vsクラッカー戦闘シーン「其方!ビッグマム海賊団三将星が一人、シャーロット・クラッカー殿とお見受けする!」
随分舐められたものだ、とクラッカーは顔を顰める。海賊の勝負には卑怯もクソも存在しない。これが仮に立派な騎士道精神に基づく天覧試合なんかであればその口上は見事なものだっただろう。だが、少なくとも海賊にやっていい行動ではない。
「此方はジェルマ王国科学戦闘部隊、ジェルマ66クローン兵団指揮官、ベータ・フェム!」
廊下の中央に仁王立ちし腕を組んでいる女はそう名乗った。慇懃無礼を形にしたその言動は、彼の神経を逆撫ですることまで視野に入れているらしい。クラッカーはそう判断した。こちらを挑発し突撃させる寸法か、だがやすやす乗せられるのも癪である。そこまで直情型ならば、彼は将星——四皇の幹部の肩書きを手に入れていない。
「ああ。いかにもおれが、シャーロット・クラッカーだ」
女がそのつもりならば、と彼はさも劇中のセリフのように語ってみせる。女の真意を図りかねている。彼女はジェルマを名乗った。確かに彼女の名前はジェルマ王国要人のリストに入っていたし、ヴィンスモーク以外では最も警戒すべき人物だったと記憶している。だが、わざわざ戦う必要がないのである。端的に言えば、ジェルマ王国の人間は万国から決死の逃亡をしている最中なのだ。面と向かって戦闘なんか行うべきではない。こんなことをしている暇があれば、さっさと自らの艦に戻るべきだ。
「一つ、手合わせ願う!」
片方のグラスが割れたゴーグルを着けた彼女は口を三日月に吊り上げて笑う。クラッカーはますます理解ができなかった。何だこの女は。戦闘中に笑う奴は多いが、彼女の場合は異常だ。戦うことが楽しくて楽しくてたまらないと語るその表情。どこまでこちらを舐め腐れば気が済むんだ、とクラッカーは歯軋りをする。前述の通り、彼は手負いと言えど四皇幹部である。戦争屋の指揮官であろうと満身創痍の女と"良い勝負"をするほど落ちぶれてはいない。
「ッハ、時間稼ぎでもして敗軍の将自ら責任でも取るつもりかァ? 舐められたものだな」
「ふ、っはははは! いや。貴殿は随分サービス精神旺盛のようだ。何、総帥から暇を頂いてね。ここにはもう来れないだろう? 記念に強い男と闘っておきたいじゃないか。」
「べらべらと、よく喋る!」
抜刀、斬撃。
クラッカーは腰に携えていた名剣プレッツェルでフェムへ斬りかかった。挑発などどうでも良い。ここまで言われて攻撃しない方が海賊として名折れである。至極楽しそうな笑い声をあげながらひらりと後方へ飛び退ったフェムに、彼は殺意を剥き出しにした。本来ならば殺意など隠しておいた方が良いのだ、最終的に殺す相手であっても。殺意が漏れれば攻撃を読まれる。事実、見聞色の覇気を使える彼も敵方の殺意を察知することで幾多の戦闘に打ち勝ってきた。
「的が小さいと嫌になるな」
手袋をつけた手を、彼はパン、と軽快な音を立てて打ち鳴らした。彼女に対する煽りの拍手ではない。能力の発動である。彼はビスケットを自在に生み出せる。そう説明するとかなりメルヘンな能力だがしかし、実際は鋼鉄以上の硬度を誇るビスケットで構成された兵士を無限に生み出すという苛烈極まりないもの。見る見るうちに彼の背後には数人のビスケット兵——それぞれが巨大で、複数の手には彼の用いるものと同じ形の剣が握られている。
「室内では分が悪いように思えるが」
「一騎でも倒してから言え」
悉く気に触る奴だ。だがこれまでだろうとクラッカーはビスケット兵のうち一体の肩に飛び乗った。室内で展開するには確かに分が悪い。が、ちょこまかと動くフェムと追いかけっこをするなんて時間がかかりすぎる。彼女は「あくまで趣味だ」と言ったが、そんなわけがない。ジェルマの王族、ヴィンスモーク家が撤退するまでの時間稼ぎを担っているのだ、とクラッカーは勘繰る。誰だってそう思う。よほどの気狂いでなければ命を捨てに戻るような真似は決してしない。
「——いいなァ、こんな兵士を無限に? 是非とも手を組んで戦争をしたかった」
「傘下の間違いだろう? それに。貴様らはママの世界には不要なんでね」
