「もういい加減にして!あんたっていつもそう!隊長隊長隊長隊長って!私と隊長どっちが大事なのよ!」
世界平和監視機構コンパス所属の戦艦ミレニアム。その中の休憩室にルナマリア・ホークの叫び声が響き、近くのソファでタブレット端末を弄っていたルナマリアの言う「隊長」であるキラ・ヤマトは驚いて端末から彼女へと目をやった。
赤い髪を怒りで逆立てるルナマリアに対峙してる黒髪の少年、シン・アスカは突然怒り出した自分の彼女に困惑してるものの、当たり前のように口を開いた。
「そんなの、隊長に決まってるだろ?何言ってんだ?ルナ?」
何言ってるんだ?はお前だ、シン。その場にいた全員がそう思った瞬間、鋭い破裂音が響き渡る。
「シンの馬鹿!もう知らないっ!!」
シンの頬にくっきりと手形を残して、顔を歪めたルナマリアは苛立ってその場を後にする。ただ事でない雰囲気に、普段はざわめきが絶えない休憩室は水を打ったように静まり返った。
「ちょっと、シン!今すぐルナマリアを追いかけて!早く謝って!」
「いってぇ、大丈夫ですよ、隊長。まったく、ルナの奴何拗ねてんだが」
持っていた端末を放り投げて慌ててシンに駆け寄ったキラに対して、当事者であるはずのシンは叩かれた頬を押さえて呑気そうに構えている。
「全然大丈夫じゃないから!君は彼女が好きなのに、なんで僕のが大事とか言っちゃうの!?」
「だって、本当にそうなんだから仕方ないじゃないですか?確かにルナのこと好きだけど。隊長の方が心配です。なので俺が隊長を優先するのは当たり前です」
「当たり前じゃないから!好きな子優先して!お願いだから!」
ようやく無邪気に笑えるようになったこの少年から家族を奪ってしまったのは自分だと思っているキラは、そのうえやっと見つけた新しい家族になってくれそうな少女までもを自分のせいで失ってしまいそうな事態に焦燥する。
「そうは言っても、俺がいないと隊長死んじゃうじゃないですか?」
「死なないから!大丈夫だから!」
またこの子が独りになってしまったらどうしよう。また僕のせいでこの子が不幸になってしまったらどうしようと、心配で紫の目にうっすらと涙の膜が浮かぶ。
「だって、ほっといたらあんた飯も食わないし、家にも帰らないし、残業するし、仕事持ち帰るし、夜もちゃんと寝ないしで、全然自分のこと大事にしないし……ほら、やっぱり隊長死んじゃうじゃないですか?」
「わかったから!自分のこと大事にするから!ご飯も食べるし、家に帰るし、残業しないし、仕事持ち帰らないし、夜もちゃんと寝るから!だから早くルナマリアに謝って来て!僕のせいで二人が拗れるなんて耐えられないよ!僕は君たちが仲良くしてるのを見るのが好きなんだから!」
「本当に約束してくれます?」
「約束するから!早くして!」
とにかく早く仲直りして欲しい。その一心で必死に言葉を紡ぐキラは、条件反射のようにろくに意味も考えずにシンの言葉に同意した。
「「いよっしゃーっ!!言質とった!!」」
「……え?」
タブレット型の端末を持って観葉植物の裏から出てきたヤマト隊の最後の一人、アグネス・ギーベンラートと目の前のシンがガッツポーズを決めてる。
「ルーナー!もう出てきて良いぞ!」
怒って走り去っていたルナマリアが「首尾は?」「上々!」とケンカをしていたはずのシンとハイタッチをしてる。その横でアグネスは忙しなく端末を操作していた。
「アグネス、あんたちゃんと撮れてるんでしょうね?」
「はぁ?誰にもの言ってんのぉ?この私がこの程度のことしくじる訳ないじゃない?ほら!」
『わかったから!自分のこと大事にするから!ご飯も食べるし、家に帰るし、残業しないし、仕事持ち帰らないし、夜もちゃんと寝るから!』
突き出されたタブレット端末には先程のやり取りの映像が流れている。
そう、彼女達は「言質とった」と言った。つまりこれはキラから「ちゃんと休む」という言質をとるための罠だったのだ。
「……ひ、卑怯だ!みんなして僕を騙して!」
「だって、こうでもしないと隊長休んでくれないじゃないですか~」
テストもせずに実戦投入してしまったプラウドディフェンダーは案の定壊れてしまい、修理と改良を進めている。
