルケミ水という錬金術に必要な素材を取り扱う商人、指針書がなくなってもなんとかなるものだと話す人々。
     メレアーデからの手紙には、軍区画に来るようにとの言葉があり、ナジーンは都の最奥部に位置する軍区画へと向かった。
     手紙を見せればアッサリと中に通され、メレアーデというピンク色のドレスを着た女性と対面する。
    「あなたがカナトの夫のナジーンね。私はメレアーデ。この国の女王です」
     エテーネの挨拶を優雅にして、メレアーデはナジーンを値踏みした。
    「私はネクロデアの魔王、ナジーンだ。妻が実家にいると聞いてここまで来たのだが」
    「ええ、カナトの実家はこの国にあるわ。でも、乗り物や歩いては行けないのよ」
    「だが行く方法はあるのだろう?」
    「ええ。転送の門というものを使えば行けるわ」
     メレアーデに導かれて、ナジーンは軍区画の不思議な狭い部屋へと入る。
    「座標を知っていないと行けないの。警備としては完璧ね」
    「つかぬことをきくが、どうしてカナトの実家はそんなところにあるのだ? それに、この国には王宮はないのだろうか」
    「王宮は消えたわ。カナトの実家は……あら、着いたみたいね」
     あっという間に転移をして、ナジーンとメレアーデが降り立ったのは、美しく手入れされた庭園だった。
     簡単なアスレチックや、子どものための遊具などがある。
     そして、その場所は空の上だった。
    「いらっしゃいメレアーデ。そちらがナジーンさんね」
     そう言って出迎えたのは、まだ若い茶髪の女性だった。
    「ご無沙汰しています、マローネおばさま」
     メレアーデがドレスの裾を持って挨拶をする。マローネはそれを微笑んで見ていた。
    「お初にお目にかかります。私はネクロデアの魔王、ナジーンです」
    「カナトからお話は聞いているわ。あの子のこと愛してくれてありがとう」
    「おばさま、カナトは?」
    「あの子たちは遊び疲れてお昼寝をしているわ。その間、ナジーンさんと少しお話したいと思うの」
     マローネに導かれて、ナジーンは屋敷の中へと足を踏み入れる。メレアーデは昼寝をしているカナトたちの所へと向かうようだ。
     応接室に通されたナジーンは、マローネと向き合うようにしてソファに腰掛けた。
    「カナトから大体のお話は聞いているわ」
    「私としては彼女を気遣ったつもりだったのですが……」
     紅茶を手ずから淹れながら、マローネは話を切り出す。ナジーンはそれに対して困ったように眉尻を下げた。
    「魔族の方々って、凄く長命なんですってね。でも、私たちはそんなに生きられない」
    「ええ、分かっていた……つもりだったのです」
    「その中でも女性が妊娠できる期間というのは三十年くらいなの。だから、あの子が焦る気持ちも分かってあげて」
     それは、魔族にとってはとても短い期間だ。けれど、人間には長い長い時間なのだろう。
    「彼女の存在が特殊すぎて、私は随分失念していました。彼女は大魔王だが、普通の人と変わらないのだということを」
    「ええ、私の大事な娘ですもの。無碍に扱ったら許しません」
     反省するナジーンに、マローネはコロコロ笑った。あんなに大きな子どもがいるとは思えない若さだが、実際には子どもを産んで数年しか経過していない。
    「あの子は夫とファラスがその命をかけて守り抜いた子。私だってこの命に変えても守ります。あなたにその覚悟はありますか」
    「例え生きる時間が違っても、愛し抜くと決めたのです。そう誓って、彼女を妻に望んだ」
     過去の自分がこの体たらくを知ったら、今のナジーンは思いっきり殴られているだろう。そのくらいの覚悟もできている。
    「あの子のからだを思ってくれるのは喜ばしいことよ。あなたたちは、きちんと話し合うべきだった。今からでも遅くはないから、あの子の話を聞いてあげて」
    「そうします」
