金銀泥に咲く(osmeanthos)花言葉は、隠世。
◆
泣いてゐる。
蜘蛛の糸の如く甘く絡み付く金色の薫りを振り切って、幽かな聲を頼りに歩む。
気付いて。否、気付かないで。と、蒼瞳が揺る。
啼いてゐる。
暖かな金色の絨毯を踏み分ける足は、柔らかく滑る泥濘に沈み、思う様に立之かぬ。
夜毎白皙に映した薄紅の熱は、真実であったと。不問語(トワズガタリ)の亜麻色の音。
哭いてゐる。
初めての恋だったのだと。はらはらと月光石の珠を落としながら、喉の奥に閉じ込めた聲。
あの子の元に行かなければ。
白銀に煌く華の下へ。
◆
呼んでゐる。
静寂に燻る銀の薫りと指先は頼り無く、今更伸ばしても届かぬ。
高潔を気取り、馴れていると嘯き、送り出した笑顔を悔む深淵の聲。
喚んでゐる。
銀色の雪片に囚われた身体の熱は既に奪われ、足は後悔に凍て付いて動かぬ。
永遠に腕に閉じ込め陶酔していたかったのだと。黒髪に爆ぜる朱と嘆きを爪弾く音。
讀んでゐる。
初めての恋だったのだと。玲瓏と煌く対の月を曇らせて、喉を裂きながら喚ぶ聲。
鬼の迎えを待つてゐる。
願う。黄金色に煌く華の下から来たれと。
◆
終幕は遍く人間の理を外れず、 彼の元にも訪れた。
風儀に習い焔の中で剥荅叟母 (ポタシウム) となった彼を視て、魂の還元を悼む。
ふと、彼の、ひとかけらの命脈を探す己に気付き、その意味を知る。
残り香を追う様に、片破れを捜して夜光を纏う黒い鬼は宵闇に融けた。
霧に溶ける薫りの粒子の向こうに浮上した意識は、長い睫毛で覆われた蒼い玉壁を外気に曝し空虚に震える。
息の緒の絶えたその先が、昏く冴えた孤独であるならば、如何にも自分に相応しい。
降注ぐ沖融たる想いに、尽きる事を恐れて撥無した自分に。
あの心地良い鳳声は二度とこの鼓膜を揺らさない。
そう、感受していたのに。
呼ビ聲、ガ。
◆
曼珠沙華が先導する常世の道程を歩む。紅く、白く、鬼火の途。
直ぐに往くから。
急ぐ鼻先に、彼方より甘い遺薫。鬼門を塞ぐ魔除の千里香が、己の歩みを阻害する。
忘れていた。秋は。
桃薫と斉しい癸内酯(デカラクトン)の重く甘い鎖に身を縛られ、不快感に眉を顰め。其の根源の小さな金の鈴を恨む。鬼、と云う名を冠す身には致命傷に成らずとも影響を受ける故。
追ってきた魂心の微かな残滓は綿紗に薄く軟かく霞む。
忌々しいと食い縛った口許からきしりきしりと象牙の軋む音と唇を侵す乱杭歯。刹那、鼓膜を僅かに揺らす銀の鈴。間髪入れず咆哮で呼応した。
呼ンデ、私ヲ。名ヲ。
◆
何時も足り無い二人であった。
慢心、怯え、甘え。信頼という言葉で誤魔化して、深く踏込まない事を縁とした。核心の確信が無いから、何時も飢えて、何時も安心していた。
痛い甚い愛たい忌たい依たい慰たい居たい遺体。
魂骸が分たれて知る後悔。
邂逅を嘲笑う様に、歩み寄りを躊躇った者へは歩行に枷を、心を閉ざした者は檻に。天網恢恢、疏而不レ失。
泣いてゐるのに。
呼んでゐるのに。
臆病である事が罪なら、贖罪は?
◆
嘯く笑顔の下に、泪。
泪の奥に隠した、聲。
伝わるだろうか。
届くだろうか。
『ヴォックス』
『ミスタ』
リィン。
気高い鈴の音は、潔く墜ちる小さな星の断末魔。数多の彗星の尾は、蕭蕭たる秋雨を模す。
一尺六寸の花先に結実するゲシュタルト。
伸ばした手は容易く相手の頬に。伝う涙を人差し指で受ける。額を併せ、不様に笑う。
「ずっと、言いたい事があったんだ」
「ずっと、聞きたい事があったんだよ」
『』
「馬鹿だね俺ら」
「あぁ、本当に。こんなにも近くに居たのに」
「ごめんね。死ンじゃって」
「迎えに来たんだ。手ぶらで帰る気は無いさ」
「まだ柘榴は食べて無いケド、俺の躰は灰になっちゃったよ」
「そこで一つ、提案があるのだが」
丹桂、桂花、夜に咲く。
金色の瞳の黒い鬼と銀色の穂先の亜麻色の狐。
けしやうのものか、ましやうのものか。
正体をあらわせ。