【イルアズ】家族と過ごす日「やっほーイルマち、アズアズ! おせちち持ってきた!」
「いらっしゃい、クララ。おせち、ありがとう」
クララがポケットから何重にも重なった重箱を取り出したのを受け取ると、すぐに横から手が伸びてきてアリスがそれを攫っていった。お持ちします、とも何も口にしないけれど、入間はちゃんとその意図をわかって、ありがとう、と微笑みかける。
「手間を掛けたな、クララ」
「いいってことよー!」
重箱を抱えたアリスが実に素直に礼を述べるのを、ごく当たり前に受け入れて、クララはどんと胸を叩いて得意気な顔をした。
これが学生時代のアリスだったなら、クララのやることなすことに対して、何か一言捻くれたことを言わなければ気が済まなかっただろうし、たまに素直なことを言ったならばそれをクララは大仰に驚いて見せたのだろうけれど、悪魔学校を卒業してもう数年が経ち、二人も随分とお互いに接し方が丸くなった。
「さ、上がって上がって」
「おうよ!」
イルマが促すと、クララはニシシと、昔と変わらない笑顔を浮かべた。
サリバン邸やアスモデウス邸と比べれば随分と慎ましやかな、しかし、立派な調度品に囲まれたエントランスには、左右と正面に扉が三つあり、右手は応接間に、正面は使用人用のスペースに、そして残る左手が主人たちの生活空間へと繋がっている。その、一番プライベートな扉を開けて、二人はクララを招き入れた。
このたび、今年就任したばかりの魔王の「魔界塔毎日上り下りするの、無理!」という我儘のもと、魔界塔の麓に建築された魔王城、その敷地内の奥まったところにひっそり用意された魔王の私邸である。公的な来客を迎える機能などの一切を排し、ただただ、魔王とその伴侶との寝起きと、あとは、ごくごく私的な来客の――つまり、魔王が心置きなく「みんなで集まって遊ぶ」――ための部屋だけがある、大層慎ましやかな、「屋敷」とも呼べない、コテージのような大きさの建物だ。
今や、その気になればサリバン邸のような立派な屋敷だって建てられる身分にありながら、イルマは「私邸部分はどんなんにする?」という建築家からの問いに、「小さいのがいい」と要求した。
そもそも貴族が豪邸を必要とする理由のほとんどは、その中に公的な機能を持つスペースを具える必要があるためであり、また身の回りの世話をさせる使用人を置くためである。そういったスペースは城の方に置くのだから、私邸の方には不要であろうという判断と、それから、入間がまだ幼かった頃、まともな住まいも無かったあの頃、そしてまだ、己の境遇の全てまでをは「仕方ない」と諦めることが出来なかった頃、幼心に憧れた、家族が揃って過ごせる、小さくも暖かな一軒家が欲しいという希望から、十三人程度なら集まれる応接間と、あとは家族のためのささやかな居間とダイニングルーム、それから寝室と水回りと、若干の家事室があるだけの、魔王の自宅としては前代未聞と言っていいほどに小規模な建物が出来上がった。
入間としては、日本の一戸建ての家をイメージして発注したのだけれど、アリスの「寝泊まりは城でさせるとしたって、日中使用人が仕事をするスペースは必要だし、どんなに私的な来客しかないとは言え、客を迎えるスペースは生活空間とは分けるべき」という貴族――或いは魔王の側近――らしい意見と、憧れてはいたものの「日本の一戸建て」の間取りにそう詳しいわけでは無い入間の説明と、アガレスの建築への拘りとが渾然一体となった結果、魔界の標準的な貴族の屋敷の縮小版のような、なんだか不思議な建物になったのだけれど、機能を最優先に作ったものだから住み心地は案外悪くない。
と言ったって、普段は私邸に帰る暇も惜しんで仕事仕事の毎日で、日常の寝起きは城の中に用意した私室の方でしているから、この私邸でゆっくり過ごせるのは終末日と十三月の間くらい。そして、城が落成してから、今日が最初の月越しなのであった。