ビスケット兵の攻撃を躱していくフェム。あくまで防戦一方なその様子に、クラッカーは正直落胆した。相手を甘く見て油断するほど馬鹿ではないが、この女口だけか。立派に啖呵を切ってみせたまでは良かったが、それだけ。指揮官といえば戦場に出るものではないしな、と内心無理に納得した。クラッカーは今から義務で彼女を殺す。或いは戦意を喪失させ弟の能力で標本にする。けれど戦闘が発生するのであれば、少しくらいは楽しみたかったのだ。
「どうしたどうした。逃げてばかりじゃあ終わらないぞ」
「っまさ、か!」
よく飛び跳ねながらそこまで喋る。ビスケット兵の腕に飛び乗ったフェムを見て、クラッカーはほくそ笑む。兵士の近くにいれば攻撃されないとでも思っているらしい。クローンと言えど人間の兵士を常々操っているもんだから、兵士の損失は控えるべきという思考をしているのかは不明だが、その手に乗ってやるほど甘くない。クラッカーが指先を動かすまでもなく、別のビスケット兵が、フェムの乗ったビスケット兵ごと破壊した。
「言わなかったか? おれのビスケット兵は無限。貴様らのクローン兵なんかより優秀だろう?」
ビスケットの甘く細かい粉が舞う。呻き声すら聞こえないので一発KOか。ため息を吐いて彼はビスケットの瓦礫へカツカツと歩みを進めた。
「っー……流石の硬度だ」
「……面白い。口だけではないらしいな」
声色とは裏腹に、彼は口元を歪める。その小さな体躯で何をするつもりだと思っていたが、彼女もただの馬鹿ではないようだ。ビスケット兵を砕くには湿らせるか、或いはそれ以上の硬度のものをぶつければ良い。彼女は後者を選択した。剣を持った手を破壊すれば、同等の硬度を誇る剣を得ることができる。身の丈より遥かに大きな剣は扱いづらいだろうに、軽々と振り回しビスケット兵を砕いてみせているではないか。
「楽しめそうで何よりだ」
新しい玩具を見つけた幼児のような顔で、クラッカーは生身のまま彼女に肉薄する。痛いのは嫌いだ。けれど彼女ほど適度に楽しめそうな敵もそうそういない。それなりの強度と、決してこちらを食わない程度の膂力。決して満身ではない。彼ほどの男が相手の実力を測れないわけがない。それは幾多の戦争に勝利してきた彼女も違いないはずなのだが……彼女は本当に、嘘偽りなく、クラッカーとの戦闘を楽しんでいた。
本来ならば、手配書と異なるクラッカーの素顔を拝んだだけで満足するつもりであった。やはりあの写真は"推測通り"偽物だったと確認できただけでよかった。良かったのに、欲望には抗えなかった。腹の底が熱く疼く。全身が彼と戦えと叫んでいた。確かに時間を稼ぐ必要はあったが、ここまで正々堂々と戦闘に持ち込む必要などなかったのだ。いつもの彼女であれば適当な建物を壊す程度の妨害工作しかしなかっただろう。けれど、衝動を抑え込めるほど彼女の理性はイイコではない。夜通し戦闘を続けたせいで、彼女は熱に浮かされたように戦闘だけを貪欲に求めていた。三大欲求と並ぶほどの欲望でもって、彼女は戦闘を求める。好戦的なんてものではなかった。
「だが忘れるなァ、貴様の不利は変わらない」
ガキン、と思い金属音。クラッカーの振り上げたプレッツェルが、フェムの腕を直撃した。本来ならば脳天をカチ割るつもりだったが、流石にそれを受けるほど反応は鈍くないらしい。だが腕でガードしたとて、無傷で済むほどヤワな攻撃でないのも事実。案の定へしゃげた左手をぷらんと脱力させた彼女の表情は——しかし、今までで一番の笑顔であった。乱れた前髪と割れたグラスの隙間から覗く瞳はあくまで無機質であるのに、その頬は紅潮し、荒い呼吸は戦闘中独特の息切れというよりは情事中のそれ。クラッカーも思わず顔を引き攣らせる。腕を折られたならば苦痛に歪んだ顔をしろ。攻撃を喰らったのならば己の弱さ恥じろ。改造人間と言えど人間のはず。そんな人間にとって当たり前の行動が、フェムという女には欠落していた。
「あは……やっぱ、生身はサイコー、じゃん……♡」
