チョコレェトホリック「CHAT!センキュー!ん〜マッ♡」
ミスタは特大のキスを落として、配信を切った。
本日は2月14日、バレンタインデーなのである。戦地に赴く兵士の為に時の皇帝に逆らって結婚させた聖人の殉教した日?知らん知らん。
極東のサブカルで育った世代のVDと言えば!
チョ・コ・レー・ト♡
女子の恋ゴコロの詰まったチョコの受渡しに纏わるアレコレだろう?
俺達配信者は、所属会社の所定のアドレスに送られたチョコのうち、安全性が確認された一部を受け取れるようになっている。
靴箱や机に入ってるのを期待したり、呼び出されちゃったりとか!っていうスクールライフを妄想して育った俺としてはマジ嬉しい。
この様なシステムになったのはつい最近で、我が社の配慮には感謝しかないね。
追跡や特定を避ける為に、正確には14日近辺に受渡しが行われるンだけど、事前に目録の様な写真を貰ってるのでソレをネタに雑談したりするワケ。
皆への感謝はホンモノだから、そこは目を瞑ってくれよな。
盛大な前置きをしたが、今年の俺の受取り日は翌日の15日。
今なら最高のタップダンスが出来そうなステップで指定時間丁度にオフィスへ向かうと、セキュリティドアの向こうに見慣れた赤と黒のシルエットが見えた。
「よぉヴォックス!もぉ終わり?」
「Helloミスタ。まだ手続き中だよ」
全体の目録と希望のチョコを受取って、配送やら寄附やらの手続きをするのだ。
それぞれ紙袋を手にオフィスを出たのは昼過ぎだった。
「ミスタ、自宅に配送してもらった方が良かったのでは…?」
「直ぐに食べたいジャン!これでも厳選したんだよ!」
ヴォックスは飲酒配信でテイスティングするとかで、時計やら宝石やらを扱っているハイブランドのショコラの箱が幾つか入った小さな袋。対して俺は、アパレルブティックでコートでも買ったのかと言う様な大きな袋を2つ。だって俺の為に抹茶のキットカットにパイの実、アニメキャラクターコラボの各種駄菓子にコンビニ菓子。
どれもこれも外せる訳無い!
最高のdouble advantageにニヤケが止まらない。ギャラクシー・リップル、 ヨーキーにカドバリー・カラメル、 ウィスパやトフィー、エアロだって敵わない。
素晴らしいのは、一口サイズの個!包!装!紙じゃなくてパウチタイプ。凄いね!何時でも好きな量食べられるなんて、なんてホスピタリティに溢れてるの?!
「まぁ、節度を守って愉しんで」
ヴォックスの呆れた様な声をスルーして早速とばかりにパッケージを破り、無造作に小さな塊を口に放り込む。
キューブ型のトリュフに歯を立てると滑らかに分断されて、側面から清涼なグリーンの香りが鼻に抜け、茶葉特有の渋味がキュッと舌を引き締める。甘さは控えめ。外側のココアパウダーもザラ付く事無くトロケて喉に流れて行こうとするのを舌で口蓋に押し付けて味わった。
正しくこのトリュフに蕩けるようなキスをされている気分。
「うンまぁ〜♡」
「あぁ、良い香りだな」
石畳の冷蔵庫に閉じ込められたこの國の、乾燥した冷たい空気に丸くふわりと拡がった、柔らかく温かなショコラの香り。氷河の奥で眠る蒼い瞳が、ウットリと細められ、拳を握りしめてふるふると震える相方を微笑ましく眺めていたヴォックスへ。
「お前もあ~ん♡」
「ん?ゔ!」
つるりとしたアーモンド型のボンボンショコラが唇に押し当てられた。歯に当たる前にあ。と口を開けると勢い良く指迄口内にダイブさせて来た。
…この悪戯狐はどうしてくれようか。一先ずショコラを頬の端に含むと、硝子のマドラーの様に冷たい指を平たい舌で包み込んで吸いながら舐め上げ、ちゅと離す。
「ぎ、ゃ」