「おお、ケロりん、今年も頑張ってんなー!」
家族のための居間に置かれた大きなテレビでは、月越し恒例、アクドル大武闘会が流れている。学生時代、大武闘会で名を上げたくろむは――いつの間にか、くろむの正体がケロリであることは、問題児クラス公然の秘密になっていた――今では大武闘会の運営側として、司会をしている。
「ソイくんが出てるから、魔ーケストラの方は録画してあるよ。後で見る?」
「出ている、と言っても、わかるのは音だけですがね」
「ねぇ、毎回姿も見つけようと頑張るんだけど、見つけられた例しがないよ」
それがやりたいから録画してるのもあるんだけど、と言って笑いながら、入間はおせちちにフォークを伸ばした。
ダイニングルームではなく居間の方で、ソファの前に置いたローテーブルを少し避けて作った空間に、クララが炬燵を出してくれた、その上におせちちを広げて、三人で月越しの特番を見ている。
入間は、日本式の「おせち」はろくに食べたことが無かったけれど、それを売るバイトはしていたので、中身がどんなものかは知っている。それとよく似たウァラク家流の月越し名物は、五段重ねの重箱にみっちり詰まって届けられた。日本のおせちは年が明けてから食べるものだったようだが、魔界のおせちちは月越しの夕べを楽しみながら摘まむらしい。
月越しという行事を知ったその年から数年間、イルマはイルミちゃんとして大武闘会に引っ張り出されていたし、その後、「若手の登竜門」たる大武闘会での活躍は後進に譲るようになってからも、月越しは大抵の場合は家族で過ごすものという文化らしくて、各々の家で過ごしていたので、こうして三人だけで月越しを過ごすのは今年が初めてだ。
一歩大人になったような気分で誇らしいような、サリバンやオペラはどうしているだろうかと少し寂しくなるような、しかし、アリスやクララとこうしてゆっくり月越しの夜を過ごせるのは新鮮で、それがたまらなく嬉しいような気持ちで、心はそわそわと落ち着かない。
そんなふわふわと浮ついた気分のまま、おせちちに舌鼓を打ちながらはしゃいでいるうちに、あっという間に窓の外は暗くなっていった。
「おっ、そろそろ帰らないと、カウントダウンまでに帰れないぜ!」
ふと窓の外を見たクララが、元気にぴょこりと立ち上がる。
手早く自分の荷物をポケットへ押し込みはじめるクララに、しかし入間とアリスは面食らったように顔を見合わせた。
「えっ、うちでカウントダウンしていかないの?」
「客間に寝具は用意させてあるぞ」
すっかりクララも一緒に月越しをするのだと思っていた二人は、慌てて引き留める。しかし、クララは何言ってんのさ、と笑った。
「新婚さんのおうちに、しかも二人で過ごす初めての月越しの夜に泊まってく程、野暮じゃないしーぃ」
ニヤニヤと笑いながらそう言うクララの言葉に、入間はアリスと顔を見合わせてから、揃ってぽっと頬を赤くした。
「そっ……そんな、気を遣わなくて良いのにっ! クララが居ないと寂しいよねっ、アズくん」
「そ……そうだぞ、我々に遠慮するだなんて、アホクララらしくもない……」
口々にそう言う二人に、クララは「私をなんだと思ってるのさ」と口を尖らせた。
「私は大好き軍団のお姉さんだから、二人が二人だけの時間を過ごす間くらいは我慢できるし!」
ふん、と小鼻を膨らませながら胸を張って見せてから、クララはそこで一度言葉を切って、少しだけ大人の顔で笑う。
「それに、私や弟たちもそろそろ大人だから、あと何回家族みんなで月越しできるかわかんないし。さびしんぼのイルマちとアズアズには悪いけど、今日の私は、マミーウララとキー坊とコンチーとシンシンとランランを優先させて貰いまーす!」