あまつさえこんなことを、恍惚とした顔で言う。言うだけならまだしも、言いながら距離を詰め腹部への突きを繰り出すのだから、完全に気が狂っている。理解ができない。人間というよりも、そういう怪異という認識をすべきか、とクラッカーは彼女を剣で弾き飛ばした。ズザ、と今度は剣で受けた女に、クラッカーは底知れぬ恐怖を覚える。十分勝てる。確実に格下の相手である。それなのに、それなのに背筋がゾクリとする。端的に言えば気持ち悪い。おかしいのだ、この女は。自分の死にさえ無感情だったというヴィンスモークの倅どもより理解に困る。快楽を得ている。こいつは戦闘で快楽を得ているのだ。痛みや肉薄する武器、瀬戸際にある命に快感を——性的快楽を得ている。
「チ、」
舌打ちをしたクラッカーは仕方なく納刀し、再び手を数度打ち鳴らす。気色悪い。こんな物言いをする奴と真っ当に戦うべきじゃないと彼の経験が告げる。よくわからない奴は、よくわからない戦法を取る。日和ったワケでは決してないがうっかり優位を取られるわけにはいかない。彼にはもう完璧な勝利しか許されていない。大量のビスケット兵を生み出し、その中の一つに乗り込んだ。やはりこの闘い方が良い。指揮官なぞ、戦場に出るべきではない。一番安全な場所にいるに限るのだ。
「アハハ、酷いなあ貴殿は!」
向かってくるビスケット兵を次々に切り捨てながら、フェムは高らかに笑う。やはり初手でレプリカといえど硬度の高い剣を奪われたのが痛かったか。そう結論づけるが早いか、クラッカーは彼女の剣を砕いてしまった。所詮彼の能力で生み出したもの、遠隔で粉砕するなど朝飯前だ。
「徒手空拳でどこまでやれるかなァ、女」
けらけら笑うクラッカーに、けれどフェムはまだあの笑みを崩さない。この時を待っていたと言わんばかりの余裕ある身のこなしに、さしもの彼もビスケット兵を一度退がらせた。
「————識別完了、接続完了、操作不可、無し——演目:巨人狩り」
ただの瓦礫ほどではないにしろ、それなりの重量のあるはずのビスケットが宙に浮く。今まで彼女が切り、打ち捨てられていたビスケット兵の残骸だった。
「っは、マジかよ」
彼の兄のように見聞色で未来を見るまでもない。それなりに戦闘をしてきた奴であれば彼女がやろうとしていることくらい簡単に想像がつく。瓦礫を持ち上げて投げつける——そんな単純な戦法を、彼女は一度に行おうとしていた。
彼女の能力は、端的に言えばサイコキネシスである。悪魔の実の力を、果実に依らず血統因子の組み替えによって手に入れた。ベースとなったのはフワフワの実。可愛げのある名前に物体を浮かせることができるという便利な能力であるが、使い手次第では非常に凶悪なものとなる。島などという巨大な物体に加え、能力者の弱点である水でさえも浮かせた記録さえあるほどだ。その能力を、十全ではないにせよ彼女は保持している。ジェルマ王国開発班謹製のゴーグルは、浮遊物体の制御を容易にする。三百の銃火器を操り発砲する程度ならば造作ない。もう動かないビスケットをそれなりのスピードでぶつけるくらいならば、簡単と言うほかない。
「あーあ、全部壊しちまいやがった」
彼女は器用にも、クラッカーの搭乗しているビスケット兵以外をことごとく崩してしまっていた。ここに来て嫌な弱点ばかりが露呈するな、と歯噛みしながらも彼は至極嬉しそうに言う。
「互いに相性が悪いなァ、指揮官殿」
相性が悪い。クラッカーからすれば攻撃は避けられ、ビスケット兵を展開しようものならフェムの武器にされ崩される。フェムからすれば体格の差もあり到底徒手空拳で勝てる相手でもなく、武器は向こうが持ち出さない限り手にすることができない。けれど、余裕の笑みを浮かべるクラッカーの方が圧倒的に有利であった。相性が悪いというだけで、拮抗しているわけではない。このまま戦闘を続行すればクラッカーの勝利は確定している。そこにゲーム理論は存在するべくもなく、最初から彼の勝利は確定していた。予想よりも遥かに時間がかかっているだけである。実際、既にフェムの片腕は潰れている。
「冗談がお上手。本来ならばアタシなんか初手で潰せたんでなくて? 其方も試合いたかったんでしょう? それともこんな若い娘相手じゃあ本気出せないかしら?」
けらけらと笑う女に、クラッカーは嗜虐的な笑みを浮かべる。だんっ、と踏み込んで女の腹目掛けて突きを繰り出した。
「貴様と一緒にするなよ、変態が」