Daring Darling【Daring】形容詞 ˈdeərɪŋ
大胆不敵、勇気◆良い意味でも悪い意味でも用いられる
メインストリートを歩いていた昼下がり、甘いカシスとラベンダーの青い清涼感に、ベビーパウダーのようなムスクが鼻先を掠めた。
「ダァリン」
「どうしたMy honey」
「あぁ、うん。違う。ヴォックスの事じゃ無い。つか、街中でそんなボケはしない」
真昼間から、ドロドロに蕩けた声を作って耳朶に流し込んでくる男---ヴォックス・アクマの、整った顔を押しやりながらぞんざいに返事を返すと、ヒヒッと意地悪い顔で笑ってウィンクを返される。
「ミスタから 『ダーリン』 なんて言葉が出てくるから、てっきり何かスイッチでも入ったのかと思ってな」
「やめろやめろ。 夜のフェロモンを出すな」
「では、どこからそんな物言いが出てきたか教えてもらおうか」
何か思うところがあるのか、急にスンとした表情で前を向いてしまった。
本日は、暑気払いにPimm's (ピムス) でも飲もうとガーデン・パブに足を延ばして来たのだ。
お互い直射日光を喜ぶ性質でも無いので、程良く緑で覆われた静かな一角に陣取って、ピムスをオーダーする。グラスに沈むフルーツはたっぷりの苺と淡い炭酸がこの店の売りだ。
飲み物とnibblesがサーブされて来たにも関わらず、ヴォックスは黙り込んだまま。
顎の下で両手を組んで慈愛に満ちた眼でこちらに視線を固定する姿は、傍から見れば静かに交友を深める友人同士と言ったトコロだろうが、素を知っているこちらとしては居心地の悪い事この上ない。しかも自分から動く気は無い構え。
「もー。今日のお前ホント面倒臭い。 なんなの」
乾杯前に面倒毎は済ましてしまいたい。 仕方が無いから頬杖を付いた反対側の手でヴォックスのブレスレットを突つき、返す手で掴んだ燻製ナッツを口に入れる。不機嫌な金色の瞳が太陽光のように俺を射す。
「..... 善い表情をしていた」
変哲も無い街角で、囁くような愛情表現に横を見遣れば、正面を向いたミスタは、長い睫毛で半分程隠されたアクアマリンの瞳を内側から力強く煌めかせ、揺るぎ無い意志と共に口角が柔らかく上がっていた。
凛とした美しさを持ったその言葉は、 誰に捧げられたモノなのかを確認したくて。自分であると自惚れていた頭を殴られた気分だった。
「お前にそんな風に呼ばれるのが私で無いなら、いったい誰だ」
「は」
憮然とした表情で忌々し気に発せられた言葉は想定外過ぎた。
頬杖を付いた手首がズレて、顎がガクリと掌から零れる。
「うは。ヴォックスってば、何に嫉妬してんの???」
笑いながら、不意打ちの感情に押されて鼓動が跳ね上がる。アルコールより早く体内を駆け回り、血管を拡張させる其れを受け止めきれなくて顔が熱い。こんなのは、逃げるに限る。
「はいはいはい。カンパイしよー。カンパーイ」
「待て。なんだそれは」
デカイグラスを額に掲げれば、つられてヴォックスもグラスを掲げた。
赤いリキュールを一気に喋る。エルダーフラワーの香りと柑橘の香りが炭酸にはじけてスカッと喉を通り過ぎた。
ぷはっと息を整えて、答え合わせをしよう。
「daring だよ。ヴォックス」
「ん」
「確かに切っ掛けは通りすがりの女の子の香水なんだけど…Daring Darling (勇敢なあなたに) って言う名前なの。凄い覚悟で身に纏うんだなって」
「んん」
「好きな言葉なんだよ」
「......Daaaaaaaamn! Bloody hell!」
脱力したヴォックスの顔を見れば、いつもの余裕が全部吹っ飛んで真っ赤で。
俺は馬鹿みたいに笑いが止まらなくて。俺達はそれぞれの熱さを打ち消す様に杯を重ねた。
「Darling」
クラッシックなこの言葉ひとつで百戦錬磨のこの鬼を翻弄する事が出来るなんて、俺ってサイキョーなんじゃないか?
口の端で転がして、そっと指先を少しだけ絡ませると、いつもより柔らかいマラヤガーネットの様なロゼピンクの瞳でご機嫌な笑み。
新緑の光でチラチラと奥から見え隠れする濃い色には気付かない振りをして、不敵に笑って舌を出す。
「甘いだけじゃ物足りないデショ」