寝起きの先生が可愛い!ぱち、と人の気配で目が覚めた。
敵意も殺意もないので、たまたま眠りが浅くなった時に気がついたのだ。
良い香りがして鼻を鳴らすと、ぼやけた視界が輪郭を露わにして行く。
目の前には黒檀、それから石珀色の立派な角があった。
「ああ……俺、せんせーと結婚したんだ」
そして怒涛の初夜である。
鍾離は結婚したのだからと受け入れてくれて、初めてだろうにタルタリヤに身を任せてくれた。
前後不覚になるまで愛でられてくれた鍾離は、半仙の姿になってしまい今に至るというわけだ。
「何度見ても綺麗だし、可愛いなぁ」
最高級の陶器より滑らかな肌、絹糸の髪、所々に浮かんだ鱗と角としっぽが彼の神性を物語る。
岩元素が浮かぶ黒い腕は確かな筋肉がついていて、男らしさを感じた。
強い、強い、神様だ。契約の神にして武神。
そんな天高く見上げることしかできない存在が、タルタリヤの隣で無防備に眠ってくれている。
言葉にできない幸福が湧き上がってきてとまらない。
「鍾離先生、朝だよ」
「ん……ぐるる……」
「ふふ、まだ眠いの?もう少し寝るかい、俺の可愛い人」
「こぅ……けほっ、こほっ」
「ちょっと待ってて」
横着して水元素の力を使い、水差しから球体にした水を移動させる。
飲みにくいかな、という配慮と剥き出しの下心でそれを口に含み、鍾離のものと合わせた。
喉が上下するのを確認して離れようとしたが、鍾離が舌を擦り寄せてきたので遠慮なく絡めさせてもらう。
「先生、もっといる?」
「……ん」
その返事はキスに対してか水に対してか定かではなかったが、彼が口を軽く開いて舌を見せているので都合よく解釈することにした。
口移しで水を飲ませながら深く口付けること、三回。
鍾離の瞼が薄らと開いて石珀が覗いた。
「おはよう。身体はつらくない?」
「だいじょうぶ、だ」
「そっか。いま軽い食事を作ってくるよ」
「ん……」
すり、とはだけた寝巻きのまま擦り寄ってくる鍾離が可愛くて、ずっと見ていたい気に駆られる。
しかし空腹の鍾離を放っておく訳にもいかない。
タルタリヤはグッと歯を食いしばってベッドを下りる。
「はやく、もどってこい」
「ッ!うん!」
シャツの裾を引かれて舌足らずにそう言われては、心が波打ってしまっても仕方がない。
料理の腕に覚えはあるが、まだ璃月の料理は食べる専門だ。
鍾離にとっては馴染みがないものになってしまう。
見よう見まねで作って失敗するよりはいいか、とタルタリヤはそばの実を手に取った。
完成したら鍋ごと枕元に移動させる。
中身は玉ねぎとマッシュルームをたっぷりいれたカーシャという母国の粥。
器に盛るとミルクの匂いが広がり、実家の暖炉が見えてきそうだ。
よく冷ましてから匙を差し出すと、鍾離は尖った牙を見せながら大人しく食べた。
朱を入れていない目元がふんわりと色づく。
朱がないと不思議と幼く見える彼を知っているのは自分だけかもしれないと思うと優越感が湧いた。
「どうかな?」
「……うまいぞ」
「よかった。たくさん食べていいからね」
健啖家である鍾離は鍋の半分ほどを食い尽くし、丁寧に手を合わせて礼を言った。
タルタリヤは指で唇拭ってやって、器と鍋を下げようとしたが、ストップがかかった。
「公子殿も、食べるだろう」
「へ?いや俺は自分でっ」
「くちをあけろ」
「う、うぅ……」
まだ覚醒しきっていないだろうに素早く器をとられ、タルタリヤがしたように匙を向けられる。
自分もやったくせに、やられる側になると途端に恥ずかしい。
誰かに食べさせてもらうなんて、一桁の年齢だった頃に熱を出して以来だ。
タルタリヤが羞恥でむず痒くなりながらも食べ進めると、鍾離は餌付けが気に入ったのかほけほけと微笑んだ。
違う意味で赤くなった頬を隠したくてそっぽを向くが、ずいっと迫ってくる匙からは逃げられない。
「美味いだろう」
「うん、そう、おいしいね……鍾離先生の手から食べるとより美味しい。天国の食べ物みたいだよ」
「おおげさだ」
タルタリヤが食べ終えると、鍾離の瞼がまた下がってきた。
昨夜はだいぶ無理をさせてしまったから体力が回復しきっていないのだろう。
鍋と器を流しまで持っていってから戻ると、うつらうつらと船を漕いでいた。
「先生、まだ眠いなら寝ていいよ」
「……お前も、」
「俺も隣にいるよ。ベッドにお嫁さんを一人にするなんて夫失格だろ?」
背中に手を添えて寝かせると、鍾離の呼吸が深くなっていく。
指通りのよい髪を梳いて額にキスを落とした。
くるる、くるる、と喉から可愛らしい音がする。
「そうか……おれは、よめだったな」
「そうだよ。俺の可愛い可愛いお嫁さん」
「けっこんとは、しあわせ、なのだな」
そう言って穏やかな眠りに落ちていった鍾離の頭を撫でながら、タルタリヤは浸る。
プロポーズは突然だった。そもそも交際すらしていなかった。
鍾離から親愛を感じることはあれど熱を持った情愛は見えなかった。
けれど、ここまでくればさすがに分かる。
凡人初心者の元神が如何に人の心に疎かろうと、婚姻して身体を許し、警戒なしに眠りにつくわけがない。
「……ねえ、せんせ。いつから俺を好きになってくれたの?」
タルタリヤは一目惚れ。ならば鍾離は?
何が彼の琴線に触れたのだろう。鍾離はタルタリヤの何に魅力を感じたのだろう。
「いつか教えてね。いつか……」
俺が死ぬ前に、と呟いた声は音にならなかった。
二人は寄り添って眠る。
二人だけの寝台で、二人だけの愛しい時間。
凡人はこれを〝幸福〟と呼ぶのだ。