    「今日は泊まっていくといいわ。そして、あの子とちゃんと話してね」

     *

     紺碧の空に、キラキラと無数の星が煌めくのを、カナトはじっと見つめていた。
     ここは、空にとても近い場所。なにせ、人工浮島パドレア邸なのだ。
     時渡りをした時に海へと着水したパドレア邸は、メレアーデの政策などにより、再び空の上に浮かび上がった。
     全く、この邸は名を冠した主を失ったり、異形獣に襲われて荒らされたりと忙しない。
     優しい風が頬を撫でて、少し肌寒さを感じていると、ふわりと優しい温もりが肩にかかった。
     振り返れば、大きくて黒い人が優しい瞳でこちらを見ている。
    「風邪をひくぞ」
     三行半を突きつけて実家に帰って一ヶ月と少し。迎えに来るにはだいぶん遅いように思うが、真面目なナジーンが仕事を投げ出してまで迎えに来てくれたのは、愛されている証だろう。
     カナトは返事をせずに、変わらず夜空を見上げていた。天界などという場所にも訪れているというのに、同じなようで全然違うように感じるのだから不思議だ。
     ナジーンは東屋に腰掛けてじっと空を見続けるカナトの傍に腰を下ろす。そのまま肩を抱いて抱き寄せた。少しでも体温を分け与えたいらしい。
    「きみのことを思っての言葉だったが、すまなかった。私は、きみとずっと一緒にいられるのだと思っていた」
     むろん、今からでもずっと一緒にいたいと思っている。けれど、カナトはそれを望まないだろう。
     人として生きて、人として死ぬ。三度目の生き返しは、きっとない。
    「だが、どうしてそんなに急いであの子に兄弟をつくってやりたいと思うんだ? 自然に任せて出来たら出来たでいいんじゃないのか?」
    「私は、どうしても先に逝くから……たくさんのものを遺したいんです」
     そこで、カナトはようやく口を開く。まだ若いはずなのに、自分の死後を見つめる姿は、酷く悲しげだ。
    「私は、今きみが私の腕にいるだけで満足だ。きみが生きている限り、私はきみを手放さないし、死んだ後でもきみを愛している自信がある」
    「それだけじゃ……ない……んです」
     熱心に口説くナジーンに、カナトは消えそうな声で呟いた。
     耳と頬を赤く染めた姿に、ナジーンは小首を傾げる。
    「子どもができてから、ナジーンさんは私を抱かなくなりました。二人目が欲しいって言った時も……その……ナジーンさんと、シたかった……です」
     ぼそぼそと零された言葉は、ナジーンの理性を不意打ちダイレクトアタックした。
    「だから、二十年後なんて言われて私……あの……ナジーンさ……んんっ?」
    「すまなかった。本当にすまなかった。今からでも抱かせてくれ」
    「ちょ……待ってここ外……外だからっ」
     ナジーンに情熱的な口付けを受け、あっという間に腰が砕けたカナトは、覆いかぶさってくるナジーンの胸を必死になって押し返す。
    「ここは空の上だ。誰も見ないだろう?」
    「そういう問題じゃ……あっ! んんっ!」
     ちゅっちゅと首筋に口付けを落として、ナジーンは欲に濡れた紅い瞳でカナトを見上げる。
     再び唇を塞ごうとしたナジーンの唇を手で阻止して、カナトは真っ赤になった顔で叫んだ。
    「明日帰るのに支障が出ますから……!」
    「……ハァ。そうだな。きみには早く帰ってきて欲しい。ここは落ち着かない」
     今ここでやられ過ぎてしまえば、明日帰ることはほぼほぼ不可能だ。動けない。
     ナジーンは渋々ため息をついて、押し倒していたカナトを引っ張り起こした。
    「だが、帰ったら覚悟しておくように。もう我慢はしない。きみが望むだけ子どもを作ろう」
     とんでもない宣言をして、ナジーンはカナトを抱き上げた。そして、そのまま邸の中へと連れ去っていく。
     なにせ、明日早くに一緒に帰るのだから。
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