「おや。キャンディスティック付きのチョコかと思ったよ」
ビックリして逆毛を立てたミスタを横目に、硬いブロックを奥歯で噛み砕く。糖衣で包んでいる訳でも無いのに体温で溶けなかったソレは、パキリと細分化された途端にほろ苦く溶けて、同じく砕かれたアーモンドに程良く絡まった。
適度なオイルを保った核がクリーミィにシャクっと小気味良い音を立て崩れてゆく。
「旨いな」
「なー。コレ、£2もしないんだって」
本当か?!なんて澄んだ蜂蜜色の瞳を見開いたヴォックスに溜飲が下がって、ミスタも赤と白のパッケージから一つ摘んで口に入れる。ヤツの唾液で指先に付いたチョコの細い欠片が勿体無いから、ぺろりと舐め取った。
「ミスタ、そう云う所だ」
「んぁ?も一個欲しいの?」
しょーがネェなぁ。と上機嫌で紙袋を漁るミスタを見つめるヴォックスは、何とか公共の場であると言い聞かせ、唇から這い出た艷やかに滑る紅い果実への誘惑を振り払う。
まだ繰り広げられそうなスニッチに、溜息をひとつ落として、この奔放で可愛い恋人に落ち着ける場所を提供するべく付近の飲食店情報に思考を巡らせたのだった。
■
矢張りと言うかお約束通り、ミスタはランチを摂れ無かった。
路上でつまみ食いを始めて直ぐに、消化とビタミンの補給だとスムージーのスタンドに引き摺って行ったヴォックスの功績で、体調を崩す程の胃もたれはしていない。
午後、キラびやかなチョコ達を自重出来たのは、『ヴァレンタインだからディナーは少し趣向を凝らしたよ』って微笑うヴォックスの顔に、わかってるよなぁ?って書いてあったから。
それに、キッチンから漂う程良いスパイスの香りが、絶対旨いぞって鼻から脳髄に直接的に訴えて来ていたし。
程なくしてテーブルに並んだ品々に、俺の本能は仕事するぜとほくそ笑んだ。
「無理はするなよ」
「してないしてない。イタダキマス!」
自宅メシだからテーブルに全てがサーブされていて、グルッと本日のお品書きを見渡す事が出来た。
トマトのスープ、オレンジのサラダ、鶏肉のグリル。デザートは緑と黄色が眩しいキウイ。
赤いマラスキノチェリーが沈んだフルートグラスには、スパークリングワインが満たされている。ソコだけちょっと艶を意識させて来るのは流石ヴォックス。
「むぅ。俺セロリ嫌いなんだけど」
半月にスライスされたオレンジと白い千切りセロリのサラダの、オレンジだけを口に入れた。レモンの香りが付けられたオリーブオイルと、僅かに振られた塩味。ふわりと甘いハーブの香りがして、コショウとグローヴのスパイスが締めている。
「フェンネルだよ。セロリ程苦く無い」
ナイフは使わず、フォークだけ持ったヴォックスは、スライスされたオレンジでフェンネルを挟さみ口にしている。
初めての食材は慎重に、フェンネルだとか言うブツを数本刺し取るとニオイを嗅いだ。確かにあの苦々しい青臭い香りより、瑞々しくて甘い香りがする。エイッと咀嚼すると成程悪くは無い。だけどオレンジだけで良いな。オレンジを残してモギュっと頬張った俺を、笑いを堪えながらヴォックスが褒めた。
「GOOD BOY.良くやった!」
「うっせ!」
トマトのスープは酸味よりコンソメの効いたポタージュで、ブラウンシュガーのカラメルみたいな、スパイスとお菓子の丁度中間みたいな香りがして、大当たりの甘いトマトを齧っているみたい。
メインのチキンはスパイスの良く効いたレッグのソテー。黄色くないのにカレーの香りがする。苦くて甘くて爽やか。辛味が控え目なのは俺に寄せて。ほろほろと骨から肉がほぐれる程柔らかくて、白い繊維から滋味が舌に染みる。
旨い食事の後、身繕いをして、映画でも見ようかと居間のソファでだらりと過ごす。