少しだけ未来のことを見ている眼差しでそう言うと、クララはパッと、いつもの脳天気な笑顔に戻る。
「んじゃね! ハッピーサーティーン!」
元気にそう言い残して、クララは去って行った。残されたのは、入間とアリスの二人だけ。
魔王城は昨日が仕事納めで、通いの役人たちは登城していないし、住み込みの使用人たちはほとんどを実家に帰している。十三月はプライベートな時間にしたいからと、二人の生活空間に立ち入ることを許している僅かばかりのメイドすらも、その「ほとんど」の中に入っていた。いくらかの警備の担当と、十三月の間の掃除当番くらいしか残っていない城の敷地はしんと静まりかえっていて、いざ家の中に二人きりになると、やはりどことなく寂しいものを感じてしまう。
クララをエントランスまで見送って、炬燵を片付けた居間へと戻ると、二人はどことなく所在ないまま、ソファに並んで腰を下ろした。
しばらくの間並んでテレビを見ていたけれど、やはりクララが居なくなってしまうと、どかかしんみりとした空気になってしまう。それが居心地が悪いという訳ではないのだけれど、ただ、あのままわいわいと賑々しく月越しを祝う予定だったのが肩すかしされてしまったようで、その落差が物寂しい。
「……やっぱり、月越しは家族で過ごす方が良かったかな」
お互いに、サリバン邸とアスモデウス邸に里帰りして月越しを過ごそうかという案は、無いではなかったのだ。それを、折角新居で過ごす初めての月越しなのだから、と我儘を言ったのは入間だった。ただその時は頭の中で勝手に、きっとクララも一緒だろう、と思っていて、まさか二人きりになるなんて予想もしていなかったのだ。二人きりが嫌なわけでは決して無いけれど、ただ、脳裏に浮かべていたような賑やかな月越しでは無くなってしまったから、楽しく過ごせる筈だったのにごめんね、という気持ちで、苦笑を浮かべながらアリスの顔を覗いてみる。
するとアリスは、なにやらその形の良い眉をきゅっと寄せて、不満げに口元を引き結んでいた。
「あ、アズくん……?」
なんとかその不満げな表情を和らげようと、恐る恐る声を掛けてみる。するとアリスはつい、とそっぽを向くと、唇を少しばかり突き出して見せた。
そして、
「……憚りながら、今現在のイルマ様の『家族』は私であると、そう自負していたのですが……?」
と、拗ねたような声で言った。その右手の中指に光る、黄金色の指輪――二人が将来を誓ったときに、入間から贈ったものだ――をこちらに見せつけるように、耳から落ちた毛を右手で耳へと掛け直しながら。
その言葉に、入間ははっと飛び上がる。全くもってその通りである。ただ、将来を誓い合う前から、二人はだいたいいつもずっと一緒に居たし、その一方で、将来を誓い合った後も、住まいはしばらくサリバン邸とアスモデウス邸に分かれていたし、王城に住まいを移してからは、普段はそれぞれの私室で寝泊まりをしている――無論、アリスが入間の部屋に滞在する夜も少なくないが、体面上、夜が明ける前にアリスは自室に戻ってしまう事も多い――ので、未だに「アリスと家族になった」という実感が湧かないままなのだった。
「……ごめん、あの、なんか、ほら、まだ……なんていうか、実感がなくて。城だと部屋も別だし、他の人たちもいっぱい住んでるから、なんていうか、一緒に住んでるって言うより、同じ寮で暮らしてるだけみたいな気持ちって言うか……家族になったんだなぁ、って、じっくり思える時間がなかったって言うか」
入間がたどたどしく言い繕うと、アリスはそれならば、と言って入間の方へと体ごと向き直る。
「十三月の十三日間、たっぷり実感していただきますからね」
覚悟してください、というアリスの、その尖らせた唇に、「そうさせて」と囁きながらキスをする。
――テレビの向こうから、十三月の始まりを告げる歓声が聞こえてきた。