ファウンデーションがレクイエムを隠し持っていたように、ジェネシスやレクイエム、あるいはそれ以上に危険な大量破壊兵器を所持している組織がないとは言いきれない。
だから休んでなんかいられないと以前と変わらず働いていたキラを最近の隊員達はどこかの幼なじみのように休め休めとうるさく言うようになっていた。
今までは上官であることを盾に退けて来たけど、隊員達はそれをさらに退けるための言質をとりに来たのだ。
「と、言うわけで、今日は定時で帰ってくださいね?クライン総裁にはもう話行ってるんで」
「ちなみにさっきの動画はもう関係各所に送信済みですので、諦めてくださいね?」
「関係各所ってどこ!?」
「ラクス・クライン総裁。アレクセイ・コノエ艦長。マリュー・ラミアス艦長。ムウ・ラ・フラガ大佐。カガリ・ユラ・アスハ代表。ついでにアスラン・ザラとアンドリュー・バルトフェルド。情報局のディアッカ・エルスマンです」
全員キラを心配し、キラが逆らい難い面々ばかりだった。
そういえば、ヤマト隊は隊長のキラを除く隊員は全員プラントのアカデミーを優秀な成績で卒業したザフトレッドだった。実戦経験や天性の勘だけで作戦を考えてるだけのキラが戦術立案でこの部下達に適うはずもない。
「本当に関係各所全部じゃないか!?出来る部下が憎いっ!」
キラの私用の端末にはもう『お夕飯の準備はもう出来てますわ』『諦めてちゃんと休め』とラクスとアスランからのメッセージが届いてる。みんな仕事が早すぎ。暇なの?と顔をしかめるキラに対し、出来る部下達は満更でもなさそうに笑っている。
逃げ道を失い、周りは敵ばかり。つい最近ファウンデーションで味わったばかりの四面楚歌をまさか我が家とも呼べる旗艦で味わうとはキラも思ってもみなかった。
ただ、今キラの胸にあるのはあの時のような凍てつく絶望ではなく、なんとも言えないむず痒さだけだった。
「……酷い。みんなして僕をいじめる」
頭を抱えて苦しむキラを前に、他のヤマト隊の面々は得意そうにしている。「僕が隊長なんだけどなぁ」と独りごちてもこの件に関しては隊員達は引く気がないようだった。
「でもルナ、ちょっと力入れすぎじゃないか?まだジンジンするんだけど?」
「あら、だってあんたが隊長ばっかりで気に食わないのは本当だもの」
「だーかーらー、それとこれは違うっていつも言ってるだろ?」
「どうかしら?」
仲良く言い争っている二人に、先程のような緊迫感はなく、キラも今回は心配せずに眺めていたが、ふと思い付いて端末のカメラを起動する。
シンの頭越しに私用の端末を構えているキラを見つけて、ルナマリアの口角が僅かに上がった。
「で?本当のところはどうなの?シンは私と隊長のどっちが大事なの?」
「そんなのルナに決まってるだろ!そりゃ隊長も大事だけど!」
「はい、言質とった」
「あー!隊長何してんっすか!?」
「うーん、何って仕返し?」
入手したばかりのシン・アスカの供述を関係各所にばら撒きながら忍び笑う。言質とったから、簡単に別れたりしたら許さないよとキラが笑う。
「なんで俺ばっかり!この二人にもやってくださいよ!」
「まぁ、その二人は追々ね?」
「え〜、ひっど~いっ!私はぁ~、その二人がど~してもって言うからぁ~。仕方なく協力しただけなんですよぅ~?ねっ?たいちょ~」
わざとらしく媚びた声を出して甘えるようにキラの腕にしがみつくアグネスはかつてのようにキラを狙っている訳ではなく、ただふざけているだけだった。その証拠に猫のような目はイタズラを楽しむように輝いている。
「え〜、私だってぇ~。シンがぁ~、やれって言うからぁ~。……ぶっ、ダメっ、おっかし……ふふふ」
それを見て悪ノリしたルナマリアがアグネスの真似をしながらキラの反対側の腕にしがみついて、堪えきれずに肩を震わせて笑っている。
「おい!ずるいぞお前ら!隊長!こいつらも共犯ですからね!」
「うーん。どうしよっかなぁ?ふふふ」
ああ、もう、本当に。どうしてうちの子達はこんなにも可愛いんだろうと目を細めるキラの目尻には、僅かに涙が滲んでいた。