夜も更けて、部屋の壁際からしんしんと冷気が侵食して来ると空気の対流が始まって、いつもなら温度を落としていく指先が、スパイスの効能なのかいつまでもぼかぽかと温かい。
冷蔵庫から林檎ジュースを取り出して一息ついていると、ニヤニヤ笑いの鬼と目が合った。
「…コレ、お前のせい?」
「まぁ、そんなところだ」
「何やってくれてんの?!」
「特に体に害は無いよ」
ンな事は判ってる。ヴォックスが無暗に俺を傷付けることは無い。多分。
ちょっとばかし加減を間違う事は多々あるし、鈍いし抜けてるところもあるけれど。
問題なのはこの状態で。やたら巡りの良い高温を維持した身体の理由と、不意に跳ねる鼓動のスイッチをアイツは握っているらしい。
触れたら終わりだと告げる本能に従って、自分から藪を突く真似はしない。
向こうも今は俺の反応を見て楽しんでいるだけだ。
「そんなに警戒されると傷つくんだが」
「明らかに生体反応に影響の出るコトされて落ち着いていられるかぁ!」
無言の攻防に、先に折れたのはヴォックスだ。子供みたいに唇を尖らせて腕を組む。その割に睥睨する視線をこちらに寄越す。
いや、何処まで行っても尊大な態度だな。オイ。
「チョコが好きだと言うからちゃんと応じてやっただけだろう」
「鼻血が出る程食べさせてくれるとかじゃ無いんだ?」
「本日食べた食事の全てにカカオを入れてやっただけだ」
「?」
曰く、使用する水分はカカオハスク(チョコの絞り殻。らしい)を漬け込んだもの。
曰く、スパイスには須くカカオニブが含まれていた事。
曰く、ジュースにはカカオパルプをぶち込んでいる。(今飲んでいる林檎ジュースにも!)
「う〜ん?で、なんでこんな状態?」
「それはお前が私に惚れているか」
「はいダウト!」
いや本当に喜んでくれるかと思ったんだがな?と首に手を当てて困ったように眉根を下げたヴォックスの仕草に、ばくんと心臓が跳ねる。喉に何かが詰まって変だ。
だって、こんなに頬が熱い。それを見てまた鬼が笑う。
「茶化してないで種明かししてくんない?」
しょうが無いから、うるっと上目使いで品を作ってヴォックスの手の甲に指を這わせてみた。
指先から手首へそっと筋を追って、中指と薬指で優しく。
コイツは獲物が自分の許に堕ちてくるのが好きだ。やさしく捕らえたらジンワリと毒を盛って、内側から溶かして喰らうのだ。
「ショコラは媚薬だからね」
「待てコラ」
案の定、気を良くしたヴォックスは滑らかに舌を動かした。聞き捨てならない単語がでて来たから、添えてた俺の手を絡めとろうとしたヴォックスからするりと逃げる。あっぶな。
「ちょっとショコラに含まれているフェネチルアミンやテオブロミンを高濃度で接種させただけじゃないか」
「その効能は?」
「抗ウィルス作用、血行促進、沈静」
「まだあるよなぁ?」
「…ドーパミンやノルアドレナリンの分泌」
「死ね」
ジリジリと間合いを取りながら後退すると、泰然と間合いを詰められる。取り繕う必要の無くなった欲気を載せて金紗の瞳が、ゆらゆらとグラスの中で揺れるワインの様に色づいてゆく。
「もう少しフツーに誘えねぇのかよ!」
「そんなに悪手だと思わなかったのだけどね。むしろロマンチックだろう?」
「含有成分を意図的に抽出とか、それもうドラッグだから!あと、相手の同意を得ろ!」
吠えた直後、背中にざらりと冷たい壁紙の感触を感じて、身体が硬直する。汗が頬の稜線をなぞってポタリと落ちた。ヴォックスがゆるりと笑って告げる。
「All's fair in love and war. と昔からよく言うじゃないか」
「手段は選べよバカ野郎!」
ショコラより甘く脳髄を痺れさせて、華々しく夜の幕が開いた。