春一番春一番。
希望に満ち溢れた、元気いっぱいな風。
彼が冬を吹き飛ばし、春を引き連れて来る。
それゆえか、力強い生命力を内包しており──
己の気を隠すのに、甚だ都合が良いのだ。
今年もまた、彼が来た。
びゅぅ、ひゅう、ひゅおぅ。
今日はあたたかい、強い風が沢山吹いている。
季節は冬の終わり頃。だからこれは春一番なんだろう。それなら、彼がここに訪れる筈。
ぼくは一際大きな木のうろに座り込んだ。そこは丁度、身体ひとつがすっぽりと入るくらいの大きさで、やさしい安心感で包み込んでくれる。その上風をかなり防いでくれるので、今まさにぴったりの場所であり、ぼくのお気に入りの場所だった。
ひときわ強い風が、びゅおぅ!と吹いた。木のうろでは防げない、真正面からの風だった。堪らずぎゅっと目を瞑る。
風が収まり、目を開けるとそこには、彼が立っていた。──紫の衣を纏った、天狗様だ。
「……やあ、轆轤少年」
「あはっ!やっほー天狗さんまた逢えたね」
「ん……そだね」
天狗さんはそれだけ応えてからぼくの前に座り込んだ。
そうしてぼくの目を見て問い出す。
「……相変わらずその場所、好きなの?」
「うん」
「……そう」
天狗さんはいつもそれを最初に聞く。確かめるように、どこか諦めるように。その真意を探った事はない。天狗さんも、深く掘り下げるような事はしない。あんまりに繰り返したので半ば形式化していたのもあるだろうし、他にも色々あるけれど……一番は、早々に楽しい世間話に花を咲かせたかったからだった。天狗さんもそれは同じ様で、切り替えるようにゆっくりと瞬きしてからは優しい目になって、話し始める。
「ねえ轆轤少年、最近はどうしているの?」
「うん、ぼくはね──」
そこからぼくらは半刻程、ずっと話し続けた。
びゅぅ、ひゅう、ひゅおぅ。春一番はぼくらが話している間でも、止むことなく吹き続けていた。同じように、ぼくらの会話も途切れる事なく続いていた。天狗さんの話は面白いし、ぼくも近々起こった事の諸々を話すのは楽しかった。でも、話題にひとつの区切りがついて、一段と強い風が吹いた時に、天狗さんは目を伏せて呟いた。
「轆轤少年がおれとの話を楽しんでくれている事は嬉しいよ」
「然れども……お前とこうして話す事を通ずて……彼の御神に会うた気でいるんだ……だから、私、は……」
そこまで言って、天狗さんはしまったとばかりにこちらを見やった。だからぼくは笑って答えた。
「ぼくはね!天狗さんの事好きだよ!」
「天狗さんも大事なお友達だから」
「…ともだち」
「うん」
「お前は…仕様も無い事を恐れて、ほんの少ししか逢えないような奴でも、そう言ってくれるのか…?」
「もちろん」
「……そう、か……」
「ありがとう」
天狗さんはきゅっと目を細めて笑った。ぼくもなんだか嬉しくなった。だからもっといっぱいお話ししたかった。……だけど。
「轆轤少年……今日も楽しい一時だった……」
「名残り惜しいけれど、もうこの場を離れなくちゃならない」
「そっか……」
「だから……また今度、逢おう」
「……!」
ぼくはその言葉が嬉しくて仕方無かった。だって天狗さんは、今までずっとその類の言葉を避けて姿を消していたから。でも、来年は絶対に逢えるんだ……!
胸いっぱいの喜びを、そのまま言葉に乗せて応えた。
「うんまたね」
天狗さんはふっと笑った。次の瞬間には強い風が吹いていた。また逢えると分かっていても、やっぱり寂しくて、せめて去り際を見届けたかったぼくは立ち上がり空を見上げた。
そこには紫黒の翼を力強く羽ばたかせて翔ぶ美しい烏の姿が在った。彼は一度だけ旋回してから、瞬く間に姿を消してしまった。
びゅおう、と強い風が吹いた。あたたかな風だった。これもきっと春一番。希望に満ち溢れた、元気いっぱいな風。
ぼくはそれを少しだけ分けてもらって、にっこり笑顔になってから、ゆっくりと家路についた。